山中貞雄監督 没後八十一年・八十二回忌命日 | 俺の命はウルトラ・アイ

山中貞雄監督 没後八十一年・八十二回忌命日


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 山中貞雄(やまなか・さだお)

 映画監督

 

 明治四十二年(1909年)十一月八日京都府

生まれ。

 

 昭和十三年(1938年)九月十七日中華民国

河南省開封市に死去。数え年二十九歳、満年齢

二十八歳。


 

 山中貞雄は天才映画監督でした。映画表現

の凄まじさと鋭さは強烈です。

 

 二十九年の短い生涯において、大いなる傑作

を発表しました。

 

 『磯の源太 抱寝の長脇差』  1932・2・4

寛プロ 断片版が現存しています。

 

 『丹下左膳 余話百万両の壺』 1935・6・15

日活京都

 フィルムが現存しています。こけ猿の壺をめぐ

るドラマです。明るくて爽やかな人物として左膳

が登場します。

 演ずる方は、大河内傳次郎です。

 

 『河内山宗俊』 1936・4・30 日活

娘お浪の窮状を見て立ちあがる河内山宗俊と金

子市之丞。

 河原崎長十郎と中村翫右衛門が渋いです。

 

 『人情紙風船』 1937・8・25 P.C.L

髪結新三の意地と抵抗。浪人海野又十郎の悲

痛さ。二人の悲劇をしみじみと語ります。切なさ

が極まります。

 中村翫右衛門の新三と河原崎長十郎の又十郎

が男の抵抗と深い悲しみを語ります。

 

 ラストは海野の痛ましい物語を象徴します。

 

 溝の紙風船。切ない。

 

 映像で静かに深く語る名監督です。

 

 山中貞雄は徴兵され、日中戦争に従軍し、「『紙

風船が遺作ではチト寂シイ」と書き遺して、昭和十

三年九月十七日、赤痢で戦病死しました。

 

 


その前夜 三

『その前夜』 1939・10・21 東宝映画

 山中貞雄原案『三条木屋町』を仲間達

が映画化しました。フィルムが現存して

います。

 

 山中貞雄は映画仲間に深く愛されていま

した。

 

 先輩で恐らくは兄貴分だった伊藤大輔

は「シャダやん」の愛称で貞雄を敬愛して

いました。

 出征するシャダやんにブランデーを送った

ことを、大輔先生は語っています。

 甥の加藤泰は叔父の伝記でもある『映画

監督 山中貞雄』で「どうしてこんないい男が

戦争で死ななきゃならないのか」と述べまし

た。

 

 

 戦争が再び起きないように願うことが

山中貞雄ファンの課題でもあると思いま

す。

 

 山中貞雄の映画『人情紙風船』を京一会館

で大いなる緊張を与えられました。悲しみを

深く突き詰め、静かな表現で語ることに驚き

ました。

 

 京都文化博物館フィルムシアターでは、

山中貞雄特集が開催されます。

 

 山中貞雄の映画は永遠です。


 

                        合掌


 

                   南無阿弥陀仏


 

                       セブン