菅原伝授手習鑑 寺子屋(二) 平成二十二年十二月十三日南座公演  | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 寺子屋(二) 平成二十二年十二月十三日南座公演 

平成二十二年(2010年)十二月十三日 京の年中行事

當る卯歳 吉例顔見世興行

東西合同大歌舞伎

菅原伝授手習鑑 寺子屋

南座 新聞

作 竹田出雲  並木千柳 三好松洛

 

舎人松王丸      中村吉右衛門

松王丸女房千代   中村魁春

源蔵女房戸浪     中村芝雀

涎くり与太郎      中村種太郎

小太郎         尾崎理雄 緒方圭水(交互出演)

菅秀才         吉岡翔馬 森川航(交互出演)

百姓吾作        嵐橘三郎

御台園生の前     中村扇雀

春藤玄蕃        市川段四郎

武部源蔵        中村梅玉

 ☆

中村芝雀→五代目中村雀右衛門

 ◎

 平成二十二年(2010年)十二月十七日の記事を

再編している

 ◎

 

 『菅原伝授手習鑑』は、竹田出雲・並木千柳・

三好松洛の合作で、延享三年(一七四六年)八

月二十一日を初日として、大阪竹本座において

人形浄瑠璃で初演された。

 無実の罪を着せられた菅原道真(菅丞相)の忍

耐と丞相の恩を受けた三つ子の兄弟梅王丸・松

王丸・桜丸の忠義を主題にしている。


 

 「道明寺」では菅丞相と養女苅屋姫、「佐太村」

では四郎九郎(白大夫)と桜丸、「寺子屋」では

松王丸・小太郞、と三組の親子の別れが描かれ

る。


 

 この年平成二十二年(2010年)三月歌舞伎座

さよなら公演において、『菅原伝授手習鑑』の「賀

茂堤」「筆法伝授」「道明寺」が上演された。

 

 源蔵/梅玉、戸浪/芝雀の配役で、源蔵夫婦の

一途な真心が熱く静かに謳い上げられた。

 

 今回、引き続き、梅玉・芝雀の源蔵夫婦で『寺子屋』

が上演されたことは、有り難い。自分の中では通しで

見ている感覚になれた。

 

  「一字千金 二千金 三千世界の宝ぞと。教うる

  人に習ふ子の中に交る菅秀才」

 

 二重舞台の上手において菅秀才が手習いをしている。

涎くりのおふざけが笑わせる。種太郎、関西弁の細か

いニュアンスに違和感があったものの、大健闘で、場

内を盛り上げ、柔らかな空気を盛り上げてくれた。

 「寺子屋」は観客の感涙を極めるドラマなので、前半

の涎くりの笑いが貴重なのである。


 

   「一日に一字学べば三百六十字の教え」


 

 菅丞相の若君菅秀才は、学びの尊さを教えてくれる。

パソコンで文字を書きながら言うのも矛盾しているよう

だが、やはり、文字は一字一字書いていくことで、字の

心を窺い学んで行くものなのだな、と実感する。

 寺子達の喧嘩の諫めに戸浪は出ない。

 

 源蔵の出になる。梅玉は舞台に現れた瞬間、香り豊

かに品格を現してくれる。源蔵の苦悩に満ちた様子が

足取りにも窺える。

 「いずれを見ても山家育ち」は時代の言い回しで、「

励め励め」はリアルに語る。

 

 源蔵  報いはこちが火の車

 

 戸浪  おっつけ廻ってきましょうわいなァ

 

 源蔵  せまじきものは、宮仕えじゃなァ

 

 忠義の為に何の罪もない親子を犠牲にせなばならぬ

夫婦の苦悩と罪悪感と悲しみが、「せまじきものは、宮

仕えじゃなあ」の台詞に極まる。

 

 段四郎の玄蕃は、傲慢不遜で憎たらしい人物像を

凄味と重みで表現する。太い声が客席にずっしりと

響き渡る。

 

  「かしまい蝿虫めら。うぬらの餓鬼のことまでも、

  身供が知ったことか」

 

 憎々しさと傲岸さは、この言葉の台詞回しに強く

現れる。

 

 駕篭の内より、吉右衛門の松王丸の「ヤレお待ち

なされ、しばらく」が引き絞るような苦しい声音で響く。

 

 駕篭から病鉢巻をした松王丸が現れる。

 

 吉右衛門の重厚深遠な存在感に圧倒される。病を

強調した勤め方で、繰り返し咳き込み、呼吸困難で

あるようにも見受けられた。

 

 「はばかりながら彼らとても油断はならぬ」で緊張

感がビシビシと伝わってくる。

 

 「机の数が一脚多い」は、観客も怒られているような

怖さを感じ、ドキっとなる。

 

 源蔵の太刀の音を聞いて、戸浪とぶつかり、「無礼

者め」で見得を切って、目頭を抑える。「無礼者め」は

歌舞伎独自の見得であり、役者の芸によって決まる

名場面である。

 

 吉右衛門の「無礼者め」の見得には、極まりを感じ

た。播磨屋の芸は重い。義太夫狂言の重みをたっぷ

りと実感させてくれる。


 

 小太郎の首実検では、源蔵に「相違ない」、玄蕃に

「相違ござらん」と語り、右手を挙げて込み上がる悲

しみを抑え、万感が迫ってくる。

 

 段四郎の玄蕃が、小太郞を犠牲にして、罪の意識

に喘でいる源蔵を嘲笑する場の弱い者いじめの憎

憎しさといやらしさは凄まじく、現代の悪役・敵役の

第一人者であることを鮮やかに証しておられる。

 

