砂の器(弐) | 俺の命はウルトラ・アイ

砂の器(弐)

『砂の器』

映画 トーキー 143分 フジカラー

シネマスコープ

昭和四十九年(1974年)十月十九日封切

製作国 日本

製作言語 日本語

 

製作会社 松竹株式会社

     橋本プロダクション

 

製作   橋本忍

     佐藤正之

     三嶋与四治

 

原作   松本清張

脚本   橋本忍

     山田洋次

 

製作補  杉崎重美

企画   川鍋兼男

製作協力 シナノ企画

     俳優座映画放送

 

撮影   川又

美術   森田郷平

 

 

音楽監督 芥川也寸志

作曲   菅野光亮

ピアノ演奏 菅野光亮

指揮   熊谷弘

演奏   東京交響楽団

 

録音   山田忠彦

調音   吉田庄太郎

効果   福島幸雄

照明   小林松太郎

編集   太田和夫

助監督  熊谷勲

 

装置   若林六郎

装飾   磯崎昇

衣裳   松竹衣装

進行   長島勇治

製作主任 吉岡博史

 

スチル  金田正

製作宣伝 船橋悟

 

 

 

 

出演

 

丹波哲郎(今西栄太郎)

 

加藤剛(和賀英亮こと本浦秀夫)

 

森田健作(吉村弘)

島田陽子(高木理恵子)

山口果林(田所佐知子)

 

加藤嘉(本浦千代吉)

春日和秀(本浦秀夫 少年時代)

笠智衆(桐原小十郎)

夏純子(明子)

松山省二(三木影吉)

 

 

内藤武敏(捜査一課長)

春川ますみ(澄江)

稲葉義男(捜査一係長)

花沢徳衛(安本)

殿山泰司(のみ屋の主人)

信欣三(桑原)

松本克平(三森署署長)

 

浜村純(巡査)

穂積隆信(松崎)

山谷初男(岩城署署長)

ふじたあさや(鑑識課技師)

菅井きん(山下妙)

野村昭子(若葉荘の小母さん)

今井和子(三木謙一の妻)

猪俣光世(女給A)

 

後藤陽吉(筒井)

森三平太(岩城署刑事)

今橋恒(朝日屋の主人)

加藤健一(ジープの警官)

纓片達雄(外科医)

瀬良明(扇屋の主人)

久保晶(世田谷の巡査)

吉田純子(女事務員)

中林美津三

松田明(浪速区役所係員)

 

丹古母鬼馬二(西蒲田署刑事B)

田畑孝

別所立木

高瀬ゆり

西嶋悌四郎(西蒲田警察署署長)

松波喬介

山崎満(西蒲田署刑事E)

北山信(西蒲田署刑事F)

浦新太郎(西蒲田署刑事H)

千賀拓夫(西蒲田署刑事G)

 

原田君事(警視庁刑事)

大杉雄二(和賀の友人)

三島新太郎

菊地勇一(和賀の友人)

伊東辰夫(和賀の友人)

高橋寛

山本幸栄(警視庁刑事)

渡辺紀行

今井健太郎(警視庁刑事A)

小森英明(警視庁刑事C)

 

土田桂司

中川秀人

沖秀一

高木信夫

加島潤

坂田多恵子(料亭の女中)

村上記代(外科医の奥さん)

東谷弓子(列車のウェイトレス)

水木涼子(農家の主婦)

戸川美子(慈光園の係員)

 

佐分利信(田所重喜)

緒形拳(三木謙一)

 

渥美清(ひかり座の支配人)

 

監督 野村芳太郎

 

山田洋次=山田よしお

 

島田陽子=島田楊子

 

松山省二→松山政路

 

佐分利信=島津元

鑑賞日時場所

昭和六十三年(1988年)四月十二日

京一会館

 令和四年(2022年)九月二十四日

発表記事に加筆しています。

 

 感想文では物語の核心・犯人の名前

を書きます。

 物語の考察の為動機も明記せざるを

得ません。

 

