二百三高地 笠原和夫脚本 仲代達矢主演 舛田利雄監督作品 | 俺の命はウルトラ・アイ

二百三高地 笠原和夫脚本 仲代達矢主演 舛田利雄監督作品

『二百三高地』

映画 トーキー 185分 カラー

昭和五十五年(1980年)八月二日封切

製作国 日本

製作言語 日本語 ロシア語

製作会社 東映東京撮影所

 

 十九世紀末の大日本帝国とロシア帝国は

厳しい対立関係にあった。

 ロシアに捕縛された日本兵沖偵介は友の

兵士と銃殺刑の裁きを受けるが、処刑前に

ロシア帝国の進出に注意を語って撃たれる。

 

 ロシア帝国の南下政策は進み、朝鮮半島

支配を狙う大日本帝国との対立は激しくな

った。

 

 開戦か外交努力による和平かで国内の世

論は分裂する。

 

 軍事力・経済力共に強大なロシア帝国か

ら見れば大日本帝国は弱小の存在である。

明治政府内にあって伊藤博文は開戦の流れ

が強まる中、戦争回避を主張した。

 

 世間においても強硬な開戦論を語る壮士

グループと平和主義の平民社が対立する。

 

 レフ・二コラエヴィチ・トルストイの小

説を愛読し四海兄弟の全人類平等の精神に

心を打たれている教師小賀武志は、壮士達

に殴られそうになった平和主義者の女性松

尾佐知を助けた。

 美しい佐知に武志は一目惚れする。佐知

も武志の平和主義に生きる生き方に惹かれる。

 

 伊藤は参謀本部次長の児玉源太郎と語り合

う。児玉は場合によっては「陛下」に戦場に

出て頂くことをお願いすることもあり得ます

と述べ、不肖児玉も戦場に出ますと明言し、

伊藤に対しては「閣下にも死んで頂きます」

と厳しく述べた。

 

 明治三十七年(1904年)天皇睦仁後の明治

天皇は伊藤に意見を聞きたいと尋ねた。二月四

日睦仁は開戦決議に裁可を下した。

 

 

 

 伊藤は前法務大臣金子堅太郎を呼ぶ。日本の

国力のみでは戦争を為し続けることは無理でア

メリカ合衆国ローズヴェルト大統領との連携で、

和平に持ち込みたいと戦後の作戦を練った。「命

を賭けるんだ、金子」と伊藤は熱く述べる。

 

 神田のニコライ堂ではロシア人宣教師が平和

を祈る。この場で再会した武志と佐知は芽生え

ていた恋心を確かめ合う。二人は金沢で愛し合

った。

 

 小学校で教鞭を取る武志は教え子の児童達に

尊敬するトルストイ先生の四海兄弟の全人類平

等を徴兵前の授業で説き、「美しい國日本 美

しい國ロシア」と板書し、兵役への道を受けた。

 

 武志の小隊には豆腐屋の息子木下九市、幼い

子供達を残すことに不安を抱く染物職人米川乙

吉、幇間の梅谷喜久松がいた。

 

 牢内に入れられたやくざ牛若寅太郎は全身刺

青を入れている。赤丸巡査に牛若は気持ちよう

飲んどったのに態度が悪いから謝れと迫る。

 「牛若、天皇陛下がな、お前を徴兵して下さ

ったんじゃ」と赤丸は告げた。

 

 牛若は「天皇陛下?そんな男、儂ゃ知らんぞ」

と豪快に言い放った。

 

 武志の小隊は「ダラばっかり集めたのう」と揶揄

されるが、ここに牛若も加わり戦友達の熱き絆が育

まれて行くこととなった。

 

 大日本帝国にとって強国ロシア帝国との戦争は厳

しく困難なものであった。

 日本海軍はロシア東洋艦隊に苦しめられた。陸軍は

第三軍を編成し、司令官に乃木希典を任命した。

 

 乃木には旅順陥落の大命が課せられた。ロシア軍

は一大要塞を築き、攻撃した数多の日本軍兵士は倒

され戦死する。

 

 戦いで部下を亡くした武志はロシア兵に対する

憎悪を燃やす。

 

 牛若は、子供に会いたいと望む米川を押さえつけ、

銃を出し、お前の足を撃つから怪我で軍隊を出て子

供に会いに行けと語る。しかし、米川は「牛若、お前

とも一緒に出たいんじゃ」と望み、足を撃つのは止め

てくれと頼む。牛若も米川の言葉に心を打たれる。

 

