宮本武蔵 巌流島の決斗 昭和四十年九月四日公開 内田吐夢監督作品(一) | 俺の命はウルトラ・アイ

宮本武蔵 巌流島の決斗 昭和四十年九月四日公開 内田吐夢監督作品(一)

『宮本武蔵 巌流島の決斗』

映画 トーキー 121分 

富士フィルムカラー・一部白黒 東映スコープ

昭和四十年(1965年)九月四日公開

製作国 日本

製作会社  東映京都

配給  東映

 

製作  大川博

 

 

企画  岡田茂

     小川三喜雄

     翁長孝雄

 

原作  吉川英治

 

脚本  鈴木尚之

     内田吐夢

 

撮影  吉田貞次

照明  中山治雄

録音  渡部芳史

美術  鈴木孝俊

音楽  小杉太一郎

編集  宮本信太郎

 

助監督 鎌田房夫

記録   梅津恭子

装置  木津博

美粧  林政信

結髪  妹尾茂子

衣装  三上剛

擬斗  足立伶二郎

進行主任 福井良泰

 

出演者

 

 

中村錦之助(新免武蔵後に宮本武蔵)

 

髙倉健(佐々木小次郎)

 

里見浩太郎(細川忠利)

入江若葉(お通)

丘さとみ(朱実)

 

田村髙広(柳生但馬守宗矩)

河原崎長一郎(林彦次郎)

木村功(本位田又八)

 

千田是也(本阿弥光悦)

内田朝雄(岩間角兵衛)

清水元(小林太郎左衛門)

日髙澄子(御厨野耕介の女房)

浪花千栄子(お杉)

三島ゆり子(お光)

 

中村是好(御厨野耕介)

北竜二(酒井忠勝)

中村錦司(北条安房守)

尾形伸之介(秩父の熊五郎)

中村時之介(大友伴立 半瓦弥次兵衛)

高松錦之助(榊原康政)

神木真寿雄(縫殿助)

嶋田景一郎(佐助)

金子吉延(伊織)

 

鈴木金哉(坊主 御池十郎左衛門 菰の十郎)

遠山金次郎

片岡半蔵

源八郎

有川正治

大里健太郎

江木健二

矢奈木邦二朗

岩尾正隆(野武士の主領)

那須伸太朗(本多忠勝)

 

大城泰

香月涼二

川浪公次郎

野村鬼笑

利根川弘

森谷源太郎

熊谷武

大東俊治

西春彦

有島淳平

 

 

 

阿部九州男(淵川権六)

江原真二郎(吉岡清十郎)

大前均(大坊主)

小田部通麿(野州川安兵衛)

香川良介(植田良平)

加藤浩(山添団八)

国一太郎(横川勘助)

黒川弥太郎(胤舜)

木暮実千代(お甲)

佐々木孝丸(池田輝政)

佐藤慶(太田黒兵助)

薄田研二(柳生石舟斎宗厳)

西本雄司(壬生源次郎)

平幹二朗(吉岡伝七郎)

南廣(祇園藤次)

山形勲(壬生源左衛門)

山本麟一(阿巌)

吉田義夫(陶器士)

 

 

三国連太郎(宗彭沢庵)

 

 

片岡千恵蔵(長岡佐渡守)

 

 

 

監督 内田吐夢

 

小川三喜雄=初代中村獅童→小川貴也

        →小川三喜雄

 

小川錦一→中村錦之助=初代中村錦之助

      →小川矜一郎→初代萬屋錦之介

 

髙倉健=高倉健

 

里見浩太郎→里見浩太朗

 

田村髙広=田村高廣

 

嶋田景一郎→島田元文

 

鈴木金哉→鈴木康弘

 

香川良介=香川寮

 

三国連太郎=三國連太郎

 

片岡千恵蔵=植木進=片岡十八郎=片岡千栄蔵

阿部九州男・江原真二郎・大前均・小田部通麿・

香川良介・加藤浩・黒川弥太郎・木暮実千代・

佐々木孝丸・佐藤慶・薄田研二・西本雄司・

平幹二朗・南廣・山形勲・山本麟一・吉田義夫

は解説映像・回想シーン出演。本編字幕なし。

字幕が無い人の配列は、五十音で留め前の

二人の前野位置に記した。この記述は『宮本

武蔵』全五部作上映ポスターコピー版を参考

にした。

河原崎長一郎の役名は一部資料では林吉次郎と

書かれている

ナレーターはノークレジットだが、酒井哲であろうか?

