吉田文雀師 豊竹嶋太夫師 名舞台 文楽平成二十七年 初春文楽公演 | 俺の命はウルトラ・アイ

吉田文雀師 豊竹嶋太夫師 名舞台 文楽平成二十七年 初春文楽公演


吉田文雀師匠
 平成二十八年(2016年)八月二十日。

 文楽人形遣い吉田文雀師が死去された。

二十一日仕事から帰宅して食事を済ませると

すぐに就寝したのでニュースは見聞していな

かった。二十二日の新聞で訃報記事を読んで

吃驚した。

 

 最後の舞台となった平成二十七年一月国立

文楽劇場公演『関寺小町』を、同月十九日に

拝見しとてもお元気だったので、「ええ!」と声

が出そうになった。

 

 師は病を得られて、引退公演は行わず、二

十八年三月十日に引退のメッセージのみ発表

された。


吉田文雀

 文雀師は昭和三年六月八日に東京に誕生さ

れた。御本名を塚本和男さまと申し上げる。昭

和二十年八月に文楽座に入られた。

 最初の芸名は吉田和夫である。


bunjyaku

 

 昭和・平成、二十世紀・二十一世紀の文楽・

演劇の歴史を荷い、牽引して下さった功績の

無限の大きさについて、わたくしごときが申し

あげるのは恐れ多いことであるが、客席で至

芸に接して感動を賜ったことに深謝している。

 

 遣って下さった人形は、舞台の上で命を生き

ていた。

 
玉男師 文雀師 十九大夫師匠
 平成十四年(2002年)四月十日国立文楽劇場

公演『菅原伝授手習鑑』の覚寿は、母性の暖かさ

と娘を殺された痛みと仇を討つも、迫ってくる切な

さの表現に胸が熱くなった。

 

 
菅原 芝居絵 4 21
 平成二十六年(2014年)四月七日・二十六

日国立文楽劇場公演『菅原伝授手習鑑』にお

いて竹本住太夫師引退公演「桜丸切腹の段」

で八重を遣われた。最愛の夫桜丸の切腹に

悲しみ心に深い感銘を受けた。文雀師匠の

遣いは、一滴の水を用いることなく、人形が

悲しみの涙を流していることを、伝えて下さ

った。

 舞台の上で、八重の人形が桜丸の人形に

縋って本当に泣いているのだ。

 

 まさに人形遣いが役の心に包まれて、役の

人形と心を一つにして遣うからこそ成り立つ

不思議であると思った。

 

 平成二十七年の国立文楽劇場における初春

文楽公演は、十九・二十三日に鑑賞した。

 以下の感想では敬称を省略する。

 

 第一三七回=開場三十周年記念 

 文楽公演 平成二十七年一月

 国立文楽劇場

 
芝居絵 一二部
 

 十九日

 花競四季寿 

 彦山権現誓助剣

 義経千本桜 道行初音旅

 日吉丸稚桜

 

 二十三日

 冥土の飛脚

 

  『花競四季寿』「万才 海女 関寺小町 鷺娘」

  豊竹呂勢太夫

  豊竹芳穂太夫

  豊竹希太夫

  豊竹靖太夫

  鶴澤清治

  竹澤宗助

  鶴澤清馗

  鶴澤寛太郎

  野澤錦吾

  

  太夫 吉田玉佳

  才蔵 吉田一輔

  海女 吉田蓑二郎

  関寺小町 吉田文雀

  鷺娘  豊松清十郎

 

 「万才」では太夫と才蔵が元気一杯に踊る。

玉佳と一輔が輝いていた。

 「海女」は海女と大蛸が仲良く踊るという不思

議な演目で楽しい。

 簑二郎の遣いにも快活さが溢れていた。 



関寺小町

 吉田文雀の『関寺小町』が重かった。百歳に

なった小野小町が若き日の恋を思う。昔は光

り輝く美貌で男達を夢中にし燃えさせた小町。

百歳の老女になると言い寄り口説く男はいな

い。昔ときめいた恋を思い出して踊るが、踊り

終えると重い足取りで小さな庵に戻る。切ない

物語だった。

 人は若き日の恋が一生胸の中で燃え続ける

のか?その思い出が老いの悲しみの中でと

きめきを再燃させてくれる。しかし、現実には百

歳の老齢が迫り、容色は皺が刻まれ、年波を

痛感せざるを得ない。

 百歳の小町の人形には気品があった。

 

 「鷺娘」は豊松清十郎の鷺娘が綺麗だった。

 

 『彦山権現誓助剣』

 六助 豊竹松香太夫

 弾正 竹本津國太夫

 

 中 豊竹咲甫太夫

   鶴澤清介

 切 豊竹咲太夫

    鶴澤燕三

 

 毛谷村六助 吉田玉女

 お園      吉田和生

 弾正実は京極内匠 吉田玉輝

 弥三松     吉田簑次

 お幸      吉田和生

 ☆☆☆

 吉田玉女→二代目吉田玉男

 ☆☆☆

 

 六助が弾正の孝行がしたいという頼み

を聞き試合にわざと負けてあげるのだが、

この弾正の正体は京極内匠という極悪人

であった。

 六助を見込んで兵法の奥義を授けた吉

岡一味斎とその娘お菊を殺害し、孝行した

いと言って背負い老母といった女性をも殺害

した悪党であった。

 お菊の姉で亡父一味斎から、「六助の婿

になれ」と言われたお園は虚無僧姿で現れ

つつ、六助に惚れ、一味斎の妻お幸は夫の

形見の刀を六助に授ける。

 六助は悪党内匠討伐に向かう。

 玉女後の二代目玉男が遣う六助の大いなる

優しさが印象的だ。 

 