 未見の方は御注意下さい。

 ◎

 六月二十四日の朝国鉄蒲田操車場内

に男性の死体が発見された。

 死因は扼殺と推定され、被害者の年齢

は五十代から六十代と見られる。身許の

判明は難しく捜査は難航する。

 

 中年刑事今西栄太郎と若者刑事吉村正

は熱心に聞き込みを為し事件前夜蒲田駅

前のバーで被害者男性は若い男性と語り

合っていた事を突き止める。

 

 バーのホステス達は二人の会話に「か

めだ」という言葉が東北の訛りで語られた

事を証言する。

 

 東北から亀田姓の人々六十四名を調べる

が該当する存在は居なかった。

 今西は秋田県亀田の土地に着目し吉村

と共にその地に向かうが手がかりを見つけ

られない。

 

 帰路の列車で二刑事は美男の音楽家和賀

英亮に出会う。公演旅行の帰りと見られる

和賀の存在感は二人の刑事に強い印象を焼き

付ける。

 

 八月四日西蒲田署の捜査本部は終了し以後

は警視庁の継続捜査に移る。

 

 その夜中央線塩山付近で夜行列車から若い

美人高山理恵子が白い紙吹雪を散らす。「紙

風吹の女」と彼女を評した新聞記事が吉村の

心を刺激する。

 

 捜査は本浦秀夫という男性を尋ねる。石川

県において本浦千代吉の子として秀夫は生ま

れた。

 千代吉はハンセン氏病に罹り、母は去り、息

子秀夫とお遍路の旅に出た。少年秀夫と千代

吉は島根県亀嵩で三木謙一巡査に保護された。

 

 三木巡査は千代吉を療養所に入れ、秀夫を

自身の側で育てて後に篤志家の養子にと考え

た。

 

 秀夫は三木の側から姿を消し大阪に行くが

大阪の空襲で戸籍の原本と副本が焼けた事を

受け、和賀英良と名乗り天才音楽家として成

功した。

 

 今西は千代吉を尋ね秀夫について問う。千

代吉の胸に熱いものがこみあげる。

 

 和賀英良がピアノ協奏曲『宿命』を書き、

コンサートで自身の指揮によって初演する

ことが決まる。

 

 今西は三木殺害事件は、自身の過去を隠

蔽したいと狙う和賀英亮の犯行と推理し逮捕

状を得る。

 

 和賀英亮はコンサート会場で『宿命』の

指揮を為し、ハンセン氏病の父と共に差別

を受け苦しんだ日々と優しかった三木謙一

の言葉を想い起こす。

 

 ◎張と情◎

 

 昭和六十三年(1988年)四月京都市一

乗寺のパチンコ屋二階に在った名画座京一

会館が閉館することとなった。

 

 さよなら公演で名画の上映が為され、本

作を同月十二日に銀幕で見る縁に恵まれた。

 

 松本清張は明治四十二年(1909年)十二

月二十一日に生まれた。出生地は広島県とも

福岡県とも言われている。

 本名は松本清張(まつもと・きよはる)で

ある。推理小説の名人として活躍した。昭和

三十五年(1960年)五月十七日から昭和三十

六年(1961年)四月二十日に『砂の器』を

『読売新聞』に連載し、七月に単行本を光文

社から刊行した。

 平成四年(1992年)八月四日、八十二歳

で死去した。

 

 

 野村芳太郎(のむら・よしたろう)は大

正八年(1919年)四月二十三日に誕生した。

 父野村芳亭は無声時代の映画監督で、伊藤

大輔脚本『女と海賊』の演出を担当した。

 芳太郎は慶應義塾大学を経て松竹に入り、

監督となって推理作品の名匠として数々の

名画を発表する。

 平成十七年(2005年)四月八日、八十五

で死去した。

 

