忠臣蔵 昭和七年十二月一・八日公開 衣笠貞之助監督作品(二) | 俺の命はウルトラ・アイ

忠臣蔵 昭和七年十二月一・八日公開 衣笠貞之助監督作品(二)

『忠臣蔵』

「前篇 赤穂京の巻」109分

昭和七年(1932年)十二月一日公開

 

 「後篇 江戸の巻」 103分

昭和七年(1932年)十二月八日公開

 

映画  トーキー 白黒  

139分前後総集篇不完全版のみ現存

製作国 日本

製作  松竹下加茂

企画 白井松次郎  大谷竹次郎

企画補助 白井信太郎  城戸四郎  森一

原作・脚本  衣笠貞之助

撮影 杉山公平

撮影補助 真々田潔  加藤武士 

舞台衣装 吉川観方

殺陣 林徳三郎

録音 土橋武雄夫

作曲指揮 塩尻清八

演奏 日本新交響楽員

顧問 大森痴雪

 

出演

阪東寿三郎(大石内蔵良雄)

 

林長二郎(浅野長矩 吉田沢右衛門)

 

市川右太衛門(脇坂淡路守 垣見五郎兵衛)

 

岡田嘉子(おるい)

田中絹代(八重)

 

岩田祐吉(大野九郎兵衛)   

高田浩吉(大石瀬左衛門)

坂東好太郎(勝田新左衛門) 

堀正夫(原惣右衛門 草間格之助)

尾上栄五郎(小林平八郎)

野寺正一(堀部金丸)

武田春郎(大久保権右衛門)

新井淳(齋藤宮内)

押本映治(笠原長太郎)

島田嘉七(上杉綱憲)

結城一郎(加藤遠江守)

阪東寿之助(矢頭右衛門七)

実川正三郎(大野九十郎)

小笠原章二郎(間十次郎)

志賀靖郎(大竹重兵衛)

坪井哲(片岡源五右衛門)    
風間宗六(伊達伊織)    
高堂国典(上杉家家老)    
齋藤達雄(不破数右衛門)    
小林十九二(外村源左衛門)    
日守新一(幇間狸六)    
大山健二(大高源吾)    
宮島健一(梶川与惣兵衛)    

岡譲二(柳沢出羽守)

   
小倉繁(碇床主人)    
滝口新太郎(大石主税)    

喜曽十三郎(奥田孫太夫)

 

   
高松錦之助(進藤源四郎)    
小泉嘉輔(大野家用人)    
中村吉松(清水一角)    
山本馨(内蔵助下男八助)    
中村政太郎(朝倉喜平)    
小林重四郎(堀部安兵衛)    
沢井三郎(多門伝八郎)    
広田昴(韋駄天の猪公)    

井上晴夫(間瀬孫九郎)

静山繁男(大石家用人)

永井柳太郎(千坂家用人)

百崎志摩夫(講釈師)

宇野健之助(左右田孫兵衛)
   
山路義人(熊公)    
征木欣之助(臆病武士)    
長嶋武夫(武林唯七)    
小川時次(中村勘助)    
突貫小僧(餓鬼大将)    
菅原秀雄(大三郎)    

市川右太三郎(芝居の師直)

嵐若橘(塩谷判官)

川田芳子(大石理玖)

飯田蝶子(縫)

鈴木歌子(るいの母親)

八雲恵美子(浮橋太夫)

   
川崎弘子(瑤泉院)

柳さく子(戸田局)

   
千早晶子(勝田光)    
飯塚敏子(芸者小妻)    
     

河上君枝(芸者信香)  

千曲里子(芸者小桜)

北原露子(芸者力弥)   

中川芳江(くに)

 

藤野秀夫(千坂兵部)

上山草人(吉良義央)

 

監督 衣笠貞之助

嘉子 るい

 ☆☆

 阪東寿三郎=三代目阪東寿三郎

 林長二郎→長谷川一夫

 ☆☆

 

 

平成十四年(2002年)十一月十六日 

京都文化博物館にて鑑賞

 

