前野光保(前野霜一郎)セスナ機特攻自爆事件 四十六年 | 俺の命はウルトラ・アイ

前野光保(前野霜一郎)セスナ機特攻自爆事件 四十六年


 

 

 

 前野霜一郎

 

 

 

 昭和五十一年(1976年)三月二十三日。

 右翼の大物で日本のフィクサーであった児玉

誉士夫の私邸に、セスナ機が突撃し炎上し、パ

イロットは焼死しました。

 自爆テロ事件です。児玉誉士夫の私邸に勤務

していた家政婦の方が怪我を負われましたが、

児玉誉士夫は別室で睡眠を取っていて無事で

した。家政婦の方が負傷されたことにお見舞い

申しあげます。

 

 突撃したパイロットは、俳優前野霜一郎(まえ

の・そういちろう)です。本名を前野光保と申し

ます。

 

 昭和二十一年(1946年)六月二十一日に東

京都に誕生しました。劇団ひまわりを経て、日

活で俳優として活躍し、『野良猫ロック ワイルド

ジャンボ』やたくさんのポルノ映画に出演しまし

た。

 

 黒沢のり子と結婚し後に離婚しています。

 

 鈴木大拙著『日本的霊性』を愛読し三島由

紀夫を尊敬していたそうです。

 

 愛国右翼の思想家でもあったそうで、児玉誉

士夫のことは篤く崇拝していたそうです。ロッキ

ード事件で莫大な賄賂を受け取り、証言を拒む

かのように、入院をしていた児玉誉士夫に裏切

られたというショックがあったようです。その

悲憤が事件の因になったようです。

 

 特攻服を着た写真を撮影されています。

 

 「児玉は許せん。天誅を喰らわしてやる」と友

人に語っていたそうです。

 

 

 三月二十三日。前野霜一郎は七生報告の鉢

巻を締め、「天皇陛下万歳」のメッセージを通信

で語って、児玉誉士夫の豪邸に突撃して自爆

して死去しました。

 

 二十九歳の若さでした。哀悼の意を表します。

 

 自分はこの事件を鮮明に覚えています。ニ

ュースで聞いて、「自殺してまで訴えたかったの

かな?」とも思いましたが、「何故そこまで思い

つめたんや?」と疑問に思いました。

 

 帰宅した祖父に「児玉さんの家に激突して

亡くなった人がいたで」と報告し、祖父は驚い

ていました。

 

 前野霜一郎は、昭和最後の特攻隊兵士です。

テロは勿論行けませんが、彼なりの愛国心の

燃焼であったと思います。

 

 青春の純粋な気持ちは大切ですが思いとど

まって欲しかったという気持ちは抑えられま

せん。

 

 特攻兵として自分から志願して、裕仁に万歳

と語って突撃自爆死するという行為は凄まじい。

 裕仁を崇拝し、誉士夫に惚れ抜いて心中した

いとう気持であったのかもしれませんね。

 

 平成三十年(2018年)六月二十日新文芸座に

おいて『野良猫ロック ワイルドジャンボ』を鑑

賞しました。

 

 前野霜一郎の演技は迫力豊かでした。

 

 彼のセスナ機自爆テロは、昭和の歴史の中で

も、忘れられない事件です。

 当時の新聞縮刷版を調べていると、特攻服

を着ている前野霜一郎が澄み切った笑顔を

浮かべていました。

 

 このことが心に深く残っています。

 

 

 前野霜一郎が純粋な心で児玉誉士夫に崇敬

の念を抱き、命を捨てて捧げたことは忘れず

確かめたい。

 

 愛国のテロリストが心身を捨てて訴えた事は

重いです。

 

 

 

 命を尊ぶということは全ての根本です。

 

 前野光保さん

 

 裕仁も誉士夫も戦争責任や汚職責任から逃げ

たんだよ。

 

 命を捨てて怒りを示すのは悲しい。思いとどまっ

て欲しかった。

 

 

 テロではなくて言論を非暴力で表現する。これ

が道です。

 

 

 

 

 前野霜一郎の粘り強い演技は、『野良猫ロック

ワイルドジャンボ』の中に熱く生きています。

 

                2022年3月23日

     

                     合掌