鈴木尚之 武蔵錦之助 財前田宮二郎を書いた脚本家 | 俺の命はウルトラ・アイ

鈴木尚之 武蔵錦之助 財前田宮二郎を書いた脚本家

 鈴木尚之(すずき・なおゆき)

 脚本家

 鈴木尚也名義あり

 昭和四年(1929年)十月五日誕生。

 岐阜県吉城郡国府町出身。

 平成十七年(2005年)十一月二十六日死去。七十六歳。

 

 皆様。こんばんは。本日は日本映画の大脚本家鈴木

尚之先生の没後十三年・十四回帰御命日に当たります。

 

 拙ブログでは、先生が内田吐夢監督の演出・共同脚本

作品『宮本武蔵 一乗寺の決斗』に学ぶことを根本課題に

しております。

 

 感想を書くという営みは、吐夢師・鈴木尚之先生の教え

を聞く営みであり、教えられたことを身心を挙げて確かめ

学習することでありますが、毎回震えています。

 

 吐夢師・尚之先生の演出・脚本には、観客に物を教え

ようという指導者意識は全くありません。しかし、映画を

劇場で鑑賞すると、これは人生の学びだと観客は痛感

します。「好き」等と言う主観は微塵も抱けません。

 「大衆娯楽」等ではありません。

 

生きることそのものの根本から悩みを呼びかけ呼び起

こし、共に苦闘する。それが内田吐夢・鈴木尚之映画

であることを実感致します。

 

 吉川英治作小説『宮本武蔵』を、製作東映京都・主演

初代中村錦之助、監督内田吐夢のチームによって、昭和

三十六年(1961年)から四十年(1965年)の五年間一年一

本の全五部作で映画化する。

 

 この壮大な営みにおいて、鈴木尚之先生は、脚本を書

かれました。

 

 吉川英治の原作を尊重すべきは徹底して尊び重んじ大

切にする。

 一方でこれは書かねばならぬという問題は、原作と全く

違うものであっても改変すべきは改変して新たに書く。

 この両面の姿勢が全五部作にあります。

 

 文学を読まずに、「映像が面白ければいいんだ」という

方には何のことか分からないとは思いますが、吐夢・尚之

映像が生まれるまでには、果てしない苦闘があったこと

は原作小説を読み、完成映像版を見聞すると、読者・銀幕

客席鑑賞者の心に熱い緊張感を以て迫ってくるのであり

ます。

 

 般若坂の決斗で日観師の作戦を聞き、奈良の大掃除と

して不逞牢人衆の処刑が行えたと語る師匠に武蔵が笑み

を浮かべる。これが原作の描写です。

 しかし、吐夢・尚之演出・脚本の『宮本武蔵 般若坂の決

斗』は、「剣は念仏ではない!命だ!」と苦闘激怒の声で

武蔵が語る。

般若坂の決斗

 初代中村錦之助後の初代萬屋錦之介が武蔵の悲嘆・怒り

の言葉を全身全心を挙げて叫びます。

 劇場で鑑賞していると、このラストに震えます。

 

 「剣は念仏ではない!命だ!」とはよく書いたと思う。吉川

英治の原作には無い言葉なんですよ。

 吉川英治が死去した日は昭和三十七年(1962年)九月七

日です。

 『宮本武蔵 般若坂の決斗』の公開日は、昭和三十七年

(1962年)十一月十七日です。

 原作者没後二か月十日に公開された『宮本武蔵』第二

部には、大いなる吉川英治文学との格闘・激闘・熱闘の

叫びが語られているのであります。

 

 原作と映像のどっちが良いかとか、原作と映像のどち

らが好きかとか、原作と映像は同じか違っているかとか

と言ったご意見が平気でインターネットで書かれ語られ

ている現代でございますが、原作を読まずに映像だけ

見て、「原作と映像の関係はこんなものなんだろう」と

思い込みと当て推量で書いていることが多い。

 

 原作を全く読まずに、原作と映像の関わりがよく勝手

に書けるなあとその御心と神経には驚きを覚えます。

 

 「男が人前で好き嫌いの主観をさらけ出してもいい」

「本を読まなくてもいい」「興行数字だけ眺めて内容に

問われた事等何も学ばなくても良い」「伝統や歴史は

侮蔑して自分の快楽さえ追いかければ良い」「今の

自分が気持ち良くて面白くて楽しい娯楽が全てで、自

国の芸術は愚弄してよい」という世の中です。

 今の傲慢さには、怒りを越えて悲しみを覚えるね

 

 野暮を言うなという時代に、野暮を申し上げて、忖度

お断りの姿勢を示す。

 

 過去記事において申し上げたように、時代や歴史

を開いた方が「好き」という言葉を語れば、それに学

ぶことが大事です。

 

