妹背山婦女庭訓 妹山背山の段 平成二十二年四月十二日 国立文楽劇場 竹本住大夫の大判事 | 俺の命はウルトラ・アイ

妹背山婦女庭訓 妹山背山の段 平成二十二年四月十二日 国立文楽劇場 竹本住大夫の大判事

竹本住大夫師 2012

 七代目竹本住大夫

 七代目竹本住太夫

 (しちだいめ・たけもと・すみたゆう)

 本名 岸本欣一

 大正十三年(1924年)十月二十八日大阪市

 生まれ。

 昭和二十一年(1946年)四月二代目豊竹古靭大夫

 に入門。

 同年八月四ツ橋文楽座で初舞台

 昭和三十五年(1960年)一月九代目竹本文字久大夫

 を襲名。

 昭和六十年(1985年)七代目竹本住大夫を襲名。

 平成二十六年(2014年)五月国立劇場小劇場公演

 を以て引退。

 平成三十年(2018年)四月三十日十四時四十二分

 死去。九十三歳。

 

師匠

吉田簑助文化功労者顕彰記念

人形浄瑠璃 文楽 第百十八回

平成二十二年四月公演

『通し狂言 妹背山婦女庭訓』

「妹山背山の段」

雛鳥

平成二十二年(2010年)四月十二日

国立文楽劇場にて鑑賞

 

 

『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんな

ていきん)

 作 近松半二 松田ばく  栄善平

  近松東南  三好松洛

 初演 明和八年(1771年)一月二十八日

     大阪竹本座

妹背山婦女庭訓 2

背山

 

太夫

 

大判事  竹本住大夫

久我之助 竹本文字久大夫

 

三味線

前     豊澤富助

後     野澤錦糸

親子
 

妹山 

 

定高 竹本綱大夫

雛鳥 豊竹呂勢大夫

 

三味線

 

前  鶴澤清治

後  鶴澤清二郎

琴  鶴澤寛太郎

 

〈人形役割〉

久我之助清舟  桐竹紋壽

雛鳥        吉田簑助

腰元小菊     吉田簑一郎

腰元桔梗     桐竹紋臣

大判事清澄    吉田玉女

後室定高     吉田文雀

 

☆☆☆

竹本住大夫→七代目竹本住太夫

 

竹本文字久大夫→竹本文字久太夫→豊竹藤太夫

 

竹本綱大夫→九代目竹本源太夫

 

豊竹呂勢大夫→豊竹呂勢太夫

 

鶴澤清二郎→鶴澤藤蔵

 

吉田玉女→二代目吉田玉男

☆☆☆

 

 平成二十二年四月十二日の国立文楽劇場の

『妹背山婦女庭訓』「妹山背山の段」の感想を、

平成二十八年(2016年)四月十八日に発表した。

 本日はこの公演における住太夫の大判事が教

えてくれたことを改めて学びたい。

 

 三代目吉田蓑助の文化功労者顕彰念公演で

あった。

 

 

三代目吉田蓑助(さんだいめ・よしだ・みのすけ)

吉田蓑助

本名 平尾勝義

昭和八年(1933年)八月八日生まれ。

昭和十五年(1940年)三代目吉田文五郎に入門。

桐竹紋二郎を名乗る。

昭和三十六年(1961年)六月三代目吉田蓑助を

襲名。

令和三年(2021年)四月国立文楽劇場

『国性爺合戦』錦祥女の遣いを以て引退。

 

 妹山背山の段は、大判事清澄・久我之助清舟

父子の背山と定高(さだか)・雛鳥母子の家が吉

野川を挟んで対峙している。

 

 両家の親達は対立しているが、子供達は愛

し合っている。

 

 自分は二十代の頃、『演劇界』の歌舞伎公演

の写真で大自然を現した壮大な舞台の様子に

心を打たれた。清らかな川を渡る首という自然

の輝きの中に起こる痛ましい犠牲に、悲劇の極

まりを思った。

 

 文楽・歌舞伎の公演でこの段の鑑賞を長く見

逃し、平成二十二年四月通しで国立文楽劇場

が上演してくれることを聞き、感動した。「蝦夷子

館(えみじやかた)の段」や「鹿殺しの段」も丁寧

に上演するところに、文楽の原作に対する誠実

さを仰ぐ。

 

 平成二十二年四月十二日国立文楽劇場の

客席で竹本住大夫の清澄と竹本綱大夫の定高

を聞き、子を失った親の悲しみと子に教えられた

抵抗精神を学んだ。

 

 

 

 

 天智天皇の時代の物語であるが、登場人物の服

装・生活道具・空間も明和年間の物で上演する。時

代を飛び越えた発想が、文楽・歌舞伎の根本であ

る。

 大化の改新を物語の背景にしているが、中大兄

皇子は既に天智天皇の位に就いており、優しい人

物として登場し、蘇我入鹿は冷酷非情な極悪人・

独裁者として語られる。

 

