宮本武蔵 昭和三十六年五月二十七日公開 内田吐夢監督作品(一) | 俺の命はウルトラ・アイ

宮本武蔵 昭和三十六年五月二十七日公開 内田吐夢監督作品(一)

 『宮本武蔵』
武蔵

  
 映画 トーキー 110分 

 イーストマンカラー 東映スコープ

 昭和三十六年(1961年)五月二十七日公開

武蔵 又八

 

  製作国  日本

 製作会社 東映京都

 配給    東映

 


 製作 大川博

 

 企画 辻野公晴

     小川貴也

 

 原作 吉川英治

 

 脚本 成沢昌茂

     鈴木尚之

 

 撮影 坪井誠

 照明 和多田弘

 録音 野津裕男

 美術 鈴木孝俊

 音楽 伊福部昭

 編集 宮本信太郎

 

  記録 石橋茂子

 

 装置 上羽峯男

 装飾 宮川俊夫

 美粧 林政信

 結髪 桜井文子

 衣裳 三上剛

 擬斗 足立伶二郎

 進行主任 植木良作

 

 助監督 山下耕作  

 

       富田義治

       杉野清史

 

 

 出演

 

 

 

 中村錦之助(新免武蔵)

 

 

 木村功(本位田又八)

 木暮実千代(お甲)

 浪花千栄子(お杉)

 

 坂東蓑助(池田輝政)

 加賀邦男(辻風典馬)

 風見章子(お吟)

 花沢徳衛(青木丹左衛門)

 阿部九州男(渕川権六)

 宮口精二(竹細工屋喜助)

 

 小笠原章二郎(七宝寺の和尚)

 有馬宏治(村人)

 梅沢昇(村人)

 大崎史郎(村人)

 長島隆一(村人)

 赤木春恵(竹細工屋の老婆)

 高松錦之助(村の老人)

 

 浜田伸一(村人)

 中村錦司(村人)

 遠山金次郎(村人)

 片岡半蔵(村人)

 河村満和(木戸役人)

 近江雄二郎(木戸役人)

 

 石丸勝也(炭焼の男)

 源八郎(村人)

 菊村光志(村人)

 大浦和子(村人)

 鈴木金哉(木戸役人)

 五里兵太郎(役人)

 波多野博(使者)

 

 潮路章(亡霊)

 宮城幸生(亡霊)

 黒部武司(亡霊)

 伊藤克彦(村人)

 野間勝良(役人)

 春路謙作(寺男)

 岡島艶子(その妻)

 

 

 三国連太郎(宗彭沢庵)

 入江若葉(お通)

 丘さとみ(朱実)

 

 

 

 監督 内田吐夢


 ☆☆☆

 小川錦一=中村錦之助

       =初代中村錦之助

       →初代萬屋錦之介

 

 坂東蓑助=六代目坂東蓑助

         →八代目坂東三津五郎

 

 鈴木金哉→鈴木康弘

 

 潮路章→汐路章

 

 三国連太郎=三國連太郎

 ☆☆☆

  台詞の引用・シークエンスの考察は、研究・

学習の為です。

 

 東映様にはおかれましては、ご理解・ご寛

 

恕を賜りますようお願い申し上げます。

 ☆☆☆

 平成五年(1993年)一月四日

 京都文化博物館映像ホールにて鑑賞
 ☆☆☆


 

 新免武蔵(しんめんたけぞう)は関ヶ原の

泥水の中を這う。

 

  「又やん!又やん」

 

 

 武蔵は親友本位田又八(ほんいでんまた

 

はち)の名を呼んだ。

 

彼は慶長五年(1600年)九月十五日の天下

 

分け目の関ヶ原の戦いに参戦し、宇喜多秀

家(浮田秀家)軍の兵士として戦った。

 

 徳川家康を大将とする東軍と石田三成を

 

実質的な大将として組織された西軍は激戦

を展開し、宇喜多軍の奮戦もあったが西軍は

大敗を喫した。

 

  字幕

 

  慶長五年九月

  天下分け目の

  関ヶ原の戰は

  徳川方の大捷

  豊臣方の敗けと

  決った

 

 武蔵は「又やん」と友の名前を呼び、泥の中

 

を滑る。

 

 友人本位田又八がいた。「武やん」と呼んだ。

 

 

 二人は再会した。又八は「あ!いて」と叫ぶ。
 

 

 武蔵は「俺は生きてるぞ。死んでたまるか」

と命を生きている喜びを確かめる。

 

 又八を支える武蔵は、戦場の泥を受けて全身

 

汚れながらも懸命に立ち歩む。

 

 美少女が戦場に来て、戦死者の遺体から物品

 

を剝ぎ取っている。

 

 武蔵は美少女を捕え、「死骸の持ち物を取る

 

