山下耕作将軍 八八歳誕生日 | 俺の命はウルトラ・アイ

山下耕作将軍 八八歳誕生日

 山下耕作(やました・こうさく)

 映画監督。

 昭和五年(1930年)一月十日生まれ。

 平成十年(1998年)十二月六日死去。

 

 山下耕作監督は時代劇・任侠映画の巨星です。

「将軍」が愛称でした。花を映す名人でもありました。

 

 『関の彌太ッぺ』

 映画 トーキー 89分 カラー

 昭和三十八年十一月二十日公開

 製作 東映京都

 原作 長谷川伸

 脚本 成沢昌茂

 主演 中村錦之助(後の萬屋錦之介)

 監督  山下耕作

 

  渡世人彌太郎は、少女お小夜を助けます。

 

 

  「お小夜ちゃん。

  悲しいこと、辛えことはいっぱいある。

  だが、忘れるこった。

  忘れて日が暮れりゃ明日になる。

  ああ、明日も天気か」

 

 爽やかな青年やくざであった彌太郎は、十年後顔に傷を持つ

凄みあるやくざになっていました。

 小夜は美しい少女に成長し、十年前に自身を助けてくれた

渡世人のおじさんに会いたいと願っていました。

 

 彌太郎は過去を隠してお小夜と会い木槿の花を通して語り

ます。

 

関の彌太ッペ 錦兄

 優しく暖かく美しい映画です。

 

 錦兄と十朱幸代の名演に圧倒されます。

 

 木村功の森介は哀れさが光ります。

 

 愛の尊さを極め尽くした大傑作です。

 

  将軍は平成八年『泣いて笑って涙して』で文部大臣賞を受賞

しました。この映画は自分にとって未見の作品です。人権問題の

作品だそうです。文部大臣賞受賞式で「テレビ局のレポーターの

若い女の子ばっかし」で、将軍に「ヤクザ映画と教育映画とはどう

なんでしょうか」と聴いたそうです。

 

   将軍の声は鋭いです。

 

    「馬鹿言っちゃいかんよ。君は俺の映画見たことあるのか」

 

   「いいえ」

 

   「見てから言いなさい。俺が撮ったヤクザ映画は全部教育映

   画だ」

   (『将軍と呼ばれた男 映画監督 山下耕作』50頁

    1999年1月22日発行 ワイズ出版)

 その通りです。自分が観た将軍監督ヤクザ映画は、全て、教育

映画でした。

 命の尊さ・義に生きる生き方・愛する人を守る心・花に託した愛。

教わったことは無限です。

 

 『泣いて笑って涙して ポコアポコ』も見たいです。

 

 『修羅の群れ』について将軍は「映画が良くなる条件」を解説して

います。

 

     「松方は、ずば抜けて良い男なんです。その上、たいへん

     上質のバカ者です。

      僕ふうに言うとね、映画が良くなる条件として、役者は最

    上級のバカ者で、プロデューサーは最上級の賢者で、監督

    は中途半端な者であること。これが揃うと良いものが出来る

    んです。『修羅の群れ』は、その条件が揃った映画なんです。」

    (『浪漫工房 特集・松方弘樹 いま最も映画を愛する男』

    54頁 1997年1月28日発行 創作工房)

 

 松方さんは映画愛に全てを捧げるということで「上質のバカ者」な

のかな。讃辞ですね。

 

 俊藤プロデューサーは、本当に頭の良い、優れた感性の持ち主

で観客の心の琴線に触れる写真を撮る人でした。時代の要求を読

む眼力を磨いておられた。

 

 「監督は中途半端な者」とは御謙遜です。任侠映画の第一人者は

将軍です。

 

 今の日本は伝統を軽視し、過去を侮蔑し、商業主義に走り、拝金

主義に溺れ、お手軽で安易な作りによる映像や人気取り・集客目当

の演劇新作や偉大な外国古典の破壊がマスコミにもてはやされ、長

い物に巻かれてしまえという傾向があり、残念に思います。

 

 偉大な外国出身のスポーツマンが嫉妬から排斥されたりしている

のは現代日本の恥です。

 

 右も左も平和と平等の尊さをわかっているのか?

 

   「朝鮮人も日本人もあるかい!

    おんなじ人間どうしじゃねえか!」

 

 村尾昭先生が書き、将軍が撮り、弘樹さんの稲原龍二親分が語っ

た台詞に、生命の平等性を学びます。

 

 (十日早朝に書いた記事に同日深夜加筆しています)

 

 

 

 将軍 八十八歳お誕生日おめでとうございます。

 

 

 

                                  合掌