仁義なき戦い 頂上作戦(十九)「お互いにの」 | 俺の命はウルトラ・アイ

仁義なき戦い 頂上作戦(十九)「お互いにの」

『仁義なき戦い 頂上作戦』

映画 101分  カラー

昭和四十九年(1974年)一月十五日公開

製作国  日本

製作    東映京都

 

企画   日下部五朗

手記   美能幸三

原作   飯干晃一

脚本   笠原和夫


 

撮影   吉田貞次

照明   中山治雄

録音   溝口正義

美術   井川徳道

音楽   津島利章

編集   宮本信太郎

 

助監督    土橋亨

記録     田中美佐江

装置     近藤幸一

装飾     松浪邦四郎

美粧結髪  東和美粧

スチール  中山健司

演技事務  上田義一

衣装     松本俊和

擬斗     上野隆三

進行主任  伊藤彰将

協力     京都八瀬かまぶろ温泉

 

出演


 

菅原文太(広能昌三)

 

 

梅宮辰夫(若杉寛 岩井信一)

 

 

黒沢年男(竹本繁)

田中邦衛(槇原政吉)


 

堀越光恵(光川アイ子)

木村俊恵(山守利香)

中原早苗(菊枝)

渚まゆみ(三重子)

 

 

金子信雄(山守義雄)

小池朝雄(岡島友次)

山城新伍(江田省三)

加藤武(打本昇)

 


夏八木勲(杉本博)

遠藤太津朗(相原重雄)

内田朝雄(大久保憲一)

長谷川明男(福田泰樹)

三上真一郎(新開宇市 川田英光)

小倉一郎(野崎弘)

 

 

葵三津子(明美)

城恵美(千鶴子)

荒木雅子(野崎の母)

吉田義夫(老師)

八名信夫(河西勇)

汐路章(刑事)

室田日出男(早川英男)

鈴木瑞穂(編集長)

 

 

野口貴史(岩見益夫)

高並功(古賀貞松)

大木晤郎(山本邦明)

岡部正純(柳井秀一)

西田良(高石功)

小林稔侍(谷口寛)

白川浩二郎(楠田時夫)

有川正治(三上達夫)

曽根晴美(上田利男)

北十学(丸山勝)

 

中村錦司(石上健次郎)

国一太郎(安川昌雄)

唐沢民賢(新聞記者A)

阿波地大輔(前島幸作)

鈴木康弘(捜査主任)

芦田鉄雄(県警本部長)

五十嵐義弘(水上登)

誠直也(金田守)

酒井哲(ナレーター)

 

成瀬正孝(的場保)

岩尾正隆(吉倉周三)

笹木俊志(織田英士)

小田真士(神代巳之吉)

広瀬義宣

疋田泰盛

志賀勝(吉井信介)

高月忠(本田志郎)

平和勝司(上原亮一)

福本清三(山崎恒彦)

 

司京子(女A)

丸平峰子(女B)

富永佳代子(ホステス)

白井孝史(森久宏)

木谷邦臣(和田作次)

宮城幸生(松井隆治)

小峰一男(沖山昭平)

松田利夫

前川良三

鳥巣哲生(ジープの警官)

司裕介(弓野修)

松本泰郎(関谷)

 

沢美鶴(友田孝)

西山清孝(吉永進)

島田秀雄(岡島の友人)

山田良樹(刑事B)

大城泰(人夫A)

池田謙治(人夫B)

村田玉郎(所員)

翔野幸知(江田欣二)

松田賢一(野崎の弟)

広瀬登美子(野崎の妹)

大井理江子(野崎の妹)

藤本秀夫

森源太郎(刑事A)

 

 

片桐竜次(打本組組員)

川谷拓三(警官 刺客)

川浪公次郎(記者)

寺内文夫(記者)

疋田泰盛

松田利夫

峰蘭太郎(記者 武田組組員)

矢部義章

 

高宮敬二(山方新一)

丹波哲郎(明石辰雄 明石辰男)

成田三樹夫(松永弘)

名和宏(土居清)

 

 

松方弘樹(坂井鉄也 藤田正一)

 