☆鑑賞日時・場所

平成十一年(1999年)十月二日 福原国際東映

平成十二年(2000年)九月十一日 高槻松竹

平成十五年(2003年)五月二十三日京都文化

博物館映像ホール

 画像・台詞出典『宮本武蔵 巌流島の決斗』DVD・

 解説書

 

 台詞の引用・シークエンスの考察は研究の為です。

東映様におかれましては、ご理解・ご寛恕を賜ります

ようお願い申し上げます。

 引用台詞の中には排泄に関する表現が出てまいりま

す。お食事中の方はご注意下さい。

 海の中から突き出た岩を波が打つ。白字の三角マ

ークと東映の二文字が映る。

 

 宮本武蔵 解説

 

 慶長五年九月十五日(1600年10月21日)関ケ原の

泥の中。新免武蔵(しんめんたけぞう)少年は泥の中

を這って親友本位田又八(ほんいでんまたはち)の名

を呼ぶ。

 

   ナレーター「武蔵十七歳の秋」

 

  白字字幕「慶長五年九月

         天下分け目の

         関ケ原の戰は

         徳川方の大捷

         豊臣方の敗と

         決った」

 

 累々と戦死者の遺体が転がり泥水の中をかき分け

て武蔵は友又八と再会し戦に敗れたが共に命を生き

ている喜びを確認し合う。

 

   ナレーター「一国一城の夢抱いた武蔵は幼な友

          達の本位田又八を誘い豊臣方の戦

          列に加わったが夢破れ傷つき敗残の

          身を伊吹山中に住む朱実お甲の親子

          に助けられた。」

 

  武蔵と又八は傷を治す。

 

   武蔵「俺達は運が悪かったんだ。」

 

   又八「ああ。」

 

   武蔵「もうこれで大きな戰はあるまい。生まれて

       来るのが遅かったんだ。」

 

   又八「ああ。誰にも黙って国を出てきた。さぞ

       お袋が怒っているだろうな。お通!」

 

  少女お通は笛を吹く。

 

   ナレーター「お通は又八の許嫁であった。ある日

          お甲の愛欲に溺れた又八は武蔵の前

          から忽然と姿をかき消した。一人作州

          宮本村に戻った武蔵を待ち受けていた

          ものは厳しい残党狩りと己が子をかど

          わかされた又八の母お杉の強い憎しみ

          であった。かくの如き武蔵にもかけがえ

          の無い救いは差し伸べされた。それは

          宗彭沢庵の法の縄目であった。」

 

  武蔵は千年杉に吊るされ、激怒する。

 

    武蔵「覚えてろ!糞坊主!」

 

  夜沢庵は「まあそこから世の中の広さを見つめて」と

諭す。やり直したいと悲しむ武蔵をお通はじっと見つめる。

 深夜にお通が鎌で縄を切ってくれて、武蔵は束縛から

解放される。二人は愛し合う気持ちを覚えていた。

 

    ナレーター「半死半生の武蔵を助けたお通の胸

           にいつしか湧き始めた慕情があった。

           再び沢庵の手に導かれた武蔵は白

           鷺城のあかずの間に幽閉された。そ

           の心に学問への目が開かれ、叡智

           の光が輝き始めた。いつしか三年の

           歳月が流れていった。城主池田輝政

           の仕官の勧めを断った武蔵は姓を

           宮本、名を武蔵(むさし)と改め白鷺

           城をあとにした。約束の花田橋。」

 

  花田橋でお通はじっと待っていた。武蔵は再会する

も剣に命を賭けて恋するお通に「ゆるしてたもれ」の文字

を橋の木に彫って立ち去った。武蔵はお通の慟哭を背に

して京へ上った。

 

  「どうぞ武蔵に苦難を与え給へ。我に死を与え給う

か。我に天下一の剣を与え給へ」と武蔵は祈りを捧げる。

 

 

