ゆきゆきて、神軍(十八)「そう言う事をさせない為に」 本日奥崎謙三 九十八歳誕生日 | 俺の命はウルトラ・アイ

ゆきゆきて、神軍(十八)「そう言う事をさせない為に」 本日奥崎謙三 九十八歳誕生日

『ゆきゆきて、神軍』

映画  122分 トーキー カラー

昭和六十二年(1987年)八月一日公開

製作国    日本

製作    疾走プロダクション

製作    小林佐智子

撮影    原一男

録音    栗林豊彦

 

出演    奥崎謙三

 

       山田吉太郎

       大島英三郎

       奥崎シズミ

 

 

 

 

監督   原一男

 

 

☆☆☆

昭和六十三年(1988年)二月二十日

ルネサンスホールにて鑑賞


 

 

☆☆☆

関連記事
『『ゆきゆきて、神軍』(一)』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12170813202.html

『『ゆきゆきて、神軍』(二)本日公開二十九年 二十九歳

誕生日』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12186373778.html

『『ゆきゆきて、神軍(三)男泣きの涙』』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12187694533.html

『『ゆきゆきて、神軍(四)岸壁の母』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12190488393.html

 

ゆきゆきて、神軍(五)意志を越えたこと 謙三九十七歳誕生日

 

ゆきゆきて、神軍(六)人生勉強

 

 

ゆきゆきて、神軍(七)「大事なんです」

 

ゆきゆきて、神軍(八)記憶

 

 

ゆきゆきて、神軍(九)料亭での証言  本日原一男監督七十二歳誕生日

 

ゆきゆきて、神軍(十)「食べました」の発言

 

ゆきゆきて、神軍(十一)道端の光景

ゆきゆきて、神軍(十二)糾弾 

 

ゆきゆきて、神軍(十三)戦争責任追求

 

ゆきゆきて、神軍(十四)事件についての証言

 

 

ゆきゆきて、神軍(十五)代役

 

ゆきゆきて、神軍(十六)「戦争ていうもの」

 

ゆきゆきて、神軍(十七)天罰と罪

 

  奥崎謙三は全ての存在が天罰を受けていると主張する。これ

に対し山田吉太郎は天罰を受けたとは思っていないと生き方を

確かめる。奥崎に「貴方は?」と問われた山田は、「奥崎さんに

奥崎さんの人生があったろうし、俺には俺の人生があった、ひ

とりひとり違うんだよ。一緒に生まれて一緒に死ぬことは出来な

いんだよ」と答える。

 奥崎は過去に「貴方も私」も語れないことをしてきたと追求す

る。山田は語ればかえって害になる場合もあり、自身が書いた

記録を読んでもわかるが草の根っこ、木の根っこを食べたこと

も記されていると確認する。

 奥崎は戦争から帰ってきた人は皆言っているという。山田は

ニューギニアは別で生きていられるところではないと戦場の苦

しさを語る。奥崎は虫を食ったとかそういうことは誰もが言って

いるが、今日聞きにきたことは、貴男が体験したことだと告げる。

  山田は「これ以上のことは言えない」と心に決め、氏神様に

戦友を祀っていると自身の在り方を強く語る。

 

 山田家の庭には祠がある。

 

  山田「結局これはね、その時の指導者だとか、ああ、そいつ

      の流れに流されただけだよ。」

 

  奥崎「そうでしょう。だから」

 

  山田「だからこれからを心配して、今の世の中をね、俺は心

      配してる訳なんだよ。」

 

  奥崎「心配する、するならばね、何故貴方の体験したことを

      ね、その語るべきじゃないですか!そういう連中に又

      再びそう言う事をさせない為に貴方は地獄を見てきた

      わけでしょ!?」

 

  山田「そうだよ!」

 

  奥崎「その地獄を語らなくってね、戦友の慰霊になんかなる

      筈ないですよ。貴男はね結局ね、現在のね、現在の

      家族とか女房とだとか子供だとか孫だとかを考えて

      言わないんでしょ。」

  

  奥崎は大島英三郎扮する橋本義一を指して、橋本義一さん

の兄さんが話を聞きたいとお見えになっているから話すべきだ

と強調する。

 

 山田は「何で俺にすいませんと言えってんだ」と問う。

 

 奥崎は過去に事件について語ったじゃないかと問い、山田は

知るかいと否定する。一昨年の正月に言ったと奥崎が言うと、

山田は何を言っても「俺らの生活」は理解を絶していると告げ、

奥崎は「理解なんかはしようとは」と語り、山田は「理解できる

ような生活だったら、俺だけ生きて帰ってくるはずはない、み

んな生きて帰る」と意見を語った。

 

 奥崎は「事実を話して下さい」と迫り、そのことが「最高の供

養になる」と自身の心を述べた。

 

  山田「俺は俺なりの供養をしてる、奥崎さんは奥崎さんの

      供養なりの供養をしてるだろう。俺は俺なりの供養

      をしてるんだよ。だから俺は靖国神社行ったって。」

 