小林旭(武田明)

 

 

監督 深作欣二

 

☆☆☆

美能幸三はノークレジット

 

黒沢年男=黒沢年夫→黒沢年雄

 

堀越光恵→堀越陽子

 

野口貴史=野口泉

☆☆☆

 夏八木勲の役名はシナリオでは仲本博だ

が、本編字幕は杉本博になっている。

 

 室田日出男の役名は一部資料では早川

英雄とも記されている。

 

 丹波哲郎は回想シーンで制止画像で出演、

ノークレジット。役名は明石辰雄となっている。

明石組長邸宅爆破事件の表札は明石辰男

である。

 

 川谷拓三はノークレジット。

 

 成田三樹夫は『仁義なき戦い 代理戦争』の

粗筋紹介で静止画像出演。ノークレジット。

 

 『仁義なき戦い』シリーズ前三作の解説映像におい

て、梅宮辰夫は若杉寛役、三上真一郎は新開宇市

役、松方弘樹は坂井鉄也役でも映っている。この解

説映像で高宮敬二の山方新一、名和宏の土居清も

映っている。

☆☆☆

 画像・台詞出典 『仁義なき戦い 頂上作戦』DVD

☆☆☆

  台詞の引用・シークエンスの考察は、研究・

 学習の為です。 
 東映様にはおかれましては、ご理解・ご寛

恕を賜りますようお願い申し上げます。

 平成十年(1998年)八月十六日新世界東映

 平成十二年(2000年)十一月四日十三東映

 にて鑑賞。感想文では本篇結末と『天井桟敷の

人々』ラスト台詞について言及します。両作品を

未見の方はご注意下さい。

 ☆☆☆

 

   ナレーター「それから間もなく広能は仮釈を

          取り消されて広島刑務所に収監

          され、翌三十九年一月更に七年

          四か月の懲役判決を受けた。」

 

 窓が開いていて雪が吹き込んでいる。

 

 広能昌三は、手錠をかけられ、椅子に座ってい

る。サングラスの武田明が通りかかり、立ち止ま

って「昌三」と声をかける。「おぅ」と昌三は返事し

顔をあげてじっと見つめる。全ての力を尽くして

知略も競いあって戦った二人は同じ裁判所廊下

で顔を合わせた。

 

  明は昌三の隣に座った。看守も二人の会話

を許可する。

 

   武田「何年打たれたんなら?」

 

   広能「前のと合わせて七年四か月じゃ。」

 

   武田「ほうか、ちょっとした殺人刑と一緒じゃの

       う。儂も神戸のダイナマイトの事件やら

       何やかんや合わせるとそっちより多い

       かもしれんわい。」 

 

   広能「ほうな」

 

   武田「江田は五年、槇原は三年ぐらい喰らうた

       げな、打本は執行猶予じゃ。」

 

   広能「山守は?」

 

   武田「あら、一年半じゃ。」

 

   広能「一年半と七年か。間尺に合わん仕事し

       たの。」

 

   武田「儂も全財産はたいて一文無しじゃ。その

       うえ新聞には叩かれるしこれからは政治

       結社にでも変わらんとやっていけんわい。」

 

 

   広能「まあ、それはそれでええかもしれんが、

       もう儂等の時代は終わりで。十八年も

       経って、口が超えてきちょって、こう寒さ

       が堪えるようになってはの。七年の刑

       じゃ。とにかく持ち堪えんことにはの。」

 

 武田の看守が連れにきた。明は立つ。

 

 

   武田明「昌三。辛抱せえや。」

 

   広能昌三「お互いにの。」

 

 白字の字幕で「死者 17人 負傷者 26人

逮捕者約1500人」が映る。

 

  ナレーションは、広島抗争事件が死者17人・

負傷者26人、逮捕者約1500人を出しながら、何ら

実りなき終焉を迎え、やくざ集団の暴力は市民

社会の秩序の中に埋没していったことを語る。

 

  原爆ドームが映る。

 

 

    ナレーター「だが、暴力そのものは、否、

            人間を暴力に駆り立てる

            様々な社会矛盾は決して

            我々の周囲から消え去った

            訳ではない。」

 