 乃木の突撃戦法は沢山の兵士を犠牲にした。乃木邸

にも抗議の声が寄せられた。希典の妻静子はじっと耐

えた。

 希典・静子の息子保典は戦死した。国内においても

乃木罷免の声は高まる。伊藤博文も司令官交代の意見

を述べる。睦仁は信頼する乃木に全てを任せるという

方針を改めて打ち出す。

 

 十一月二十七日司令部は二百三高地攻撃を決定す

る。この日武志は通訳を命じられる。ロシア兵は誇り

高い態度で戦意を語り、日本兵を「猿」と罵倒する。

怒った武志は捕虜のロシア兵を撃とうとして制止され

る。

 

 「兵には国家も司令官もない。焦熱地獄に焼かれて

行く苦痛があるだけ」と武志は激しく語る。この言葉

に乃木は心を揺さぶられた。

 

 十二月六日新たな司令官に任じられた児玉は二百三

高地を攻撃した。鬼気迫る勢いを乃木も見せる。

 小賀武志は戦闘の鬼の形相を見せ、ロシア兵と戦う。

戦友の無念をロシア兵との激闘に燃やす小賀の気迫は

凄まじいものであった。ロシア兵は母の名を呼び、神

の加護を願う。小賀武志とロシア兵は相討ちになり、

共に命を戦場で散らした。

 

 三一五〇名の死亡者、六八五〇名の負傷者という

犠牲者が戦争によって出た。尊い命が失われた。兵

士達の心身は傷つき苦しむ。

 旅順は陥落した。

 

 日本国内では戦勝を祝う声が轟く。小学校教師と

なった佐知は「美しい國日本」と書くが、戦死した

恋人武志を思い、「美しい國ロシア」の文字が書け

ず泣く。

  

 明治三十八年(1905年)三月奉天海戦で大日本

帝国は勝利を収め、日本海海戦においても勝った。

 

 明治三十九年(1906年)一月十四日、乃木希典

は天皇睦仁や皇族達の前で復命書を読みあげる。

戦死した兵士達の事を思い、乃木希典は膝をついて

涙ぐむ。睦仁は乃木の肩に手を当てた。

 

 

 

 

 

出演

 

第三軍関係

 

仲代達矢(乃木希典)

 

あおい輝彦(古賀武志)

 

新沼謙治(木下九市)

 

湯原昌幸(梅谷喜久松)

 

佐藤允(牛若寅太郎)

 

永島敏行(乃木保典)

 

長谷川明男(米川乙吉)

 

稲葉義男(伊地知幸介)

 

新克利(相野田是三)

矢吹二朗(久司大尉)

船戸順(白井二郎)

浜田寅彦(大迫尚敏)

近藤宏(大島久直)

伊沢一郎(友安治延)

玉川伊佐男(松村務本)

名和広(中村覚)

横森久(土屋光春)

武藤章生(竹下少佐)

浜田晃(大庭二郎)

三南道郎(金平又八)

北村晃一(寺島大尉)

木村四郎(津野田是重)

中田博久(奈良少佐)

南廣(軍曹)

市川好朗(志水実)

山田光一

磯村健治(仁杉万吉)

相馬剛三(豊島陽蔵)

高月忠

亀山達也

清水照夫

桐原信介

達純一

原田君事

三島新太郎

原田力

久地明

沢田浩二

清水健祐

村山竜平

山浦栄

五野上力

松本泰郎

添田聡司

勝光徳

大島博樹

村添豊徳

高野晃大

佐々森勇二

青木茂

小島光二

碓氷明

中村高夫

佐藤達郎

秋山敏

金子吉延

政府関係
 
森繁久彌(伊藤博文)
 
天知茂(金子堅太郎)
 
野口元夫(大山巌)
川合伸旺(小村寿太郎)
久遠利三(桂太郎)
須藤健(松方正義)
吉原正(寺内正毅)
小山源喜
弘松三郎
高野隆志
大本営関係
 
神山繁(山縣有朋)
 
平田昭彦(長岡外史)
 
若林豪(上泉徳弥)
 
有馬昌彦
土山登士幸(鋳方徳蔵)
西国成男
 
 
民間人関係
 
愛川欣也(卯吉)
 
夏目雅子(松尾佐知)
 
野際陽子(乃木静子)
 
桑山正一(赤丸巡査)
赤木春恵(木下モト)
原田清人(神鞭知常)
北林早苗(木下トミ)
土方弘(木下勇作)
小畠絹子
河合絃司
舛田紀子
大場利明
和田瑞穂
須賀良
玉川和子
幸英二
村松美枝子
城春樹
吉川潤子
木村修
石川洋子
加瀬悦孝
西村久美子
山本相時
福島歳恵
舟久保信之
伊藤慶子
溜健二
志摩ひろ子
柴田耕一
小山柳子
小山昌幸
榊原良子
山本緑
森しげこ
渡辺有希子
片山真由美
 