    ナレーター「修行の第一歩を吉岡道場に刻んだ

           武蔵の剣は、名門吉岡の名を覆すに

           十分であった。」

 

 吉岡道場当主清十郎は、門弟祇園藤次・横川勘助ら

と対武蔵の戦法を協議する。

 

 

      ナレーター「武蔵の剣名ようやく京の町に響き

              始めた頃又八・お甲・朱実の姿が

              色街祇園に淀み、武蔵を追うお杉

              婆の執念は執拗で深かった。その

              名天下に轟く奈良宝蔵院の僧に

              挑んだ。」

 

  宝蔵院の道場では大男の僧阿巌が怪力で棒を振り回し

武蔵を叩き潰そうとする。やらねばやられる状況で武蔵は

阿巌を一撃で倒し、阿巌坊は即死した。

 般若坂の大自然の中で武蔵は牢人衆と対決し、宝蔵院

胤舜率いる僧兵達が牢人衆を槍で粛清する。

 

     ナレーター「死生一如。行く手に立ちはだかる不

            逞牢人友を般若坂に斬り伏せた」

 

  字幕 般若坂の決斗

 

  柳生の里では石舟斎宗厳が芍薬の枝を切る。

 

     ナレーター「兵法の宗祖石舟斎に挑んだ武蔵

             はいずこからともなく聞こえる笛の

             音に瞬間二刀を構えてその難を

             逃れた」

 

   字幕 二刀流開眼

 

  舟の上に美剣士佐々木小次郎が立つ。

 

     ナレーター「その頃周防岩国に生まれた佐々

             木小次郎は京へ向かっていた。

             

 その年の暮れ吉岡清十郎のもとへ武蔵からの果たし

状が届けられ、清十郎は挑戦に応ずることを高札に書き

五条大橋に掲げた。

 橋の上で武蔵と巌流佐々木小次郎は最初の対面を

為す。

 洛北蓮台寺野において、武蔵は清十郎と戦い、木剣で

斬りかかってくる清十郎を一撃で倒し、重傷を負わせた。

清十郎は武蔵の敵ではなかった。

 

   武蔵「名門の子。やる相手ではなかった。しかし、

       俺は勝った。」

 

 三十三間堂において清十郎舎弟伝七郎は武蔵に挑む

が、戦って斬られ敗死する。名門の誉をかけて吉岡一門

は、清十郎・伝七郎の従兄弟源次郎少年を名目人に立て

その父源左衛門と門弟七十一人が介添を為すという条件

を打ち出して武蔵に決戦を挑んだ。

 

  字幕 一乗寺の決斗

 映像は白黒である。一乗寺下がり松で源左衛門・源次郎

父子が門弟衆の守護を受けて、武蔵を警戒する。

 武蔵は松の樹に集う吉岡方が必殺の一念で自身を斬る

ことを痛感し全てを戦闘に集中し賭け尽くすことを決める。

 

     「七十三対一。八幡。命有っての勝負!」

 

 武蔵は斬り込む。源次郎少年は「怖い」と叫び父源左衛

門は我が子を抱きしめて守る。「子供よ、許せ!」と叫び

武蔵は、壬生父子を串刺しにして斬殺する。

 植田良平・太田黒兵助・横川勘助ら門弟衆が仇討ちで

斬りかかるが、皆武蔵の剣の前に返り討ちに遭い命を

散らす。かつて吉岡門弟で破門されている剣士林彦次郎

は武蔵に斬りかかり、泥の中で追跡する。武蔵は林の怒り

に怯え足は泥に取られ動けない。林は少年を斬る武蔵を

非情として渾身の力を振るって刀を振り上げた。武蔵は

足を泥とぬかるみに捕まれ振り返り刀を振るった。その

剣は林の両目を斬った。激痛で目を抑える林。武蔵は罪

に苦悩し「ああ」と叫び畦道を早足で走り去る。目を抑えな

がら林は武蔵を追う。

 映像はカラーに戻る。疲労困憊した武蔵は血と泥に

塗れながら、叢の上に寝る。

 

 比叡山無動寺において僧侶達から源次郎少年を斬った

事を外道と糾弾され、観音菩薩像を彫っていた武蔵は、罪

に苦悩する。その残酷さは斬った彼自身が誰よりも深く感

じていた。

 