 原爆ドームの右側に赤の字で「終」の字が映る。

 

  ☆終の流れ☆

 

  広能昌三と武田明が共に手錠をかけられ、捕

らわれの身となって裁判所廊下で寒風を受けながら

短い時間に語り合う。

 

 菅原文太と小林旭。東映と日活の大スタア二人

の芸と芸が静かな語り合いで響き合う。

 

 広能昌三のモデルは美能幸三、武田明のモデル

服部武である。昌三と明は広島抗争事件で共に命

を賭けて戦った宿敵どうしである。抗争の主役ふた

りが裁きの場の廊下で寒さに震え疲労感じながら

お互いの痛みを感じながら語り合うラストは、人生

の苦味と哀愁をじっくりと感じさせてくれる。

 仇敵・宿敵であって、命のやりとりをして狙い合った

ライバルであったからこそ、相手はかけがえのない戦

友でもある。

 前三作では、葬儀・花会という追悼の場にラストが

位置付けられていた。「死者の悲しみを忘れない」と

いうことが、『仁義なき戦い』シリーズ前三作品のラス

トのテーマであったことは間違いないだろう。

 本作『仁義なき戦い 頂上作戦』は大詰で広能・岩

井の便所の会話、打本の弱音、山守夫妻の知恵、

刑事のきつい叱責に対する広能の抗議を経て、ラス

トに広能と武田の語り合いが語られる。

 

 名場面中の名場面であり、文太・旭が、戦いに疲

れた男二人の哀感をしみじみと伝えてくれる。ラスト

シーンの美の決定版である。

 

    僕の中では『広島死闘篇』の頃に4部構想が

    できて、かなり早くから4部のあのラスト・シー

    ンは考えてました。

    (『仁義なき戦い 浪漫アルバム』150頁

     平成十年(1998年)五月三十一日発行

     徳間書店)

 

 笠原和夫は植地毅のインタビューに対して、第二部

『広島死闘篇』執筆の頃から四部作の構想があり、最

終作四部のラストシーンも考えていたと答えている。

 武田が登場する前から、広能のライバルとしての役

は決まっており、最終作で昌三とじっくり語り合うことが

想定されていた。巨匠笠原和夫の慧眼は既に最終作

品の最後場面も描かれていた。植地は『頂上作戦』で

話は終わっていると思うと語り、笠原も「だから、あそこ

で終わったんだよ」(前掲インタビュー)と確かめている。

 

 『仁義なき戦い』は笠原和夫脚本四部作で永遠不滅

の大傑作シリーズとなっている。もう何も付け加えるべ

きものはない。第一部は拠り所を求めてさすらう探求

劇であり、第二部は親分に裏切られる若者の突撃劇

であり、第三部は巨大な組織に怯えるやくざ達の保身

への執念を描く闇喜劇であり、第四部は若者の犠牲を

悲しむ親分の悲嘆劇であると過去記事で書いた。四作

それぞれに作劇が異なっていて、これまでの時代劇・

任侠映画の傑作群と違った作りでドラマ形式を壊して

新たなドラマを樹立し、それでいて「悲」の物語として

大いなる美を織りなした。

 

 しかし、東映としては儲かる企画なので、第五部完結

篇を希望した。

 

   『頂上作戦』が完成して、その打ち上げの帰りに岡

   田社長に呼ばれて、「悪い、もう1本やってくれ」と

   言われて参ったよ

   (『仁義なき戦い 浪漫アルバム』150頁

   笠原和夫インタビュー)

 

 笠原和夫は岡田茂から第五部の脚本企画をオファーさ

れて当惑したことを語る。「映画は大衆のもの」を掲げ、「観

客が仰山来て儲かる企画を作れ」と語って、東映やくざ映

画の黄金時代を荷ってきた岡田茂としては、銭になるし、

お客さんが来てくれる企画でもう一本撮りたいという作戦を

打ち出した。だが、脚本家笠原和夫としては、『仁義なき戦

い』は四部作で書くべきことは書ききり、言うべきことは言い

きったという心境であった。第五部の構想も取材で抱いて

いたようで、非常に複雑なやくざ組織の諸問題があって劇

化は困難と判断していてようだ。

 