 
 
ロシア軍関係
 
オスマン・ユセフ(祈りを捧げる司祭)
大月ウルフ(尋問されるロシア軍人)
 
ジョセフ・グレース
ピーター・ウイリアムス
ドナルド・ノード
ジャック・デーヴィス
ルック・マイヤー
パトリック・スワード
ダニエル・クラスラフスギー
ジェリー・ククルスキー
ペギー・デジュイーガー
ジェームス・ゴードン
ジョージ・ロバーツ
アレキサンドル・カイリス
バートン・ターナー
エメリオ・ピドソーラ
ジャクリーン・ラノーエ
ダクラス・ブルックス
ジョン・フインク
ディヴィッド・バトラー
ニコライ・ミューリン
満洲軍関係
 
丹波哲郎(児玉源太郎)
 
石橋雅史(福島安正)
村井国夫(沖禎介)
早川純一(横川省三)
南城竜也
岩城力也
片桐次郎
大泉公孝
吉沢勝
神山寛
尾型伸之介
青木義朗(井口省吾)
 

皇室関係

 

三船敏郎(睦仁後の明治天皇)

 

松尾嘉代(美子後の昭憲皇太后)

 

企画 幸田清

   天尾完次

   太田浩児

   瀬戸恒雄

   

 

脚本 笠原和夫

 

 

企画協力 瀬島龍三

     原四郎

     千早正隆

 

撮影   飯村雅彦

特撮監督 中野昭慶

録音   宗方弘好

照明   梅谷茂

美術   北川弘

助監督  馬場昭格

編集   西東清明

音響効果 岩藤竜三

記録   勝原繁子

擬斗   尾型伸之介

装置   安沢重治

装飾   五十嵐靖治 

特殊効果 大平特殊効果

演技事務 山田光男

美粧   井上守

     末竹絹江

美容   堂島孝子

衣裳   福崎省吾

刺青   霞涼二

宣伝担当 坂本年文

     山本八州男

スチール 加藤光男

ロシア語指導 鍋谷真理子

方言指導 武央和也

     磯村健治

特撮撮影 鶴見孝夫

特撮照明 森本正邦

特撮美術 井上泰幸

光学撮影 宮西武史

アニメーション制作 東映動画

現像 東映化学

進行主任 石川通生

 

音楽監督・指揮 山本直純

音楽 たかしまあきひこ

演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団

音楽制作 フリーフライトレコード

     オズ・ミュージック

音楽発売 ワーナーパイオニア

ナレーター 内藤武敏

 

主題歌『防人の詩』

作詞・作曲 さだまさし

編曲 渡辺俊幸

歌唱 さだまさし

 

衣裳 東京衣裳

協力 大島温泉ホテル

   藤田観光 大島小用園

   大島町役場 東京都大島市長
   三井金属工芸(株) 
   国書刊行会編・写真集日露戦争
   中央乃木会 乃木神社
   劇団ひまわり 東映俳優センター
 
制作協力 東宝映像株式会社

 

監督 舛田利雄

 

仲代達矢=仲代元久

 

名和広=名和宏

 

三南道郎=南道郎=南道朗

 

森繁久彌=森繁久弥

 

天知茂=宇寿木純=臼井暢浩

 

小達雅子→夏目雅子

    =西山雅子

 

川合伸旺=河井信旺

 

村井国夫→村井國夫

鑑賞日時場所

令和四年(2022年)七月八日

12:45から15:55

塚口サンサン劇場4 K-5席にて

鑑賞

笠原和夫が尋ねた日露戦争

 

 仲代達矢(なかだい・たつや)は昭和

七年(1932年)十二月十三日、東京府東

京市目黒区に生まれた。

 本名・前芸名は仲代元久である。少年

期に戦争を体験した仲代達矢は平和希求

を芸道の原点にしている。

 

 定時制高校卒業後千田是也の芸に心を

打たれ俳優座に入った。同期に佐藤允が

いる。

 映画では昭和二十九年(1954年)四月

二十六日公開の黒澤明監督作品『七人の

侍』において侍役で初出演を果たした。

 以後端正な美貌と豊かな演技力で沢山

の役を勤めた。日本映画・日本テレビド

ラマ・日本演劇を代表する大スタアであ

り、外国映画でも活躍している。

 

