宮本武蔵 巌流島の決斗(十一)「剣は武器か」 | 俺の命はウルトラ・アイ

宮本武蔵 巌流島の決斗(十一)「剣は武器か」

『宮本武蔵 巌流島の決斗』

 

 

映画 トーキー 121分 

富士フィルムカラー・一部白黒 東映スコープ

昭和四十年(1965年)九月四日公開

製作国 日本

製作会社  東映京都

配給  東映

 

製作  大川博

 

 

企画  岡田茂

     小川三喜雄

     翁長孝雄

 

原作  吉川英治

 

脚本  鈴木尚之

     内田吐夢

 

撮影  吉田貞次

照明  中山治雄

録音  渡部芳史

美術  鈴木孝俊

音楽  小杉太一郎

編集  宮本信太郎

 

助監督 鎌田房夫

記録   梅津恭子

装置  木津博

美粧  林政信

結髪  妹尾茂子

衣装  三上剛

擬斗  足立伶二郎

進行主任 福井良泰

 

出演者

 

 

中村錦之助(新免武蔵後に宮本武蔵)

 

 

髙倉健(佐々木小次郎)

 

 

里見浩太郎(細川忠利)

入江若葉(お通)

丘さとみ(朱実)

 

田村髙広(柳生但馬守宗矩)

河原崎長一郎(林彦次郎)

木村功(本位田又八)

 

千田是也(本阿弥光悦)

内田朝雄(岩間角兵衛)

清水元(小林太郎左衛門)

日髙澄子(御厨野耕介の女房)

浪花千栄子(お杉)

三島ゆり子(お光)

 

中村是好(御厨野耕介)

北竜二(酒井忠勝)

中村錦司(北条安房守)

尾形伸之介(秩父の熊五郎)

中村時之介(大友伴立 半瓦弥次兵衛)

高松錦之助(榊原康政)

神木真寿雄(縫殿助)

嶋田景一郎(佐助)

金子吉延(三沢伊織)

 

鈴木金哉(坊主 御池十郎左衛門 菰の十郎)

遠山金次郎

片岡半蔵

源八郎

有川正治(岡谷五郎次)

大里健太郎

江木健二

矢奈木邦二朗

岩尾正隆(野武士の主領)

那須伸太朗(本多忠勝)

 

大城泰

香月涼二

川浪公次郎

野村鬼笑

利根川弘

森谷源太郎

熊谷武

大東俊治

西春彦

有島淳平

 

 

 

阿部九州男(淵川権六)

江原真二郎(吉岡清十郎)

大前均(大坊主)

小田部通麿(野州川安兵衛)

香川良介(植田良平)

加藤浩(山添団八)

国一太郎(横川勘助)

黒川弥太郎(胤舜)

木暮実千代(お甲)

佐々木孝丸(池田輝政)

佐藤慶(太田黒兵助)

薄田研二(柳生石舟斎宗厳)

西本雄司(壬生源次郎)

平幹二朗(吉岡伝七郎)

南廣(祇園藤次)

山形勲(壬生源左衛門)

山本麟一(阿巌)

吉田義夫(陶器士)

 

 

三国連太郎(宗彭沢庵)

 

 

片岡千恵蔵(長岡佐渡守)

 

 

 

監督 内田吐夢

 

 

小川三喜雄=初代中村獅童→小川貴也

        →小川三喜雄

 

小川錦一→中村錦之助=初代中村錦之助

      →小川矜一郎→初代萬屋錦之介

 

髙倉健=高倉健

 

里見浩太郎→里見浩太朗

 

田村髙広=田村高廣

 

嶋田景一郎→島田元文

 

鈴木金哉→鈴木康弘

 

香川良介=香川寮

 

三国連太郎=三國連太郎

 

片岡千恵蔵=植木進=片岡十八郎=片岡千栄蔵

阿部九州男・江原真二郎・大前均・小田部通麿・

香川良介・加藤浩・黒川弥太郎・木暮実千代・

佐々木孝丸・佐藤慶・薄田研二・西本雄司・

平幹二朗・南廣・山形勲・山本麟一・吉田義夫

は解説映像・回想シーン出演。本編字幕なし。

字幕が無い人の配列は、五十音で留め前の

二人の位置に記した。この記述は『宮本武蔵』

全五部作上映ポスターコピー版を参考にした。

河原崎長一郎の役名は一部資料では林吉次郎と

書かれている

ナレーターはノークレジットだが、酒井哲であろうか?

