瞼の母 初代中村錦之助主演  加藤泰監督作品 | 俺の命はウルトラ・アイ

瞼の母 初代中村錦之助主演  加藤泰監督作品

『瞼の母』

 

瞼の母

 

映画 トーキー 81分 カラー

シネマスコープ

昭和三十七年(1962年)一月十四日封切

 

製作国 日本

製作言語 日本語

製作会社 東映京都

 

企画 橋本慶一 

    三村協

 

原作 長谷川伸

 

脚本 加藤泰

 

撮影 坪井誠

録音 佐々木稔郎

音楽 木下忠司

美術 稲野実

 

編集 河合勝巳

記録 河島利江

装置 米沢勝

装飾 宮川俊夫

衣装 三上剛

結髪 桜井文子 

美粧 林政信

擬斗 足立伶二郎

助監督 本田達男

     大西卓

     清水彰

 

出演

 

中村錦之助(番場の忠太郎)

 

松方弘樹(金町の半次郎)

 

大川恵子(お登勢)

中原ひとみ(おぬい)

河原崎長一郎(伊勢屋長二郎)

 

夏川静枝(おむら)

浪花千栄子(老婆)

沢村貞子(おとら)

 

阿部九州男(宮の七五郎)

星十郎(酔漢)

明石潮(仙台屋与五郎)

松浦筑枝(おもと)

赤木春恵(おふみ)

 

瀬川路三郎(飯岡の助五郎)

徳大寺伸(突き膝の喜八)

中村時之介(善三郎)

大東良(孫助)

三沢あけみ(村娘)

山本操子(村娘)

木内三枝子(村娘)

片岡半蔵(藤八)

 

中村錦司(子の吉)

尾形伸之介(奴)

遠山金次郎(飯岡の身内)

南方英二(飯岡の身内)

五里兵太郎(飯岡の身内)

鈴木金哉(飯岡の身内)

菊村光恵(おせう)

藤川弘(船頭)

 

佐藤洋

富永佳代子

美松艶子

島田兵庫

堀広太郎

島田秀雄

 

山形勲(鳥羽田要助)

原健策(素盲の金五郎)

 

木暮実千代(おはま)

 

監督 加藤泰

 

加藤泰=加藤泰通

 

小川錦一→初代中村錦之助

      =小川矜一郎

      →初代萬屋錦之介

 

夏川静枝=夏川静江

 

赤木春恵=赤木春生

 

原健作→原健策

 

☆鑑賞日時

平成十一年(1999年)六月二十六日

京都文化博物館映像ホール

 

平成二十八年(2016年)九月三日

京都文化博物館フィルムシアター

 金五郎の呼び名は今日の人権の観点

から見ると問題のある表記ですが、作品

の歴史性を鑑みそのまま引用します。

 

 感想文では物語の結末迄言及します。

未見の方はご注意下さい。

 ☆

 

 番場の忠太郎は五歳で母と別れた。母

恋しさに旅を重ねる渡世人暮らしを送って

いるが、風の便りに母が江戸いるらしいと

の噂を聞き、弟分金町の半次郎を案じて

武州金町に行く。

 

 半次郎は笹川繁蔵への義理から飯岡の

助五郎に傷を負わせて逃げていた。妹お

ぬいと母おむらが必死に半次郎を守る。

 

 女性ふたりの愛情に感動した忠太郎は

飯岡子分衆を切って、半次郎を逃す。

 

 博奕のあぶく銭で儲けた百両を懐にし

て忠太郎は母を尋ねた。

 

 三味線弾きの老婆が虐められている

光景を見て忠太郎は助ける。彼女が母

かと思ったが別人であった。

 

 色っぽい夜鷹のおとら姐さんに母の面影

を見るが彼女も母ではなかった。

 

 飯岡の七五郎は忠太郎を追い、浪人鳥

羽田要助と素盲の金五郎を刺客として派遣

し二人は江戸で忠太郎を追う。

 

 おとらから聞いた情報で実母は料亭水熊

の主人が実母おはまであることを忠太郎は

確認し歓喜する。

 

 おはまには新しい夫との間にお登勢という

娘がいた。お登勢は母に溺愛されている。彼

女は伊勢屋の息子長二郎と祝言を挙げる予

定だ。

 

 奇しくも金五郎はおはまの色気に惚れ込み

彼女を奪おうと狙っている。

 

 強請たかりを繰り返す金五郎と要助の蛮行

に人々は困っている。

 

 水熊に現れた忠太郎は「おっかさん」と愛を

こめておはまを呼ぶ。

 

