十三代目片岡仁左衛門師 没後二十七年・二十八回忌御命日 | 俺の命はウルトラ・アイ

十三代目片岡仁左衛門師 没後二十七年・二十八回忌御命日

 

 

道明寺 二

 

  十三代目片岡仁左衛門

 (じゅうさんだいめ・かたおか・にざえもん) 

 画像左の菅丞相役者

 歌舞伎役者

 本名 片岡千代之助

 

 明治三十六年(1903年)十二月十五日東京日本橋生まれ。

 父は十一代目片岡仁左衛門。明治三十八年(1905年)十二

月南座で片岡千代之助の本名を芸名として『手打』で初舞台

を踏む。

 昭和四年(1929年)四月歌舞伎座で『近頃河原の達引』の

伝兵衛で四代目片岡我當を襲名。

 昭和五年(1930年)喜代子夫人と結婚し、後に三男五女を

もうける。昭和十年(1935年)一月七日長男秀公、昭和十六

年(1941年)九月十三日二男彦人、昭和十九年(1944年)三

月十四日三男孝夫が誕生した。

 現在の五代目片岡我當・二代目片岡秀太郎・十五代目片

岡仁左衛門である。

 

 昭和二十六年(1951年)三月大阪歌舞伎座において『時雨

の炬燵』の治兵衛、『新口村』の忠兵衛・孫右衛門で十三代目

片岡仁左衛門を襲名。

 昭和三十四年(1959年)三月二十五日公開、制作東映京都、

脚本加藤泰、監督小沢茂弘のチームによる『あばれ街道』では

市川團十郎を勤める。

 

 昭和三十六年(1961年)八月毎日ホール七人の会公演で

『菅原伝授手習鑑』「道明寺」で菅原道真(菅丞相)を勤める。

伯母覚寿は二代目中村鴈治郎である。

 菅原道真公を勤めるに当たって、精進潔斎し肉食は公演

中しないという在り方を徹底された。冒頭に『菅原と忠臣蔵』

より引用した画像はこの公演である。

 

 昭和三十七年(1962年)、関西歌舞伎の苦境への悲しみ、私

財を擲って、仁左衛門歌舞伎を旗揚げする。

 上方歌舞伎はお客さんが激減し、劇場では歌舞伎が上演さ

れないという事態が続いた。

 仁左衛門は、歌舞伎役者としての危機感のもと、「失敗すれ

ば家を売ればよい」という決意で自主公演の旗揚を決め、喜代

子夫人と、息子さん方・娘さん方との家族会議で相談し、賛同

を得て、自主公演上演を決意する。

 乾坤一擲の心のもと、自費を擲ち、自主公演仁左衛門歌舞

伎を朝日座で上演した。

 大坂の道頓堀で浪花の歌舞伎を上演したい。この心根のも

と、演目に『夏祭浪花鑑』が選ばれ、仁左衛門は勿論団七九

郎兵衛を勤めた。

 

 興行的には大ヒットし、客席には立錐の余地が無いほどの

お客さんが集まったそうである。

 

 後にNHKの『この人 片岡仁左衛門ショー』で仁左衛門は、

この公演の口上を再現された。

 

 

   大坂で歌舞伎の上演がない。こんな悲しい

   ことはありません。わたしは、この道頓堀の

   朝日座で、歌舞伎を演りたかったんです。

   皆さん、ありがとうございました。

 

 八十歳の仁左衛門は、五十八歳の感激を昨日の出来

事のように鮮明に語ってくれた。

 