 解説から本編へ。物語は前四部作を受けつつ前作のラスト

と本作の冒頭は重なり合う。

  武蔵は彫っていた観音菩薩像を見つめて自問し剣を命

の底から確かめる。

 

     「たとい子供でも敵の名目人であるからには、それ

      はれっきとした大将だ。三軍の旗だ。何故それを

      斬って悪いか?いたいけない子供を名目人に立

      てることこそ責められるべきではないのか?敵の  

      象徴を斬らずして武蔵の勝利は無かったのだ。

      われ事に於いて後悔せず。」

 

 武蔵は源次郎少年に哀悼の意を捧げて、罪に苦しみ、命

を奪った事を悲しみ、観音菩薩像を彫った。菩提の一刀に

より、観音菩薩像は彫られ完成する。

 

  観音菩薩像は不動明王像の前に安置された。

 

 宮本武蔵は緑豊かな山路を歩み空を見つめた。

 瀬田の唐橋にお通と宗彭沢庵が立っていた。

 

 沢庵は「お通さん。此処が瀬田の唐橋じゃ。花田橋と違うて

三年待たずともよい」と語り、間もなく武蔵がこの橋のもとに

くることを告げ去っていく。お通は沢庵和尚の優しさに感謝

する。

 

  ☆山地を歩む剣士☆

 

 宮本武蔵は天正十二年(1584年)に誕生したと伝えられて

る。剣の道に生きて、試合においては勝利を治め、二刀流

の二天の一流を開いた。剣に生き、兵法と共に芸術の道も

歩んだ。著書『五輪書』において剣の道を記している。

 正保二年五月十九日(1645年6月13日)に死去した。享年

六十二。

 

 吉川英治は明治二十五年(1892年)八月十一日に誕生

した。

 小説家となった彼は昭和十年(1935年)八月二十三日から

昭和十四年(1939年)七月十一日にかけて、小説『宮本武蔵』

を新聞小説として執筆した。関ケ原合戦に敗れ野生の本能の

まま暴れ回った少年新免武蔵が少女お通の愛と師沢庵の叱責

や法縄によって命の尊さを学び、剣に自己の生き方を見出し、

強敵に挑戦して倒し、剣によって血を流すことを悲しみつつ、

精進を重ね、巌流島で宿敵佐々木小次郎と戦う。武蔵の剣の

道は自己の鍛錬として時代・世代を超えて、今も読まれている。

 原作は講談社から八巻本の文庫で発売されている。管理人

にとっても少年時代からの愛読書であるとともに、苦悩や迷悶

にぶつかった時に道を問い直し共に悩んでくれる名著であると

頂いている。吉川英治の見事な筆法によって書かれた小説の

エピソードが有名になって、史実の武蔵像とは違った事柄までも

が広く知られるようになっているとも言われている。

 

 内田吐夢は明治三十一年(1898年)四月二十六日岡山県に

誕生した。本名は内田常次郎である。俳優を経て映画監督と

なり、無声映画時代から沢山のシャシンを命一コマの主題の

もとに撮り、日本映画の歴史を荷った。深く重く骨太な物語は

観客の胸を熱くし心に深い感動を与えた。

 

 昭和三十五年(1960年)二月六日脚本家鈴木尚之は東映重

役に頼まれ、吉川英治著『宮本武蔵』の映画化企画の案を吐

夢に伝えた。著書『私説内田吐夢伝』(平成十二年三月二十六

日第一冊八校岩波書店』において尚之は、企画を聞いた吐夢

の様子を記している。

 

   「うむ・・・・・・『宮本武蔵』か・・・・・錦之助はいい役者だ。

    今の彼なら『武蔵』ができるかもしれない。」

 

 初代中村錦之助は昭和七年(1932年)十一月二十日東京府

に誕生した。本名は小川錦一である。父は歌舞伎役者三代目

中村時蔵、母は小川ひなである。錦一は初代中村錦之助の芸

名で昭和十一年(1936年)十一月初舞台を踏んだ。昭和二十八

年(1953年)映画界から誘いを受け、父時蔵から「映画で失敗し

ても歌舞伎に帰って来れると思うな」と退路を断たれて映画の

道に精進することを決め、昭和二十九年(1954年)二月映画

俳優としてデビューする。美男で深く豊かな演技を見せ、東映

時代劇で一大スタアとなった。

 

