眠狂四郎 無頼剣(参)  伊藤大輔脚本 市川雷蔵主演作品 | 俺の命はウルトラ・アイ

眠狂四郎 無頼剣(参)  伊藤大輔脚本 市川雷蔵主演作品

『眠狂四郎 無頼剣』

映画 トーキー 79分 イーストマン・コダックカラー

昭和四十一年(1966年)十一月九日公開

製作国 日本

製作  大映京都

 

企画 奥田久司

原作 柴田錬三郎

 

脚本 伊藤大輔

 

撮影 牧浦地志

音楽 伊福部昭

美術 下石坂成典

録音 林士太郎

照明 山下礼次郎

編集 菅沼完二

 

 

出演

 

市川雷蔵(眠狂四郎)

 

天知茂(愛染)

藤村志保(勝美)

 

工藤堅太郎(小鉄)

島田竜三(伊三)

遠藤辰雄(日下部玄心)

 

上野山功一(一文字屋巳之吉)

酒井修(志麻)

高杉玄(膳所)

山本一郎(室)

原聖四郎(同心天城)

橘公子(お菅)

三木本賀代(お曽代)

 

永田靖(武部仙十郎)

香川良介(弥彦屋彦右衛門)

 

監督 三隅研次

 

 

 

市川雷蔵=二代目市川莚蔵

      =八代目市川雷蔵

 

天知茂=宇寿木純

     =臼井暢浩

 

遠藤辰雄→遠藤太津朗

 

山本一郎→結城一朗

 

香川良介=香川遼

令和二年(2020年)七月二十五日

京都みなみ会館にて鑑賞

 

令和二年(2020年)八月二十九日・令和三年

(2021年)七月十七日発表記事を再編してい

る。

 油問屋弥彦屋の蔵の中で店の幼女と白い

着物を着た武士愛染が歌を歌いかくれんぼ

を楽しんでいた。実は愛染は押し込み強盗

の首魁であった。弥彦屋と一文字屋の油問

屋の豪商達が強盗に狙われる。

 愛染は大塩平八郎中斎(忠斎)・格之助父

子の弟子であった。

 眠狂四郎は飲食店の座敷で髪結の小鉄か

ら弥彦屋の騒動を聞かされる。角兵衛獅子の

女芸人勝美太夫が火焔の芸を披露している。

 小鉄は弥彦屋から失敬した酒を披露とする

が、匂いがおかしく床に撒く。狂四郎は異変を

感じ煙草の火種を捨てると燃え上がった。勝

美が蓑で素早く消す。酒と称して弥彦屋は油

を研究・製造していたのだった。

 

 平八郎・格之助父子は越後の地下水から石

油精製の方法を研究して、その権利を一万両

で譲り、貧民救済の義挙の資金にしようとして

いたが、商人達の裏切り挫折し、自害に追い

込まれた。

 

 愛染は大塩父子の無念を晴らし、貧民救済

の義挙の為に乱を起こし江戸に火を放とうとい

う計画を練っている。一味の密談において奉行

所の拷問に遭って秘密を語った仲間は粛清・殺

害するという冷酷な措置を行う。愛染は冷徹な

指令を出す男であった。

 

 夜釣りをしていた狂四郎の糸が通りがかった

愛染に当たりそうになり、愛染一味の室が怒る

が愛染は制止する。

 

 弥彦屋の用心棒日下部玄心一党は勝美を

狙う。狂四郎は俺の母と同じ性の女を狙う男

は許さんという心から、「理非曲直は問わんぞ」

と宣言し日下部一党を圧倒し勝美を助ける。

 勝美は狂四郎を見て、「格之助様」と呼ぶ。狂

四郎と亡き格之助は容貌が似ていたのだ。勝

美は一文字屋巳之吉の命を受けて油油性の

図録を盗み、商人達は図録を見て、大塩父子

を幕府に密告したという過去を悲しみ、罪滅ぼ

しの為に行動していた。

 狂四郎は武士武部仙十郎から愛染一味の

情報を貰う。

 