 あくまでも浄瑠璃の中の設定であり、天智天皇や

蘇我入鹿がどのような人物であったかという推察・

想像は、歴史学の中で問われる事柄であると思う。

 

 天智天皇は目の病で視力を失っていた。蘇我蝦

夷子(そがのえみじ。蘇我蝦夷がモデル)が政治の

権力を牛耳っていた。藤原鎌足の娘采女の局は帝

の寵愛を受けていたが、父の身を案じて禁裏を出て

家来久我之助に助けられる。久我之助は父大判事

が対立している定高の娘雛鳥と出会い、互いに一目

惚れして愛し合うが、相手の家を聞いて、結ばれぬ

間柄であることを思い、悲しむ。

 

 蝦夷子は息子入鹿の妻めどの方に帝位を狙う野心

を指摘されて斬りつけるが、めどの方の決死の煙の

知らせで、父行主と大判事が勅使として現れて、蝦夷

子の野心を糾弾する。追いつめられた蝦夷子はめど

の方を斬殺した後、切腹して果てるが、行主も又、何

者かが放った弓矢で射殺される。

 下手人は入鹿であった。参籠と称し、生きたまま棺

に入ると嘘を言って、秘かに禁裏に入り、叢雲(むらく

も)の宝剣を手に入れ、邪魔者の父を死に追いやり、

政権を強奪し天皇の位を狙う。

 大判事も久我之助も入鹿の横暴を怒りながら、表

面は従わざるを得ない。

 

 鎌足の息子藤原淡海(求馬)は天智帝を守護する。

 

 入鹿は、大判事と定高を呼び出し、久我之助が

采女の局の在処を知っていると睨む。両家の子供

達が恋仲であることから、対立も所詮は表面のみ

ではないかと疑い、天智帝を秘かに守りかくまって

いるのではないかと疑念を表し、久我之助を自身に

仕えさせることと雛鳥を入内させることを命じる。

 逆らうならばと花を叩き落とし微塵にして、大判事

と定高を脅す。

 「久我之助を仕えさせよ」という命令も、本心は拉

致して拷問にかけて采女の局の居場所を吐かせて

責め殺すことにある。

妹背山婦女庭訓 関係図

 

 「妹山背山の段」は暴君入鹿に追い詰められた恋

人達久我之助・雛鳥の命を捨てた抵抗と恋の貫徹を

語るのである。

 

  2016年4月
 

 吉野川を挟んでの桜咲く妹山定高館と背山

大判事家が舞台に現れる。川の道具は回転

する装置で水が流れているようにも思われる。

 山の緑と川の青に自然が生き生きと表現さ

れる。

 この雄大な自然の中で、恋人達の命を擲っ

ての行為が語られるのだ。

 背山と妹山の床において太夫と三味線が

芸を競い合って語り弾く。

 掛け合いは芸の火花散る合戦である。緊張

感の盛り上がりは強烈なのだ。

 

 腰元の小菊と桔梗が雛鳥を慰めている。

 

 吉田簑助が遣う雛鳥は、恋の情熱に命を

燃やす女性だ。久我之助清舟を一筋に愛し

ている。

 

 呂勢大夫が雛鳥の可憐さを鮮やかに語る。

 

 桐竹紋壽が遣う久我之助は繊細な美男子

だ。

 富助・清治の三味線が、強く深い。

 

 川に隔てられた雛鳥と久我之助がそれぞれ

の館から見つめ合う。

 入鹿から隣国間の往来が禁じられている。

 久我之助と雛鳥は遠くから愛しいひとの姿を

見つめる。見つめ合うことしか許されないから

その想いが一層熱くなることを、簑助と紋壽の

遣いが明かす。

 

 「早瀬の浪も厭ふまじ」と川の浪を恐れず渡っ

てでも会いたいと願う雛鳥。久我之助は愛しい

雛鳥の無事を祈る。

 

 文字久大夫が久我之助の繊細さを深く語る。

 

 川を隔てて親の大判事と定高が現れる。

 

 竹本住大夫が大判事清澄の父性愛を重厚

に語る。

 

 竹本綱大夫が定高の母性愛を深く伝える。

 

 二人の芸と芸の激突は圧巻であった。

 入鹿の酷薄な厳命が子供達に迫っている。

 

 承諾すれば、花のついた枝、不承知ならば花を

散らした枝を、川に流すことを親たちは約し合う。

 

 久我之助も雛鳥も、今生で添いたいのが願い

だが、無理であることを知っており、相手を助け

る為に、自害することを望みつつ、決意している。

 久我之助は、采女の局の在処を入鹿に探らせ

まいと希望している。雛鳥は入鹿のもとに入内

してもその後自害すると決めている。

 