 吐夢は吉川英治著『宮本武蔵』のほぼ全体を全五部作の映

画として昭和三十六年(1961年)から四十年(1965年)の五年

の歳月をかけて映像化するという一大企画を東映に提案し

承諾を得た。人間武蔵の成長と共に俳優中村錦之助も成長

する。大いなるテーマを吐夢は打ち出した。

 

  「やるとすればホンは伊藤大輔かなあ」

 

 吐夢は『宮本武蔵』五部作の脚本を親友・ライバル伊藤大輔

に頼もうかと考えていた。しかし、後に第一作の脚本は成沢

昌茂・鈴木尚之と決まった。第二・三・四・五部は尚之と吐夢が

シナリオを書いた。

 クレジットに名こそ出ていないが、吐夢は企画について、大輔

に相談していた。

 

 吉川英治は映画『宮本武蔵』五部作の企画対しても喜びを語

り、内田吐夢や鈴木尚之の相談に乗った。時代劇の父と呼ばれ

ている親友大輔を吐夢は深く信頼していた。

 第一作の撮影現場に見学に来て初代中村錦之助と共に撮った

写真が現存している。

 昭和三十六年(1961年)五月二十七日『宮本武蔵』が公開さ

れた。全五部作の第一作である。

 

 昭和三十七年(1962年)九月七日吉川英治が七十歳で死去

した。二か月十日後第二作『宮本武蔵 般若坂の決斗』が公開

された。予告篇には故吉川英治の名作小説の映画化であること

が強調された。しかし、ラストには「違う。違う。剣は念仏ではな

い!命だ」という武蔵の悲憤の叫びが描かれている。

 

 昭和三十八年(1963年)八月十四日第三作『宮本武蔵 二刀

流開眼』が公開された。ラストには蓮台寺野で清十郎を破り、

勝利を喜びつつ戦いが「これからだ」と感じる武蔵が描かれる。

 夕陽を受け、赤い書割の中を悠々と歩む。血の道であるが

そこに勇気をもって挑む剣士の命が輝いた。

 

 昭和三十九年(1964年)一月一日第四部『宮本武蔵 一乗寺

の決斗』が公開された。七十三対一という絶対絶命の窮地に

おいて、名目人の少年とその父を串刺しにして刺殺し、動揺

する吉岡門弟衆も斬り倒して逆転とも思われる大勝利を掴む

が、武蔵は僧侶達に厳しく叱られ罪を悲しみつつ後悔しない

我を確かめる。少年の血を流したことに無限の後悔を感じ

ているからこそ、「われ事に於いて後悔せず」の台詞が語られ

たのである。

 

 「武蔵は、剣と禅とを両手にした」と内田吐夢はその生き方を

確かめた。剣士として敵を斬ってその罪に苦悩する。罪に問わ

れた自己自身を問い直す。人の命を斬らねば生き残れない生

き方があった。

 

 吉川英治原作の大長編小説『宮本武蔵』のほぼ全体像を、

初代中村錦之助主演で五年かけ一年一本で映像化する。こ

の長大な企画は、宇宙映画の歴史の中でも他に例がないの

ではないか。

 内田吐夢の情熱を以てこそ叶えられ、五本一本一本が

永遠不滅の活動大写真となって、その命を生きた。全五部

作を一本と見てもその生命力は永遠である。

 

   吉川英治先生の「宮本武蔵」はしっかり読んでおく

   うようにとご指示を頂きました。京都入りしてからも

   演技の勉強はなし。時代背景の勉強をしなさいとい

    うことで、歴史書を読まされたり、名所旧蹟の見学

   をしていました。

  『「命一コマ」巨匠内田吐夢の全貌』5頁)

 

 入江若葉は吐夢監督の指導を確かめる。吉川英治先生

の原作小説をよく熟読すること。時代背景を学び、歴史の

足跡を訪ねて見学すること。吐夢は若葉に小説の精神を

学んでもらいつつ、武蔵の時代の史跡を訪ねてもらって、

戦国江戸時代への想像を呼び起こして、身も心もお通へ

の学びを確かめて行くことに導いた。

 