☆鑑賞日時・場所

平成十一年(1999年)十月二日 福原国際東映

平成十二年(2000年)九月十一日 高槻松竹

平成十五年(2003年)五月二十三日京都文化

博物館映像ホール

 画像・台詞出典『宮本武蔵 巌流島の決斗』DVD・

 解説書

 

 台詞の引用・シークエンスの考察は研究の為です。

東映様におかれましては、ご理解・ご寛恕を賜ります

ようお願い申し上げます。

 感想文では物語の結末に言及します。未見の方は

ご注意下さい。

 新免武蔵十七歳の秋、慶長五年九月十五日(16

00年10月21日)関ケ原において天下分け目の合戦

が行われ、徳川方の大捷・豊臣方の大敗と決まった。

豊臣方に参戦した武蔵少年は泥の中を這い、幼馴

染・竹馬の友であり共に合戦に参加し敗残兵となっ

た本位田又八と再会し、命があることを喜び合う。

 一国一城のあるじと成る夢は破れ、お甲・朱実母

子に匿われた。又八はお甲との愛欲生活に溺れ、

故郷の許嫁お通に離縁の手紙を送り、武蔵の前か

らも姿を消した。武蔵は又八を溺愛する彼の母お杉

婆に息子の生存を知らせようと故郷作州に帰るが、

お杉の憎悪と青木丹左衛門率いる池田家侍達の探

索に遭う。

 武蔵が落ち武者狩りの侍達を殺害し、村人から食

べ物を奪った事を知った僧沢庵は彼を呼び寄せ千

年杉に吊るし、強さに驕った在り方を見つめ直せと

諭す。

 吊るされた武蔵をお通が救助し、愛情・恋心を互

いに実感した二人は花田橋での再会を約して別れ

る。沢庵は武蔵と再会し、池田輝政に引き合わせ、

白鷺城において三年勉学するように武蔵に伝える。

武蔵は母の胎内とも言うべき城で学び命を慈しむ

事に目覚める。

 

 

 城主池田輝政の仕官の勧めを断った武蔵は姓

を宮本、名を武蔵(むさし)と改め白鷺城をあとに

する。約束の花田橋に「ゆるしてたもれ」と彫り、

武蔵はお通に詫びる。

 

  「どうぞ武蔵に苦難を与え給へ。我に死を与え

給うか。我に天下一の剣を与え給へ」と武蔵は祈

りを捧げ、剣に生きる事を誓う。

 修行の第一歩を吉岡道場に刻んだ武蔵の剣は、

名門吉岡の門弟集を圧倒する。

 吉岡道場当主清十郎は、祗園において朱実を

見染める。武蔵は宝蔵院の道場で僧阿巌を倒す。

 般若坂で武蔵は牢人衆と対決し、宝蔵院胤舜率

いる僧兵達が牢人衆を槍で粛清する。

 

 柳生の里では石舟斎宗厳に挑戦せんとした武蔵

だが、柳生四天王との争いの中、聞こえてきたお通

の笛の音に感嘆しつつ二刀を構える。

 

 周防岩国に生まれた佐々木小次郎は京へ向かい

物干竿で剣の存在感を示す。

             

 吉岡清十郎は武蔵に洛北蓮台寺野に挑むが木

刀で叩かれ大敗を喫した。

   

 三十三間堂において清十郎舎弟伝七郎は武蔵に

挑むが斬られ敗死する。名門の誉をかけて吉岡一

門は、清十郎・伝七郎の従兄弟源次郎少年を名目

人に立て、その父源左衛門と門弟七十一人が介添

を為すという条件を打ち出して武蔵に決戦を挑む。

 

 一乗寺下がり松で源左衛門・源次郎父子と吉岡

家門弟の計七十三人と武蔵は対決し、彼らを斬殺

する。元吉岡一門門弟林彦次郎は武蔵の剣を少年

斬殺の非情の剣と糾弾し、武蔵に挑むが田圃の泥

に塗れた武蔵の刃を受け失明する。

 戦いに勝った武蔵だが、潜伏先の比叡山無動寺

の僧から源次郎少年を斬った事を糾弾され深く悲

しむ。

 

 「われ事に於いて後悔せず」と語り、武蔵は観音

菩薩像を彫る。

 

 沢庵はお通にもうすぐ武蔵と会えると優しく語り

かけた。

 

