独眼龍政宗 片岡千恵蔵主演版(三) | 俺の命はウルトラ・アイ

独眼龍政宗 片岡千恵蔵主演版(三)

 『独眼龍政宗』

独眼龍政宗 稲垣浩

 映画 トーキー  83分 白黒

 昭和十七年(1942年)七月二日公開

 製作国 大日本帝国

 製作言語 日本語

 製作 大映第一
 原作 石坂洋次郎
 脚色 稲垣浩

 撮影 石本秀雄

 音楽 西梧郎

 

 出演

  

 片岡千恵蔵(伊達政宗)

 

 市川春代(愛姫)

 香川良介(伊達輝宗)

 上田吉二郎(大内長門)

 荒木忍(大内定綱)

 遠山満(畠山義継)

 

 高山徳右衛門(小棚主馬)

 月形龍之介(片倉景綱)

 

 

 演出 稲垣浩

 

 ☆

 片岡千恵蔵=植木進=片岡十八郎

         =片岡千栄蔵

 

 高山徳右衛門→薄田研二

 

 月形龍之介=月形陽候=月形竜之介

        =月形竜之助=中村東鬼蔵

        =門田東鬼蔵

 ☆

 平成十七年(2005年)九月十六日

 京都文化博物館にて鑑賞

 ☆

 2008年4月1日・2021年3月31日記事を

 再編している。

 ☆

 
 天正期奥州、伊達輝宗の旧臣大内定綱は、伊

達家に反旗を翻し激しく戦う。輝宗の嫡男藤次郎

政宗もこの合戦に出陣し奮闘するが、敵が放った

一矢に右眼を射られ激痛に苦しむ。

 

 政宗の傅役・軍師の片倉景綱は、「若殿、これし

きのことで!」と厳しく叱責する。政宗はこの叱咤

を聞いて、自身の右眼に刺さった弓矢を抜き捨て

る。政宗の大奮戦に定綱と弟長門は怯える。

 

 政宗は戦を進め、相馬氏の小斎城も窺う勢いを
見せる。だが、老臣小棚木主馬は宥和を進め政宗

の出撃を諌止する。

 

 闘魂を燃やす政宗は、父や主馬が、近隣の大名

を争わず、なるべく平和的に事を進めるようにと説く
のが気に入らない。政宗は年寄りの語る「小さな和」

は、所詮、小細工に満ちたもので、「大いなる和」を

もたらすものにはならぬと述べる。

 

 

 若い闘魂で敵を情容赦なく、完膚無きまでに叩き
のめし、徹底的に倒すことが肝要と説く。時は戦国

乱世である。


 「全ての戦を無くすために、戦をするのだ」と政宗
は力説する。

 更に彼はこの姿勢の根拠について、「今戦をする

のは民を救わんがため」と主張する。


 だが、心優しい父伊達輝宗は政宗を寝返った武

将畠山義継を許すように、息子に要請する。政宗

は、義継の命は助けるが「所領は五か村のみ」と

厳命する。この厳しい状況を示された、義継は、も

はや家臣を養うことは無理、と判断し、ある決意を

する。

 

 天正十三年(1585年)十月八日、義継は輝宗を拉

致誘拐し、政宗に所領についての再考を促そうとす

る。だが、政宗は父を人質に取られるという悲しい

状況にあっても、沙汰を曲げず、涙を呑んで、苛烈

に義継を攻撃して討ち、輝宗も激闘の中で命を落

とす。

 

 

 父や家来達の戦死に、政宗は深く悲しみを感ず

る。

 その彼の痛みを愛妻愛姫が慰める。

 

  ☆独眼龍役者千恵蔵☆

 

 片岡千恵蔵(かたおか・ちえぞう)は明治三十六

年(1903年)三月三十日に群馬県に誕生した。

 本名は植木正義である。別名義の芸名に片岡

片岡十八郎・片岡千栄蔵・植木進がある。

 

 十一代目片岡仁左衛門に弟子入りして歌舞伎

役者として精進するが、長じて門閥制度に強い

反発を感じ、昭和二年(1927年)に牧野省三の

マキノ・プロダクション御室撮影所に入った。これ

以後活動大写真の美剣士スタアとして大人気を

博する存在となる。

 

