路上の霊魂 | 俺の命はウルトラ・アイ

路上の霊魂

『路上の霊魂』

映画 無声 109分 白黒

大正十年(1921年)四月八日公開

製作国 日本

製作言語 ロシア語 日本語

製作会社 松竹キネマ

 

指導 小山内薫

原作 ヴィルヘルム・シュミット=ボン

    森鴎外訳『街の子』

   

    マクシム・ゴーリキー

    小山内薫訳『夜の宿』(『どん底』)

 

脚色 牛原虚彦

撮影 水谷文次郎

撮影助手 小浜田太郎

室内設計 溝口三郎

光線  島津保次郎

 

出演

 

小山内薫(杉野泰)

 

東郷是也(杉野浩一郎)

 

沢村春子(耀子)

久松三岐子(文子)

伊達龍子(浩一郎の許嫁)

英百合子(別荘の令嬢)

岡田宗太郎(別荘番の老人)

南光明(出獄者鶴吉)

蔦村繁(出獄者亀三)

東栄子(八木節の少女)

小村竹雄(八木節の少年)

杉沢長十(樵夫)

山路百合香

松島衣子

中村よし子

春野恵美奈(クリスマスの客)

茂原熊彦(別荘の執事)

村田実(樵夫の少年太郎)

 

監督 村田実

 

東郷是也→鈴木傳明

 

蔦村繁=蔦見丈夫

 

茂原熊彦=牛原虚彦

平成十三年(2001年)十月六日 

京都文化博物館映像ホールにて

鑑賞

 

 感想文では物語の結末迄言及し

ます。未見の方は御注意下さい。

 杉野泰は厳格な老人だ。ヴァイオリン

演奏家を夢見て家を飛び出した浩一郎

に対して激しい怒りを抱いている。

 

 浩一郎は演奏に厳しい評価を為した評

論家と喧嘩してしまい、暴力事件を為した

事を咎められ、音楽界を追われた。

 

 許嫁があった身だが、耀子という女性と

結婚し、後に娘文子が生まれたが生活は

苦しく実家に帰る事を決める。帰路の道中

で出獄した二人の男からパンを貰う。

 

 男二人はクリスマスのパーティーの準備

をした別荘に忍びこみ盗みを働くが別荘番

に見つかる。別荘番は肺を病む男に憐み

を感じて令嬢の許しを得てパーティーに招

く。

 

 杉野家に戻った浩一郎は父泰の冷厳な

叱責を聞き、家に入れてもらえなかった。

 

 寒さが募り、空腹は激しくなる。納屋に宿

泊する浩一郎は食物を探しに出かける。

 

 伐在所の少年太郎と浩一郎の元婚約者

納屋に行くと、文子が凍死していた。娘を

助けられなかった耀子は泣く。

 

 傲慢だった泰は思わず帽子を脱ぐ。

 

 改心した二人の男は別荘番と雪積もる

山中で倒れている男を救出しようとする。

男は浩一郎だった。

 

 太郎と浩一郎の許嫁だった女性が現れ、

浩一郎が凍死したことを知り、憐みの心

があれば、文子と浩一郎は死なずに済ん

だのにと嘆く。

 

 ☆映画における芸術表現の難しさ☆

 小山内薫は明治十四年(1881年)七月

二十六日に誕生した。劇作家・演出家・

批評家として活躍した薫は映画製作者

としても力を発揮し、映画人育成にも尽

力した。

 

 鈴木傳明(すずき・でんめい 本名は

同じだが、すずきつたあきら)は明治三

十三年(1900年)三月一日東京府に誕生

した。

 明治大学では水泳選手として活躍して

いた。

 

 明治二十九年(1896年)京都祇園花見

小路で売店をしていた白井松次郎・大谷

竹次郎の双子の兄弟は十九歳の若さで

演劇興行に乗り出した。

 大正二年(1913年)には二人の名から

付けた「松竹」を東京歌舞伎座を有する

会社に成長させた。二人は台頭してきた

活動大写真に注目し、松次郎は養子の

活動大写真ファンの白井信太郎にアメリ

カユニバーサル・スタジオを視察させ、映

画界進出を決める。

 