 お通と再会し別れた武蔵は徳願寺近くの荒れ野

で孤児伊織と出会い、開墾と農業に彼と取り組む。

 武蔵は野武士の急襲から村を救い、細川家家老

長岡佐渡は感嘆する。鍬と剣を大事にして、土に

いて乱を忘れず、乱にいて土をわすれずという武

蔵の文に佐渡は新たな感動を覚える。伊織と共に

江戸に来た武蔵は、研ぎ師御厨野耕介夫妻と出

会い、侍の魂と研ぐことが大事で刀の切れ味に

固執することは邪道という耕介の言葉に学ぶ。

佐々木小次郎の大刀物干竿を見て武蔵は注意

を深める。

 

 小次郎は細川家家老岩間角兵衛の姪お光と

恋仲になるが、彼女を強引に口説いている。角

兵衛は小次郎仕官の斡旋を佐渡に頼むが、佐

渡は人物と会ってからと強く述べる。

 お杉は侠客半瓦弥次兵衛一家の世話を受け、

小次郎の激励も聞き、武蔵への復讐戦の機会

を待っていた。 

 旅籠で武蔵と伊織が蕎麦を食べていると馬喰

熊五郎とその仲間たちが騒ぎ、武蔵は注意する。

熊五郎が怒って凄むと武蔵は橋で蠅を捕縛する。

 

 小次郎は佐渡の面談の条件に反発するが、藩

公忠利殿に会えるならばと条件を角兵衛に申し

でて、弓矢の稽古をする忠利に会い、槍の名手

岡谷五郎次と木刀で試合をして存在感を見せて

仕官が成り立つ。

 

 お杉と弥次兵衛一家は武蔵の旅籠に急襲す

るが、蠅の一件で武蔵に感嘆し弟子入りした熊

五郎が応戦する。北条安房守から遣いが来て

武蔵は安房守と師沢庵・柳生宗矩と出会う。

 武蔵の将軍家指南役が幕閣に議論されるが、

酒井忠勝は一乗寺の決斗で武蔵の剣が少年の

血を吸ったことを問題視し、指南役推挙は無か

ったこととなる。宗矩は武蔵に屏風に嗜む芸術

を書かれては如何かと勧めるが、武蔵が書き残

した墨絵の深さに感嘆する。

 

 一乗寺下がり松を武蔵と伊織が尋ねる。樹の側

で盲目の僧となった林彦次郎が親子地蔵を彫って

いた。

 武蔵は本阿弥光悦の屋敷において伊織と掃除

に取り組んでいた。その光景を角兵衛が見た。

 細川家に仕官した小次郎は、武蔵との果し合い

を希望する。武蔵は承諾する意向を語り、光悦と

沢庵は心配する。武蔵は佐渡に伊織を預ける事

を思い、沢庵は白鷺城迄の道中で伊織少年と共

に歩んだ。岐路に立った時、沢庵は伊織の巾着か

ら、お通が生き別れた弟であることを知る。お通

は沢庵の手紙で小倉において二人の人と会える

と教わる。武蔵は佐渡の屋敷を尋ね、巌流佐々木

小次郎との試合を盟約する。

 佐渡は伊織を召し抱え教育し、二人は祖父と孫

のような絆を再確認する。

 

 慶長十七年四月十三日(1612年5月13日)船島

において武蔵と小次郎の試合が行われる事が決

まり高札で発表される。

 武蔵は伊織と再会し、彼の巾着からお通さんの

弟と知り、伊織にお通さんという方がお前の姉だ

と教える。角兵衛は万一の事態に備えて決戦場

の船島に多数の刺客を潜ませる事を決める。忠

利も又、細川家指南役が牢人武蔵に敗れる事を

恐れた。お杉は小倉迄小次郎応援にやってきた

が、急に煩わしいと感じた小次郎は冷たく門前払

いを喰らわす。お杉は激怒するが、お通が息子

又八とその妻朱実、夫婦の赤子と出会う光景を

見て泣き出し、「そのような孫は知らぬ」と絶叫す

る。

 武蔵は世話をしてくれた小林太郎左衛門に礼

として墨絵を進呈し、太郎左衛門は船頭を信頼

する青年佐助が勤めると武蔵に報告する。

 