 四十七歳で主人公乃木希典を深い演技

で生きた。

 

 丹波正三郎は大正十一年(1922年)七

月十七日東京府に誕生した。昭和二十六年

(1951年)に新東宝に入社する。丹波哲

郎の芸名を会社から貰う。

 昭和二十七年(1952年)に映画デビュ

ーを果たす。以後三百本の映画に出演し世

界の銀幕で活躍テレビ・舞台にも出演した。

 五十八歳で児玉源太郎を重厚に演じた。

 

 平成十八年(2006年)九月二十四日、八

十四歳で死去した。

 

 本作においては乃木希典と児玉源太郎の

友情が全篇の柱となっている。

 仲代達矢と丹波哲郎の二大スタアの激突

を監督舛田利雄が鮮やかに演出した。

 

 森繁久彌は大正二年(1913年)五月四

日に誕生した。

 平成十七年(2009年)十一月十日に九

十六歳で死去した。

 アナウンサー・俳優として大活躍を為

した。大正・昭和・平成を歩んだ巨星で

あり、日本芸能界を牽引した名優・喜劇

王である。

 六十七歳で伊藤博文を人間味豊かに演

じた。

 

 三船敏郎は大正九年(1920年)四月一

日に誕生した。 

 平成九年(1997年)十二月二十四日、

七十四歳で死去した。

 獣性の迫力で世界映画の歴史に存在感

を示した。

「世界の三船」と呼ばれた。六十歳で

睦仁後の明治天皇を存在感豊かな演技

で勤めた。

 

 舛田利雄は昭和二年(1927年)十月

五日兵庫県に誕生した。

 新東宝・日活において活躍した。現在

九十六歳である。

 

 

 笠原和夫は昭和二年(1927年)五月

八日に誕生した。平成十四年(2002年)

十二月十二日、七十五歳で死去した。綿密

な取材・聞き込みと精緻な調査研究で映画

シナリオを記した。

 

 『昭和の劇』によると天尾完次プロデュ

ーサーが明治天皇をやろうと企画を出し、

笠原和夫は新東宝製作映画『明治天皇と

日露大戦争』と同じになってしまうと指摘

し、岡田茂と天尾完次が打ち合わせをして、

「明治天皇はちょこっと出ればいいから、

日露戦争を主体にやってくれ」という案

が出されたという。

 

  ポイントになるのは旅順戦の二百三

  高地だと。そこを攻めた乃木希典を

  中心にして、スウェーデンに行った

  明石元二郎大佐、アメリカに行った

  金子堅太郎、イギリスへ行った高橋

  是清の三人の活動を含めてやったら

  どうかと言ったら、その案に天尾君

  も乗ってくれてね。

  (『昭和の劇』422頁)

 

 笠原和夫は乃木希典を中心として、明石

元二郎・金子堅太郎・高橋是清も活躍する

ドラマを五百枚近いシナリオで書いたという。

岡田茂も読み、面白いが長すぎるので三時間

に収まるように書いてくれと求めた。

 

  旅順戦に絞った場合、ただドンパチをや

  らせてもしょうがない。それで調べてみ

  たら、ロシア軍はカポニエールという二

  階立てのトーチカみたいなものを建てて

  いて、コンドラチェンコという司令官が

  第一戦で名采配を振るうわけだよ。だっ

  たらロシア軍と日本軍の双方をちゃんと

  描いて、その戦いをグッとやろうと。そ

  ういう風に話をまとめて、やっと四〇〇

  枚足らずぐらいになったのかな?それで

  岡田さんが「これでOKだ」と。

  (『昭和の劇』423頁

   2002年11月6日発行 太田出版)

 

 岡田茂から乃木が睦仁後の明治天皇に旅順

戦の軍状報告をするラストシーンで、乃木が

涙を流して跪き睦仁後の明治天皇が手を添える

シーンにしてくれと要求があった。笠原和夫が

承諾した。

 岡田茂は、こうしないとお客が来ないと持論

を述べ、結果興行収入は二十四億円を記録した

という。

 

 笠原和夫は旅順戦に焦点を絞る日露大激戦

の歴史を映画脚本として描いた。史実に忠実

に学ぶというよりも、当日の天気迄記した詳

細な年表を作成して脚本作りに挑んだ。その

執念は凄まじい。

 

 東宝から特撮監督中野昭慶が招かれた。中

野演出の得意分野と言われていた爆発シーン

や炎上シーンは本作においても光っている。

綿密な現地取材研究により再現されたセット

は讃えられた。

 

