菅原伝授手習鑑 平成二十七年三月十六日・十七日歌舞伎座 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 平成二十七年三月十六日・十七日歌舞伎座


仁左衛門様
松竹創業百二十周年 三月大歌舞伎

通し狂言 菅原伝授手習鑑

昼の部  午前十一時開演

序幕   加茂堤

二幕目 筆法伝授

三幕目 道明寺


夜の部  午後四時三十分開演

四幕目 車引

五幕目 賀の祝

六幕目 寺子屋


作 竹田出雲

   三好松洛

   並木千柳


「賀茂堤」

桜丸     尾上菊之助

八重     中村梅枝

斎世親王  中村萬太郎

苅屋姫    中村壱太郎

三善清行  坂東亀寿


「筆法伝授」

菅丞相    片岡仁左衛門


武部源蔵   市川染五郎

梅王丸     片岡愛之助

戸浪      中村梅枝

勝野      沢村宗之助

左中弁希世  市村橘太郎

菅秀才     浅沼みう

菅秀才     梶栞奈

三善清行   坂東亀寿

荒島主税   坂東亀三郎

水無瀬     市村家橘

園生の前    中村魁春


「道明寺」

菅丞相     片岡仁左衛門


立田の前    中村芝雀

判官代輝国  尾上菊之助

奴宅内     片岡愛之助

苅屋姫     中村壱太郎

荒巻左平太  尾上菊十郎

贋迎い弥藤次 片岡松之助

宿禰太郎    坂東禰十郎

土師兵衛    中村歌六

覚寿       片岡秀太郎


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「車引」

梅王丸     片岡愛之助

松王丸     市川染五郎

桜丸       尾上菊之助

杉王丸     中村萬太郎

藤原時平公  坂東禰十郎


「賀の祝」

桜丸       尾上菊之助

松王丸      市川染五郎

梅王丸      片岡愛之助

春         坂東新悟

八重       中村梅枝

千代        片岡孝太郎

白太夫      市川左團次


「寺子屋」

松王丸      市川染五郎

武部源蔵    尾上松緑

戸浪       中村壱太郎

与太郎      大谷廣太郎

菅秀才      尾上左近

小太郎      岩間甲樹

小太郎      佐伯和正

三助        松本錦吾

春藤玄蕃     中村亀鶴

園生の前     市川高麗蔵

千代        片岡孝太郎


☆☆☆

中村芝雀→五代目中村雀右衛門


昼の部菅秀才役の浅沼みう・梶栞奈、

夜の部小太郎役の岩間甲樹・佐伯和

正は交互出演

☆☆☆


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 十五代目片岡仁左衛門は、昭和十九年

(1944年)三月十四日に誕生した。本名は

片岡孝夫である。父は歌舞伎役者十三代目

片岡仁左衛門(本名片岡千代之助)、母は

片岡喜代子である。


 初代片岡孝夫の芸名で初舞台を踏まれ、

昭和・平成の歌舞伎を支える名優として活

躍される。

 
寺岡平右衛門 五

 父十三代目片岡仁左衛門は、上方歌舞伎

復興に生涯の情熱を燃やされた。

 昭和五十六年(1981年)十一月国立劇場

公演『菅原伝授手習鑑』「大序」「筆法伝授」

「道明寺」において菅原道真(菅丞相)を勤め

られた。この時の芸は「神品」と絶賛された。

 
十三代目片岡仁左衛門師
 この国立劇場公演を客席で見ることは、自

分にとっては無理だった。

 平成八年(1996年)十一月九日国立文楽

劇場において、『昭和五十六年十一月国立

劇場公演『菅原伝授手習鑑 道明寺』の記

録映画版を見て、菅丞相の暖かさと悲しみに

深く心を打たれた。



 平成六年(1994年)三月二十六日、父十三

代目片岡仁左衛門が九十歳で死去した。

 平成十年(1998年)一月歌舞伎座で孝夫は

十五代目片岡仁左衛門を襲名した。


 平成二十二年(2010年)三月、歌舞伎座さよ

なら公演御名残三月大歌舞伎において『菅原

伝授手習鑑』が上演され、十五代目片岡仁左

衛門は菅丞相を勤めた。自分はこの月の八日

に舞台を鑑賞し、苦難をじっと忍ぶ菅丞相の

生き方を、仁左衛門が深い芸で明かして下さ

ったことに感動した。


十五代目

 この鑑賞が、自分にとって、第四期歌舞伎座

を最後に見た機会となった。


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 平成二十五年(2013年)四月第五期歌舞伎

座は落成した。

 建物・地下街は、平成二十五年(2013年)