 この公演が不振に喘でいた上方歌舞伎を復興する流

れを呼び起こしたようである。

十三世様 竹三郎さん

丞相様 御台所 戸浪

 昭和四十一年(1966年)三月朝日座公演『菅原伝授手習鑑』

「筆法伝授」において菅丞相を勤める。

仁左衛門 梅幸

輝国

 昭和四十一年(1966年)十一月国立劇場開場記念『菅原伝

授手習鑑』第一部において武部源蔵・判官代照国を勤める。こ

の公演では筆法伝授を受ける源蔵を勤めるに当たって、字の

書き方に注意をしたことを『菅原と忠臣蔵』で確かめている。

菅原と忠臣蔵

大御所ふたり

十三代目仁左衛門 鴈治郎

 昭和五十二年(1977年)十一月中座公演『仮名手本忠臣蔵』

において塩谷判官高定・「九段目」の加古川本蔵行国を勤める。

菅原伝授手習鑑 大序 1981

菅原 昭和五十六年

十三代目片岡仁左衛門

 菅丞相 十三代目仁左衛門

十三代目仁左衛門 玉三郎

 昭和五十六年(1981年)十一月国立劇場『菅原伝授手習鑑』

の「大序」「筆法伝授」「道明寺」で菅丞相こと菅原道真を勤め

る。この時視力が危険な状態にあったが、「死んでもやる」とい

う決意のもと、菅丞相を勤め、「神品」と絶賛される。

 

 昭和五十七年(1982年)八月七日公開の製作松竹、原作・

監督山田洋次の映画『男はつらいよ寅次郎あじさいの恋』に

おいて陶芸家加納作次郎を勤める。

 昭和六十二年(1987年)十二月二十三日南座顔見世東西

合同大歌舞伎夜の部を鑑賞した。

 

 片岡十二集の内 

『三千両黄金蔵入』 「松平長七郎」 

一幕「大和橋馬切りの場」

 

松平長七郎  十三代目片岡仁左衛門 

 

阿波座太郎助    九代目市川團蔵

小池弾正左衛門  十七代目市村羽左衛門

桜井隼人      二代目中村扇雀

山田甚左衛門   五代目中村富十郎

長井甚左衛門   七代目尾上菊五郎

青木左近      十二代目市川團十郎

五十嵐主膳     八代目中村福助

服部兵部      六代目澤村田之助

今井忠六      六代目中村東蔵

駒林藤左衛門   八代目大谷友右衛門

和田久之進     五代目坂東八十助

林新六郎       初代片岡孝夫

大野五平      二代目片岡秀太郎

毛利逸平      五代目片岡我當

 ☆☆☆

 二代目中村扇雀→四代目坂田藤十郎

 八代目中村福助→四代目中村梅玉

 五代目坂東八十助→十代目坂東三津五郎

 初代片岡孝夫→十五代目片岡仁左衛門

 ☆☆☆

 片岡仁左衛門師

 自分にとって、十三代目片岡仁左衛門の名舞台との出会い

になった演目である。これまで、『ザ・商社』等ドラマや劇場記録

公演は拝見していたが、実際に拝見した最初の機会で、大感激

を覚えた。

 立ち回りの太刀の捌き方は凄かった。八十四歳にして若々しい

殺陣で息を飲んだ。

 

 松平長七郎が辻斬りを為し、大金を奪うが、将軍家の血筋の

侍と聞き、同心の武士達が平伏するという物語である。

 内容的に深みがある訳ではなく、長七郎役の名優が風格を

見せ、同心役に幹部俳優が並ぶという趣向である。

 十三代目片岡仁左衛門の二枚目ぶりと美しさに感動した。

 十七代目市村羽左衛門・四代目坂田藤十郎(当時二代目中

村扇雀)・五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎・十二代目市

川團十郎、三人の息子達と超豪華な顔ぶれの同心達が平伏し、

十三代目仁左衛門の南座顔見世三十五年連続出演を御祝い

した。 

 

仁左衛門 秀太郎 父子

 昭和六十三年(1988年)二月歌舞伎座『通し狂言 菅原伝授

手習鑑』「筆法伝授」「道明寺」において菅丞相こと菅原道真を

一世一代で勤められる。苅屋姫は片岡秀太郎、覚寿は七代目

尾上梅幸が勤めた。この公演を管理人は見落としてしまった。

 

 十三代目仁左衛門は、八十代を越えると視力が殆ど見えな

い状態であったらしい。しかし、舞台を歩み勤めた感覚を確か

められていた。家庭の稽古でせりふは喜代子夫人が読み、言

葉を聞いた十三代目仁左衛門は台詞を読み暗記する。この光

景は記録映画『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』において上映さ

れた。

 視力を失ったことで、役に集中することが成り立ったと著書

において確かめられている。

 平成元年十二月南座 昼の部の『鬼一法眼三略巻 菊畑』に

おいて鬼一法眼を勤める。

 吉岡鬼一法眼         片岡仁左衛門

 