  奥崎「靖国神社行ったら、英霊が、その、救われると思う

     のか!貴様!え!」

 

 奥崎は靴を履いたまま土足で座敷に上がり、山田を殴る。

 

  山田の妻が「奥崎さん、病気だからすみません。それ

だけはやめて」と制止するが、怒り心頭に達した謙三は

暴力を振るい続ける。吉太郎はスタッフに「暴力振るって

るの見てるんか!」と問う。

  孫が止めに入るが、奥崎は尚も暴力を振るい、何故

言わないと問い詰め、山田は理解を越えたことだと言い、

「事実を言え」と奥崎は蹴り始めた。

 

  山田の妻「それだけは止めて!」

 

  奥崎シズミ「やめなさい!」

 

 シズミは身を挺して山田吉太郎を守り、謙三の足に蹴

られる。吉太郎は痛みを感じ、警察を呼べと言う。

 

   謙三「警察ぐらい、俺が呼んだるわい!何処に電話あ

      るんだ?」

 

  山田の妻が夫を労わり、「病気なんだから」と語りかけ

た。

 

   謙三「病気なら病人らしくしとけ!」

 

 

   山田「みんな、犠牲者だよ。」

 

 山田の妻は「倅に怒られるから」と語った。

 

  山田は「てめえらが悪いんだ」とスタッフを叱り、自身が

協力してきたことを確かめる。山田の孫は祖父に寝てなよ

と労わる。

 

 

   謙三「山田!」

 

   山田「一票だけなんだよ、一票だけ」

 

   謙三「山田吉太郎!呼ぶんだろ百十番を!」

 

   山田「それ以上しなきゃ呼ばないよ」

 

   謙三「え!」

   

   山田「あんただって苦労してる。俺も苦労してるんだ。」

 

   謙三「だからその苦労したことを言えと言ってるんだ!

      何故言えないんだ、貴様!」

 

   山田「六回腹切ってる。」

 

  術後で体力が無いが普通なら負けやしないと山田は体力

を確かめるが、妻が止め、場合によっては告訴すると姿勢を

述べた。

   

    謙三「来さすんか!呼ぶんか、山田吉太郎!来さすん

        か!おい、山田!パトカー呼ぶんかっていうん

        だ!」

 

    山田「もう少し冷静になってくれよ。」

 

 大島英三郎はあったことをありのままに語って欲しいと頼

むが、山田吉太郎は「言える筈がない」と拒絶する。

 

   謙三「山田!」

 

   山田「みんな悲しむから」

 

   謙三「呼ぶんか!呼ばんか!おい!」

 

   大島「戦争っているのは」

 

   山田「悲惨だねえ。もう二度と起こして欲しくないと願っ

       てる。」

 

   大島「この頃の若い人はそうでないの、映画会社だとか

      何かの宣伝で、戦争というのは勇ましい」

 

   謙三「病気だけど、元気ええじゃないか、儂にあれだけ

       かかって来られるならば!」

 

   山田「だからさっき言った体は駄目だけど。」

 

   謙三「あれだけ俺にかかってこれれば大したもんだ。私

      はね、病院じゃ心配してた。貴方死ぬんじゃないか

      と思って。それだけ元気になれば。」

 

   山田「俺はまあ、生きればいいと思ってる。」

 

  大島はありのままを話してくれれば、戦争はこんなにも恐ろ

しいものなんだということが伝わり、戦争の防止に役立つと意見

を語る。

 

   山田「そういうことは俺知ってるんだよ。」

 

   謙三「知ってたら何故言わないの。貴方を責めに来た、貴

       方をね。」

 

   山田「いいじゃない。暴力迄振って。」

 

   謙三「貴方が余りにもね、あのう、言わないからよ。」

 

   ☆☆☆平和運動の中の暴力☆☆☆

 

   奥崎謙三と山田吉太郎の大激論。独立工兵第三十六連隊

で生き残った二人。ニューギニアの戦場から日本に帰って来れた

二人なのだ。奥崎は捕虜になったが、山田はニューギニアの地

で苛酷な戦場を生きて帰ってきた人である。

 

  原一男は「たった一人で天下国家に挑む神軍平等兵と、身を

粉にして働き、家族を大切にし、平和を願う市井の人」(36頁)と

して、謙三と吉太郎を見つめた。

 

 くじ引き謀殺事件は、山田にとって語るに語れない重い事実で

あったようだ。奥崎は自身が罪を犯してしまったことは天罰であ

り、山田さんも天罰を受けていると彼なりの罪の意識を語る。

 

 戦争から帰ってきて命が助かったが、平和の為に生きている

か?この問いが奥崎に強くあった。餓死した戦友達の無念を

い、彼は平和運動に粉骨砕身の精神で打ちこんだ。

 