 夜の海岸で武蔵は、お通・又八・朱実・お杉と

再会する。お通は剣を捨て殺し合いを止めて欲

しいと愛する武蔵に泣いて頼む。だが、武蔵は

非情の剣を選んでしまったことを告げ、佐助の

船で船島に向かう。長き宿怨を越えて、お杉は

武蔵を応援する。

 

 遂に四月十三日の朝が来た。小次郎と角兵衛

は船島で武蔵を待つ。武蔵は佐助の舟で移動す

るが、道中無人島の筈の島に人影を感じ、刺客

の存在を感じた。

☆此処から物語のクライマックスに言及します。

重ねて申します。未見の方はご注意下さい☆

 佐渡と伊織はじっと試合前の光景を見つめる。

細川家家老岩間角兵衛は、小次郎が敗死した

場合に備えて五十名の刺客を潜ませている。

 

 佐助が漕ぐ小舟において潮の動きに注目しな

がら武蔵は櫂を小刀で削り木刀を製作する。

 

 佐渡は伊織に「見逃すでないぞ」と強調し、

武士の一命を賭して伝授して下さると思うて見

るんだぞと言い聞かせる。伊織は元気よくハイ

と答える。

 岩間角兵衛は不安が募る。小次郎の表情に

焦燥感が色濃く出始める。

 

 佐助の船が浜辺に着く。宮本武蔵が顔を現し

た。小次郎は、武蔵と強く呼ぶ。武蔵は大刀を

佐助に授ける。何ですってと叫んで、佐助は吃

驚仰天する。武蔵は相手の小次郎は櫂で斬り、

大刀は引き上げの時の備えだと宣言する。

 

  佐助は「成程分かりやした」と同意し「存分に

やっておくんなせえ」と激励する。

  

  小次郎は砂浜を駆けて、舟から降りた武蔵

に近付く。

 

   小次郎「武蔵、遅れたか?策か?何れに

        しても卑怯と見た。約束の刻限は

        一時も経つ。巌流は約を違えず此

        処に待ち兼ねていた。一乗寺の

        時と言い約束の時を違えるのは

        汝のよく用いる兵法。その手に乗

        る巌流ではないっ。」

 

 小次郎は鞘を捨て、「来い!武蔵」と挑む。

 

   武蔵「小次郎敗れたり!今日の試合、汝の

      負けと見えたぞ。」

 

   小次郎「黙れ!何を以て?」

 

   武蔵「勝つ身であれば、何で鞘を投げ捨て

       る?鞘に汝の天命を投げ捨てた!」

 

   小次郎「何をたわ言!」

 

   武蔵「惜しや、小次郎散るか?はや、散る

       を急ぐか?」

 

    小次郎「来い!」

 

 二人は砂浜を走り駆ける。

 

 武蔵は飛び櫂を振り下ろし、小次郎は大刀物干

竿を切り上げる。

 着地した武蔵は櫂と小刀の二刀を構えて息を

吐く。鉢巻が切れ落ちて一瞬恐怖を覚える。

 

 小次郎は勝利を確信し微笑む。だが、次の瞬間

額から鉢巻に血を流し倒れる。

 佐々木小次郎の口と鼻に手をかざした武蔵は呼

吸していることを感じ、その生命は尽きていないこと

に希望を抱いて、素早く走り去り、佐助の船に乗り、

佐助は舟を漕ぐ。

 

 岩間角兵衛は驚愕し、刺客の侍五十名は武装し

弓を引いて武蔵を射ようとする。

  佐渡「待て!見苦しい。騒ぐでない。」

  

  海の小舟で佐助は、おお旦那と武蔵に呼びかけ潮

 が引き始めましたと告げ、もう大丈夫でございますと

 確かめる。

 

  武蔵は「佐々木小次郎。生涯二度と会うこともある

まい相手」と讃えて小刀をしまうが、右手に血がついて

いる光景を凝視する。

 「勝った」と呟く武蔵は、小次郎の流血を思い起こす。

 

   お通が「貴男の手は血で汚れて」と語った言葉が

 響いてくる。

 

   一乗寺の決斗において「約定により宮本武蔵、試

 合に参った」と宣言し、斬りかかり、「怖い」と怯えた息

 子源次郎を抱きしめる源左衛門を見て、「子供よ、許せ」

 と叫んで父子二人を串刺しにして刺殺した事が武蔵の

 記憶に蘇る。

 

  般若坂の決斗で牢人衆と戦った光景も心に浮かぶ。

 

