血槍富士 | 俺の命はウルトラ・アイ

血槍富士

『血槍富士』

映画  94分 トーキー 白黒

昭和三十年(1955年)二月二十七日公開

製作国       日本

製作・配給  東映京都

製作     大川博

原作     井上金太郎

企画     マキノ光雄

        玉木潤一郎

企画協力  伊藤大輔

        小津安二郎

        清水宏

        溝口健二

脚本     三村伸太郎

脚色     八尋不二

        民門敏雄

撮影     吉田貞次

照明     中山治雄

録音     東条絹児郎

美術     鈴木孝俊

編集     宮本信太郎

音楽     小杉太一郎

衣裳考証  岩田専太郎

擬斗     足立伶二郎

助監督    隅田朝二

撮影助手  山岸長樹

美術助手  角井博


出演


片岡千恵蔵(権八)


喜多川千鶴(おすみ)

田代百合子(おたね)


植木基晴(次郎)

植木千恵(おさん)


進藤英太郎(巡礼)

加東大介(源太)

横山運平(与茂作)


小川虎之助(あんま)

加賀邦男(小間物屋伝次)

島田照夫(酒匂小十郎)


杉狂次(殿様)

渡辺篤(殿様)

丘権三

真山くみ子

吉田義夫(女衒久兵衛)

高松錦之助(金田

小金井勝(銭村)

青柳柳太郎

葉山富之輔

尾上華丈

楠本健二(侍)

赤木春恵


月形龍之介(藤三郎)


監督 内田吐夢


血槍富士

☆☆☆
島田照夫→片岡栄二郎

☆☆☆
 平成八年(1996年)五月 京都文化博物館

にて鑑賞。この機会以外にも鑑賞している。

☆☆☆

 

  槍持ち権八は、朋輩の源太と共に、主人

酒匂小十郎の供をして、江戸を目指して東海

道を歩んでいた。小十郎は暖かい人柄だが、

酒を飲むと、思わずカッと逆上してしまい、持

ち前の正義感を抑えられぬ性格であった。


 権八・源太の課題は、その殿様小十郎をお

守りすることであった。

道中には、旅芸人の美女おすみとその娘、小

間物屋伝次、按摩の藪の市、巡礼の大男、百

姓与茂作と娘たね、寡黙な男藤三郎が一緒だ

った。


 権八は次郎少年と親しくなる。二人に親子の

ような絆が生まれる。

 その頃、大泥棒の六右衛門が出没すると語

られ、旅の一行は金品に注意する。巡礼は泥棒

を恐れる。

 藤三郎は所持している大金を丁寧に、用心

深く管理する。


 小十郎は酒場で激怒しそうになるが、権八・源

太の働きで守られる。


 伝次は藤三郎を泥棒と見て追求するが、次郎

の働きで、巡礼こそ大泥棒の六右衛門であるこ

とが明かされ、権八の働きもあって、六右衛門

の身柄は捕縛された。


 藤三郎は、身売りした娘の身請けの金を稼い

でその金を失わないように用心深くしていたの

だった。

 だが、彼は女衒から最愛の娘が病死したこと

を知らされ、「ええ」と語って深く悲しむ。


 小十郎が源太を連れて酒場に行くと、不逞の

侍達が、給仕の女達に乱暴狼藉を働いていた。

 あまりの暴虐に小十郎は注意する。侍達は怒

り、小十郎に喧嘩を売り、両者は対立し闘争と

なる。


 権八が心配して酒場に到着した時には、小十

郎と源太は無惨に斬られて死体となっていた。


 権八は槍を取って、ただ一人で侍達に復讐の

戦を挑む。


 ☆☆☆吐夢時代劇 悲しみを生きる道☆☆☆

 内田作次郎は明治三十一年(1898年)四月二

十六日に岡山市に誕生し、後に内田吐夢を名乗

り、俳優・スタッフ・監督となり、沢山の傑作を発表

する。

 昭和十六年(1941年)所属していた日活と意見

が合わず満州に行き満州映画協会に在籍する。

 昭和二十年(1945年)には甘粕正彦の自殺現場

に立ち合う。中国に抑留され、昭和二十八年(195

3年)に帰国した。

 日本に帰国した吐夢は悩む。「今は現代劇は取れ

ない」という意向であった。


 井上金太郎監督を追悼し、監督作品『道中日記』

のリメイク企画が伊藤大輔・溝口健二・清水宏・小津

安次郎・八尋不二らによって企図された。


 この企画のオファーを受けた吐夢は、承知する。


 企画協力者に伊藤大輔・小津安二郎・清水宏・

溝口健二と豪華な顔ぶれが揃い、親友吐夢の戦後

第一歩を激励した。


 権八は暖かい槍持ちで少年次郎と心の交流を確

かめるが、主人小十郎を守っている。

 片岡千恵蔵・植木基晴親子の絆が、そのまま権

八・次郎の友情に呼応した。


 千恵蔵御大が渋く、時代劇演技の大地と呼びたい

重さで、権八の忠義と悲しみを語る。


 道中における多彩な人間ドラマは深い。


 喜多川千鶴がセクシーで妖艶だ。


 繊細な巡礼が実は大泥棒という設定に感嘆した。


 用心深い藤三郎に「泥棒ではないのか?」という

問を抱かせ、実は巡礼であったという意外性の

ドラマが語られる。


 藤三郎が最愛の娘の死を聞かされて悲しむシーン

に胸が熱くなる。


 月形龍之介の至芸は、海よりも深い。


 小十郎と源太が、侍に斬殺され、かけつけた権

八は主君と仲間の怨みを晴らすべく、槍を撮った。


 決闘シーンでは、千恵蔵御大が樽を槍で刺して、

酒が溢れ、侍達と激闘を戦い、槍で刺す。


 この大激闘シーンは、日本時代劇映画の決戦

場面で特に強烈なシーンである。


 権八は仇討を為すが、次郎に侍は悲しいことを

語る。


 復讐の戦いに勝つが、切なさを痛切に感ずる

ところに、吐夢の主題がある。

 「救えなかった命」への悲しみと「戦いの後の苦

さと切なさ」が、千恵蔵御大の名演によって語られ

る。


 物語は悲しくて悲惨なのだが、映画の空気は

暖かい。


 

 本作は怖い先生なのだが、上映されていると

聞くと必ず見に行ってしまう名画である。


 汗を書き、夢を吐いた巨匠吐夢。


 命一コマの教えは、一コマに命の情熱を燃や

した吐夢の生き方を現している。


 本作に、その命一コマの熱意が熱く激しく燃え

た。


 『血槍富士』における権八の悲しみは、命が

失われたことへの痛みであり、敵対した悪党

侍達の命も尊いものであったことを思う痛みで

もあったと思う。


 生きることは、悲しみや痛み出会い、傷つき

悩み苦しむことの連続である。



 『血槍富士』における片岡千恵蔵御大の権八

の重厚な歩みに、苦しみや悲しみを背負い、荷

って生きる人の大きさを仰いだ。



                     文中敬称略


 内田吐夢 没後四十六年 四十七回忌命日

 平成二十八年(2016年)八月七日




                         合掌




                     南無阿弥陀仏





                        セブン