  昭和四十四年(1969年)一月二日皇居一般参賀で昭和天皇

に対して、「山崎、ピストルで天皇を撃て」と語り、パチンコ玉を

撃った。これは亜細亜太平洋戦争・日中戦争・昭和戦争・十五

年戦争で大日本帝国の統治者であり、陸海空軍を統帥していた

責任者であり、数多の日本人・外国人の生命を戦争で犠牲にし

ながら、戦争責任を取らず果たさない昭和天皇の責任を追求

する行動であった。

 

 昭和天皇の戦争責任を無い事にして、東條英機ら輔弼の臣

の責任に転嫁したのは、連合国の判断であり、東京裁判もそ

の方針に沿って進められた。

 

 天皇の責任を問えば内乱が起こると連合国は判断し、天皇

を守り、象徴として残す事を提案し、日本国政府はその案に

賛成した。

 

 戦後、昭和天皇の戦争責任を問うことはタブーであった。命

賭けで追求した学者や作家やジャーナリストや芸術家や映画

監督は勿論沢山いる。

 だが、昭和天皇本人の前でパチンコ玉を撃って糾弾したのは、

後にも先にも、奥崎謙三ただ一人であろう。

 昭和天皇の明治三十四年四月二十九日から、昭和六十四年

一月七日までの八十七年の生涯で、彼に向かって「天皇を撃て」

と直接語りかけたのは、奥崎一人だと自分は想像している。

 

 誰も為し得ないことを、謙三は為した。

 

 奥崎謙三が延原一夫を殺害したことや妹尾幸男や山田吉太郎

に暴力を振るったことや村本政雄の子息を狙撃したことは、悲し

い。テロや暴力は絶対に許されない。この暴力に自分は反対す

る。

 昭和天皇にパチンコ玉を撃ったことは、始めから昭和天皇の

肉体を傷つけることではないし、非暴力の戦争責任追及の行為

として自分は支持する。いかに東京裁判が問題のある裁判でも

個人が関係者を裁くことはできないし、私刑は許されないことで

ある。

 

 元兵士で生き残った奥崎が、戦争責任を取らない昭和天皇

に怒りを覚えることは察せられる。

 

 このパチンコ玉狙撃のような方法で戦争責任を追求すべき

で、暴力を振るうべきではなかった。

 

 山田吉太郎はかつての上官で、戦後協力者・戦友として協力

し合った友である。

 

 その戦友と靖国神社の議論を巡って乱闘を起こし、病気・術後

の山田さんに殴る蹴るの暴力を振るう謙三。

 

 このシーンは見ていて辛い。

 

 スタッフもカメラを回し続けるべきなのかと悩み、原一男が撮影

に徹した姿勢に疑問を呈したようである。

 

 山田の妻が懸命に止める。

 

 激怒する謙三は暴力をやめない。

 

 そこへシズミが身を挺して、山田吉太郎を守り、自身が蹴られ、

足に負傷する。夫の暴力から、証言者の戦友を守る行為である。

 

 奥崎謙三に怒りを覚える人も、昭和天皇を崇拝する人にも、

このシーンの奥崎シズミの捨身の諌止の義挙はしっかり見聞

して頂きたい。

 

 反復になるが、これこそ捨身の愛の行為だ。

 

 愛する夫に、「暴力はあかん」と自己の足を蹴らして、山田さ

んを守ろうとする。

 

 奥崎シズミの制止の暖かさに、神軍の母性を見た。

 

 奥崎謙三の著書を読むと、神の国「ゴッドワールド」では全て

の人類が絶対的平等の関係で平和に生きることが成り立つ地

と書かれ、彼がその国の成就を祈って歩んでいることが強調

されている。

 

 永遠平和・絶対平等のゴッドワールドを目指す平和運動。

 

 その道の歩みで、何故暴力事件が起きてしまうのか?

 

 この問題が重く響く。

 

 奥崎謙三が殴り蹴り怒鳴るシーンは怖い。

 

 山田吉太郎は暴力を振るわれても、落ち着いて諭すように

謙三に語りかける。

 

 落ち着きを取り戻してきた謙三は再び事実を語ってくれと

頼みだす。

 

 奥崎謙三にとって暴力を振るってしまったことへの痛みが

感じられていることを、この話法の変化が示していると自分

は思った。

 

 暴力・暴言・テロには反対だが、平和祈念の心には敬意を

表する。

 

 地球の平和を祈ります。

 

 

                      

 

 奥崎謙三さん

 九十八歳お誕生日

 おめでとうございます。

 

                           文中一部敬称略

 

 平成三十年(2018年)二月一日

 

 二月二日追記 記事の題を「土下座」から「そう言う事をさせ

ない為に」に改題致します。

 

 奥崎氏生誕九十八年。謙三さんの反戦の心から語った言葉

を題に引用したいと思い、改変します。

 

 

                                  合掌

 

 

                             南無阿弥陀仏

 

 

                                 セブン