  白鷺城において三年の学びを経て、新免武蔵から宮

 本武蔵に改名し、「孤剣。剣の天下。これに生きよう。こ

 れを魂として己を磨き何処迄自分を高め得るか。頼む

 はこの一腰。青春二十一遅くはない。」と宣言したことを

 確かめる。

 

   武蔵は自己の人生を思い返し見つめ、「一切を捨て

 剣に命を託して生きてきた。空虚。」と語り、悲憤の心を

 痛感する。櫂を海に投げ捨てる。

 

    武蔵「所詮剣は武器か?」

 

 悲しみの問いを武蔵は語る。

 

 佐助は櫓を漕ぎ舟は早く進む。大海を走る舟。

 

 武蔵は舟の上で黙している。

 

 ☆生命大海☆

 

 宮本武蔵は天正十二年(1584年)に生まれたと

伝えられている。彼は剣と芸術に生きて、試合に

おいては勝利を治め、二刀流の二天の一流を開

いた。著書『五輪書』において剣の道を記した

 正保二年五月十九日(1645年6月13日)に死去し

た。六十二歳。

 

 佐々木小次郎は永禄か天正の時期に生まれた

と言われているが、精確な生年は不明である。

 慶長十七年四月十三日船島で武蔵と戦って敗

れ死亡した。

 

 吉川英治は明治二十五年(1892年)八月十一日

に生まれた。昭和十年(1935年)八月二十三日から

昭和十四年(1939年)七月十一日にかけて、小説

『宮本武蔵』を新聞小説として執筆した。昭和三十七

年(1962年)九月七日に死去した。

  『宮本武蔵』の最初の「地の巻」の「鈴」は新免武蔵

少年の苦悶と無力感から始まる。

 

    -どうなるものか、この天地の大きな動きが。

    もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中

    の一片の木の葉でしかない。なるようになって

    しまえ。

      武蔵はそう思った。

    (『宮本武蔵(一)』15頁 平成元年十一月十一

     日発行 講談社)

 

 関ヶ原の合戦に参加し西軍に入った新免武蔵は敗

戦により、沢山の屍と屍の間に挟まれ、天地の動きは

どうにもならず、個々の人間の振舞は秋かぜの中の

木の葉でしかないと痛感せしめられる。

 

 この苦しみの中から剣士として成長し自己を鍛え名

も宮本武蔵と改めた武蔵は船島で巌流佐々木小次

郎と試合を為し、櫂で作った木刀で彼を破った。倒れ

た小次郎の呼吸を確認し、まだ息があることに期待

を抱いて小舟に乗って素早く移動した。

 

  「円明の巻」の「魚歌水心」が小説『宮本武蔵』最

後の章である。武蔵が船島の決闘で小次郎に止め

を刺さなかったのは狼狽であると誹謗中傷があった。

だが、武蔵は倒した小次郎の命が生きている事に

希望を持っていた。

 

   波騒は世の常である。

   波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑

   魚は踊る。けれど、誰が知ろう。百下の水の

   心を、水の深さを。

   (『宮本武蔵(八)』369頁 平成二年

    一月十一日発行 講談社)

 

 武蔵が小次郎の回復を祈るという深き水の心に

目覚めたことを確かめて、小説『宮本武蔵』は壮大

な物語の幕を閉じる。

 

 

 内田吐夢は明治三十一年(1898年)四月二十六日

岡山県に生まれた。本名は内田常次郎である。俳優

を経て映画監督となり、命一コマの主題を基軸にして

活動大写真・映画を演出し、日本映画史を支えた。

 

 昭和三十五年(1960年)内田吐夢は吉川英治著

『宮本武蔵』の映画化企画を一年一作の全五部作

で演出することを考案した。

 

   「うむ・・・・・・『宮本武蔵』か・・・・・錦之助は

    いい役者だ。今の彼なら『武蔵』ができる

    かもしれない。」

    (鈴木尚之著 『私説 内田吐夢伝』)

 

 吐夢はそう語り、主人公宮本武蔵役に東映時代

劇のスタア初代中村錦之助を想定した。

 

 初代中村錦之助は昭和七年(1932年)十一月二

十日東京府に生まれた。本名は小川錦一である。

父は歌舞伎役者三代目中村時蔵、母は小川ひな

である。

 錦一は初代中村錦之助の芸名で昭和十一年(1

936年)十一月初舞台を踏んだが、後に映画界へ

の転身を決め、昭和二十九年(1954年)二月映画

俳優としてデビューした。美男俳優として人気者と

なった錦之助は深く豊かな演技を見せ、東映時代

劇で大スタアとなった。

 