 おはまは驚き、話を聞くうち昔生き別れた

息子と確信するが、水熊主人として成功し、

店の安泰と娘の将来を思い、「私の忠太郎

は九つで死んだ」と語り冷厳に親子関係を

否定する。

 

 

 実母が認めてくれないという事に出逢った

忠太郎は、自身に言い聞かせるように語る。

 

   俺も馬鹿よ、幼い時に別れた生みの母

   は、こう瞼の上下をぴったり合せ、思い

   出しゃあ絵で見えてたものをわざわざ骨

   を折って消してしまった。

  

 障子を閉めて忠太郎は立ち去る。

 

 おはまは忠太郎が去ると涙を覚え、彼が

座った位置のぬくもりを確かめる。

 

 忠太郎とお登勢の兄妹は一日だけ同じ空間

にいてすれ違う。

 

 要助と金五郎は忠太郎の闇討ちを狙う。

 

 おはまから忠太郎が尋ねてきたことを聞いた

お登勢は母の冷たい態度を糾弾し、長二郎も

同意する。おはまは反省し忠太郎にもう一度

会いたいと願い彼を探す。

 

 夜

 

 要助・金五郎とその仲間達の奇襲を受けた

忠太郎は逆襲し、要助と仲間達を叩き斬る。

 

 「てめえ、親はいるのか?」と忠太郎は問い、

金五郎は「そんなもんはいねえ」と答える。

 

 忠太郎の刃が一閃し金五郎は斬られる。

 

 おはま・お登勢・長二郎が忠太郎を呼ぶ。

 

 忠太郎は静かに去っていく。

 

 ☆泰の夢に応えた錦之助☆

 

 

 加藤泰(かとう・たい)

 別名義 加藤泰通

 映画監督・脚本家・映画史研究者・評論家

 大正五年(1916年)八月二十四日生まれ。

 昭和六十年(1985年)六月十七日死去。

 

 小川錦一(おがわ・きんいち)は、昭和七年(193

2年)十一月二十日東京府に三代目中村時蔵・小

川ひな夫妻の四男として誕生した。

 昭和十一年(1936年)十一月初代中村錦之助の

芸名で初舞台を踏む。

 昭和二十八年(1953年)十一月十五日に『鬼一

法眼三略巻』における虎蔵実は牛若丸を勤めた

後、映画俳優に転身する。

 時代劇映画を中心に出演する錦之助は大スタ

アとなる。

 

 本名を小川衿一郎(おがわ・きんいちろう)と名

乗った時期があり、映画『祇園祭』『幕末』はこの

名前で企画した。

 

 昭和四十六年(1971年)十月歌舞伎座公演で

屋号を播磨屋から萬屋に改め、翌四十七年(19

72年)自身の芸名を初代中村錦之助から初代萬

屋錦之介に改めた。

 

 平成九年(1997年)三月十日六十四歳で死去し

た。

 

 昭和三十七年(1962年)の『瞼の母』の番場の

忠太郎は満年齢二十九歳の作品である。

 

 加藤泰にとって、長谷川伸の戯曲『瞼の母』

の映画化は長年の夢であった。

 

   僕はシナリオライター兼監督が生業であ

   る。僕らはみんなイロイロやりたいものを

   抱いて暖めている。僕も数少ないが、幾

   つかは抱いている。その少ないものの中

   の一ツが『瞼の母』であったのである。『瞼

   の母』はひとも知る長谷川伸氏の名作戯曲

   の一ツであり、多くの名優や、有名劇団の

   演出に依る名舞台の歴史も残されている

   ものである。

   (『加藤泰、映画を語る』424頁

    『ローアングルのキャメラアイ』

    2012年7月10日発行 ちくま文庫)

 

 昭和六年(1931年)三月十三日封切、製作片岡

千恵蔵プロダクション、主演片岡千恵蔵、監督稲

垣浩の映画『番場の忠太郎 瞼の母』を名古屋の

劇場港座で鑑賞し感激した加藤泰通少年は、「僕

もあんな映画が撮りたい」という夢を熱く抱いた。

 

 昭和三十六年(1961年)暮、東映は初代中村錦之

助主演で『瞼の母』を撮る企画を加藤泰に任せる。

 

 母恋しさから母を求めて女性への敬意を示し、出

会った実母に冷たくされて身を引く忠太郎。

 

 愛への希求と悲しみを純真に生きる男の物語で

ある。

 

 任侠映画の大傑作は、加藤泰の十五日間撮影という

超ハードスケジュールで撮影された。

 

 加藤泰は何時でも『瞼の母』を撮れるという心構え

が成り立っていたのであろう。

 

 幸いにも美男大スタア中村錦之助主演のスケジュ

ールも成り立った。

 

