ゆきゆきて、神軍(二) 本日公開二十九年 二十九歳誕生日 | 俺の命はウルトラ・アイ

ゆきゆきて、神軍(二) 本日公開二十九年 二十九歳誕生日

『ゆきゆきて、神軍』

映画  122分 トーキー カラー

昭和六十二年(1987年)八月一日公開

製作国    日本

製作    疾走プロダクション

企画    今村昌平

製作    小林佐智子

撮影    原一男

録音    栗林豊彦

編集・構成 鍋島惇

撮影助手  高村俊昭

        平沢智

演出協力 徳永靖子

       三宅雄之進

選曲    山川繁

効果    伊藤進一


出演    奥崎謙三

       遠藤誠

       

監督   原一男


☆☆☆

昭和六十三年(1988年)二月二十日

ルネサンスホールにて鑑賞

☆☆☆

 激烈な言葉に関する記述があります。

排泄に関する台詞の引用があります。

ご注意下さい。

☆☆☆

 関連記事
『ゆきゆきて、神軍』(一)

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-12170813202.html

 
奥崎謙三

 法曹会館では遠藤誠氏を囲む会が開催さ

れた。帝銀事件主任弁護士遠藤誠と夫人が

映る。


 

  奥崎謙三が言葉を語る。


  奥崎「わたくしは一般庶民よりも法律の被害

      多く受けてきましたので、日本人の中

      では法律の恩恵を最も多く受けてきま

      した、無知・無理・無責任のシンボルで

      あります天皇裕仁に対して、先程丸山

      先生が仰って頂きましたように、四個の

      パチンコ玉をパチンコで発射致しまして、

      続いて、天皇ポルノビラを、銀座・渋谷・

      新宿のデパート屋上からばらまき、その

      二つの刑事事件に関わった法律家であ

      るところの、二名の判事と八名の検事の

      顔に、小便と唾をかけて思いきり罵倒致

      しました。例えばこの法曹会館の横に並

      んでおります東京高等裁判所の刑事法

      廷におきましては、裁判長に向かって手

      錠をはめられたまま、『貴様は、俺の前

      で、そんな高い所に立っている資格は

      ない。降りてきて土下座をさらせ!』と怒

      鳴りました。そして、退廷を命じられまし

      て、今度は引き続いて、午後に監置裁判

      が行われましたが、今度はわたくしは、『俺

      の前で土下座をするのは勿体無い。穴

      を掘って入れ!』と申しました。そういう

      ことは独房生活を十年九か月送ってきま

      したわたくしには屁の河童であります。」


  神戸拘置所で奥崎と拘置所所員が激論を交わし

ている。


   奥崎「俺が責任持つ!」

 

   所員「許可を貰いなさい、言うんだ!」


   所員「入っとるやないかそこやったら。」

 

 奥崎は独居房を自宅に建てる為に「寸法を測りた

い」と望んだ。拘置所は拒絶する。


 奥崎はグリーンの街宣車のドアを強く叩き、怒鳴

る。

    

    奥崎「貴様ら、えっ!ロボットみたいな面しや

        がって、人間の顔か、そういう貴様の

        面は、人間の面一人もしとらんじゃない

        か、天皇裕仁と同じだ、ロボットと同じ

        だ。貴様等、命令か法律に従うだけか。

        悔しかったらやってみろ!何か!よう

        やらんだろ。貴様等、何言われたって 

        人間なら腹立ててみろ、よう腹立てんだ

        ろ!」


 赤い車が通りかがって、奥崎は「のいたらええんや、

己ら」と罵声を語る。


  ☆☆☆怒鳴り声の迫力☆☆☆

  

 法曹会館の言葉は奥崎謙三が半生を振り返って

の確認であり、これからの「神軍」の道程を示す宣言

であったと言えるだろう。


 昭和四十四年一月二日、皇居で天皇裕仁後の昭和

天皇の戦争責任を糾弾しパチンコ玉を打ったこと。天皇

ポルノビラをビルから撒いて裁かれたこと。裁判官や

検事に闘志をむき出しにして怒鳴ったこと。


 奥崎謙三の戦いの人生がこの言葉に集約されてい

る。


 遠藤誠弁護士は昭和五年(1930年)十月二十九日

に誕生した。宮城県に生まれた遠藤は戦争で父親を

亡くし、東京大学を卒業し、弁護士・平和運動家・仏

教徒として生きた。昭和天皇の戦争責任を追求し、帝

銀事件の平沢貞通や永山則夫や奥崎の弁護を勤め

た。


 作品の後では、暴力団対策法の違憲を主張する

行政訴訟では山口組の代理人を勤め、「やくざも人権

はある」と主張された。遠藤はやくざが法律を犯せば

裁かれるのは当然であるが、仁侠としての本道に帰れ

と語っていた。


 平成十四年(2002年)一月二十二日に死去された。


 奥崎の激しいスピーチを冷静に聞く遠藤の表情が

忘れられない。


 神戸拘置所の怒鳴りのシーンは、怒鳴られている

拘置所職員が気の毒になってくる。「自宅に拘置所を

建てるから寸法を測らせてくれ」という要望は無理に

決まっている。奥崎は跳ねられ拒絶されることをわか

って敢えて要望を出し、拒否されて、激しい言葉で罵

倒する。


 原一男が書いた「製作ノート」によると、このシーン

は「演技」でストレスを発散するために拘置所の所員

を怒鳴ったと奥崎は原に語ったそうである。


 激怒しながら、冷静に計算もする。


 奥崎謙三の判断力に震える。


 『ゆきゆきて、神軍』公開二十九年・二十九歳。


 おめでとうございます。



                          文中敬称略



                               

 

 

                             合掌