 奴智恵内実は鬼三太     片岡孝夫

 笠原湛海            市川段四郎

 腰元桔梗            片岡進之介

 撫子               片岡孝太郎

 左枝               片岡千代丸

 吉野               坂東竹三郎

 皆鶴姫              中村松江

 奴虎蔵実は源牛若丸     中村芝翫

 ☆☆☆ 

 片岡仁左衛門=十三代目片岡仁左衛門

 片岡孝夫→十五代目片岡仁左衛門

 片岡千代丸→六代目片岡愛之助

 中村松江→二代目中村魁春

 中村芝翫=七代目中村芝翫

 ☆☆☆

 管理人は客席で鑑賞した。

  十三代目片岡仁左衛門の鬼一法眼を舞台に見る。こ

の瞬間、南座客席は、割れんばかりの大拍手と「松嶋屋」

の大歓声が湧いた。

 

 「文楽人形のように綺麗な方」で役に包まれて生きる命を

感じた。

 初代片岡孝夫の奴智恵内実は鬼三太は、美男で勇敢で

あった。

 十三代目仁左衛門と初代孝夫後の十五代目仁左衛門の

父と子による鬼一・智恵内主従、鬼一・鬼三太兄弟に、深い

感動を覚えた。

 中村松江後の中村魁春の皆鶴姫は美しくて綺麗で優美で

あった。

  四代目市川段四郎の笠原湛海は憎たらしさが全開で凄み

があった。

 片岡進之介・片岡孝太郎・片岡千代丸後の六代目片岡愛

之助の腰元たちは可愛くて綺麗だった。

 七代目中村芝翫の虎蔵実は源牛若丸は古風な美しさが

光り輝いていた。

 

 老軍師の大いなる風格を示す鬼一、美男の若衆の虎蔵、

無垢な赤姫の皆鶴姫、凄みのある敵役の湛海、忠義者の

色奴の智恵内と浄瑠璃において物語の中心となる人物像

が五人集まる。

 

 平成元年十二月は、南座が改築工事に入る前の最後の

歌舞伎公演ということもあり、豪華な配役で昼夜の舞台が

上演されたが、昼の部『菊畑』は十三代目仁左衛門・初代

孝夫・四代目段四郎・五代目松江・七代目芝翫と五大名優

が集い、「顔見世」そのものと言うべき芸と芸の激突を見せ、

名作揃いのこの月の昼夜公演でも特に深い感激を覚えた。

平成最初の南座顔見世であった。

 十三代目仁左衛門の鬼一が、七代目芝翫の虎蔵を包む

ようにして虎の巻を与え授けようとする舞台は、歌舞伎の

古典芸を託す心が呼応しているようにも感じられ大いなる

感動を覚えた。

 平成二年(1990年)十二月祇園甲部歌舞練場顔見世『寿

曽我対面』において工藤祐経を勤める。管理人は客席で鑑賞

し重厚な存在感に圧倒され、風格と貫録に息を飲んだ。

仁左衛門 梅幸

 平成三年(1991年)十一月南座『楼門五三桐』

 石川五右衛門。真柴久吉は七代目尾上梅幸。客席で拝見

し、胸が一杯になり、感動が極まった。十三代目仁左衛門の

野望熱き盗賊五右衛門の凄みに圧倒された。

車引 6

 平成四年(1992年)十二月南座顔見世『菅原伝授手習鑑』

「車引」を客席で鑑賞した。

 

  梅王丸  五代目片岡我當

  桜丸   二代目片岡秀太郎

  松王丸  初代片岡孝夫

  杉王丸  初代片岡進之介

  藤原時平公 十三代目片岡仁左衛門

 