 久我之助が白装束に身を包んで切腹する場

に悲しみが極まる。若き美男子の切腹は痛まし

い。悲痛さが極まるが故に悲劇の華が絢爛と

咲く。

 

 大判事は、「雛鳥の命を助けたい」という久我

之助の想いを聞き、花のついた枝を川に流す。

 

 雛鳥は喜び、定高も花のついた枝を川に流す。

来世に久我之助と結ばれることを祈り、雛鳥は

母に斬ってもらうことを望む。

 

  母様切つていの。未練にござんす母様

 

 呂勢大夫の語りが胸を熱くしてくれる。

 

 吉田簑助と吉田文雀が娘・母の絆を深く明か

す。

 

 雛鳥が死を決して合掌し、母定高が首を斬る。

残酷で悲しいが、吉野川の秀麗な自然の中で

起こる出来事は、悲劇の美を強く反映する。

 

 雛鳥の首が斬られる場は、文楽では人形の頭

が文字通り落ちるので、その衝撃は強烈だ。

 

 

 

 無垢な娘が死を決意し、母の介錯で生首が飛

ぶ。

 

 完璧な悲劇美に緊張・興奮を覚える。

 

 

 

   入鹿大臣へ差し上ぐる雛鳥が首、御検使

   受け取り下され

 

 綱大夫が母の悲しみを落ち着いた語りで聞かせ

てくれた。

 

 定高は娘の生首と嫁入道具を川に流し、大判事

は受け取り、息子に愛する人の首を見せる。

 

 「首取り乗せる弘誓の船」と言われるように、法蔵

菩薩が選び取った四十八願の船に乗り、命を捨てた

雛鳥は、死生を越えて久我之助の妻となろうとする。

 

 

    倅清舟承れ。人間最期の一念に寄つて輪廻

    の生を引くとかや。忠義に死する汝が魂魄、

    君父の影身に付き添うて朝敵退治の勝軍を

    草葉の陰より見物せよ。今雛鳥と改めて親が

    赦して尽未来、五百生迄変わらぬ夫婦

 

 竹本住大夫は、大判事の心に起こった大いなる愛

情を語ってくれた。切腹した息子に、愛しい人の生首

を見せ、最期に祝言をさせ、忠義の心を讃え、入鹿の

暴政に打ち勝つことを宣言する。最愛の息子が自刃し

て雛鳥との恋と入鹿への抵抗を明かした事を受け、父

は忠義の心を継ぐ事を確かめる。

 竹本住大夫の芸は悲しみを通して義に生きる道を

教えてくれた。

 

 大判事が清舟の首を介錯で切る場も凄まじい。

 

 吉田玉女が父の悲しみを遣う。

 

 野澤錦糸・鶴澤清二郎の三味線が圧巻であった。

 

 『妹背山婦女庭訓』は、一見「天智天皇の体制を守

る為に、民は生命を犠牲にする」ことを讃えている戯

曲であるかのように映るかもしれない。しかし、浄瑠

璃の本意は、入鹿に象徴される暴政・圧政・理不尽

な独裁に対して、屈せずに為された抵抗への顕彰に

あると言うべきだろう。

 

  命を捨てて愛を貫いた雛鳥と久我之助は、入鹿

の独裁に勝ったのである。

 

 子供達が死生を越えた愛を成就することで、母定高

と父大判事は、入鹿の暴政に対する闘志を改めて教え

られたのだ。

  

  子供達が愛し合って死生を超越した愛を、命を散

らして明かし、親達が和解する。

 

 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュ

リエット』によく似ている。

 

 近松半二は何らかの方法で『ロミオとジュリエット』

を読み、久我之助・雛鳥の死生を越えた恋を描く参考

にしたのではないかという説もある。半二は英語も学

んでいたのであろうか?それとも偶然に日英で悲恋の

傑作が書かれたのか?

 

 ◎

 平成三十年(2018年)四月二十八日午後二時四十二分、

七代目竹本住太夫は死去した。

 この時間自分は国立文楽劇場に向かう為にJR京都駅で

新快速電車を待っていた。

 三十日の通夜に参列した。

 

 棺のお顔を拝見した。

 

 眠っているように安らかなお顔であった。

 

 現在も国立文楽劇場に行くと、「住太夫師匠に

会えるかな?」と思ってしまうことがある。

 

 豊竹藤太夫の語りを聞くとお師匠様の語りを

思い出す。

 

 本日午前11時30分NHK『ぐるっと関西おひる

まえ』で竹本住太夫特集が放送されるそうであ

る。

 

 七代目竹本住太夫・九代目竹本源太夫二師の

掛け合いの語りは、宇宙の歴史において永遠に

輝く至宝である。

 

                   合掌

 

 

                南無阿弥陀仏

 

 

                   セブン

 

竹本住大夫師匠