 橋本忍(はしもと・しのぶ)は大正八年

(1917年)四月十八日兵庫県に誕生した。

 伊丹万作の指導を受けて脚本を書き、昭

和日本映画シナリオ史を代表する存在とな

る。

 昭和四十八年(1973年)橋本プロダク

ションを設立し、長年温めていた本作の

企画を製作者としても進め成し遂げる。興

行的に大ヒットし、批評で絶賛された。

 平成三十年(2018年)七月十八日、百

歳で死去した。

 

 

 山田洋次は昭和六年(1931年)九月十

三日大阪府に誕生した。父は満鉄のエン

ジニアで洋次は二歳で満洲に渡り、昭和

二十二年(1947年)一家で大連から日本

に引き揚げた。

 東京大学に学んだ洋次は学生時代、前

進座映画にエキストラとして出演したと

いう。

 松竹に入り助監督として勤務し、脚本家

としても活躍した。

 

 昭和三十六年(1961年)十二月十五日公

開『二階の他人』は野村芳太郎と共に脚本を

書いた作品であり、第一回監督作品でもある。

 

 

 

 丹波正三郎は大正十一年(1922年)七月

十七日東京府に誕生した。

 昭和二十六年(1951年)に新東宝に入社

する。丹波哲郎の芸名を会社から貰う。

 昭和二十七年(1952年)に映画デビュー

を果たす。以後三百本の映画に出演し世界の

銀幕で活躍テレビ・舞台にも出演した。

 今西栄太郎は五十二歳で演じた役である。

豪快な演技は光っている。

  平成十八年(2006年)九月二十四日、

八十四歳で死去した。

 

 

 加藤剛は昭和十三年(1938年)二月四日

に誕生した。

 二枚目美男スタアとしてテレビ・映画で

活躍した。

 和賀英亮こと本浦秀夫は三十六歳で演じ

た悪役である。

 義の人を当たり役にしている二枚目加藤

剛に悪の華を咲かせる和賀役のオファーが

あった。

 意外性の配役を狙うプロデューサー橋本

忍の着想は鋭い。

 過去を隠すために残酷な犯行に手を染める

和賀の苦悩を加藤剛は繊細に探求した。

 平成三十年(2018年)六月十八日に加藤

剛は八十歳で死去した。

 

 島田陽子は昭和二十八年(1953年)五月

十七日熊本県に誕生した。

 令和四年(2022年)七月二十五日東京都

において六十九歳で死去した。

 清純派美人女優として大人気を博した。

私的な事柄になるが小学生の時代に島田陽子

の完璧な美しさに感激し憧れた。

 二十一歳で演じた高木理恵子役では胸の

露出も厭わずに披露し和賀を守ろうとして

命を落とす悲劇のヒロインを体当たりで演

じた。

 

  

 男性遺体が見つかり、今西・吉村が調査

し、巡査三木謙一と身元を割り出し、被害者

が世話した本浦千代吉・秀夫父子を調べる。

 

 本浦千代吉・秀夫親子がハンセン氏病に

よりい虐めと差別を受けて堪えて巡礼の旅

をする。

 

 加藤嘉・春日和秀の無言の歩みは観客の

すすり泣きを呼んだ。

 

 橋本忍・山田洋次が書いた壮大なドラマ

は迫力豊かだ。

 

 野村芳太郎の演出は丹念な描写によって

じっくりと進む。

 

 本作の特徴は、協奏曲『宿命』を和賀が

コンサートで指揮し、本浦秀夫少年期に父

千代吉と共に受けた受難を回顧する事であ

ろう。

 

 

 巡礼の旅における加藤嘉・春日和秀の無

言の歩みは京一会館において観客のすすり

泣きを呼んだ。

 

 松本清張は、加藤嘉と春日和秀が巡礼で

苦闘の日々を演ずるシーンを見て、映画な

らではの表現として野村芳太郎の演出を讃

えたという。

 

 半生の歩みと被差別の苦痛が音楽を背景

によって語られ、英亮こと秀夫は恩人三木

を名声を守る野望の邪魔者に感じてしまう。

 