 片岡家三代による『車引』であった。十三代目片岡仁左衛門

の時平公は、陰謀の黒幕の凄みと魔性の迫力が溢れ、圧倒

された。悪の美しさが舞台全体に咲き誇っていた。十三代目

仁左衛門の菅丞相を客席で見聞することは叶わなかったが、

時平公を客席で拝見拝聴したことは有り難い機会であった。

 悪の華が南座舞台に絢爛と咲いた。

 

 

 

 十三代目仁左衛門の言葉に日々学び教えられている。

 

    「騙されても騙すな」

 

    「果報は練って待て」

 

    「怒ったら損や」

 

    「一度勤めた役でも工夫を忘れない」

 

    「感謝の心」

佐藤正清 十三代目さん

 平成五年(1993年)十二月南座顔見世『八陣守護城』におい

て佐藤正清を勤める。忠義に燃え、毒を盛られても、主家を守

ろうとする正清を熱演された。客席で鑑賞した管理人は、「声

が少し細くなられたかな?」と感じたが、忠義一途に生きる正

清の生き方に心を深く打たれた。

 正清役が、十三代目仁左衛門にとって、最後の舞台となっ

た。  

1994・3・26

1994 3 26

 平成六年(1994年)三月二十六日京都市嵯峨野の自宅にお

いて老衰により死去。満年齢九十歳。

十三代目片岡仁左衛門 喜代子夫妻

 その日、新聞夕刊を見て、十三代目片岡仁左衛門師の

ご訃報を聞き、南座で拝見した舞台を心に思った。

 令和元年(2019年)十二月二日南座顔見世昼の

部『仮名手本忠臣蔵 七段目』を鑑賞した。大星由

良之助に十五代目片岡仁左衛門、おかるに初代

片岡孝太郎、大星力彌に初代片岡千之介の配役

であった。

 十三代目片岡仁左衛門・五代目片岡我當・二代目片岡

秀太郎・十五代目片岡仁左衛門・初代片岡進之介・初代

片岡孝太郎・六代目片岡愛之助・初代片岡千之介と片岡

家四代八俳優の舞台を南座で鑑賞することが成り立った。

 令和二年(2020年)二月歌舞伎座において二月大歌舞伎が

上演された。管理人は三日に昼夜に鑑賞した。

 昼の部『菅原伝授手習鑑』「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」、

夜の部『八陣守護城』『道行故郷の初雪』は十三代目片岡仁

左衛門二十七回忌追善狂言である。

 『菅原伝授手習鑑』において十五代目片岡仁左衛門が菅丞

相、初代片岡孝太郎が八重・立田の前、初代片岡千之助が

苅屋姫、二代目片岡秀太郎が園生の前を勤めた。『八陣守護

城』では五代目片岡我當が佐藤正清を勤めた。『道行故郷の

初雪』では二代目片岡秀太郎が梅川を勤めた。

 十五代目仁左衛門の菅丞相の忍耐、二代目片岡秀太郎の

園生の前の優しさ、梅川の繊細さ、五代目片岡我當の正清の

闘魂に感激した。

 

 本日令和三年(2021年)三月二十六日は、十三代目

片岡仁左衛門の没後二十七年・二十八回忌の御命日

である。

 

 十三代目仁左衛門は、神仏への感謝を大切にされ、先

祖への敬意を表された。一日一日の命に感謝することを

教えて頂いた。

 歌舞伎に命を燃やし、生命身心全体を挙げて役を勤め、

舞台に立って役に集中して勤めることの喜びを語ってお

られた。

 命を挙げて課題に取り組み、日々を大切に生きることを

教えて下さった師として崇拝している。

 

 松平長七郎の色気。

 吉岡鬼一法眼の風格。

 石川五右衛門の凄み。

 藤原時平の貫禄。

 佐藤正清の忠義。

 

 

 歌舞伎芸に命を燃やし役に生きる。このことを客席に

座る観客の一人として学んだ。

 

 南座で観劇する機会には、二階に掲げられた十三代目

仁左衛門の肖像に一礼している。

 十三代目片岡仁左衛門は、ファンの心の中に、今も生きて

いる。

 

 

                            文中敬称略

 

 

                               合掌

 

 

                          南無阿弥陀仏

 

 

                               セブン