 吐夢は吉川英治著『宮本武蔵』のほぼ全体を全

五部作の映画として昭和三十六年(1961年)から

四十年(1965年)の五年の歳月をかけて映像化す

るという企画を東映に提案し承諾を得た。

 武蔵の成長と共に中村錦之助も成長する。この

主題を吐夢は打ち出し六十代の自己自身も成長

したいと意欲を示した。

 

 吉川英治は映画『宮本武蔵』五部作の企画

を喜び、内田吐夢や鈴木尚之の相談に乗った。

 第一作の撮影現場に見学に来た英治が武蔵

役の初代中村錦之助と共に撮った写真が現存

している。

 昭和三十六年(1961年)五月二十七日『宮本

武蔵』が公開された。全五部作の第一作である。

 

 昭和三十七年(1962年)十一月十七日第二作

『宮本武蔵 般若坂の決斗』が公開された。

 

 昭和三十八年(1963年)八月十四日第三作『宮

本武蔵 二刀流開眼』が公開された。

 

 昭和三十九年(1964年)一月一日第四部『宮本

武蔵 一乗寺の決斗』が公開された。

 

 昭和四十年(1965年)九月四日本作『宮本武蔵

巌流島の決斗』が公開される。

 

 「武蔵は、剣と禅とを両手にした」と内田吐夢は

剣士の生き方を見た。

 剣で敵を斬りその罪に苦悩し罪を感じ禅で自己

自身を見つめた。

 

 慶長十七年四月十三日(本篇描写の高札では

慶長十九年)の船島における武蔵対小次郎の決

戦は、本作は勿論の事、大いなる物語『宮本武蔵』

全五部作のクライマックスとなっている。

 

 

 船島において佐渡は伊織に試合をよく見て、汝に

一命を賭して伝授して下さるものと思い学ぶように

と諭す。稲垣浩監督の『宮本武蔵』において、武蔵

役者であった片岡千恵蔵が長岡佐渡役を勤めて、

決闘を見守る事に映画歴史の襷を感じる。金子吉

延の可愛い伊織少年に試合を見届け学習せよと武

士の魂を伝える場面にも、時代劇の魂の伝承が呼

応している。

 

 武蔵は刻限から遅れて到着し、血気に走っている

小次郎を逆上させる。一乗寺や三十三間堂で遅刻

して相手を動揺させた武蔵の挑発に乗らんと小次郎

は宣言し鞘を捨てて戦いを挑む。

 だが武蔵は鞘の投げ捨てで小次郎の敗戦と解説

する。鞘は小次郎自身の天命を現しており、小次郎

は自ら敗北を露呈したと告げ、短気な小次郎を更に

激怒させる。武蔵は平常心に近い状態のようで小次

郎の高いプライドを刺激し、「はや散るを急ぐか?」と

「そちの負けよ。死に急ぐのか?」と弄び、相手の集

中力を焦りに変化せしめる。

 

 激怒した小次郎は勇み立って走って切りかかろう

とする。武蔵も走る。両者平行に走って相手の刀・櫂

の動きに注目し斬りかかろうとする。

 武蔵は跳躍し小次郎は燕返しで切り上げた。

 

 二人が空間に櫂と刀で斬り合う瞬間に、内田吐夢

の決闘演出が極まる。

 

 初代中村錦之助と高倉健の芸と芸がぶつかりあい

激突する。二大スタアが強烈な熱量で全ての力を振

るい合って戦う二人の闘魂を燃やし合う。

 

 着地し二刀で身構える武蔵は鉢巻の斬れ落ちに

震え、小次郎は勝利の笑みを浮かべる。だが、結果

は武蔵が勝って小次郎は額から流血して倒れ伏す。

 武蔵は小次郎がまだ呼吸していることを確かめ、一

縷の希望を持って逃げる。

 

 誇り高き剣士佐々木小次郎はかつて細川家を死に

場所と見たが、好敵手宮本武蔵との一戦に全てを賭

けて挑み、敗れ砂浜に倒れる。決闘に賭けてきた彼

の生涯において、倒れ伏す場はやはり決戦場であっ

た。

 高倉健が誇り高き剣士佐々木小次郎の痛みを深く

勤める。

 