 時は元禄十四年三月。

 大嵐が吹き荒ぶ中、早打駕が東から西への道を走る。駕籠

は江戸から赤穂城代家老大石内蔵助良雄のもとへ到着する。

 内蔵助は主君浅野内匠頭長矩が、十四日に江戸城松の大

廊下に於いて、吉良上野介義央に刃傷に及んだことを知らされ

驚愕する。

 何故殿が殿中で刀を抜いたかという経緯を、内蔵助は聞き、

その事情を城の大広間で浅野家家臣達に語った。

 

 長矩は勅使饗応役を命じられ、高家筆頭である吉良の指導

を仰いでいたが、指南役の権威を笠に着たいじめに忍耐の日々

を歩んでいた。

 十四日、そのいじめに対する忍耐が我慢の限界を越え、松の

大廊下で遂に刃傷に及んでしまった。

 脇坂淡路守は長矩の激怒を思い、上野介を打擲する。

 長矩は取り押さえられ、殿中で抜刀した罪を問われ、役人の

調べを受ける身となるが、襖が開くと、一瞬家臣内蔵助の顔を

見るが幻覚で、旗本大久保権右衛門であった。

 五大将軍徳川綱吉の怒りは激しく、十四日当日に即日切腹

の裁きを受け、長矩は腹を切って自刃した。

 赤穂では主家を離れていた不破数右衛門が駆けつける。家

老大野九郎兵衛一家は逃走する。一旦殉死の決定を為して、

内蔵助は同志を集った。

 上杉家家老千坂兵部は謀略を巡らし、内蔵助の討入りを

警戒する。内蔵助は京で遊興に耽った。

 江戸森田座で『東山栄華』の舞台が上演され、高師直が塩谷

判官を虐める場が上演される。明らかに師直に吉良、判官に

浅野が想定されている。師直が「誰か師直を斬れる者が居る

か!」と憎たらしく凄むと、不破は「居るぞ」と怒りを露にして

舞台に斬り込もうとする。師直役者が「ちょっと止めて下さい

よ」と制止する。

 

 内蔵助は仇討の決意を固めて江戸へ上り、垣見五郎兵衛

の変名を用いて宿に泊まるが、その宿に垣見五郎兵衛本人

が来ており、名前を名乗る贋者と糾弾される。だが垣見は贋

者が内蔵助と看取し、情けを以て許す。

 

 千坂兵部は間者の美女おるいを派遣して、赤穂浪士を探ら

せる。おるいの妹八重は三河屋と名乗る美青年と恋仲になる。

三河屋の正体は赤穂浪士吉田沢右衛門であった。沢右衛門

は吉良家絵図面の写しを取ることを命じられており苦悩する。

 るいは妹八重の恋心を知り、敢えて、吉良の茶会が元禄十

五年十二月十四日である事を知らせる。

 

 勝田新左衛門の舅大竹重兵衛は、婿が仇討に参加すると

期待しているが、中々実現しないことに苛立ちを覚えている。

 

 内蔵助は沢右衛門に年齢を聞き、その若さを知る。

 

 吉良邸では、千坂が上野介義央に警護している事を語

る。

 

 十二月十四日。内蔵助を頭領とする赤穂四十七士は吉良

邸に討入る。売られた八重と応戦するおるいが居た。おるい

は赤穂浪士と戦って、哀れ、斬られる。

 内蔵助は、義央を見つけ出し、刺殺し、遂に仇討本懐を遂げ

た。

 

 重兵衛は瓦版から婿勝田の名を発見し驚喜する。

 

 赤穂浪士は幕府役人から吉良殿の御首を受け取りたいと告

げられ、文書の「御首」の表記に抗議し、「御」の一字を墨で塗り

潰し、「首」に変えた。

 

 ☆☆断片版でも華麗なる名作☆☆

 

 衣笠貞之助は明治二十九年(1896年)一月一日に誕生した。

本名を小亀貞之助と申し上げる。無声映画時代は女形役者と

して活動し後に監督に転身し数数の名画を演出された。

 昭和五十七年(1982年)二月二十六日に死去された。

 

