大人は判ってくれない | 俺の命はウルトラ・アイ

大人は判ってくれない

 『大人は判ってくれない』

 Led Quatre cents coup

 

 映画 トーキー 93分  白黒

1959年6月3日 フランス公開

昭和三十五年(1960年)三月十七日日本公開

製作国 フランス

製作会社 Les Film du Carrosse

               SEDIF

製作者 フランソワ・トリュフォー

脚本・台詞 フランソワ・トリュフォー

        マルセル・ムーシー

撮影監督 アンリ・ドカ

フレーミング ジャン・グラビエ

音楽    ジャン・コンスタンタン

美術    ベルナール・エヴァン

録音    ジャン=クロード・マルケッティ

       セシル・ドキュジス

 

助監督 フィリップ・ド・ブロカ

製作主任 ジョルジュ・シャルロ

 

出演

 

ジャン=ピエール・レオー(アントワーヌ・ドワネル)

 

クレール・モーリエ(母)

アルベール・レミー(継父)

パトリック・オーフェー(ルネ・ビジェー)

ジョルジュ・フラマン(ルネの父)

イヴォンヌ・クローディー(ルネの母)

ロベール・ボーヴェー(校長)

ピエール・レップ(英語教師)

ギイ・ドコンプル(担任教師)

クロード・マンサール(予審判事)

アンリ・ヴィルロジュー(夜警)

リシャール・カナヤン(アプー)

 

ジャック・ドゥミー(警官A)

シャルル・ビッチ(警官B)

クリスチャン・ブロカール

ジャック・モノー

マリウス・ローレイ

リュック・アンドリュー

ダニエル・クテュリエ

フランソワ・ノシェ

ブション

フランソワ・トリュフォー

ジャン=クロード・ブリアリ(女を追いかける男)

ジャンヌ・モロー(仔犬を連れた女)

 

監督 フランソワ・トリュフォー

 

平成十三年(2001年)三月二十五日

シネマアルゴ梅田にて鑑賞

 

ジャン・ピエール

  アントワーヌ・ドワネルは十二歳の少年だ。彼は母・継父と

三人でパリのあるアパートに暮らしている。学校から帰ってく

ると課せられた家事は沢山あり、食事に時間をかける暇は少

ない。

 バルザックを崇拝しているアントワーヌ少年はその文章の

幾つかを暗記している。

 宿題が出来なかったアントワーヌ・ドワネルは登校中に友

人ルネと出会って、学校をさぼってしまう。だが、街で母が若

い男とデートして接吻する光景を見てしまう。

 帰宅するとアントワーヌ・ドワネルは継父に昼間見た事を

黙るが、夜になると継父と母が口喧嘩する声が聞こえてく

る。

 翌日教師から前日の欠席理由を聞かれ、アントワーヌ・ド

ワネルは、「母が死んだ」と咄嗟に思いついた嘘を語る。

 授業が開始になると、息子の欠席を聞き、驚いた両親が

学校にやってきて、でっちあげた嘘がバレてしまった。継父

はアントワーヌ・ドワネルを平手打ちで叩く。

 アントワーヌ・ドワネルは家出し、母親はアントワーヌを

学校から早退させ、家に連れ戻し優しくして映画に行く。

 だが、作文の課題でバルザックの文章を尊敬の余り

盗作してしまったことがばれて、アントワーヌは先生に叱

責される。

 

 アントワーヌはタイプライター泥棒をしてしまい、捕まり

少年鑑別所に送られる。面会に来た母は、鑑別所を出

たら働くようにと勧める。

 

 体育の時間で鑑別所のフェンスの隙間を見たアントワ

ーヌは脱走し野原を走り抜け、海辺に達し、砂浜で海を

じっと見つめる。

 

 ☆フランソワ自伝的ドラマの

  アントワーヌ・ドワネル物語☆

 François Roland Truffaut フランソワ・トリュフォーは

フランスの映画監督・脚本家・俳優・ナレーター・映画評

論家である。

 1932年2月6日に生まれ1984年10月21日に52歳で死

去した。

 『大人は判ってくれない』は、フランソワ・トリュフォー

にとって、彼の少年時代の出来事を投影した自伝的

ドラマである。

 Jean-Pierre Léaud ジャン=ピエール・レオは1944

年5月5日生まれである。『大人は判ってくれない』公開

時は十四歳である。

 オーディションにおいて、他の少年俳優達は親が同

伴で来ていたが、ジャン=ピエール・レオはたった一人

で来ていたという。彼の本気に感嘆したトリュフォーは

抜擢を決めたと自伝で語っている。

 