 伊藤大輔監督が「良い悪いじゃなくて好き嫌いだか

らね」と語りつつ、自作には厳しすぎる程厳しい言葉

を仰る。

 

  七代目竹本住太夫師が、「わたいら、これ、好きで

やってまんねん」と語りの芸を確かめられた。お弟子に

は怖いお声で厳しく怒鳴られる。しかし、そのご叱声に

は深い愛がある。

  

 大師匠方が「好き」と仰る時には、その道に果てしない

厳しさがあることを仰ぐのです。

 

 日本男児は、名人の教えに学ぶ身ならば、厳しさが

自身にまだまだ分からぬという自覚があるならば、人前

で好き嫌いの主観を語るべきではないし、何事も忍ぶ

姿勢が大切である。愛する女性に対してだけ、「好き」

という心を語ることが許される。

 

 日本のゲイ・ホモの同性愛者の人達にも、人前で好き

嫌いは言わず、好きな男性と二人だけになった時にの

み「好き」という言葉を語って欲しいと望む。

 

 女性は人前で好き嫌いを語っても良い。これは差別で

はない。

 

 何故このような当然のことを確かめるのかというと、

鈴木尚之脚本・内田吐夢監督のシャシンに、男の道

とはという問いを頂くからだ。

 

 『宮本武蔵 一乗寺の決斗』を初めて映画館で見聞

することが成り立ったのは、平成十一年(1999年)九月

十一日の福原国際東映の鑑賞においてであった。

 

 中学生の時代にテレビ東京・テレビ大阪の新春放送

で初めて接し衝撃を受けた。萬屋錦之介と入江若葉

が案内役・解説を勤めるという豪華な構成であった。

 

 劇場初鑑賞まで時間がかかってしまった。福原国際

東映は、我が兵庫の活動小屋(映画館を昔こう呼んだ)

の中でも最もガラの良くない場所であろう。

 新開地駅から近い場所にあるのだが、怖い映画館な

のであります。

 映画館の客席に着くと、ほとんどの観客が喫煙して

いるので紫煙が凄まじい。灰皿は勿論靴の底だ。わ

たくしが座った席の隣のおっちゃんも、「よく吸う人な

んやろうな」と煙が漂ってくる。

 

 「おい!うるさいぞ」と怒鳴る声や怒りの野次がさく裂

する。

 

 初代中村錦之助の武蔵が、入江若葉のお通に木の

下で語るシーンは、吐夢・尚之両氏の名場面だ。

 小声で隣席の男性とつぶやくおっちゃんがいる。前

のおっちゃんが、「うるさい。いっちゃん、ええとこやな

いけ!」と怒鳴りつけ、喋ったおじさんが「すんません」

と謝罪する。

 

 「おっちゃん。謝ってるんやし堪忍したれや」という気

持ちになるが、怒号が飛び交い紫煙がもくもとと立ち

こめる中、銀幕の錦兄・若葉姉様の名演に集中する。

 

   「儂はそなたが好きだ」

 錦兄の武蔵が、若葉姉様のお通に語る。吉岡一門との

一乗寺決戦を前に死を覚悟している武蔵が、生の最後の

想いとなるかもしれない時に最愛のひとに語る。

 

 「男が好きという心を語るとき」を教わった。

 

 福原国際東映の怖い叔父様達が涙を堪えてすする声が

此の時館内に響き亘った。わたくしは恐怖の中で、お通武

蔵の愛の確認に緊張しまくっていた。

 

 観客視線とは決してひとつではなく、千差万別・各人各様

なのだ。千差万別の状況を生きている観客の心の琴線に

訴えかけるだけでも大変な作業だが、千差万別の感覚に

問いかける愛の表現に心を打たれた。

 

 

  『私説 内田吐夢伝』には、昭和三十五年(1960年)、

五部作五年の大企画に尚之が戸惑い、吐夢がじっくり

問答に応じたことが記されている。

 

   「五年間かけての五部作とおっしゃったそうですが、

   本当ですか?」

  

   「きみは不服そうだな・・・・・・」

 

   「そういう訳じゃありませんが、なぜ『武蔵』に五年も

   かけるのか、その真意がわからないんです。」

 

   吐夢は酒瓶のならんだ正面に目を据えたまま、ブラ

   ンデーグラスを大きな掌であたためている。

 

   「そうかね?」吐夢は私の顔をのぞきこみ、「いまの

   日本映画界にとっていちばん大事なことはなんだと

   思うかね?」(309頁)

 