 内田朝雄が岩間角兵衛の動揺と落胆を悲しみの

表情で見せる。

 

 弓を持つ侍達が武蔵を射殺しようとするが、佐渡

が制止する。

 

 細川家剣士佐々木小次郎が敗れた事実を佐渡は

甘受する。無言のうちに勝者武蔵が技能の剣ではな

くて精神の剣で戦ったことを感じている。

 

 片岡千恵蔵の芸は、深く重く大きい。

 

  吉川英治の原作小説では、武蔵が小次郎を倒し、

「生涯のうち、二度と、こういう敵に出会えるかどうか」

(講談社版『宮本武蔵(八)』367頁平成二年一月十一

日発行)と感じた後、精神の剣で勝った事を思い、小

次郎がかすかに息をしていた事から、彼の生存を祈

る。

 

 

 吉川英治の『宮本武蔵』は主人公武蔵の小次郎

完全回復への祈りで終わっている。武蔵の優しさを

確かめて吉川英治は小説を締めくくった。

 

 だが、内田吐夢が語り描く映画『宮本武蔵 巌流

島の決斗』のラストにおいては、明らかに武蔵は小

次郎を斬って殺害してしまったことに苦悩している。

 「生涯二度と会うこともあるまい相手」と讃えるが

自身の右手の血を見て、小次郎の流血を思い出し

ていることから、小次郎を決闘で撲殺してしまった

ことへの罪に悲しんでいる。

 一乗寺下がり松において七十三人の吉岡一門を

奇襲し、宣言の後、壬生源左衛門・源次郎少年の

親子を刺殺したこと。般若坂の決斗で牢人衆を斬

りながら奈良の坂を駆け降りた事も思い出される。

 

 武蔵の記憶は二十一歳の剣士の門出として白鷺

城に孤剣に生きて己を高めようと宣言した事を確か

める。

 

 武蔵の策謀の勝利であったが、それは苦い味であ

った。

 

 初代中村錦之助は勝者武蔵の悲嘆を繊細に演じる。

 

 剣に命を託して道を歩み極め勝利を収めていったが

身と心に生じてくる空虚に悲憤が湧く。誠実に武士道・

剣道を歩んできたが、殺人者であるという事実に深く

煩悶する武蔵は、悲しみの余り、戦いに用いた櫂を海

に投げ捨てる。

 

  「所詮剣は武器か?」

 

 初代中村錦之助は、武蔵が生命全てを挙げて感じ

ている悲しみを大熱演で表した。吐夢が描く結末は

厳しく冷厳と見る向きも居られるかもしれない。命を

賭け尽くして誠実に歩んで来た、剣の修行の到達点

に空しさが襲いかかるということは、物語の出来事と

はいえ、武蔵に対して冷たいのではないかという意見

もあるかもしれない。

 だが、吐夢の海のような愛は、空虚さから剣によ

って失われた命への痛みを武蔵が感じていることを

語り描いているのである。

 

 『宮本武蔵 巌流島の決斗』は一乗寺の決斗にお

いて勝って覚えた罪の苦悩に始まり、巌流島の決斗

において勝った罪への悲しみで終わる。

 

 生命を挙げて剣に全てを託し、目覚めたことは

所詮武器かという悲しみの問いであった。流血の

歩みが武蔵に剣は武器なのかと問いかけ、その

問を確かめざるを得なくなる。

 

 『宮本武蔵』全五作は、武蔵にとって、関ヶ原合

戦に敗れるが泥の中で命を生きている事への喜

びで始まり、巌流島の決斗で勝って相手小次郎

を殺害してしまった事実への悲しみで終わる。

 

  佐助が漕ぐ舟は早いスピードで海を渡る。

 

 嶋田景一郎後の島田元文の言葉によると、ラ

ストで舟を漕いだのは、吹替ではなくて島田自身

で、錦之助も武蔵役として舟に乗っていたという。

 

   私は吉川英治の原作を何度も読み、舟を

   自分自身の手で漕ぎたいと、内田(吐夢)

   組の助監督や進行主任に頼みこんだの

   です。

    (島田元文稿『武蔵と船頭』   

    『一心錦之助』39頁 平成二十一年三月

    十日発行 エコール・セザム)

 