 『忠臣蔵』前後篇は断片版しか現存しておらず、この断片版は

音声が極めて酷いのだが、その事も忘れてしまうほど強力な作品

で緊張感一杯に時が走り去り、観客の胸に熱きものがこみあげて

くる。

 完全版が残っていないことが惜しまれる。

 

 松竹オールスターが出演した超大作である。

 

 林長二郎後の長谷川一夫が浅野・吉田、市川右太衛門が脇坂・

垣見をそれぞれ二役で勤め、当時の二人の人気が窺える。

 大石には歌舞伎界の重鎮三代目阪東寿三郎が選ばれ、重厚

な存在感を見せる。

 

 

 早打駕から始まる冒頭は緊張感豊かだ。

 

 松の大廊下の刃傷事件が大石に伝えられ、回想形式で事件が

語られる。

 

 林長二郎の浅野長矩は華やかな美しさが光る。

 

 上山草人の吉良義央の憎々しさは強烈だ。

 

 市川右太衛門の脇坂の義侠心溢れる吉良打擲も名場面だ。

 

 事件の後捕えられた長矩が襖の開く音を聞き、会いたい内

蔵助の顔を幻覚で見るシーンは見事なモンタージュだ。

 

 『東山栄華』で劇中劇の高師直に赤穂浪士が激怒する

シーンの鮮やかさに、涙が出そうに成程心中で笑い、必死

に声を堪えつつ、心で拍手した。演劇・映画の境界を軽々

と越え、フィクションが現実の人間に大きな力を与える事

を実感した。

 

 『勧進帳』を基にする垣見の大石許しは、右太衛門の剛

と寿三郎の柔が光る。

 垣見五郎兵衛は大石内蔵助が変名に用いた名前だが、

その垣見本人が宿に現れ、自身の名を偽る者を大石と見

破って、仇討ちの計画を察して許す。これは前述のように

『勧進帳』を基盤にして牧野省三が考案したという。立花左

近という名を用いた大石が宿で立花本人と出会って、許さ

れるというエピソードだ。本作では垣見の名前が用いられ、

市川右太衛門が迫力豊かに勤めている。

 

 長二郎・絹代の美貌・可憐の沢右衛門・八重のロマンス

は綺麗だ。

 

 岡田嘉子は姉おるいで暖かい母性愛を見せる。おるい

が吉良に義を尽くし斬られる大詰は切ない。岡田嘉子は

本作の後にロシアに亡命する。

 

 志賀靖郎の重兵衛翁の暖かさも印象的で、討入りの

行列で婿勝田を見る為に犬を担ぎ、「お犬様じゃぞ」と

言って道を開けさせるシーンも感動的だ。『忠臣蔵』

映像作品では犬が悪役にされることが多いが、衣笠の

演出は犬への愛を感じた。

 

 正統派『忠臣蔵』は刃傷前に亡くなっている千坂が

大石のライバルとして活躍したり、垣見の勧進帳的

計らいで大石が許されたりするように、完全史実無

視のフィクションが描かれる。これらは見せ場であり、

フィクションとしてどのように見せるかが演出家の力

の働く場なのだ。

 

 フィクション・嘘をどのように本物らしく見せてそこに

格調や気品を出せるか?これが時代劇で問われる。

 

 『忠臣蔵』映像史の中で、これほど華麗にこれ程見事

に涙と笑いの感覚を呼び起こしてくれる作品は、自分の

見聞した限りでは、他にない。

 

 「私のベストを尽くしました」と衣笠貞之助は語っている

が、139分断片版でも大いなる名作であると確言する。

 

 残存資料のポスターに「特別出演 阪東妻三郎」

の表記があるが、現存版に妻三郎の映像はない。

ポスター以外の文献に出演者資料に妻三郎の名

はなく、妻三郎程の大スタアが出演していたら、何

らかの記録が残っているであろうから、出演は実現

しなかったのではないか?完全版が現存していない

ので推察の意見しか言えない訳だが。

 

 阪東寿三郎の内蔵助の風格は圧巻であった。

 

 ☆

 平成三十一年(2019年)三月一日の記事に加筆

している。

 ☆

 

 市川右太衛門百十四歳誕生日

        令和三年(2021年)二月二十五日

 

 

                          合掌