   笠原 ただ、第五部というのはね、もし実際にやろう

       とすると、その当時の広島の共政会の問題・・

       ・・・・これは共政会だけじゃすまなくて、山口組

       が噛んでますし、尾道の侠政会が絡んでいる

       し、それともっと大きな問題は一番広島に近い

       下関の合田一家―籠寅一家が絡んでいるん

       ですよ。それは依然として『代理戦争』的な盃

       外交をやっているわけですがね。その絡みに

       突っこんでいくと、これはちょっと映画にはなら

       ないと。非常に物騒な話で、東映自体も物騒に

       なっちゃう(笑)。ただ、その問題を抜きにして

       は、あの共政会の政治状況は語れないわけで

       す。それは若手が出てきて新旧の交代があろ

       うとなかろうとね。つまり、ひとつの組の中での

       紛糾というものが、山口組、侠道会、籠寅一家

       という周りの圧力によって起こされているんだ

       という状況が提示できなければ、この抗争事件

       を描く意味がないわけでしょ。単なる新旧交代

       なんて単純な話じゃないんですよ。で、僕はそ

       のへんは知っていたから、これ以上やると、「そ

       ういう問題は解決できません。だから僕にはでき

       ません」と言ったんですよ。

         それとあの時、『あゝ決戦航空隊』の話が出て

        きましてね。これがちょっとかぶっちゃったという

        こともあったんだけどね。それで第五部は高田  

        宏治がやるということで、僕は今までの資料を

        全部渡してあげたんです。

        (『昭和の劇』320頁

         平成十四年(2002年)十一月六日発行

         太田出版)

 

 笠原和夫は共政会(映画では天政会)の諸問題は、山口

組・侠道会・籠寅一家との複雑な関係で起こっていたと見て

そうした複雑な状況を描くことに責任を取れないと判断して

第五部完結篇の脚本を降板し、後任の高田宏治に資料を

譲って、大西瀧治郎の特別攻撃隊指示の戦略を描く戦争

映画超大作『あゝ決戦航空隊』のシナリオに取り掛かった。

 

 笠原和夫作『仁義なき戦い』四部作の脚本の深さに対して

高田宏治が書いた『仁義なき戦い 完結篇』の脚本が薄味

に感じられ物足りないのは、やむを得ない点もある。だが、

完成版を見て、自分は「大友勝利は宍戸錠、早川英男は

織本順吉が演じ、それぞれに凄みと冷酷さがあったが、

やはりこれまでの配役通り千葉真一、室田日出男に演じ

て欲しかった」という気持ちを覚えた。これは『仁義なき

戦い 完結篇』に見応えがあるから惹起した感慨であろ

う。

 高田宏治本人は「あれが一番客が入った」(『仁義なき

戦い 浪漫アルバム』153頁)と述べ、その興行成績に

満足感を覚えている。笠原和夫がブラックユーモアで

笑いを描いたのに対して、高田宏治はブラックそのもの

で攻める。その作劇は、『実録外伝 大阪電撃作戦』で

一つの集大成を見せていると自分は見ている。

 笠原和夫が高田宏治に渡した資料は巻物のように

膨大で松村保のモデルになった山田久が襲撃された

事件についても、「俺ならこうだ」という脚本アイデアま

で記されていたらしい。構想を練りつつも、諸問題と

大西の生き様・死に様を描くという事から、笠原和夫

は第四部を以て『仁義なき戦い』シリーズの脚本を

降板した。

 

 『仁義なき戦い』シリーズは第二部以降ラストカットに

は原爆ドームが映る。

 

 吉田貞次は、ラストカットについての課題を次のよう

に語っている。

 

   クランクアップしてから深作さんかが「ラストカット

   になる絵を探してくれ」と言うんで広島へ行ったん

   です。常々僕はヤクザ映画に社会性が足りないと

   思っていたんです。そこでこの映画では戦争の被

   害者とヤクザ社会での被害者とを重ねる形で原

   爆ドームを撮ろうと決めました。果たして観ている

   人に伝わっていたかどうか・・・・・・。そんな事僕は

   深作さんにも話してないですよ(笑)。自分の気持

   ちだけは決めてましたからね。

   (『仁義なき戦い 浪漫アルバム』160頁)