 愛染一味は勝美の動きに注目し、捕らえ身体

を奪ったうえで知った情報を喋らせたうえで粛清

しようという冷酷な計画を立てる。冷酷非情な

愛染だが、竹細工を熱心に作っている。弥彦屋

の幼女に届ける約束を大事にしているのだ。

 勝美は愛染に捕らえられ服を脱がされ布団を

かけられたいた。狂四郎が救出に現れ、布団を

取り、勝美は部屋を出て川に飛び込んで難を

逃れる。愛染は狂四郎を床の底に落とす。

 

 弥彦屋では幼女が愛染のおじちゃんとの再会

を楽しみにしている。ところが約束の刻限に弥彦

屋は揺れる。

 

 狂四郎は夜の大名行列を狙い、罪咎の無い

民を殺す事が、貧民救済の志を持った者のす

ることかと愛染を糾弾するが、愛染は聞こうと

しない。愛染の水野忠邦行列の計画は武部に

見破られており失敗する。

 

 愛染に一万両の金を教わって弥彦屋を捕ら

え屋根に監禁した日下部は一万両の在処を

問うが、弥彦屋は金は無いと語る。

 計画は挫折し焦る愛染は弥彦屋・巳之吉を

射殺し激闘の末日下部も倒す。

 

 屋根の下では勝美が見守っている。

 

 愛染の前に狂四郎が現れた。二人は共に

円月殺法の使い手である。夜の屋根におい

て対決の時が来た。

 

 ☆市川雷蔵対天知茂☆

 

 市川雷蔵は昭和六年(1931年)八月二十九

日京都府京都市に誕生した。出生名を亀崎

章雄と申し上げる。三代目市川九團次の養子

となり、昭和二十一年(1946年)十一月二代目

市川莚蔵の芸名で初舞台を踏む。昭和二十六

年(1951年)四月三代目市川壽海の養子となり

同年六月大阪歌舞伎座において八代目市川雷

蔵を襲名し本名を太田吉哉に改める。昭和二十

九(1954年)大映所属の俳優となった。

 大映において映画俳優・映画スタアとなった

雷蔵は深い演技力で存在感をしめした。眠狂四

郎は美男名優雷蔵の当たり役である。

 

 

 天知茂は昭和六年(1931年)三月四日愛知県

名古屋市に誕生した。本名を臼井登と申し上げ

る。高校卒業後松竹で俳優となり、新東宝で活

躍し、大映・東映の作品で存在感を顕示する。

 

 ウィキペディアによると本作『眠狂四郎 無頼剣』

を見た原作者柴田錬三郎は「これは眠狂四郎で

はない」と語り、市川雷蔵からも「どっちが主役か

分からない」という言葉が語られた。それほど天知

茂の愛染の存在感が絶大なのだ。

 

 脚本の伊藤大輔は、文学作品の映像化で「伊

藤大輔のものになる」と評されたことがある人物

で、書かれたドラマは大輔の物語となって現れる

ことが多い。

 

 

 本作は剣士狂四郎と盗賊愛染の激突を描くが、

義挙を掲げながら極悪の蛮行も平気で行う愛染

の存在感が抜群で強烈な個性を示す。天知茂

の凄みが光り、その名演に観客は痺れ震える。

冷酷非情で残虐だが、貧民救済の課題があると

豪語する。自身の課題の為ならば惨たらしい行

為も平気で犯す。義挙を為したいと言いながら、

テロを起こす愛染は矛盾を開き直っている。非情

の闘士愛染だが、弥彦屋の幼女との絆は大切に

しており、彼女への贈り物の竹細工を熱心に作っ

ている。

 この複雑なキャラクター愛染を天知茂が深い

演技で勤め当たり役の一つにして強烈な印象を

与えてくれる。

 

 市川雷蔵と天知茂という同い年の名優二人の

激突に興奮・緊張を覚える。黒い着物の狂四郎

と白い着物の愛染。この色彩の対照も素晴らしい。

 