野伏せりの女だな」と問う。美少女の名は朱実。

 その母親お甲の命令によって野伏せりの世渡

りをしていた。

 

 お甲・朱実は、又八と武蔵の介抱をして、家に

 

匿ってくれた。

 

 馬に乗ってお甲は出かけるという。朱実が二人

 

を「大丈夫かしら?」と心配する。

 

  お甲「大したことあるもんか。二人とも青二才

 

      の雑兵だもの」

 

  藁の上に寝転んで、武蔵と又八は夢破れて

 

敗残兵となった現実を痛みと共に確かめ合う。

 

   又八「武やん。お前はいいな。」

 

 

   武蔵「何が?」

 

 

 又八は怪我をしていなことがいいという。

 

 

   武蔵「馬鹿言え!」

 

 

   又八「お前が悪いんだ。」

 

 

 「敵の大将首の一つでも取れば出世できる」と

 

いう武蔵の言葉があったから、俺は乗せられて

戦場に来て負傷したのだと又八は怒る。

 

   武蔵「よせ、泣き事は!夢だったんだ。夢

 

       が夢だった。大きな戦はあるまい。生

       まれてくるのが遅かったんだ。」

 

 戦国大名になる夢は破れ、徳川の世になった

 

時代をどのように生きるかが、宇喜多方敗残兵

の課題となる。

 

 

   又八「お通。お通はどうしてんだろうな?」

 

 

 

 許嫁の美少女お通を思い、又八は嘆く。

 

 

 その頃お通は木の側で笛を吹いていた。

 

 

   武蔵「又やん。そう泣くな。残党狩りが来る

 

       と気付かれる。俺にだって、俺を待

       っているたった一人の姉がいる。」

 

 武蔵は姉吟を思った。

 

 

 

 ☆☆☆内田吐夢が探求した

 

     新免武蔵の青春☆☆☆

 

 宮本武蔵は天正十二年(1584年)に誕生したと

 

言われている。剣術の道を歩み、兵法家として

生きて、『五輪書』を書き残した。正保二年五月

十九日(1645年6月13日)に死去した。

 

 吉川英治(明治二十五年(1892年)八月十一日

 

ー昭和三十七年(1962年)九月七日)は、昭和十年

(1935年)八月二十三日から昭和十四年(1939年)

七月十一日の約四年の月日をかけて、新聞小説

『宮本武蔵』を書いた。

 

 関ヶ原の合戦から巌流島の決斗までの新免武

 

蔵(後の宮本武蔵)の道を語り描いている。

 

 青春の日々を剣一筋に捧げ、悩み葛藤し苦悩

 

しながら、剣に生きる武蔵の生き方は、読者の心

を打ち続けている。

 

 自分が小説『宮本武蔵』と出会ったのは高校生

 

の時期であったが、「やり直しがきないのが人生」

という教えを聞いた時は、ガツンと撃たれるような

衝撃を心に受けたことをよく覚えている。迷い悩み

苦しんでいる時、小説『宮本武蔵』を読むように心

がけている。

 

 戦前戦中戦後と『宮本武蔵』は映像化され、舞台

 

化されてきた。

 

 昭和十五年から十七年にかけて、稲垣浩監督は

 

片岡千恵蔵主演で四本の『宮本武蔵』を撮っている。

 

 昭和十八年に伊藤大輔監督は、片岡千恵蔵主演

 

で二本の『宮本武蔵』を撮っている。

 

 昭和二十九年から三十一年にかけて、稲垣浩監

 

督は、三船敏郎主演で三本の『宮本武蔵』を撮った。

 

 戦後昭和三十六年から四十年にかけて、東映が

 

内田吐夢監督・初代中村錦之助主演で、一年一本

の全五部作で『宮本武蔵』を映像化することとなった。

 

 長編小説を五年かけて一年一本で映像化し、原作

 

のほぼ全体を映画にするという壮大な試みである。

 

 内田吐夢は明治三十一年(1898年)四月二十六日

 

岡山県に誕生した。本名を内田常次郎と申し上げる。

「命一コマ」を大切な道として、日本映画を牽引した

巨匠である。

 

 昭和三十五年(1960年)二月六日鈴木尚之は東映

重役から、吉川英治著『宮本武蔵』映画化の企画を、

内田吐夢に撮って欲しいという要望を、吐夢本人に

伝えるように頼まれた。著書『私説内田吐夢伝』(平

成十二年三月十六日第一刷発行)において、鈴木

は企画案を聞いた吐夢の反応を確かめている。

 

 

 

    「うむ・・・・・・『宮本武蔵』か・・・・・・」(305頁)

 

  吐夢は小説の題名を語り心の中で確かめ腕を組

 

んだという。この時内田邸には妻芳子と長男一作・次

男有作も同席していたという。

 

