中村梅玉の南与兵衛 双蝶々曲輪日記 平成二十四年七月九日 | 俺の命はウルトラ・アイ

中村梅玉の南与兵衛 双蝶々曲輪日記 平成二十四年七月九日

 関西・歌舞伎を愛する会 第二十一回

 七月大歌舞伎 大阪松竹座

 平成二十四年(2012年)七月九日鑑賞

 

 『双蝶々曲輪日記』「引窓」

 

 作                竹田出雲

                  三好松洛

                   並木千柳

 

 南方十次兵衛後に

 南与兵衛            中村梅玉

 

 母お幸              中村東蔵

 女房お早            片岡孝太郎

 三原伝造            中村松江

 平岡丹平            片岡進之介

 

 濡髪長五郎           片岡我當

 

 

 

 寛永二年(1749年)大坂竹本座において

『双蝶々曲輪日記』は初演された。

 

 「引窓」は家族・血族・義理の家族の情愛と義

理のドラマである。

 

 登場する人物は全て優しいこころの持ち主で

ある。

 

 

 濡髪の長五郎は恩義ある山崎屋与五郎と吾妻

を救う為に平岡郷左衛門を斬ってしまった。

 

 その罪で逃走し、母お幸の元に現れる。

 

 片岡我當の長五郎は、巨躯と貫録で力士の風

格がある。

 

 

 暖かい人柄と温厚な気性の持ち主で、内面の優

しさをしみじみと伝えてくれる。

 

 長五郎は郷左衛門を斬殺してしまったことへの痛

みと悲しみを深く噛みしめている。

 

 捕縛される前に母に会いたいという気持ちが篤い。

 

 

 我當は足に痛みがあることを聞いているが、舞台

ではそのことを感じさせず、力強く歩んでいた。

 

 お早は片岡孝太郎が勤める。この公演から二年前

の平成二十二年七月の大阪松竹座公演では、『双蝶々

曲輪日記』の半通しで、孝太郎がお早を勤めました。


 

 繊細で優しいこころを丁寧に表現してくれました。

 

 お早が長五郎の足を洗ってあげる場に、孝太郎の

細やかな暖かさを感じた。

 

 

 

 叔父と甥である我當と孝太郎の芸道の伝承とも呼応

しているように感じた。

 

 孝太郎の熱い情の表現は師匠七代目中村芝翫と叔父

二代目片岡秀太郎の大きな影響を感じた。

 

 二師から鮮やかに継承している。

 

 中村東蔵の母お幸は母性の暖かさが溢れていた。

 

 何とか息子を助けたいという一心に心を打たれた。

 

 中村梅玉の与兵衛は気品豊かで綺麗である。

 

 情感と男気が豊かだ。

 

 与兵衛が手水鉢に映った長五郎の姿を見つめる場

は、この戯曲の素晴らしい演出でいつもときめく。

 

 長五郎は罪を思って捕えられることを願い出て、

実母に自身を縛るように頼む。

 

 温情の男与兵衛は、長五郎の黒子を切り取って逃

がすことを決意する。

 

 この精神が放生会とも呼応している。

 

 情愛の深さを渋く伝えてくれる名舞台である。

 

 この狂言の舞台は男山八幡だ。

 

 京阪電車で八幡市・樟葉を通ると、綺麗な自然に感

動する。

 わたくしにとって八幡・樟葉は二十代の頃よく通

った地で清らかな自然と共に深い敬意を覚えている。

 

 

 

 ここが「『引窓』の舞台なんやなあ」と思い、心の

底から感動する。

 ☆
 平成二十五年四月八日発表記事を再編した。

 ☆

 中村梅玉七十六歳誕生日

  令和四年八月二日

                   

                   文中敬称略

 

                    合掌