尾上松之助葬儀 | 俺の命はウルトラ・アイ

尾上松之助葬儀

『尾上松之助葬儀』

記録映画  無声 20分 白黒

大正十五年(1926年)九月十六日撮影

製作国 日本

製作   日活大将軍

 

出演   阪東妻三郎

      衣笠貞之助

      横田永之助

 

☆☆☆

昭和六十三年(1988年)十月一日

京都文化博物館にて鑑賞

☆☆☆

 

 尾上松之助(おのえ・まつのすけ)

 

 明治八年(1875年)九月十二日生まれ。

 本名 中村鶴三

 明治四十二年(1909年)『碁盤忠信』で活動

大写真に初出演する。以後日本の大スタアと

して活動大写真を牽引する。「目玉の松ちゃん」

の愛称で親しまれる。

 生涯に一〇〇七本の映画に出演する。

 『渋川伴五郎』を始め、僅かではあるが、

出演作品は現存しているものがある。

 私生活では贅沢をせず、質素に暮らして

いたが、社会活動には熱心で大正十四年に

京都府に一万三千六百円の大金を寄付した。

 

 大正十五年(1926年)九月十一日死去。

数え年五十二歳。

 

 九月十六日に京都市で日活社葬が行われ

た。

 京都府知事を始め、五万人が葬儀に参集

したと言われている。沿道で見送る市民は

二十万人と記録されているという。

 本作はその葬儀の記録である。

 

 新スタア阪東妻三郎が焼香する映像がある。

 

 

 

阪東妻三郎は明治三十四年(1901年)

十二月十四日に東京府に誕生した。

本名田村傳吉。

昭和二十八年(1953年)七月七日に死去

した。

 

 松之助の後を継いだ銀幕スタアである。

 

 名監督衣笠貞之助・日本映画の功労者

横田永之助の映像も記録されている。

 

 俳優松本泰輔が献じた花が映っている。

 

 あらゆる人達から愛された活動大写真大

スタア尾上松之助。

 

 大正時代の京都を記録した映像でもある。

 

 昭和六十三年(1988年)十月一日京都文化

博物館が開館した。

 三階映像ホールでは第一日上映作品として、

尾上松之助主演作品『渋川伴五郎』と記録映

画『尾上松之助葬儀』が上映された。

 この日松之助の養子中村房吉が来館し、解

説を担当した。

 

   「阪妻です」

 

 焼香する阪東妻三郎の映像を語る。

 

 客席から「おお」と声がかかった。

 

 上映終了後、当時二十一歳の自分は会釈させ

て頂いた。

 

 中村房吉氏は、自分のような若輩者にも笑顔で

会釈してくださる方であった。

 

 

  尾上松之助の生涯に敬意を表します。

 

                   文中一部敬称略

                   

                          合掌

 

 

                    南無阿弥陀仏

 

 

                         セブン