ゆきゆきて、神軍(三)男泣きの涙 | 俺の命はウルトラ・アイ

ゆきゆきて、神軍(三)男泣きの涙

『ゆきゆきて、神軍』

映画  122分 トーキー カラー

昭和六十二年(1987年)八月一日公開

製作国    日本

製作    疾走プロダクション

製作    小林佐智子

撮影    原一男

録音    栗林豊彦



出演    奥崎謙三

       島本イセコ

       

監督   原一男


☆☆☆

昭和六十三年(1988年)二月二十日

ルネサンスホールにて鑑賞

☆☆☆

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誕生日』

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 奥崎謙三は、『ヤマザキ、天皇を撃て』にお

いて、ニューギニアの戦地における戦友の死

について次のように記している。



   アルソに到着してから数日後に、広島

   県出身で四年兵の島本一等兵が死亡

   しました。同年兵である私は、他の同年

   兵と共に、その兵隊の死体を部落の片

      隅に掘られた墓穴にバナナの葉を敷い

      て埋葬し、青いパパイヤを供え枯れた

      椰子の葉を束ねたたいまつの灯の下で、

      いまつくった真新しい土まんじゅうの上

   に、水筒の水を一人ずつ交替に注ぎま

   した。

   (『ヤマザキ、天皇を撃て』29頁

    1987年8月15日発行 新泉社)


 独立工兵三十六連隊の戦友島本政行の死

を受けて、奥崎はパパイヤの実を土まんじゅう

に供えた。


 『ゆきゆきて、神軍』において謙三は、正装し

て広島県江田島の島本家を訪問し、政行の母

イセコを尋ねる。


 謙三は挨拶し、イセコは合掌する。


   奥崎「すいません。えらい突然お邪魔しま

       して、あの奥崎謙三と申すもんです

       けどね、あのう、島本さんて方です

       ね、島本さんて方、ニューギニアで

       ですね、同じ、私と四年兵の、あの

       同年兵でしたんでね、西ニューギニ

       ア、西ニューギニアのアルソーいう

       所でですね、あのう、亡くなられまし

       て、ほんで同じね、あの同年兵、同

       じ同年兵ですからね。」


  島本政行の写真が映る。


  

 奥崎がイセコに、政行の追悼について語る。


   奥崎「あのう穴をですね、あのう、あのう、

       島本さんのね、亡くなられた、あのう

       遺体をですね、穴に土かけさせて

       頂いてですね、そいで青いパパイヤ

       とかですね、そういうものをお供えし

       てですね、水筒の水をおかけして、

       それでそれでまあ御弔いをしたんで

       すけどね、島本さんだけなんです。

       そういう方は、あとのお方はみんな、

       穴に埋めてもらえずですね、島本

       さんだけが、穴に埋められてですね

       まあ一番、まあ幸せ言うてはおかしい

       ですけど、他の方はね」


   イセコ「有り難いですね」


   奥崎「まあ考え方によっては、島本さんがで

       すね、一番お幸せだったと思います。

       私は幸せだったと思ってますけどね。

       ですから私はね、私なりの方法でね、

       供養させて頂こうと思って・・・・・・」


 絶句した謙三は、抑えていたものがこみあげ

てきて、思わず泣く。


 奥崎謙三が、亡き戦友島本政行の死をその母

イセコに報告する。他の兵士達は埋葬されること

も無かったが、政行だけは遺体が穴に葬られて

土をかけられて埋葬され、パパイヤが供えられ、

戦友達が土饅頭に水筒の水をかけて供養した。


 そのことだけは、何としても母のイセコに報告

したかった。

 
奥崎 いせこ氏

 謙三が男として、仲間の死を語って思わず

涙を流す。  


 戦争への悲しみの涙。


 無念の思いで亡くなった戦友。


 その痛みを悲しんで、平和を希求する。


 これが奥崎謙三の生涯の主題であった。



                    文中敬称略


                       合掌