 公開当時から戦争賛美・戦死肯定の危険作

品と言う厳しい評価を受けた。

 しかし、本篇を劇場で見聞すれば、悲戦物

語決定版の大傑作であることが分かる筈だ。

 

  これまで『二百三高地』『大日本帝国』 

  の二本の戦争映画を作り、幸い多数の

  観客の支持を得たのだが、これらの映画

  に対するマスコミの拒否反応は異常とも

  言えるもので、あるいは軍国主義と罵り、

  時代錯誤と嘲り、冷笑、揶揄、黙殺、果

  ては映画が完成する以前から上映阻止運

  動を起こそうとする組織まであった。

   わたしたちもこれらの作品が完璧なも

  ので、他の作品に抜きんでて傑作であっ

  た、と自慢するともりはない。ただ脚本

  家の立場で言えば、ドラマの九割までは

  事実に基づいたものであって、どこへ出

  ていっても歴史や史実を大きく曲げたも

  のではないと断言することは出来る。

  (『戦争ドラマの勧め』

   『昭和の劇』501頁))

 

 昭和五十八年(1983年)に笠原和夫が記し

た文章『戦争ドラマの勧め』は『昭和の劇』

に収録されている。舛田利雄と組んで作った

戦争映画が酷薄な評価を受けたり無視黙殺

に晒されたり上映阻止運動も起こされたが、

ドラマの九割は事実に基づいて書いたと明言

している。

 

 本作では小賀武志教師が軍人になること

で、戦争により人間が変貌することが描か

れた。トルストイの四海兄弟に感動した平

和主義者・平等主義者が戦友をロシア兵に

殺されロシア人憎悪の軍人になり、ロシア

兵を殺しロシア兵の猛攻に遭い命を散らす。

 

 松尾佐知は小学校教師の職に就くが、亡

き恋人武志が書き残した「美しい國日本 

美しい國ロシア」を再び板書しようとして、

恋人をロシア軍に殺された悲しみから、ど

うしても「美しい國ロシア」が書けず泣き

崩れる。

 絶対平和主義者の生き方や心を激変させ

るのが戦争である。これが笠原和夫の狙い

であった。

 

  笠原 僕が映画というものを考える時、

     行き着くところは『天井棧敷の

     人々』なんですよ。

     あれぐらい素晴らしい映画はない。

     『天井棧敷の人々』にしても、最

     後に「ギャランス!」という叫び

     で終わっているでしょう。いつま

     でたっても、「あのあと彼らはど

     うしたんだろう」というもんでね。

     ああいう終わり方っていうのが、僕

     はうらやましくてしょうがない。

      (『昭和の劇』409‐410頁)

 

 

 『天井棧敷の人々』 Les enfants du Paradis

 は1945年3月9日に公開されたフランス映画であ

る。脚本はジャック・プレヴェールが書き、監督は

マルセル・カルネが担当、ジャン=ルイ・バローが

主人公のパントマイム役者バチスト・ドビュローを

演じた。

天井棧敷の人々  Les enfants du Paradis 

 佐藤允は昭和九年(1934年)三月十八日、佐賀県

に誕生した。

 平成二十四年(2012年)十二月六日、七十八歳で

死去した。

 

 『天井桟敷の人々』のジャン=ルイ・バロー演ずる

バチストを見て感動し、俳優への夢を抱いた。俳優座

を経て東宝に入社し凄み豊かな演技で大人気を博し、

スタア名優となった。

 

 

 四十六歳で勇気と侠気に富むやくざ牛若寅太郎を

豪快に演じた。

 

 『二百三高地』は『天井棧敷の人々』に感銘を受け

た笠原和夫と佐藤允という脚本家と名優が共に参加し

て生まれた傑作であることを強調したい。

 

 壮大な群像劇という事柄においても、『二百三高地』

は『天井棧敷の人々』に学んでいる。

 

 牛若寅太郎の台詞「天皇陛下!そんな男儂ゃ知らん

ぞ」は痛快である。

 佐藤允が牛若の反骨精神を逞しい演技で語った。

 

 笠原和夫は丹念に調査研究を重ね日露戦争の歴史

を尋ね日露両国の人々の苦悶・傷跡・犠牲を大いな

るドラマとしてシナリオ化した。

 舛田利雄・中野昭慶の重厚な演出で作品を映像

化した。

 

 仲代達矢・あおい輝彦・佐藤允・丹波哲郎・森繁

久彌・夏目雅子・三船敏郎といった名優達が戦争の

時代を苦闘する人間の生き方を探求し命を吹き込ん

だ。

 

 

 

                 合掌