 中村錦之助の美男武蔵と入江若葉の美少女お通の清ら

かで切ない恋が五部作全体の主題でもある。

 

   『宮本武蔵』を、錦之介で一年に一本すつ五年間で作

   ると言い出したのは、内田吐夢さん。会社ではないん

   だ。正直言って、会社は毎年毎年一本ずつ作られた 

   ら敵わない。最低でも前篇・後篇くらいの密度の濃いも

   のをやりたがるのが会社。だけど吐夢さんは「やろう」

   と言う。俺と吐夢さんは、不思議と馬が合った。

   (『吐夢さん流リアリズム』

    『宮本武蔵』五部作DVD特典解説書28頁)

 

 岡田茂は全五部作の企画は吐夢から出されたことを確かめ

る。父親のような世代の男吐夢だが若い茂を頼った。

 

  「錦ちゃんと一緒に成長するんだ」と吐夢は六十代後半に

なって熱く夢を語った。

 茂は撮影所の「合理化」、つまりリストラを進めたスタッフで

もあった。組合問題では錦之助委員長とも激論を交わしたと

いう。会社の指令で金のかかる時代劇は撮れないと言わね

ばならぬ。時代劇のスタア錦ちゃんは仲間を守る。

 そのような緊張関係に在って、東映は『宮本武蔵』第五部

の製作を許さぬという発表を伝えてきた。

 

    吐夢さんが「白黒でもいいのでやらしてくれ」と言う

    ので、大川社長に会って「どうしても吐夢さんが、や

    らしてくれと言っています。このまま終わっては未完

    になってしまいます。社長頼みます」と訴えたら、「そ

    うか仕方がない」とOKになった。

    (『吐夢さん流リアリズム』

     『宮本武蔵』五部作DVD特典解説書29頁)

 

 岡田茂が吐夢の完結篇第五部への熱き夢を伝え、遂に

大川博社長を説得した。第四部『宮本武蔵 一条寺の決斗』

の興行成績は決して不振ではなかったが、時代劇には莫大

な予算がかかる。大川博は前四作に比べて大幅にカットし

た製作費で撮るようにと指示を出した。

 吐夢はその境遇も受け入れ、熱意をこめて第五部完結篇

『宮本武蔵 巌流島の決斗』を撮った。

 

 初代中村錦之助の武蔵、入江若葉のお通、丘さとみの朱

実、木村功の又八。浪花千栄子のお杉。全五部に完全一人

一役で五人は出演した。レギュラーと言えるだろう。

 ライバル佐々木小次郎には三・四部に続いて髙倉健が勤め

る。二・三・四部に続き、剣の道への悲しみを語る存在として

映画のオリジナルキャラクター林を、河原崎長一郎が引き続き

勤めることとなった。細川忠利に里見浩太郎後の里見浩太朗、

伊織少年に金子吉延、柳生宗矩に田村髙広と本作第五部か

ら初参加する人々も居る。配役に関しては第五部は超豪華だ。

 

 

 武蔵の師沢庵役に三國廉太郎が帰ってきた。

  

  『宮本武蔵』に出演することが沢庵の役で決まると事前に剃

  髪をすませて京都の妙心寺で宿を取りました。禅僧の衣装

  を着け、火の気のないところで一日一菜で過ごす訳ですが

  資料で感じた日常とは大分寺の様子も違うことに気がつき

  ましてわざわざ風邪を引くこともあるまいと撮影所の近くに

  ある菊香荘に移転したのです。

  (『人間・沢庵』

   『宮本武蔵』全五部作DVD 特典解説書 26頁)

 

 三國連太郎は沢庵役に決まると実際に剃髪して禅僧の衣装

を着て妙心寺に暮らした。役の探求に燃えていたことが窺える。

第一部で山でお通と共に新免武蔵を待つシーンで思わず可愛い

お通に欲望を感じてしまい、用を足して誤魔化すシーンを発案

して人間沢庵を表現しようとしたが、吐夢に否定されて三國は傷

ついたようである。そのことで三部・四部の出演を断ったのでは

ないと語り、二部の白鷺城で見送るところで師匠沢庵の仕事は

これで終いにしても良いのではないかと考えたという。

 しかし『飢餓海峡』を経て、三國連太郎は沢庵役で帰ってきて

くれた。

 