 伊藤大輔は、冒頭に愛染と弥彦屋幼女の楽し

くも微笑ましいかくれんぼを描き、二人の熱き友

情を語る。だが白い着物の武士愛染は盗賊であ

るという裏の顔が徐々に示され、冷酷非情な殺

人や強盗や放火も行う人物であることを次第に

明かされる。大塩平八郎・格之助父子の挫折と

自害を悲しむ愛染と勝美の活動が語られる。

 愛染は新たなる蜂起で大名行列を襲い、江戸

の街に火を放とうとしている。勝美は大塩父子

に対する贖罪を為そうとしている。

 伊藤大輔の脚本は推理ドラマのように静かに

じっくりと事件の背景を語り書き、一歩一歩ドラマ

を進めて行く。

 

 狂四郎は孤独で陰影ある男である。だが、本作

においては体制に牙を剥き、義挙の為ならば無実

の民も平気で犠牲にして、それでいて幼女との交

流を大事にするという愛染の複雑で魅力的なキャ

ラクターが鋭い。

 伊藤大輔が長年大事にしている「敗北の美学」の

主題を体現している存在は愛染に映っている。

 

 『眠狂四郎』シリーズでは第一作の城健三郎(城

健三朗)後の若山富三郎を初め数々の名優が強

敵役として登場するが、天知茂の愛染がライバル

役のインプレッションでは最強ではなかろうか?

 

 三隅研次の影の演出も深い。狂四郎の孤独な闘

いが観客の胸に応える。母と同じ女は守るという狂

四郎の一途な戦いに心が熱くなる。狂四郎は母性

への敬意を持つヒーローなのだ。市川雷蔵の美しさ

が光る。

 

 

 

 藤村志保の勝美は魅力的だ。気品と色気は光り

輝いている。裸で回転して川に飛び込むシーンは

恐らく吹替だろう。

 

 工藤堅太郎が小鉄で軽妙な味を見せる。

 

 大塩父子を裏切ったことに苦悩し、愛染の圧迫にも

苦しむ弥彦屋を名優香川良介が渋く演じる。

 

 野心と欲望のままに暴走する日下部を遠藤辰雄

後の遠藤太津朗が凄み豊かに演じ強烈な印象を

与えてくれる。

 

 永田靖の武部は重みが豊かだ。

 

 香川良介が犠牲になる弥彦屋を重厚に演じる。

 

 大詰めは夜の屋根における狂四郎と愛染の円月

殺法対決である。

 

 屋根の名場面を語る伊藤大輔の傑作群を想起

した。

 

 昭和四十年(1965年)一月三日伊藤大輔脚本・

監督作品『徳川家康』が公開された。自分はこの

映画のテレビ放送版・ビデオでは繰り返し視聴し

ているのだが、近畿上映の機会で全て見落とし

聞き落とし今日に至っている。

 伊藤大輔監督作品でフィルムが現存している

と言われている『忠次旅日記 甲州殺陣篇』(断

片一分版)『お六櫛』『二刀流開眼』『山を飛ぶ花

笠』『遥かなり母の国』『レ・ミゼラブル あゝ無情 

第一部 神と悪魔』(総集篇)『月の出の決闘』『王

将』(昭和三十七年版)、脚本作品『続・王将』

『座頭市地獄旅』『泥棒番付』『秘剣破り』、出演

作品『阪妻 阪東妻三郎の生涯』(平成五年(199

3年)十月三十日公開、松田春翠製作・監督)と

共に『徳川家康』(昭和四十年映画版)を銀幕で

鑑賞したい。

 

 昭和四十年に大輔は『徳川家康 第二篇』に着

手しようとしたが、東映からストップがかかった。

 『徳川家康』シリーズ製作中止決定が、大輔をし

て東映から去らせたことの原因になったと見る意見

を多く聞く。

 この昭和四十年六月二十八日NHKテレビ『この人

この道』で大佛次郎と伊藤大輔が対談した。進行役

は映画評論家・脚本家の滝沢一が勤めた。

 

  大佛次郎は、「映画は伊藤大輔によって市民権

を与えられた」と発言した(『伊藤大輔シナリオ集』Ⅰ

 365頁 「解説」)。

 明治三十年(1897年)十月九日生まれの大佛次郎

は伊藤大輔映画の原作文学を書いた存在だが、大

輔映画の良き理解者でもあった。

  

 

 

大佛次郎 伊藤大輔映画の原作者

 