 

 第二部のラストカットで原爆ドームが映った。戦争によ

って死んでいった人々と抗争で死んでいった人々を重ね

て、吉田貞次は原爆ドームを撮った。ラストに原爆ドーム

を映すという精神は、第三部、本作第四部、第五部『完結

篇』にも受け継がれた。 

 

 酒井哲の重厚な声で、人間を暴力に駆り立てる社会

矛盾はなくなっていいないことが語られる。

 

  笠原和夫の脚本では、

 

    N「だが、暴力そのものの行方は、決して我々の

     周囲から離れ去った訳ではない。」

    (『仁義なき戦い 仁義なき戦い

     広島死闘篇 代理戦争 頂上作戦』336頁

     平成十年(1988年)八月二十五日発行

      幻冬舎アウトロー文庫)

 

 と記されている。オリジナル脚本では暴力が我々の

周囲から去った訳ではないという表現だが、本篇完成

版では人間を暴力に駆り立てる社会矛盾は決して我

々の周囲から消え去った訳ではないという言葉である。

完成版の改変は深作欣二の案であろうか?

 笠原和夫脚本は暴力が人我々の周囲から消え去っ

ておらず、我々の生活の周囲にあると見ている。本篇

完成版では暴力を呼び起こす社会矛盾が我々の生活

の周囲にあるという意見である。両者の表現は微妙に

違う。敢えて優劣は付けない。両方の教えに学びたい。

 

 この記事の課題は、終わり方の美しさを尋ねる事に

ある。作者笠原和夫は、『仁義なき戦い』四部作を終

えるに当たって、脚本家としての夢を大きく進め得た

事を確かめている。

 

   笠原 『仁義なき戦い』をやって、自分もバラバ

       ラになっちゃったわけですね。それから

       東映の伝統もバラバラになっちゃって(笑)。

       だから、あれは成功したんであってね。

 

   荒井 だから「形」を崩しちゃった訳ですよね。

       それ故に画期的であったという。

 

   笠原 そうです。ただ、あの時、自分ではある種

       の方式を掴んだんですよね。つまり、いろ

       んな要素というものを全部分解しちゃって、

       それを無理に統一させないで、バラバラな

       ものをバラバラなままに描いておいて、な

       おかつ全体に統一感を持たせると。そうい

       う新しい方式というのを自分なりに掴めた

       と思うんですがね。

         結局のところ、僕が映画というものを考

       える時、行き着くところは『天井棧敷の人々』

       なんですよ。あれぐらい素晴らしい映画はな

       い。

 

   荒井 あれも主役がいないといえば、いないわけで

       すからね。

 

   笠原 いない。けれども全体に統一感があるでしょ。

       これが大事なんですね。単にバラバラという

       だけじゃなく、全体を通して、ひとつのワールド

       というか、美的調和というものの中にきちんと

       はめこんでいるところが『天井棧敷の人々』の

       凄いところでね。

 

  糸圭  ただ、『仁義なき戦い』の場合、どこに美的調

       和を見るかというと、これはないような気がし

       ますけど。

 

  笠原 いや、僕としては第四部のラストがそうなんで

      すよ。ラストで文太と小林旭が裁判所で別れる

      でしょ。そこでひとつの調和ができるかなと思

      っていたんですよ。だから第五部をやらなかっ

      たというのも、そういうことがあったからでね。あ

      れで第五部をやったら、一部から全部崩れちゃ

      うんですよ、美的調和が。まあ、「美的」と言っ

      ていいかどうかわからないけど、僕なりの調和

      っていうものがね。

        ドラマというのは極端にいえば、シンフォニ

      ーだと思うんですよね。シンフォニーというのは

      それぞれのパートをバラバラに聞いたりしても

      よくわからない。二時間なり、三時間なりが過

      ぎて終わったあとに、聴衆の心の中に何かが

      残る。それが僕が言う美的調和というものなん

      ですけどね。

     (『昭和の劇』409-410頁)