 松王が去った後、源蔵・戸浪夫婦が安堵を強調し

て何度も深呼吸する場面はなく、夫婦は小太郞を迎

えに来る千代への対応を急ぐ演出であった。

 

 魁春の千代、舞台に現れた瞬間、気品が香る。父

上六代目中村歌右衛門は「芸格」と言う事柄を強調

されていた。

 歌舞伎座の舞台に立つことの芸の品格を現出する

という課題である。その精神を継承され、気品を舞台

に伝えて下さっている。


 

 「梅は飛び 

  桜は枯るる世の中に 

  何とて松のつれなかるらん」

 

 菅丞相が「天拝山の段」で詠まれる歌である。


 

  「梅(王丸)は天拝山まで飛んできて、

  桜(丸)は恋の取り持ちをしたことの責めを

  負って自刃して枯れて忠義を示したが、

  どうして松(王丸)はつれないのだ」

  という歌には、

  「否、つれないことがあろうか」という意味が

こめられていることも窺えよう。

 

 短冊に書かれた丞相の歌は、源蔵のせりふとして

読まれることが多いのだが、今回は、「梅は飛び 桜

は枯るる世の中に」が源蔵のせりふで、「何とて松の

つれなかるらん」が松王丸のせりふであった。

 妙なる割り方に、思わず、膝を叩きそうになった。

 

 歌舞伎の演出は主演俳優が兼ねることが多い。想

像が許されるならば、今回のあまりにも見事な割り方

は、播磨屋の案ではなかろうか?

 

 松王が忠義を尽くしたくても、時平の家臣であった

ため秘めねばならなかったという経緯を語る場面でも、

吉右衛門の重く深いせりふが観客の心を熱く打つ。

 

 「思い出すは桜丸」

 

 犠牲にした息子小太郞のことが悲しくないわ

けではない、という松王の痛みが切なく伝わって

くる。

 

 松王「ご恩も送らず先立ちし、さぞや草葉の陰

    よりも、伜がことを聞くならば、羨ましかろ、

    けなりかろ。伜がことを思うにつけ、桜丸が

    ふびんでござる。源蔵殿、ごめん下され。」

 

 この場の涙は、小太郞の為ではなくて、桜丸の

為に泣かねばならない、と古来言われている。

 

 吉右衛門の演技は、小太郞の犠牲について健気さ

を讃えて泣き、先駆けして一人責めを負って死んでい

った弟桜丸を思うと涙が堪えられない、という勤め方

で、真心の心情と共に松王の生き方・人生観が深く

現れていた。

 

 松王の述懐を静かに聞く、梅玉の源蔵も印象的だ。


 

 扇雀の園生の前は、「菅秀才か」の声を熱く語って

急ぎ足で菅秀才に駆け寄る。

 「なるほど」と思った。「菅秀才か」を厳かに語る人

が多いのだが、この演じ方も鋭い表現であると思う。

 何故ならば、「築地(門外)の段」で、源蔵が梅王

と相談して菅秀才をお預かりして以来、離れていた

我が子のことが、御台所(園生の前)は、ずっと気に

なっていたからだ。扇雀の本読みの慧眼を感じた。


 

  松王「我が子に非ず、菅秀才の亡骸を御供申す。

     いずれもには門火、門火。」

 

  愁いの引っ張りの見得に、改めて感銘を受けた。


 

 これまで自分は、諸氏の「寺子屋」を歌舞伎と文楽

において鑑賞してきた。記録映像やカセットテープ版

も鑑賞させて頂いた。

 どの舞台も歴史的な名舞台であったと拝察申し上げ

る。

 

 今から申し上げることは、僭越な物言いとしてお叱り

を受けるかもしれないが、申し上げたい。

 

 中村吉右衛門の松王丸を拝見して、初めて、「寺子

屋」を鑑賞したような気持ち・感慨になったのである。

 過去の諸氏の芸も、勿論凄い。だが、吉右衛門の

松王丸は原作に帰って、原作の松王の忠義と悲痛を

深く掘り起こしてくれたのだ。

 

 古典劇を勤め上演するということは、過去に演技・

演出の経験があっても、その実績に安住せず、常に

原作と向き合って行間を読み直し、原作の心根を聞く。

 この姿勢を、播磨屋の至芸に感じた。

 

 播磨屋と過去の諸氏の間に、優劣の関係がある

等ということを申し上げるつもりは勿論ない。諸氏の名

舞台の歴史を確かめられた上で、播磨屋は悲しみを

忍んで生きる松王丸の像を新たにリアルに重厚に掘

り起こされたのである。そこには、唯一性と言うか、オ

ンリー・ワンの芸道の輝きがある。そのオンリー・ワンに

帰っていくことの大切さを学んだ。

 

 中村吉右衛門の松王丸は、松王丸そのものである、

と自分は心の奥底から感じた。

 

 ◎

 

 この名舞台から十年八か月が経った。

 

 中村吉右衛門名舞台の最新の鑑賞は平成三十一

年(2019年)六月十九日歌舞伎座の『梶原平三誉石

切』である。

 

 梶原景時の情は暖かった。

 

 吉右衛門の体調が万全に回復する日を待ってい

る。

 

 播磨屋の時代物は日本演劇の至宝である。

 

 中村梅玉七十五歳誕生日

 

 令和三年八月二日

 

 

 

                  

                     

 

                          文中敬称略

                        

                                                       

                     

                     

   

                              合掌




 

                         南無阿弥陀仏



 

                              セブン