 

 

『「織田信長」あれこれ』を読む

 

 

『徳川家康 第二篇』を想像する

 

 

 

『織田信長』昭和四十一年六月歌舞伎座公演を想像する

 昭和四十一年(1966年)大輔は初代中村錦之助後

の初代萬屋錦之介主演の舞台公演脚本・演出に取り

組んでいた。

 六月二日より二十八日の歌舞伎座六月公演では錦

之助主演の『織田信長』(原作山岡荘八)、七月七日か

ら三十一日の歌舞伎座七月公演では錦之助主演の『織

田信長』『宮本武蔵』(原作吉川英治)が上演されている。

 大輔が書いた台本は『伊藤大輔シナリオ集Ⅳ』に収録

されている。

 

映画に市民権を与えたひと

 

 

 昭和四十一年(1966年)七月十七日伊藤大輔の養女

フサ子が癌で死去した。

 

 この年大輔は京都府立医科大学附属で腎臓結石と

診断され、腎臓の病との闘いを為した。

 

 悲しみと闘病の中で舞台の仕事を成し遂げている。

 

『新選組余聞 花かんざし』を想像する

 

『東映歌舞伎におもう』を読む

 

 

 本作『眠狂四郎 無頼剣』において愛染と幼女の

心と心の交流に、幼子だけは守りたいという大人の

心が語られている。

 

 伊藤大輔にとっての家庭内での悲しい出来事が

映画・舞台に影響を与えたかどうかを詮索すること

は失礼に当たるかもしれない。

  息子不二彦を亡くしたことに「影響はなかった」と

大輔は言い切った。公私の心を分ける。伊藤大輔

は自己自身に厳しい。悲痛な心情は大輔と妻朝子

にとって限りないものであったと思う。推察すること

自体無礼なのかもしれない。

 

 

 しかし無垢な幼女と友になり、その命だけはなんと

しても助けたいという愛染の切実な気持ちに自分は、

大輔自身の父性愛を想像する。

 

 『新選組余聞 花かんざし』(昭和四十一年八月三

日から二十八日明治座公演)パンフレットにおいて、

大輔は映画産業が斜陽となり、野球・歌謡などの娯

楽に押されている時代に、明治座を拠点に五年の

歌舞伎興行を成功させた東映の手腕に敬意を表し

ている。同時に映画と東映歌舞伎の二足の草鞋を

一つに絞る時に来ているのではないかという問題提

起をしている。『徳川家康 第二篇』製作が挫折し、

進路をどう歩むか苦闘しつつ、舞台に活動拠点を移

行しつつあった六十七歳大輔自身の心境も反映した

ものではなかろうか?

『新選組余聞 花かんざし』を想像する

 

『東映歌舞伎におもう』を読む

 

 

 『眠狂四郎 無頼剣』は狂四郎と愛染という

孤独な男二人が対決を描く傑作時代劇である。 

 

 

 大詰めは夜の屋根における狂四郎と愛染の

円月殺法対決である。

 

 屋根の名場面を語る伊藤大輔の傑作群を想起

した。

 

 

 市川雷蔵と天知茂の激突に息を呑んだ。

 

 屋根から落ちる竹細工が切ない。

 

 伊藤大輔が書く悲劇美が光る。

 

 

 市川雷蔵と中村錦之助が交互に主演・準主演 

を勤める舞台企画二本を大輔は準備していた。

これらの企画は雷蔵・錦之助の許可を貰いってい

たと思われる。或いは三人で相談を進めていたと

も想像しうる。両者が主役で観客も手に汗握る舞

台の台本の構想に大輔は熱意を持っていた。

 

 昭和四十四年(1969年)七月十七日八代目市川

雷蔵は三十七歳の若さで急死した。

 

 大輔は、市川雷蔵・中村錦之助共演企画の舞台

を以後上演しないことを以て、雷蔵追悼の心とした。

 

 伊藤大輔にとって、『眠狂四郎 無頼剣』は、八代

目市川雷蔵と最後に組んだ映画である。

 

 

 

 

                            合掌

 

 

                      南無阿弥陀仏

 

 

                          セブン