 伊藤大輔監督・中村錦之助主演の『源氏九郎颯爽

記 秘剣揚羽の蝶』の撮影が延びた為、錦之助主演

作品の穴埋め企画を撮れという指令が東映から出て

泰は長年温めていた『瞼の母』のシナリオを提起した。

 

 ロケーションは時間を取られる為、その魅力を知り

つつも諦め、東映に沢山ある劇場用映画のステージ

を利用し、倉田準ニ助監督を責任者とするB班に任せ

る所は任せて自身は撮影部分をじっくり撮るという方針

で臨んだ。

 

 中村錦之助が番場の忠太郎の母への愛を熱く生き

た。

 

 松方弘樹は美少年のような清純な魅力が光っている。

 

 錦之助・弘樹の兄弟の関係がよく窺える写真で二人

の息はピッタリだ。

 

 中原ひとみの可憐さも光る。

 

 夏川静江が重厚である。忠太郎が母性愛の暖かさ

をおむらに感じたこともよく分かる。

 

 浪花千栄子がいじめられる盲目の三味線弾き婆さ

んを熱演する。

 

 老婆が虐められ忠太郎に助けられる展開は、泰

長回し演出で撮られている。

 

 忠太郎が盲目の老婆に母の面影を見るシーンも

胸が熱くなる。

 

 沢村貞子のおとらを加藤泰は迫真の演技と絶賛

する。

 

 忠太郎は母のイメージをおとらに見て、おとらは

忠太郎に色目を使う。

 

 このシーンにおける錦兄と貞子様の芸と芸の出

会いに感嘆する。

 

 大川恵子のお登勢は清純無垢で美しい。

 

 河原崎長一郎は真面目な青年長二郎を直向き

に表現する。

 

 木下忠司の音楽、坪井誠の撮影が光る。

 

 重厚な巨悪を当たり役にした山形勲と原健策

が打ちひしがれた小悪党の要助と金五郎を鋭く

演じる。

 

 山形勲はセクハラシーンにも哀れさを感じさせ

るほど、尾羽打ち枯らした浪人用心棒要助を鮮や

かに表現する。

 

 原健策は「金五郎のような男は褌の締め方は

緩い筈だ」と主張し、尻をまくるシーンで緩い褌

の締め方で示した。加藤泰は感嘆し思わず微笑

んだ。

 

 木暮実千代のおはまは当たり役だ。水熊の女

主人の風格がある。お登勢を溺愛し、娘可愛さ

から、生き別れた息子を冷たく拒絶してしまう。

 

 加藤泰は眉を落とし歯を染めるべきだったが、

東映に許してもらえず、木暮実千代氏にすまない

ことをしたと謝罪している。

 

 その無念はあったとはいえ、完成版のおはまの

母の悲しみのシーンは熱く迫る。

 

 忠太郎が去って情がこみげてきて自身の冷

たい態度を悲しむ演技に痺れた。

 

 息子が座った場所のぬくもりをおはまは確かめ

て母の心を確かめる。

 

 本作の名場面である。

 

 長谷川伸の戯曲は新歌舞伎の大傑作だ。

 

 加藤泰の映画版は独自に光る大傑作である。

 

 原作にないのだが、原作のムードとも呼応する

凄まじい映画表現は、おはまの畳へのぬくもりの

確認に光り輝く。

 

   伊藤大輔先生に「『瞼の母』をやります」と

   申し上げたら、「じゃ、一つあげよう。『水熊』

   の長丁場の果て、忠太郎が行ってしまうだ

   ろう、そのあと、畳の、忠太郎が坐っていた

   所、そこが温い・・・・・・。これ、あげよう」と

   言って下さった。使わせて戴いた。

   (『加藤泰、映画を語る』383頁

    『そのころ私は・・・・・・』

    2012年7月10日発行 ちくま文庫)

 

 伊藤大輔から授けられたおはまの畳への温度

確認を加藤泰は鮮やかに撮り、木暮実千代が母性

を伝えてくれた。

 

  『瞼の母』は、伊藤大輔演出案提案作品でもあ

る。

 

 大詰の決闘で忠太郎は要助や金五郎を斬りたく

ない気持ちで親はあるかと問い、ないと聞き、戦い

叩っ斬る。クライマックスの山形勲と原健策の哀感

も鋭い。

 

 おはま・お登勢・長二郎に呼ばれつつ、忠太郎

は身を引いて去る。

 

 長谷川伸は異本版では忠太郎とおはまが再会

し喜ぶラストを描き、この結末で映像化された作品

もある。

 

 加藤泰はオリジナルの結末を重視した。

 

 中村錦之助は忠太郎の切なさを静かに表現した。

 

 

                            合掌