十二月二十一日に初めて鑑賞した。


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 建物の外観が、第四期とほぼ同じことに

感嘆した。超高層ビルが劇場の上にある風

景を見て、「おお」と思った。

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 地下街も歌舞伎座で、地下鉄東銀座駅

と直結している。これは素晴らしいことだ。

わが関西においても、国立文楽劇場は地

下鉄日本橋駅、大阪松竹座は地下鉄なんば

駅、南座は京阪祇園四条駅と直結してもら

うと、演劇ファンとしては有り難いと改めて

思った。


 平成二十七年(2015年)三月十六日は公

休日であった。十七日に有給休暇を取った。

 歌舞伎座で『菅原伝授手習鑑』の通しが出

ると聞くと、「見たい」と言うよりも「見ねばなら

ぬ、聞かねばならぬ」という心が熱く湧いた。


 崇拝する片岡仁左衛門の菅丞相だ。どうし

ても客席で見たかった。

 十六日は「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の

祝」「寺子屋」を見て、ホテルに一泊し、十七日

に「賀茂堤」、午後に新文芸坐の『懲役太郎 

まむしの兄弟』『まむしの兄弟 恐喝三億円』

を鑑賞することにした。


文太兄い

 三月十六日。いよいよ東京東銀座駅に着き

第五期歌舞伎座に入った。


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 壮大な建物だ。


歌舞伎座 入口

 内装も見事に第四期歌舞伎座を再現して

いる。


四月予告

 第五期歌舞伎開場から二年一か月経っての

入場で遅れてしまった感はあるが、その分待ち

に待った気持ちの喜びが大きい。

 

 第五期歌舞伎座は大きな劇場で、ゆったりと

した客席で舞台を見れた。

 