   「錦之助はいい役者だ・・・・・・いまの彼なら『武蔵』

 

   ができるかもしれない。」

 

   当時、錦之助は二十六歳。『大菩薩峠・三部作』

 

   『浪花の恋の物語』をとおして、並々ならぬ力量

   を秘めていると吐夢は感じていた。

 

   「やるとすれば、ホン(シナリオ)は伊藤大輔かなあ

 

   ・・・・・・」

 

   伊藤といえば監督と同時にシナリオを書かせも第

 

   一人者で、業界では時代劇の神様と称せられる存

   在であった。」(305頁)

 

 吐夢は初代中村錦之助の名をあげ主役宮本武蔵役

 

を勤め演じることが成り立つ名優であると想像する。

 

 脚本には時代劇の神様と称せられている監督・脚本家

 

であり、吐夢にとっては同年の親友・ライバルであった、

伊藤大輔が想定されていた。

 

 熟考の後、吐夢は吉川英治著『宮本武蔵』を映像化

 

する企画を受けた。

 東映に対しては五年間の月日をかけて一年一作を

映画化し、全五部作で完成するという壮大な案を出し、

東映首脳はこの超大作の企画を承知した。

 

 野生児新免武蔵後の剣士宮本武蔵が人生の荒波に

 

出会い、傷つき・苦しみ・迷いながら、剣一筋に生きて、

人間・生物・衆生として道を学んで行く。

 

 

 世界的にも珍しい五年五部作という作り方で一本の

 

 

物語を語る。

 

 大いなる物語の脚本を書く存在は、当初想定されて

 

いた鈴木尚と成沢昌茂が選ばれた。

 

 成沢・鈴木脚本は武蔵の青春を熱く描き語った。

 

 

 

 初代中村錦之助は昭和七年(1932年)十一月二十

 

日に誕生した。本名を小川錦一と申し上げる。日本

映画時代劇を代表する大スタアである。本作は代表

作の一本だ。昭和四十七年に芸名を初代萬屋錦之

介に改めている。

 

 新免武蔵が関ヶ原戦場の泥の中を彷徨い這う冒頭

 

のシーンは、観客の心を圧倒する。戦争の残酷さと

恐ろしさを伝えている。泥の中に数多くの戦死者の

遺骸が横たわっている。その中で負傷兵武蔵は懸命

に戦友・親友又八を探す。敗者にとって戦後は厳しい。

 落ち武者狩りの探索の目に注意して、逃げることが

生き延びる方法である。

 

 又八と再会して感動を確かめ合うシーンに胸が熱く

 

なる。

 

 「俺は生きてるぞ。死んでたまるか」の台詞が熱く響

 

く。

 

 初代中村錦之助の命を生きることの感動を教えてく

 

れている。

 

 平和な日常だと、命を生きることの尊さを忘れてい

 

ることが多くなるのではなかろうか?戦争の時代を

生きた吐夢は、命があることの大切さを伝えてくれ

ている。

 

 武蔵と又八の再会。地獄の戦場で二人は互いに

 

生きていることを確かめ合い喜ぶ。

 

  伊藤大輔は、本作『宮本武蔵』を鑑賞し、鈴木尚之

に対して、自身の感想を「吐夢さん、頑張っているよね、

導入部の関ヶ原なんか熱がはいってた」(『私説 内田

吐夢伝』317頁)と語った。

 

 天下分け目の合戦で西軍は敗れ、関ヶ原には沢山の

 

戦死者の死体が横たわっている。新免武蔵は泥塗れ

になって懸命に生きて、戦友本位伝又八を探し求める。

 

 冒頭の場面は、死の恐怖と戦いながら、懸命に命

 

を確かめて生きる生き方を内田吐夢が確かめている。

 初代中村錦之助がその新免武蔵の生命を体当たり

で熱く演じている。

 野伏せりの少女朱実の生き方に、戦国の世の厳し

さを学んだ。

 

 丘さとみが可憐だ。

 

 

 お甲は色っぽいおかみさんだ。木暮実千代の当た

 

り役である。

 

 傷口の痛みから、武やんに当たり散らす又八。愚

 

痴と泣き事を責めることは私には無理だ。又八の怒

りは人間の真の在り方を現していると思う。

 

 愛しい許嫁お通を思う又八。

 

 

 お通は笛を吹き大切な又八を待っている。

 

 

 別れた恋人達の絆を描くシーンは感動的だ。

 

 

 武蔵は自身の姉お吟を思う。

 

 

 初代中村錦之助の台詞が、深い姉弟愛の心を伝

 

えてくれた。

 

 

                     文中一部敬称略

 

☆☆平成二十九年元旦に書いた記事に

   平成三十年十二月二十四日に加筆しました☆☆
 

                           合掌

 

 

                      南無阿弥陀仏

 

 

 

 

                           セブン