 トリュフォーは孤独な少年時代を送った。アントワーヌ・

ドワネルは愛に飢えた少年である。母の浮気、継父との

不和、バルザックへの崇拝が強すぎて作文の授業で暗記

のまま盗用してしまう。

 大人達は常識・良識の元に体罰を含めて彼を厳しく指

導し、反省を呼ぼうとするが、少年アントワーヌの傷は

深くなる一方だ。生活苦からタイプライターを盗んでしま

い、お金にする方法が分からぬまま捕まってしまう。

 

 ジャン=ピエール・レオ―が少年の繊細で生真面目な

感性で、アントワーヌ・ドワネルを熱演する。世界の観客・

批評家を瞠目せしめた名演である。

 トリュフォーの期待にジャン=ピエールが応えた。自分

は鑑別所の車の移送で、ジャン=ピエール・レオのアン

トワーヌ・ドワネルが格子を掴んで涙を眼一杯に溜める

シーンに胸が熱くなった。

 少年は愛に飢えた状況で、懸命に自己を表現しよう

とするが、全てが上手くいかず、大人達に厳しく叱られ

失意のうちに盗みを犯し、鑑別所に入れられる。

 

 鑑別所を飛び出し、懸命に駆け抜くアントワーヌは、広

大な海の前において砂浜に立つ。巨大な海は彼の傷つ

いた心を見つめるように静かにその存在感を示す。

 

 アントワーヌ・ドワネルは深く重い悲しみを抱く少年だ

が、母なる海(フランス語で海の意味である la mer ラ

メールのメールは、母であるmère メールと音で響き

合う)と見つめ合う。

 

 孤独な少年にとって、大人達の厳しい仕打ちは、教

育的指導であっても、精神的打撃となり、傷つけられる

ものであった。

 

 

 四百回の殴打(原題の直訳)は「放埓な生活を送る」

という意味らしいが、大人達の厳しい叱責に対しても向

けられているのではないか?

 

 映画を鑑賞したジャン・コクトーは「傑作」と讃嘆した。

 

 ジャン・ルノワールとアルフレッド・ヒチコックを崇拝し

ているフランソワ・トリュフォーは、育ててくれた映画

批評家アンドレ・バザンへの感謝をこめて、豊かな映

画愛のもと、少年の悲しみの物語を熱く語った。

 

 「男たるもの、自分を厳しく律し、悲しみを人前で見

せるな」という強く逞しい男を目指す感性から見れば、

『大人は判ってくれない』はその対極にある男性像で

自分の弱さと悲しみを徹底的に凝視する男の物語か

もしれない。

 

 海に向かうドワネル少年が飛びこまず、自殺をし

ない結末にはほっと安堵する。

 

 後に後編四作品『二十歳の恋 アントワーヌと

コレット』(1962年)『夜霧の恋人たち』(1968年)

『家庭』(1970年)『逃げ去る恋』(1979年)が製作

されることは、現代においては分かっている事

柄だが、公開当時の1959年はシリーズ化される

かどうかも決まっていなかった訳だし、長篇監

督作品第一作のこの一本に、フランソワ監督

が全ての情熱を燃やして挑んでいることが窺

える。

 

 1959年から1979年の20年に亘って、アントワ

ーヌ・ドワネルの少年期から青年期を、5本の

映画で勤め演じたジャン=ピエール・レオ。

 山田洋次監督は、『男はつらいよ』シリーズで

吉岡秀隆が諏訪満男の少年時代から中年期

を演じ続けることに、アントワーヌ・ドワネル物語

を意識しているとインタビューで語っている。

 

 ほんの僅かな出番だが、ジャンヌ・モローが出

演し、その存在感を鋭く見せている。

 

 2001年3・4月大阪にあった名画座シネマアル

ゴ梅田に5週間に亘って、夜にアントワーヌ・ドワ

ネル5部作上映があり、その機会に全5本の劇場

鑑賞を為し遂げた。

 シネマアルゴ梅田はビルの上の階に在った名

画座で、エレベーターで上の階に行く。小さな名

画座ではあったが、珠玉の名画を大事に上映し

てくれる貴重な場所で、夜風に吹かれながら、

梅田の帰路を歩んだことを思い出す。

 

 

トリュフォーとポスター

 2014年10月角川シネマ有楽町でフランソワ・トリュフォーの

大特集が組まれた。

 野口久光画の本作の名ポスターとジャン=ピエール・レオ

の写真が掲げられた。

有楽町 ビッグカメラ

  『大人は判ってくれない』は繊細な少年の傷を見つめた

名作である。深い傷を負った少年少女に、フランソワ・トリュ

フォーは学ぼうとしている。大人の課題はそこにあると言え

よう。

 

 少年時代のジャン=ピエール・レオーの綺麗な瞳。

 

 そこから無垢な光を放たれていた。

 

 瞳の輝きは、私の心を今も熱くする。

 

 

 令和元年(2019年)十月二十一日

 

 

                                合掌

 

                          南無阿弥陀仏

 

 

                                セブン