 三階席には、想い出の歌舞伎俳優の写真

が展示されている。
思い出の名優 諸氏


思い出の名優5


三代時蔵 四代時蔵


十一代目團十郎 三代目左團次

十三代目仁左衛門 九代目三津五郎


 十三代目片岡仁左衛門が歌舞伎界・歌舞伎

ファンを見つめておられることを思った。


 鑑賞の前後次第があるが、芝居の次第に沿

って、十七日鑑賞の「賀茂堤」から感想を申し

あげることにする。


 「賀茂堤」

 尾上菊之助の桜丸は気品があって綺麗だ。

繊細な魅力が光っている。中村梅枝の八重

も可愛さが素敵だ。中村萬太郎の斎世親王

は純粋な若者の無垢な魅力がった。

 大役苅屋姫に抜擢された中村壱太郎が可

憐さを見せた。重く悲しく痛ましい『菅原伝授

手習鑑』にあって、「賀茂堤」は若き恋人達

の可愛いデートを語る段で、ほのぼのとした

暖かさがある。とはいえ三善清行に目撃され

て、菅原家の平和が崩されることになるのだ

が。亀寿の清行は、嫌みと憎たらしさを、強く

出して欲しいと思った。


 「筆法伝授」

 第四期歌舞伎座を最後に見た日の演目に

『菅原伝授手習鑑』「賀茂堤」「筆法伝授」「道

明寺」があった。第五期歌舞伎座を初めて見

る日の演目に「筆法伝授」「道明寺」がある。

 片岡仁左衛門の菅丞相、坂東彌十郎の宿

彌太郎、中村歌六の土師兵衛という三組の

配役が同じだ、縁の不思議を感じた。


 片岡仁左衛門が勤める菅原道真は、筆道

の奥義を極め、学門に精進するひとである。

打ち続く苦難に遭っても只管に忍耐する強さ

がある。人であって神という生物の神秘性が

光っていると共に、人間道真の悲の心が溢れ

ている。


 市川染五郎の武部源蔵は直向で情熱的だ。

戸浪と恋仲になり、勘当されたが、筆道の奥義

を授けられることとなったことへの緊張感があ

った。


 市村橘太郎の希世は品があった。小悪党で

強きについて弱きを苦しめる卑怯者で、女性に

セクハラもするし、筆の奥義を継承する存在に

もなりたいという欲を深く燃やしている。どのよう

な苦境にあっても只管辛抱する道真と欲望剥き

出しに生きる希世の対照が興味深い。文楽で

は希世の人形が大暴れして、場内を沸かせる。

橘太郎の希世は上品さが豊かだが、もっと派手

に暴れていいのではないかと感じた。

 

 中村魁春の園生の前は、菅原家の御台所の

風格が大きい。


 源蔵・戸浪が大恩ある園生の前と再会する場

は、涙が心にこみあげてくる。


 歌舞伎では源蔵が菅丞相が精進潔斎する部

屋に移動する経緯が回り舞台で表現される。こ

れは歌舞伎独自の演出の凄さである。


 御簾があがり、仁左衛門の菅丞相が姿を現

す。美しさと神秘性に圧倒される。

 役を勤めるに当たって、公演中は肉食は一切

しないという食生活で、仁左衛門は勤めている。

 「楽屋に天神様のお軸を祀り、毎日お水とお塩

をあげ、香を焚き、精進潔斎して舞台を勤めて

います」と平成二十二年三月公演の筋書で語っ

ている。

 丞相については技術ではなくて、「無の境地」が

大事だと仁左衛門は確かめている。

 