 スタッフに小山内薫と芝居小屋の看板

を描いていた野村芳亭とカメラマンヘンリ

ー・小谷と大道具にジョージ・チャップマン

を招いた。

 

 小山内薫を校長とする俳優学校には

鈴木傳明・沢村春子・伊藤大輔といった

青年・若者が学んでいた。

 

 活動大写真の娯楽性を追求する松竹の

体制で厳しい立場に立った小山内は芸術

探求の課題として「松竹キネマ研究所」を

旗揚げし、『路上の霊魂』を製作した。

 

 森鷗外訳のヴィルヘルム・シュミット=

ボンの『街の子』と小山内訳のマクシム・

ゴーリキーの『どん底』を基にして、牛原

虚彦と村田実は脚本を書いた。

 

 監督・太郎少年役の村田実は明治二十七

年(1894年)三月二日に東京市に誕生した。

 小山内薫は「指導」(製作総指揮)の立場

でスタッフを包み、俳優としては泰役を演じ

た。

 

 浩一郎には東郷是也名義の鈴木傳明が

抜擢された。

 

 寛大な博愛精神が必要であるという主題

を打ち出した村田演出だが、結論的に言うと

主題の観念が強く出過ぎて観客を納得せし

めるものがこみあげて来ないのである。

 

 寛容さの強調は、デヴィッド・ワーク・グリフ

ィス監督の『イントレランス』の影響であろう。

 

 冒頭・ラストにロシア語でゴーリキーの「憐み

の心」の教えが表示される。

 

 ドラマがこの主題の提起に相応しい説得力

があったかというと首肯しがたいのである。

 

 松竹活動大写真が娯楽性の追求に熱を

あげている時代に、映画芸術を尋ねた勇気

には敬意を表する。

 

 だが、その演出表現には焦りが先行してし

まったという印象を受ける。

 

 伊藤大輔を崇拝する身のわたくしは、大輔

の生涯の師小山内薫の指導・出演の本作が

映画芸術として開花したかと問われると、「残

念だが開花しきっていない」と答える。

 

 主題の観念の主張が強く出過ぎた。

 

 ゴーリキーの戯曲『どん底』はスラムのような

安宿に暮らす人々の苦渋を語る。

 貧困の苦しみは読者の心を強く打つ。この

迫力が『路上の霊魂』に欲しかった。

 

 浩一郎がヴァイオリンの音を聞いて自身の

演奏を思い出すシーンは印象的でこうしたカ

ットが多くあれば、映画芸術探求の作品とし

て説得力を放ったと思われる。

 

 村田実は少年に見えるように若さを演技で

見せている。

 

 本作の完成後に体調を崩し大病に罹った

が監督として活躍したと言う。

 

 日活において演出を為した溝口健二は記録

映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』

に伝わるラジオ音源に「兄のような人だった」と

村田への敬意を語っている。

 

 昭和四年(1929年)に発表した監督作品『灰燼』

は名作と呼ばれている。

 

 昭和七年(1932年)八月伊藤大輔・内田吐夢・

田坂具隆・小杉勇・島耕二・芦田勝の脱退七人

組と日活を退社した。

 

 同年十二月には伊藤大輔脚本、村田実・田坂

具隆監督で『昭和新選組』を発表した。

 

 昭和十一年(1936年)三月一日日本映画監督

協会理事長に選ばれた。

 

 昭和十二年(1937年)六月二十六日四十一歳

の若さで病死した。

 

 依田義賢は村田実演出に「バタ臭さ」を感じて

いるが、欧米の映画に学んだ村田の演出姿勢

が現れているとも言える。

 

 『路上の霊魂』には疑問があるのだが、村田

実の気迫が全編に漲っている。

 

 鈴木傳明の華やかな美貌は印象的だ。

 

 作品が力説した「寛容の心」は、公開百年後

の現代には必須不可欠のものとなっている。

 

                         合掌