 『義経千本桜 道行初音旅』

 静御前 竹本津駒太夫

 狐忠信 竹本文字久太夫

       豊竹靖太夫

       豊竹希太夫

       竹本小住太夫

       鶴澤寛治

       鶴澤藤蔵

       鶴澤清丈'

       豊澤龍爾

       鶴澤清允

 静御前 桐竹勘十郎

 狐忠信 吉田幸助

 ☆

 竹本津駒太夫→六代目竹本錣太夫

 

 竹本文字久太夫→豊竹藤太夫

 ☆

 

   「恋と忠義はいづれが重い」の言葉が重く

 響く。清らかな書割が吉野山の桜の美を見せ、

 津駒太夫と文字久太夫の掛け合いが壮大で

  勘十郎の静と幸助の忠信が主従であって恋

をも秘めているような深い絆を明かしてくれた。

 忠信こと源九郎狐は忠義から静を守護している

のだが、恋心が秘められているようにも思える

傑作である。

 

  主人の側室でも綺麗な人には、狐も惚れてし

まう。この豊かな情を語ってくれていることにも

改めて感嘆した。

 

 『日吉丸稚桜』(ひよしまるわかきのさくら)

 

  豊竹睦太夫

  鶴澤清志郎

  竹本千歳太夫

  豊澤富助

  

  木下藤吉 吉田玉志

  萬代姫  桐竹紋臣

  竹松    吉田玉翔

  五郎助   吉田和生

  お政     吉田簑助

 

  重く悲しい物語である。五郎助老人は家

の義理の為に娘お政の首を切り、娘の夫藤

吉の役に立てるように進言する。藤吉は舅で

あった五郎助の忠義に心打たれ、その子竹

松を家臣として加藤正清(モデルは加藤清正)

とする。

 

 簑助のお政の情が暖かかった。

 

 

 二十三日

 冥途の飛脚

 

 淡路町の段

 豊竹英太夫

 竹澤團七

 

 封印切の段

 豊竹嶋太夫

 野澤錦糸

  

 道行相合かご

 梅川 竹本三輪太夫

 忠兵衛 豊竹咲甫太夫

       豊竹芳穂太夫

       豊竹咲寿太夫

       豊竹亘太夫

       竹本文字栄太夫

       鶴澤清友

       野澤喜一朗

       鶴澤清丈'

       鶴澤清公

       鶴澤燕二郎

 

 忠兵衛 吉田玉女 

 八右衛門 吉田玉也

 伊兵衛  吉田勘市

 まん    吉田文昇

 宰領    桐竹勘次郎

 花車    吉田簑一郎

 千代歳 桐竹紋秀

 鳴渡瀬  吉田簑紫郎

 禿     吉田簑之

 五兵衛  桐竹勘介

 駕籠屋  吉田玉誉

 駕籠屋  吉田簑次

 妙閑   吉田文司

 梅川   桐竹勘十郎

 ☆☆☆

 吉田玉女→二代目吉田玉男

 ☆☆☆

 

 嶋太夫が忠兵衛が梅川への想いへの熱さ

と八右衛門の親切とはいえ、厳しい言葉に

思わず堪忍袋の緒と封印を切ってしまう心を

鮮やかに語ってくれた。

 

 雪の中を歩む梅川忠兵衛の愛を、勘十郎・

二代目玉男が深い遣いで明かしてくれた。

 

 『恋飛脚大和往来』「封印切」よりも、オリジ

ナルの『冥土の飛脚』には深さがあると思った。

 

 終演後葛西聖司アナウンサーがおられてス

タッフと語り合っていた。元NHKアナウンサーで、

文楽・歌舞伎の評論家としても活躍されている。

 

 全くの初対面だったのだが、「葛西先生。『独

眼竜政宗』の大ファンで毎週見ていました」と申

しあげた。

 

 葛西聖司アナウンサーは、「面白かったね」と

仰っていた。

 

 語り手ご自身も絶賛される『独眼竜政宗』は

ジェームス三木脚本、渡辺謙主演の大傑作

大河ドラマである。

 

 ジェームス三木が史実を尊重して脚本を

書いたことが傑作になる源になった。

 

 冒頭と最終回ラストに伊達政宗の骸骨が

映り、その迫力に圧倒された。

 

 前述の通り、この公演が吉田文雀にとって最

後の舞台となった。

 

 平成二十七年一月十九日の小町の哀切を、

自分は生涯忘れない。

 

 二十三日の『冥途の飛脚』における

嶋太夫師の語りに深く心を打たれた。

 

 この記事は2016年8月22日に発表したもの

に加筆している。

 

 豊竹嶋大夫師

 豊竹嶋太夫師は昭和七年(1932年)三月

七日に誕生した。

 本名村上五郎。四代目豊竹呂太夫を経て

昭和四十三年八月八代目豊竹嶋太夫を襲名

された。

 熱く深い語りに感銘を受けた。

令和二年(2020年)八月二十日に八十八歳で

死去された。

 

 吉田文雀師

 豊竹嶋太夫師

 

 

 至芸を拝見・拝聴し、無量の感激を賜りました。

 

 役の命を客席から学びました。

 

 ありがとうございました。


 

                          合掌


 

                     南無阿弥陀仏


 

                          セブン