 配役で注目すべきは全体の留めとも言うべき存在であり、武蔵

の歩みを見届ける長岡佐渡役で片岡千恵蔵御大が出演したこと

である。御大の重厚な存在感が熱き五部作に父性的存在として

光っている。

 

 海面より突き出る岩に波がかかり、壮大な音が鳴る。東映マーク

出現の冒頭から吐夢演出は深い。

 

 木彫りの文字で

 

   宮本武蔵

 

 と掲げ、続いて赤字で

 

  巌流島の決斗

 

 と題が二画像で提示される。白い字幕で

 

 製作 大川博

 

 に始まり、スタッフが紹介される。出演者は役名無しで

映されていく。

 

 主役中村錦之助が書き出し、ライバル役髙倉健が二番手、

共演者が表示されて行き、留め前に三國連太郎、留めに片岡

千恵蔵の名が映る。

 

 昭和五十五年(1980年)一月二日のテレビ放送でこの出演

者紹介に当時十二歳の小学六年生だった私はその豪華さに

感嘆した。

 

 スタッフ・キャスト全体の留め・締めとして

 

 監督 内田吐夢

 

 の六字が映し出される。

 

 宮本武蔵 解説の映像は凄まじい迫力である。前四作の

ダイジェストであることは間違いないのだが、説明・紹介で

ありつつ、本篇の源である魅力が重厚に伝えている。

 

 先程管見を試みたように、名場面で『般若坂の決斗』『二刀

流開眼』『一乗寺の決斗』とタイトル字幕が映る瞬間に緊張が

強まる。

 

 アヴァンタイトルで「解説映像」が紹介され、字幕となる。

 

 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』における宮本武蔵の苦悩と悲憤

が、本作『宮本武蔵 巌流島の決斗』の冒頭にも成る。これまで

縷々過去記事でも述べてきたように、『宮本武蔵』全五部作を

撮るに当たって、吐夢は前作のラストを受けて直結する筋を

語る。故に解説映像は説明であることは否定しないが、本篇

のドラマの背景・源泉であるという存在感を重厚に提示してく

るのである。五部作は互いに呼応照応し合って、『宮本武蔵』

の深遠な物語を織り成しているのである。

 

  「たとい子供でも敵の名目人であるからにはそれはれっき

   とした大将だ」

 

 宮本武蔵は少年と言えども斬らねばならなかった自身の在り方

を強調する。だが立場は正しくても惨い殺人を犯したという事実が

武蔵自身の心に痛みとなって迫ってくる。

 

   「敵の象徴を斬らずして武蔵の勝利は無かったのだ。われ

    事に於いて後悔せず。」

 

 敵の象徴を斬ることは剣士としてどうしてもやらねばならない

事柄であった。

 

 無限の後悔が心身全体を締め付けるからこそ、「われ事に於いて

後悔せず」という命の在り方が明かされる。

 

 悲しみと後悔をこめて観音菩薩像が彫られる。

 

 源次郎少年への謝罪と追悼をこめて彫られた観音菩薩像は

不動明王像のもとに置かれ穏やかな視線を浮かべる。

 

 宮本武蔵は静かに山の中の道を歩み大自然の中に命を

生きる。

 初代中村錦之助が剣によって流した血を悲しみ、自然に

学ぶ武蔵の生命を生きる。

 

 瀬田の唐橋ではお通と沢庵が語り合う。

 

 恋一筋に歩むお通。その思いを見守る沢庵の言葉が暖

かい。

 

 入江若葉の清純な美しさが光っている。

 

 三國連太郎の語りに優しさを感じた。

 

 『宮本武蔵 巌流島の決斗』冒頭は「剣と恋」の問題にぶつ

かる武蔵の悩みを鮮やかに提示する。

 

 

                            文中敬称略

 

 内田吐夢百二十二歳誕生日

              令和二年(2020年)四月二十六日

 

                                合掌

 

 

                          南無阿弥陀仏

 

 

                                セブン