 吐夢は、テレビが盛んになった時代に映画館に観客に

来てもらうために、初代中村錦之助という大名優の若手

大スタアに武蔵の成長を演じ勤めてもらう企画で、大ヒット

を呼び起こし、活性化を齎し、新しい武蔵像を打ち出したい

という熱き心を語ったという。

 

 興行のヒットは大事、作品の質も重要。この両方の課題

を成し遂げた吐夢は大巨匠である。

 

 「ホンは伊藤大輔かなあ」と吐夢は当初語っていたという

が、五部作脚本は、第一部は成沢昌茂・尚之、二・三・四・

五部は、尚之・吐夢自身のチームで書かれた。

 

 吐夢は大輔のもとに相談に行っていたという。同年の活動屋

大輔を、吐夢は生涯のライバルとして敬い大切にしていた。

 

 『宮本武蔵』五部作で書けず描けなかった、武蔵対宍戸梅軒

の物語は、昭和四十六年二月二十日公開、製作東宝、脚本

伊藤大輔、主演中村錦之助(宮本武蔵役)、監督内田吐夢の

チームによる映画『真剣勝負』で語られた。

 

 吐夢にとって監督作品の遺作である。大輔にとっては在世

の最後の脚本作品である。

 

 東映製作『宮本武蔵』五部作の欠落部分の補填という形式

を取らず、ー第六作と見る向きもあるかもしれないがー敢えて

五部作と距離を置きパラレルワールド的世界観を打ち出そう

とした所に、吐夢・大輔の実験的精神を感じた。

 

 鈴木尚之は昭和五十三年(1978年)の田宮企画・フジプロ

ダクション制作のテレビドラマ『白い巨塔』の脚本を担当した。

昭和五十三年六月九日から昭和五十四年(1979年)一月九日

まで、全三十一回が放送された。

 

 主人公の医師財前五郎を田宮二郎が演じ勤めた。財前の

野望と最期を描く超大作で、演出は青木征一・小林俊二が

担当し、共演者には超豪華な配役が組まれた。

 原作者山崎豊子から脚本を鈴木尚之に書いて欲しいと

いう要請があったという。

 

 昭和四十一年(1966年)十月十五日公開、制作大映、

原作山崎豊子、脚本橋本忍、監督山本薩夫の映画『白い

巨塔』において、田宮二郎は主人公財前五郎を演じ勤め

ている。

 

 映画版は重厚な傑作である。

 

 田宮二郎は、映画版公開以後に書かれた、小説の財前最期

の物語を映像化する企画に熱意を抱く。

 ウィキぺディアによると、鈴木尚之・山崎豊子・田宮二郎により、

相談・話し合いがもたれ、綿密なシナリオ作りが為されたという。

 小林俊一の証言によると、田宮二郎が役作りの為に蛙の解剖

を為して、医師のメスの持ち方を特訓したと言われている。残酷

ではあるが、役の為に全てを賭けていた田宮の心意気が窺える。

 

 小沢栄太郎の鵜飼雅一教授・加藤嘉の大河内清作教授は、

田宮二郎の財前五郎と共に、映画版と同じ配役である。

 

 中村伸郎の東貞蔵教授の繊細さと重厚さは圧巻である。

 

 東が弟子財前に背かれ、「君と私の人間関係も終わったようだ

ね」と悲しむシーンは忘れられない。

 

 財前が心の中で「そんなものはとっくに終わっている」と呟く

語りは強烈である。

 

 教授選挙で投票結果を待つ財前に、後輩の講師佃友博が

「先生が選ばれました」と告げるシーンに圧倒された。

 

 佃を演じた方は河原崎長一郎である。同じ鈴木尚之脚本

の『宮本武蔵』二・三・四・五部長一郎は林彦次郎を熱演し

た。吉川英治の原作に出てこない林は、映画版のオリジナル

キャラクターだが、武蔵に罪を問う存在として登場し、彼の

心に強く迫る。

 誠実な林と野心家の佃は、長一郎の尚之脚本作品の歩み

で合わせ鏡になっていると思う。

 

 昭和五十三年の撮影時、主演田宮二郎は躁鬱に悩んで

いたと言われる。

 最終回の撮影には、三日間絶食して病の財前を演じた。

全ての収録が終わると、次にどんな役を演じたらいかわか

らないと苦悩したと伝えられている。

 

 その年の十二月二十八日、田宮二郎は猟銃で自殺した。

享年四十三歳。

 

 偉大な二枚目スタアは、当たり役に生涯の情熱の全て

を燃やし切って、役を勤め終わると、自らの生涯を終えた。

 

 一ファンの意見ではあるが、財前五郎は田宮二郎以外

有り得ないと断言したい。

 

 五郎の妻杏子を演じた生田悦子は、平成三十年(2018

年)七月十五日に七十一歳で死去された。

 

