鶴澤寛治師追悼 仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の段 | 俺の命はウルトラ・アイ

鶴澤寛治師追悼 仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の段

七代目鶴澤寛治(しちだいめ・つるざわ・かんじ)

本名 白井康夫

文楽三味線奏者

昭和三年(1928年)九月二十七日京都市生まれ。

昭和十八年(1943年)四月 父三代目鶴澤寛治郎後の

六代目鶴澤寛治に師事し、鶴澤寛子を名乗る。同年

十四ツ橋文楽座で初舞台。

昭和十九年(1944年)一月鶴澤寛弘と改名。

昭和三十一年(1956年)一月道頓堀文楽座において

八代目竹澤団六を襲名。

平成十三年(2001年)一月七代目鶴澤寛治を襲名。

平成三十年(2018年)九月五日死去。八十九歳。

 

 七代目鶴澤寛治師匠が亡くなられた。四月国立文楽

劇場公演ではお元気で、鋭く深い三味線の音を聞かせ

て下さった。

 夏休み文楽特別公演を聞き落とし、見落としてしまっ

ていた。その公演が、師匠の最期の舞台になった。

 「スケジュールを調節し、行くべきだった」という後悔が

胸に迫ってくる。ご高齢になられても、お元気な御姿を

見せて下さっていた師匠が、亡くなられたという事実が

悲しい。

 国立文楽劇場に行けば、七代目竹本住太夫師と七代

目鶴澤寛治師に会えるのではないか、という絶対無理な

事柄を想ってしまう自分がいる。

 

 四月二十八日に住太夫師が死去された。百三十日後

の九月五日に、寛治師が亡くなられた。

 文楽にとって、痛恨事であり、大宇宙の宝が亡くなられ

た事実に対して、認めたくないという想いを禁じ得ない。

 

 だが、竹本住太夫師と鶴澤寛治師は死去されたという

事柄は動かしようのない事実である。両師の肉体は生命

を終えられたが、その尊い至芸は、文楽ファンの心におい

てずっと生き続ける。

 

 寛治師匠のお身体は小さかった。しかし、三味線を弾

かれている師匠は、限り無く大きな存在だった。

 深く鋭い音は、浄瑠璃の中の人物の心を弾き出し、生

き方を伝えて下さっていたことを思う。

 

    注意されたことや教えられたことは基本的に書き

    残せるものではなく、自分が身体で覚えていくしか

    ない。三味線は息と腹で決めていくものです。吸う

    息、吐く息の具合でバチの使い方を変え、柔らかく

    弾いたり鋭い音を出したりする。

    (『人形浄瑠璃文楽 平成二十五年初春公演

     筋書』24頁 「技芸員に聞く 鶴澤寛治」)

 

 寛治師匠のような巨星が、注意されたことや教えられた

ことを身体で覚えられる。息と腹でバチの使い方を変えて

柔らかに弾くことや鋭く弾くことがあると確かめる。

 

 本日は、偉大な鶴澤寛治師匠の数々の名舞台の中で

自分が大いなる感動を賜った、平成二十四年十一月十

九日国立文楽劇場『仮名手本忠臣蔵』の舞台を尋ねた

い。

 

 『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』

 「三段目 殿中刃傷の段」

 平成二十四年(2012年)十一月十九日

 国立文楽劇場

 大夫    竹本津駒大夫

 三味線   鶴澤寛治

 ≪人形役割≫

 高師直     吉田玉也

 塩谷判官    吉田和生

 茶道珍才    桐竹勘次郎

 桃井若狭之助 吉田幸助

 加古川本蔵  桐竹勘十郎

 

 舞台上で書割の道具が移動して殿中が表現される。

静かな緊張感が走り、殿中の段が始まる

 

 鶴澤寛治の三味線は深く鋭くて厳かで強い。浄瑠璃

の心を静かに弾いてくれる。

 

 竹本津駒大夫の語りが深遠である。

 

 師直が珍才を伴って現れるが、若狭を見てすぐに頭

を下げる。この老獪さと豹変ぶりが強烈な印象を残す。

 

 津駒大夫の語りは、師直が若狭に「斬らせない」よう

に謝って、自尊心を傷つけないように彼の心理を巧み

に呑んでしまう過程を鮮やかに語ってくれる。

 

  年に免じて御免御免。これさこれさ武士が刀を投

  げ出して手を合わす

 

 老獪な狸親父ぶりの狡賢さは客席の笑いを呼び

起こす。

 

 玉也の遣いと津駒大夫の語りと寛治は、ピッタリと一

致し、三業の呼応が浄瑠璃の心を明かすことを実感し

た。

 

  寝刃合はせし刀の手前、さし俯き思案顔

 

 文楽はきっちりと「二段目」の「本蔵松切の段」を上演

してくれるので、寝刃を合わせてくれた家臣本蔵の助け

・応援に応じきれず刃傷を思いとどまってしまった、若狭

の苦悶が深く語られるのだ。

 

 幸助の遣いも鮮やかで、若狭之助の悩みが明らかに

された。

 

 

 「アアもう楽じゃ」で、主君の刃傷我慢とお家安泰を

確認した本蔵の安心感が語られる。


 

 桐竹勘十郎の遣いは鮮明で、静かな動きに本蔵の

存在感を見せる。

 

 三宅周太郎は『文楽の研究』(岩波文庫版)において

昭和六年の『仮名手本忠臣蔵』公演を見て、何故「殿

中刃傷の段」で登場するのが、原作に語られる伴内で

なくて、珍才なのかと問うているが、賛成である。

 

 

 原作を重視している文楽にしては、良くない改変であ

る。

 

 歌舞伎の演出では、原作通り伴内が出る。

 

 

 