 本職の船頭に舟の漕ぎを演じてもらうという吹替

で撮ることが常識とされていた時代に、嶋田は自

ら舟を漕ぐことを志願して四十五日間滋賀県琵琶

湖で猛特訓に励んだという。

 海を漕ぐ佐助の舟を撮るに当たって天候に恵ま

れなかったこともあり、嶋田景一郎と初代中村錦

之助は四時間も五時間もロケ地の琵琶湖に漂っ

ていたという。

 

 

 ラストで佐助が武蔵を舟に乗せて漕ぎ、海を走り

終の字が出る所迄シーンを撮りきると、監督吐夢

の大声が響いた。

 

   「カット!嶋田、百五十点やるぞ」と内田巨匠

   の大声。四十五日間の努力は報われました。

   舟の中では抱きつかんばかりの握手を武蔵

   (中村錦之助)から貰い思い切り誉めていた

   だきました。(『一心錦之助』39頁)

 

 吐夢は百五十点と嶋田景一郎の佐助の演技・

漕ぎを讃えた。

 

 内田吐夢映画において、海と水は重要なイメ

ージである。無声映画『漕艇王』では漕艇選手

の望月(広瀬恒美)が汚名回復の後水に入っ

て競技復活を果たす喜びを感じる。

 『大菩薩峠 完結篇』においては激流の中に

机龍之助(片岡千恵蔵)は彷徨い、人斬りとし

て生きた彼の罪の苦悩が大いなる水流と照

応した。

 

 『飢餓海峡』の大詰では犬飼多吉(三国連太

郎)が船の上から海に自身の場を見出す。

 素早く走る舟を大海は包みとっている。無限に

続く海は、勝者の無限の悲しみと照応している。

 

 武蔵は血を吸った櫂に「武器か」と問い、海に

投げ捨てる。青春の全てを賭け、命を燃やし託し

てきた剣は武器で流血を重ね殺人を犯した事に

武蔵は空虚さを感じ深く悲しむ。櫂の血も吸う海

は小舟で移動する佐助と武蔵を包み取っている。

 

 無限に広がる海は、武蔵の身の煩いと心の悩み

である煩悩の海や剣による罪を痛む悲しみの海

とも呼応している。剣に生きて、血を流し、敬愛する

ライバルを斬殺した事に対する武蔵の心の涙とも

照応している。

 

 内田吐夢は決戦に勝って剣に悲痛さを感じ苦

悩する男として宮本武蔵を語り書き映し出した。

 

 本作撮影後、昭和四十三年十月二十五日公開

『人生劇場 飛車角と吉良常』を発表し、宮本武蔵

と宍戸梅軒の対立と葛藤を『真剣勝負』のタイトル

のもと、東宝の製作・伊藤大輔の脚本を得て映画

化していた。

 

 内田吐夢は昭和四十五年(1970年)八月七日

に死去した。七十二歳。

 

 『真剣勝負』は吐夢の死後の昭和四十六年(19

71年)二月二十日に公開された。

 

 伊藤大輔は昭和四十五年(1970年)十月の『シナ

リオ』に「追想片々ー内田吐夢のことー」と題した文

を書き、テレビ番組『人に歴史あり』に吐夢と出演し

たことを確かめた。

 

    「ライバルでしたよ、伊藤君は!僕はいつも

    ライバルとして伊藤君に負けない、負けて

    はならないと一作毎に念じて頑張ったもの

    ですよ」

    (『伊藤大輔シナリオ集Ⅱ』368頁 昭和六十

    年七月二十五日発行 淡交社)

 

 内田吐夢にとって、負けたくない相手として、常

に胸中で挑んでいた相手が親友・ライバルの伊藤

大輔であった。

 

 吐夢の死後、初代中村錦之助後の初代萬屋錦

之介の武蔵、入江若葉のお通で舞台『宮本武蔵』

が製作されたが、演出は伊藤大輔が継承したとい

う。

 

 錦之助にとって、吐夢と組んだ映画『宮本武蔵』

五部作が大いなる原点であったことは窺える。

 

 宮本武蔵は剣に命を見出し、巌流島の決斗で

勝利を収めるが、内田吐夢はその事柄に流血を

為してしまった者の苦悩の深さを確かめ、初代

中村錦之助はその芸において無限に広がる悲

しみの海を生きたのである。

 

                       文中敬称略

 

 内田吐夢没後五十年・五十一回忌命日

            令和二年(2020年)八月七日

 

                          

 

                           合掌

 

 

                      南無阿弥陀仏

 

 

                          セブン