 丞相と源蔵の師弟が再会し、筆の奥義が師か

ら弟子へと伝え教授されていく。題号の心がここ

に光る。


 源蔵は、師丞相から「伝授は伝授、勘当は勘

当」と告げられ悲しむ。丞相にとって、筆道の奥

義は授けるが、勘当は解かないという心である。


 参内の命が伝えられ、丞相が装束を改めると

烏帽子が落ちる。

 門外の場(築地の段)において、菅丞相は、罪

に陥れられ、清行や荒島主税に囲まれる。

 文楽では、原作通り、御台所(園生の前)が無

実の罪を悲しみ、「科もない身を左遷との、仰せ

は聞こへ恨めしや」と怒り、菅丞相が「道真虚名

蒙れども、君を恨み奉らず」と、醍醐天皇を恨ま

ず、天命を受ける心が語られる。だが、歌舞伎

ではカットされることが多い。この場の夫婦の語

り合いがあると、どんな苦境も忍従を以て受け

入れて歩む丞相の在り方が伝えられることにな

るのだが。

 片岡愛之助の梅王丸は忠義に熱い若者を鮮

やかに勤める。


 裏切者の希世はかつての師匠菅丞相を打擲

しようとして、梅王丸は怒り、希世を懲らしめよう

として、菅丞相に「七生までの勘当ぞ」と厳しく叱

責される。原作は「希世はさておき」で文楽でも

そのように語られるが、仁左衛門の丞相は「希世

はもとより」と語っているのだ。私はこの点が残念

だ。希世の裏切に対しては毅然とした態度を貫く

丞相の姿勢は明言すべきだと思うのだ。


 亀三郎の荒島主税はベリべりとした攻撃性が

あり、見応えがあった。

  源蔵は、菅丞相から勘当され、家来ではなく

なる訳だが、自発的意志として忠義の心を燃やし

続け、師匠を主人と思う忠誠は一切変わらず、

主君の一子菅秀才を守る。梅王丸の甥小太郎

を後に忠義の為に斬るという展開が、痛ましく

切ない。


 「道明寺」


 片岡秀太郎の覚寿が圧巻であった。昭和三

十六年八月毎日ホール公演で苅屋姫、五十六

年十一月国立劇場公演で立田の前を勤めた。

以後数多くの公演で、苅屋姫と立田の前を勤め

られている。そして、この公演でいよいよ母覚

寿を勤め、「道明寺」の女形三役全てを勤めら

れることとなったのである。娘苅屋姫が恋をし

てしまったことが因となって、藤原時平に讒言

の口実を与え、結果的に菅丞相が冤罪で流さ

れることとなり、苅屋姫を杖で折檻する覚寿。

妹苅屋姫を庇う立田の前。立田の前・苅屋姫

姉妹の母として二人を愛するが故に厳しくす

る母性を秀太郎が熱演し、胸が熱くなった。

 丞相の声が伯母御覚寿を止める。見れば

丞相の木像があるばかりである。


 自分にとって、菅丞相/仁左衛門、覚寿/秀

太郎の配役は夢だったので、遂に実現してく

れたことに感動した。


 壱太郎がここでも可憐な美しさを見せる。

芝雀後の五代目中村雀右衛門の立田の前

は優しい気持ちで、野心家の夫と舅を諌め

て、二人に騙し討ちに遭って惨殺される女性

の悲しみを深く表現する。


 彌十郎が太郎の愚かさを鋭く勤める。鶏を

宥めて絞殺する場の凄みは圧巻だった。

 歌六の土師兵衛は、生意気な物言いを許

して頂きたいのだが、前回より遥かに良く

なっていた。過去記事に書いたように平成

二十二年三月の公演では、歌六の土師兵衛

は老獪さや嫌らしさや狡賢さが感じられず、

不満だったのだが、今回はネチネチとした

憎々しさと卑劣さが粘り強く滲み出ていて、

ゾクゾク堪能させられた。

 立田の前を惨殺し遺体を利用する段では、

観客に「悪い奴」と実感させる憎らしさがあっ

た。

 愛之助の宅内は「飛びこもか」で笑いを呼

んでいた。

 菊之助の判官代輝国は、颯爽としていて、

素敵だった。丞相に同情しつつも、感情を抑

える警固役の厳粛さがと重みあった。

 弥藤次は片岡松之助で、おかしみが印象的

だが、ワルの面も出して欲しかった。


 覚寿が、立田が口に銜えさせられた着物の

裾の端から、下手人が太郎と見破る段に、秀

太郎の凄みが光る。宅内に妻殺害の罪を着

せて処刑しようとする太郎かた、「初太刀」を

と頼んで刀を借りて、隙を突いて太郎を刺して

娘の仇を討つ覚寿。覚寿の仇討に、秀太郎

の苅屋姫・立田の前を勤めてきた歴史がこの

瞬間に集大成されたようにも感じられ、母の

怒りと愛が燃えたと実感した。


 仁左衛門は木像の歩みは、美の極みで息

を飲んだ。木像が智恵を働かせ、彫ってくれ

た菅丞相を助ける為に、丞相の姿に扮して、

弥藤次を欺く筋だが、木像の道真を思う真心

が、仁左衛門の至芸に溢れていたと思う。


 菅丞相本人が姿を現し、覚寿に、立田の前

が犠牲になったことを詫びる。覚寿は丞相様

の御身が無事であったことを喜ぶ。


