十代目坂東三津五郎丈 六十三歳御誕生日 | 俺の命はウルトラ・アイ

十代目坂東三津五郎丈 六十三歳御誕生日

 

塩谷判官

 十代目坂東三津五郎(じゅうだいめ・ばんどう・みつごろう)

 本名 守田寿

 芸名歴 五代目坂東八十助

       十代目坂東三津五郎

 昭和三十一年(1956年)一月二十三日東京都中央区生まれ。

 父は四代目坂東八十助後の九代目坂東三津五郎。祖父は

 六代目坂東簑助後の八代目坂東三津五郎。曽祖父は七代目

 坂東三津五郎。

 昭和三十二年九月明治座『傀儡師』で初お目見え。

 昭和三十七年歌舞伎座『黎明鞍馬山』で五代目坂東八十助

 を襲名。

 歌舞伎・映画・テレビドラマに大活躍を為す。

 平成十三年(2001年)一月歌舞伎座『寿曽我対面』曽我五郎、

 『六歌仙容彩』喜撰で十代目坂東三津五郎を襲名。

 平成二十七年(2013年)二月二十一日東京都において死去。

 五十九歳。

 

  十代目坂東三津五郎丈の舞台は清らかで綺麗で美しさが

 光っていました。役の生命を舞台で息吹かせる名優でした。

 時代物・世話物・舞踊・江戸歌舞伎・上方歌舞伎・新歌舞伎、

 全て名舞台でした。

   数々の名舞台を南座や歌舞伎座や大阪松竹座や御園

 座で拝見拝聴しました。

 

  自分が強く大感激を覚えた舞台で、特に一役を絞ると、平成

 四年(1992年)二月十日国立文楽劇場で鑑賞した、『仮名手本

 忠臣蔵』の塩谷判官です。

 

  五代目坂東八十助丈の塩谷判官は、美しくて上品でした。

 武士の誇りが光り、師直の虐めを耐えに耐えて刃傷に及び、

 死罪を従容と受けて腹を切って由良之助に心を遺し、命を終

 えます。

 

   清らかな香りが芸風に輝いていました。

 

  意外な事に、三津五郎丈の塩谷判官はこの舞台が最初で

 最後だったようです。

 

  貴重な機会を鑑賞したことは、大きな出来事でした。

 

  念願だった三津五郎(当時八十助)さんの判官を見聞し、

 胸が一杯になりました。

 

  優美さの極まりでした。

 

  十代目坂東三津五郎丈は塩谷判官の生命を生きた方で

 した。

 

 

                            南無阿弥陀仏