 テレビドラマ『白い巨塔』は鈴木尚之脚本、山崎豊子原

作、田宮二郎主演のチームの情熱によって生み出された

歴史的名作である。

 

 2019年、制作・放送テレビ朝日、脚本羽原大介・本村

拓哉・小円真、演出鶴橋康夫・常廣丈太・主演岡田准一

(財前五郎役)・エグゼクティブプロデューサー内山聖子

によって、テレビドラマ『白い巨塔』が五日に亘って放送

されると聞いた。

 

 もう!止めてくれ!内山聖子製作のジャニーズ忖度

のドラマ作りでは絶対無理。小説を読む力のない内山

聖子氏に、山崎豊子先生の世界が描けるとは到底思え

ない。

 『必殺』『霧の旗』に続く破壊・冒涜のターゲットは『白い

巨塔』かよ!

 船津浩一プロデューサーが「原作で描かれた昭和30

年代の設定を2019年に置き換え」と番組ホームページで

脳天気に発言してる時点で、もうあかんわ。

 やる気がないならドラマ化するなよ。内山聖子の岡田

准一さん大好きの主観で財前五郎を汚されたらたまら

んわ。

 岡田准一氏に問題があるのではない。映画『関ヶ原』

は本当に気の毒だった。原田眞人の脚本・演出が醜悪

で三成役に選ばれた岡田准一は犠牲者である。

 内山聖子の名作小説・映像を現代愚劣思考で冒涜

する自虐(ご本人にとっては歴史継承)の暴挙の生贄

にされていることは、御気の毒だ。

 内山おばさん。ジャニーズ大好きの妄想で名作を冒涜

するのは、いい加減に止めなさい。

 

 東山紀之・松岡昌宏の軽薄拙演は、藤田まことを

継承等していない。内山聖子の軽薄プロデュースは

山内久司の『仕事人大集合』『必殺仕事人Ⅲ』の内容

皆無・愚劣脚本・視聴率稼ぎの自虐愚行のみ継承し

ているとは言えるがな。

 

 田宮二郎・鈴木尚之の偉業に対して失礼である。

 

 視聴率・観客動員という興行面のみ成功して、評価

は電通お抱えの忖度マスコミがゴマをすってくれる。

 

 内山聖子ドラマは腐りきっている。

 

 安倍晋三政権が憲法第九条破壊の野望を、電通

支配のマスコミとの共謀で秘密裡に勧める横暴と

酷似している。

 

 金が全てじゃないんだ。ヒットしようがコケようが、

作品に出会った自分が何を学ぶかが大事なのだ。

 

 鈴木尚之の脚本は、時を越えて、光り輝き、鋭い

問いを観客・視聴者の心に呼びかけてくる。

 

 「命あっての勝負」は『宮本武蔵 一乗寺の決斗』

における武蔵の台詞である。一乗寺下がり松で七

十三人の吉岡一門と対決する武蔵の恐怖と闘志

が語られている。

 

 京都文化博物館では、十・十一月に別館・映像

ホールで「京都映画三巨匠 内田吐夢・溝口健二・

伊藤大輔」の特集が開催された。

 

 吐夢作品現存最古の映画『警察官』は十一月三

日十七時の上映で、この日夜大阪のコンサートチケット

を取得していた自分は諦めざるを得なかった。

 

 十月二十二日映像ホール『大江戸五人男』、二十

三日映像ホール『素浪人罷通る』、十一月三日十三

時三十分別館『斬人斬馬剣』『幕末剣史 長恨』、四

日十七時『ふるさとの歌』、十一月十八日映像ホール

『われ幻の湖を見たり』、十一月二十二・二十五日映

像ホール『反逆児』、二十四日映像ホール『下郎の首』

を見聞し感激した。

 

 この傑作群で初見作品は『ふるさとの歌』のみだが

伊藤大輔傑作群と新たな出会いを賜った感動があっ

た。

 

 『素浪人罷通る』は五回目の銀幕鑑賞であったが、

この映画が「俺の命」であることを、改めて学び実感

した。

 

 京都文化博物館スタッフ・第十回京都ヒストリカ国際

映画祭スタッフ・来場された方々に感謝申し上げる。

 

 十一月の文楽公演は見逃し聞き逃した。

 

 来月二十八日は田宮二郎没後四十年の年に当た

る。

花と龍

 知性と侠気の表現の名人のスタアさんであった。

 

 偉大な二枚目田宮二郎について熱く語って行きたい。

 

 鈴木尚之脚本が傑作映画・名作ドラマを支えたことは

事実だが、『私説 内田吐夢伝』を呼んでいると、伝記

作者としても巨星であったことが窺える。

 

 

                               合掌