 塩谷判官が現れ、師直と舞台中央で出会い、強烈な

緊張感を観客の胸に起こす。

 

 歌舞伎では顔世の返書を坊主の茶道が持って判官に

渡す演出があるが、この段は文楽で語る通り、判官が

持って現れる演出が理想である。


 

   「さなきだに重きが上のさよ衣、

   わがつまならぬつまな重ね

   そ重ねそ」これは新古今の

   歌。この歌に添削とはムムムム

 

 顔世の返書を読み失恋の事実を知って心の底から

傷つき、激怒する師直。自分の眼前に、求めて振られ

た女性の夫塩谷判官がいる。虐めたいという内面の

欲望と激しい嫉妬を刺激される。

 

 男が年を取って、身の程も弁えず、年甲斐もなく若

き美女に邪恋を抱いて振られて、取り乱し、抵抗でき

ない恋敵を一方的に憎悪し虐める。

 

 嫌らしく浅ましい心であり、情けない嫉妬である。

 

 だが、それを否定できないのも人間の本心であると

自分は考える。失恋は「思い通りにならない現実」を

教えてくれる事柄であり、人間にとって大切な試練で

あり、鍛えられる機会だ。その事実を受けとめるか

否かが問われている。

 

 『仮名手本忠臣蔵』は人間の最も熱い感情を語っ

て、刃傷事件のきっかけに位置付けている。

 

   総体貴様のやうな、内にばかり居る者を 

   井戸の鮒じゃといふ譬えがある

 

 この段の師直の憎たらしさが圧巻である。

 

 「ムハハハ」の笑いは数十回繰り返され一回一回

違っている。

 

 判官を愚弄する師直のいじめの心がますます肥

大し、虐めが楽しくてたまらない様子が溢れている。

 

 玉也が遣う師直には悪魔のような巨大さがある。

 

 虐めを必死に堪え頭を下げる判官の痛みを、和

生の遣いが明かしてくれる。

 

 津駒大夫の語りが圧巻である。

 

 ムムすりゃ今の悪言は本性よな

 

 くどいくどい本性ならどうする

 

 吉田和生の判官は、「もはや抑えらぬ」という我慢の

限界を示し、武士が全てを賭けて挑む戦いとして斬り

かかる決意を熱く表現する。身体の震えに判官の怒り

が現れる。

 

 判官は遂に刀を抜いて師直に斬りかかり、師直は

傷の痛みを堪えながら平舞台から引っ込み、舞台二

重に逃げて上手から下手に歩み、判官も二重に現れ

て抜刀しながら追う。

 

 この段の演出は、文楽における殺陣・アクションの

壮絶さを十全に明かす。

 

 額を抑えて走るように、逃げ去る師直。

 

 斬りつけようとする判官。

 

 判官を懸命に諌め抱き止める本蔵。

 

 勘十郎の本蔵が、和生の判官を制止する。

 

 「三段目」における「刃傷」の激怒と刃傷と制止

のドラマが極まった。

 愚弄されて堪忍袋の緒を斬って刀を抜き師直

暗殺未遂事件を起こして切腹を命じられる塩谷

判官。恋の逢瀬を楽しんでいた、判官の近臣早

野勘平と顔世の侍女であったおかる。

 大星力彌と加古川小浪。全ての人々の道が、

判官の刃傷によって大きく変わる。換言するな

らば、主要登場人物たちのそれぞれの人生の

一大転換点は、それぞれに判官の刃傷事件に

集約・包摂されて、それぞれに新たな危機に立

たされる。

 

 『仮名手本忠臣蔵』「三段目」は、完璧な物語美

を示しているが、現在大きく改変されている歌舞伎

演出ではその美を感ずることは難しく、殿中で伴内

ではなく珍才が出ると言う改変はあるものの、原作

をほぼ忠実に上演する文楽によってのみ、「美」の

舞台鑑賞では成り立つ。

 

 「完成度」等と言う言葉を軽々しく使って分かった

つもりになることとは全く違うのだ。原作の言葉を

身心挙げて聞き読み、劇場客席で技芸員が熱く

舞台に打ちこむ姿を見聞することにおいて、観客は

圧倒されるのだ。原作を読み客席で舞台を鑑賞し

た者のみに、戯曲・舞台の芸術美を実感する。

 

 何故なら技芸員の至芸に触れて、観客は自己

自身の汚さ・怠惰を痛感せざるを得ないからだ。

 

 戯曲に命を賭けている方がおられる。それが文

楽座技芸員だ。

 

 『仮名手本忠臣蔵』は激流のドラマとして完全な

美を示しているのだが、反復して述べたように、

判官に切りつけられて走り逃げる師直の恐怖に、

人形たちが舞台で命を生きていることを学んだ。

 

 判官の虐めへの悲しみと、師直の傲慢さと本蔵

の救援の課題が深く語られた。怨念の精神の凄

まじさと命の危機の怖さと襲撃諌止の配慮の優

しさを仰いだ。本蔵はその配慮が、判官の死の無

念の憎悪となって苦悶し、自ら命を捨てることの

遠因になるのだが。勘十郎が遣う本蔵には、優しさ

があった。

 

  鶴澤寛治の深い三味線に心を打たれた。

 

  自分はこの月に、公演の休演時間に昼食を食

べに劇場外に出たのだが、公演を終えられて帰路

に着かれる鶴澤寛治師匠を拝見したことがある。

 

 黒い洋服を着て居られた寛治師匠は、カッコよく

て、ダンディーだった。

 

 鶴澤寛治師が弾かれた、強く深く厳しく鋭い音が、

耳の底を通じて、自分の心に今も響いている。

                      

                    文中一部敬称略

 

 

                           合掌

 

                  

                     南無阿弥陀仏

 

 

                          セブン