 警固の役人達が棒を打ち、ジャランと音を立

て、丞相に出立の時が迫っていることを告げる

のも歌舞伎独自の演出で忘れ難い。


 大詰は歌舞伎と文楽の演出の違いを現して

いる。


 文楽においては、菅丞相は苅屋姫と距離を

置き、顔を見たい気持ちを懸命に堪える。歌

舞伎で、苅屋姫が、養父菅丞相にお詫びを言

いたい気持ちと名残を惜しむ心から袖を引き、

丞相は扇を与える。どちらが良いとは決められ

ない。どちらも深くて情がある。


 菅丞相が養女苅屋姫との別れを惜しみつつ、

醍醐天皇への忠義の為、無実の罪を甘受し、

流刑地大宰府に向かう。


 花道を歩む菅丞相。


 片岡仁左衛門の芸は、菅原道真が忍耐に

生きるいのちの生き方を明かしてくれた。


 愛する娘苅屋姫を止める覚寿。


 片岡秀太郎の至芸が暖かくて優しくて、涙腺

を刺激された。


 幕切の輝国の花道の歩みを、菊之助が厳か

に歩んだ。


 「車引」

 菊之助の桜丸は繊細。愛之助の梅王丸は

勇壮で、大詰の「わええ」の稚気の可愛さも

あって鮮やかだ。染五郎の松王丸は凄みが

強烈であり、情熱が燃えていた。彌十郎の

時平も古怪な魅力があった。


 「賀の祝」

 文楽では「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の

段」「桜丸切腹の段」と丁寧に上演してくれる。

四郎九郎が七十の賀を祝い、白太夫と名乗る

ことを十作に語る。三人の息子たちの嫁春・

千代・八重が舅の賀を祝い、同じ色の着物を

着て料理を作る。八重が三方土器、八重が

扇、千代が頭巾を送る。白太夫は氏神参りに

行く。「茶筅酒の段」が上演されてこその「賀の

祝」である。ところが歌舞伎では、カットされて

しまっている。「喧嘩の段」で松王丸と梅王丸の

俵を持っての喧嘩は迫力があり、二人の争い

から桜の枝が折れて、桜丸の最期を暗示する。

 白太夫が氏神参りから帰ってきて、梅王丸・

松王丸を叱る。歌舞伎ではここで初めて白太

夫が登場する。勘当を許された松王丸と大宰

府への旅に梅王丸が立つ。

 桜丸が現れて、自責の念から切腹すること

を妻八重に語る。八重が泣いて止めるが白太

夫は哀しみを甘受して涙を堪える。桜丸は、最

愛の父と妻の前で自刃する。

 文楽において、近くは平成二十六年四月国立

文楽劇場で『菅原伝授手習鑑』が上演され、竹

本住大夫引退公演で「桜丸切腹の段」が語られ

た。演劇の命が燃えた名舞台であった。この舞

台を聞いて十一か月という時期もあってか、ズ

タズタに切られた歌舞伎の「賀の祝」は残念だ

った。


 「寺子屋」

 市川染五郎が松王丸の苦悩を熱く勤める。

病身に見せて咳を為し、首実験では一子小太

郎の生首を見て、菅秀才の首と語り玄蕃を欺く。


 尾上松緑の武部源蔵は冷静で落ち着いた

芸だ。繊細に役作りが為されていることを思っ

た。


 熱い染五郎と理智の松緑の源蔵の激突には

緊張感があった。


 寺入りから丁寧に上演してくれたことは有り難

かった。


 亀鶴の玄蕃は攻撃性が強く、素晴らしかっ

た。高麗蔵の園生の前には品格がある。

 左近の菅秀才は、若君の上品さが光り、犠牲

になった小太郎を労わる気持ちも溢れていた。

 壱太郎は、戸浪役においても活躍し、忠義故

に小太郎を犠牲にする悲しみを繊細に勤めた。


 片岡孝太郎の千代は母の情がこめられてい

た。


 「賀の祝」に不満はあるものの、『菅原伝授手

習鑑』の通し上演を見れたことは嬉しい出来事

であった。歌舞伎には、今後とも時代物の通し

を根本課題にして頂きたい。孝太郎・染五郎の

熱い提言で今回の上映が決まったとも聞いて

いる。近畿で歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の通し

上演が長く無いことは淋しい。文楽はこの二十

年で三度も通しで上演してくれている。


 仁左衛門の菅丞相という歴史的当たり役は

現代の歌舞伎界の宝である。近畿の劇場に

おいても、『通し狂言 菅原伝授手習鑑』を見

たい。南座の新装開場のこけら落とし公演の

演目として希望する。


菅丞相

 本日片岡仁左衛門の七十二歳のお誕生日

である。

 

 十五代目片岡仁左衛門丈

 

 お誕生日おめでとうございます。


                  文中一部敬称略



                        合掌


                    

                   南無阿弥陀仏


                       セブン