 昭和三年(1928年)五月二日千恵蔵はマキノを

離れ、五月十日片岡千恵蔵プロダクションを設立

する。

 伊藤大輔と組むことを希望したが、大輔は多忙

で友人の伊丹万作と稲垣浩を推薦した。

 千恵蔵は稲垣浩・伊丹万作と斬新な時代劇を

製作した。

 

 昭和十七年(1942年)千恵蔵が提携していた

日活は戦時統合で大映となり、千恵蔵自身も

大映所属俳優となった。

 

 『独眼龍政宗』は大映時代に片岡千恵蔵が

友人稲垣浩と組んで撮った大作である。

 

 千恵蔵の熱演は鬼気迫るものがあり、闘将政宗

の雄姿を熱く演じきった。既に数え四十歳(満年齢

三十九歳)なので、少年の若武者には見えないが、

若き魂を芸で表現する。


 この映画の主題である、「全ての戦を無くす為に、
戦をする」「今、戦をするのは民を救わんがため」と
いう思想は、勿論傲慢であり、戦争の正当化である。

 

 ただ、本作が製作された時代は昭和17年(1942年)
で、戦争協力・戦争肯定をしなければ、処罰される時

代であったことを忘れてはならない。現代のように一

応は「表現の自由」が認められている時代とは、違う

のだ。


 だが、稲垣浩監督が、本作の二十七年後の昭和

四十四年(1969年)に監督した作品『風林火山』(原

作井上靖)においても、主人公山本勘助(三船敏郎)

に、「全ての戦を無くすための戦をする」という台詞

を語らせている。

 戦時中の『独眼龍政宗』でこの台詞が出てくるのは、
厳しい検閲の目もあり、やむを得なかったことと察す
る。

 

 何故、巨匠稲垣浩は、この傲慢な思想を長く問うた

のか。それは、戦時下の人間の心理を知って欲しい、

という心情ではなかったか?平時ならば、「戦を無く

すための戦」という欺瞞が、傲慢な思い込みに過ぎ

ない、という事が明確になるが、あらゆる価値観が

否定され、戦争協力を余儀なくされる戦時下では、

人は傲慢でも無理やり自己肯定して、戦争の意義

を自分に言い聞かせるものなのだということを、明

治生まれの稲垣監督は、戦後世代に伝えたかった

のではなかろうか?

 

 『独眼龍政宗』における稲垣監督の戦闘シーン、人

馬共に熱演する疾走場面の迫力豊かで凄絶である。

 壮絶な戦いの場面が展開する。輝宗が義継に拉致

され、馬に乗せられて運ばれるシーンは痛ましい。

 

 稲垣監督は、壮絶な戦闘を描き、ヒューマニズム

を入れない演出を見せることで、一層戦の恐ろしさ

を、リアルに伝えている、とも言えるのである。

 

 現代の視点から見ると、戦争肯定に違和感を抑え
られないが、千恵蔵の熱演、春代の清楚な気品と共

に稲垣監督の骨太の演出は、観客の心に忘れられ

ない印象を残す。

 

 市川春代は1913年2月9日生まれ。愛姫の清らか

な美しさは輝いている。

 『ウルトラセブン』「北へ還れ!」ではフルハシ・シ

ゲルの母で豊かな母性愛を表現された。

 本作に置いては政宗を支える愛姫の情を深く

伝えている。

 2004年11月18日91歳で死去された。

 

 香川良介の温和な輝宗、高山徳右衛門の繊細な

老臣主馬の二人は、人が良すぎる程良い為に、利用

されてしまう「いいひと」の悲劇を濃密に描き、観客の

涙を呼ぶ。

  

 月形龍之介の景綱が深遠で、その存在感はずっし

りと重い。

 

 稲垣浩監督の壮大な表現力に感嘆した。

 

 片岡千恵蔵・稲垣浩コンビが放った時代劇大作

である。

 

 
                       

                       文中一部敬称略

 

                             合掌