 

 これまでの東映映画の伝統に対して、バラバラなもの

をバラバラなままに描いて統一感を持たせるという手法

を『仁義なき戦い』で確かめた笠原和夫は、「あんな素晴

らしい映画はない」と崇拝する『天井棧敷の人々』への敬

意を語る。

 

 『天井棧敷の人々』 Les enfants du Paradis は

1945年3月9日に公開されたフランス映画である。脚

本はジャック・プレヴェールが書き、監督はマルセル・

カルネが担当した。

 パリ犯罪大通りを舞台に七人の男女の物語を語る。

管理人セブンは1984年4月20日に祇園会館でこの映画

に出会い、映画ファンとして生きる身となった。

 

 『天井棧敷の人々』において七人の男女の物語がバ

ラバラに描かれて、美的調和の中に包み取って統一感

が生み出される。笠原和夫はそこにドラマ美の理想を

見た。これは固定的に美しさの塊が出来上がっている

事ではない。全く逆である。美的調和は固まらず流れ

ているのだ。

 

  『仁義なき戦い 頂上作戦』の広能幸三と武田明

の会話は、『天井桟敷の人々』の美的調和の統一を

敬って描かれたものである。シンフォニー(交響曲)

を聞いた後に観客の心の中に残っていく美を笠原和

夫は意識した。

 

 ☆以下の引用文では『天井棧敷の人々』のラスト

   の台詞について言及しています。同作品を未

   見の方はご注意下さい☆

 

   笠原  『天井棧敷の人々』にしても、最後に「ギ

        ランス!」という叫びで終わっているでし

        ょう。いつまでたっても、「あのあと彼ら

        はどうしたんだろう」というもんでね。ああ

        いう終わり方っていうのが、僕はうらやま

        しょうがない。

 

   糸圭  つまり、「調和」といっても、話を収束させ

        るということとは違うわけですよね。

 

   笠原   収束させるわけじゃないのよ。収束の一

         歩手前みたいなところでね。

 

   糸圭   美的調和というと、完成されて閉じちゃう

         ようなイメージがあるわけですけど、笠原

         さんの場合は、半開きの調和というよう

         な・・・・・・。

 

   笠原   そうそう。そのとおりです。完全に閉じちゃ

         ったら一丁上がりってなもので、それはもう、

         マンネリズムですよね。だから『仁義なき戦

         い』のあの別れにしても、あの二人の不安

         感みたいなものが観客に残ったと思うんで

         すよ。これまで何をしてきたんだろう、これ

         からどうなるんだろうというね。

        (『昭和の劇』410頁)

 

 『天井棧敷の人々』における犯罪大通りの大カーニバル

の中の主人公の「ギャランス!」の叫びに、笠原和夫は物

語がどうなっていくのかという問いを呼び起こして行くこ

とを学んだ。

 武田明は抗争で全財産をはたき、新聞にも叩かれ、出所

後は政治結社にでも変わらんと生活をやっていけんわいと

嘆く。

 広能昌三は戦後十八年を経て口ばっかり肥えて寒さが

堪える身となったと悲しみ、七年の刑という厳しい罰をどう

にかして持ち堪えていかんとなと課題を語る。

 

 二人の親分の心には重い不安がのしかかっている。

 

 どのうように二人は歩んでいくのか?この問いが観客の

心に起ってくる。寒風が吹きすさび、武田は看守に促され

て立ち上がり、広能に辛抱せえと呼びかける。広能は「お

互いにの」と返事を語って、服役生活を忍んでいくことを

宣言する。

 

 物語の美は固定せず流れて行くのだ。

 

 

 『天井棧敷の人々』における物語の美の永遠性を、笠原

和夫は『仁義なき戦い 頂上作戦』のラストにおける武田

明と広能昌三の語り合いに確かめ継承したのである。

 

                     文中敬称略

 

        『仁義なき戦い 浪漫アルバム』二十二歳

        令和二年(2020年)五月三十一日

 

 

                   

                        合掌

 

 

                    南無阿弥陀仏

 

 

                      セブン