 

 天才音楽家和賀英亮がコンサートを終え

て今西栄太郎の逮捕状が迫る。

 

 ドラマとして鮮やかだ。

 

 大傑作として讃えられている声は察する

のだが、お叱りを受けても自分は率直に感じ

た事を申したい。

 

 ミステリー作品・推理作品として製作さ

れるものは推理の緊張が主流であって欲しい

のだ。

 

 本作は和賀英亮こと本浦秀夫の被差別の

悲しみと虐めに対する怒りに描写の力点が

置かれ、情のドラマになった。

 

 勿論ハンセン氏病患者に対する差別はあ

てはならない事である。わたくし自身の差別

が問い質され叱られている事を感じる。

 

 推理・ミステリー作品で人権や被差別問題

を問う事は大事な営みだ。しかし、主な流れ

は推理・ミステリーの緊張感であって欲しか

った。

 

 緊張の「張」の探求の名人橋本忍だけに

「情」の描写に溺れた事は私的には残念で

ある。

 

 山田洋次・野村芳太郎も、緊張感満点ミス

テリーの名匠である。

 

 それだけに情のドラマに力が注がれた事は

惜しく、緊張感描写を探求して欲しかった。

 

 橋本忍は文楽を意識したらしい。だが、文

楽における情は抑えた表現で語られる。

 

 涙を絞るミステリーを否定はしない。

 

 だが、ミステリーは観客を緊張させ怖が

らせる事が課題ではないか?

 

 シンフォニーとしてのドラマ美を咲かせる。

この課題にクライマックスにコンサートシーン

というのはどうなんだろうか?和賀英亮が指揮

棒を振りながら父千代吉や三木を思い出す。こ

れがいかにも「悲劇だぞ」と言わんばかりで疑

問を感じるのだ。

 

 「生意気言うな」とお叱りになる方もいるだ

ろう。

 

 『張込み』(1958)の切なさや『五の椿』

(1964)のパワーを思うと疑問を抑えられない

のだ。過去の野村芳太郎名画と本作は、それぞれ

格別だが、連関もある。

 

 

 野村芳太郎は参加していないが、脚本橋本忍、

監督山田洋次には『霧の旗』という完全・完璧の

大傑作がある。

 

 わたくしは『霧の旗』の完全性に圧倒されてい

る。だからここが原点になる。

 

 『霧の旗』において裁判で桐子(倍賞千恵子)が

正夫(露口茂)の兄愛に感謝し彼の無実を訴える回

想シーンの美しさ。原作にないんだよ。忍先生のオ

リジナルだよ。

 

 映画における時間の描き方の素晴らしさだ。

 

 あの鋭敏な表現を思うと、コンサートで美しき加藤

剛が罪の苦悩を演じ、本浦秀夫少年期の父との苦闘の

日々を想起し芥川也寸志の名曲が響き渡るという本作

の大詰は、映画表現として首を傾げてしまう。

 

 

 個人的な不満を述べたが、川又昂撮影映

像の濃密な画や芥川也寸志・菅野光亮音楽

の迫力には息を飲む。

 

 田所重喜役の佐分利信の重厚さ、三木謙

一役の緒形拳役の暖かさ、ひかり座支配人

渥美清の喜劇味は輝いている。

 

 名作の風格は豊かだ。

 

 それだけに構成の美で酔わせてくれた

橋本忍脚本がその「張」を発揮しないのは

何故なのかと問いたいのだ。

 

 

 今年製作・公開五十年なので再上映がある

かもしれない。その際は再見したい。自分の

意見も変わるかもしれない。

 

 様々な想い去来し、要望が湧いてくると

言う事は、自分の心の中で本作の存在感が

とてつもなく大きいと言う事を示している

のだろう。

 

 京一会館での鑑賞は忘れられない出来事

である。

 

 

              文中敬称略

 

 

                合掌