吉田健一著『シェイクスピア』を読む(三) 真夏の夜の夢 | 俺の命はウルトラ・アイ

吉田健一著『シェイクスピア』を読む(三) 真夏の夜の夢

 吉田健一著 新潮文庫 『シェイクスピア』

 昭和三十六年(1961)五月十日発行

 平成六年(1994年)一月十五日五刷

 

シェイクスピア (新潮文庫)/吉田 健一
¥545
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『吉田健一著『シェイクスピア』を読む(一) 8002』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-11846237139.html

『吉田健一著『シェイクスピア』を読む(二) 

ロメオとジュリエット』

http://ameblo.jp/ameblojp-blog777/entry-11973462246.html


   TITANIA(to Bottom)

Come, sit thee down upon this flow'ry bed,

While I thy amiable cheeks do coy,

And stick musk-roses in thy sleek smooth head,

And kiss thy fair large ears, my gentle joy.


タイテニア(ボトムに)

   さあ、お花の床にお座りになって

   可愛いほっぺた優しく撫でて

   すべすべで滑らかな頭に

   麝香薔薇を飾って、おっきいお耳に

   キスしてあげるわ、我が喜び


 妖精の女王タイテニア(ティターニア、タイターニア)

が、夫の妖精の王オベロンの悪戯で、驢馬に変化

させられた職人ボトム(ボットム)に恋して語る台詞で

ある。


 「真夏の夜の夢」(「夏の夜の夢」)

 A Midsummer Night's Dream


 ウィリアム・シェイクスピアがこの戯曲を執筆したの

は1596年頃と言われている。「○○な真夏の夜の夢

だ」「夏の夜の夢であったか」という例えで用いられる

程、有名な戯曲である。


 内容が喜劇(ここで言う喜劇は笑劇というよりも、筋

の大詰・結末が幸福な在り方を語るハッピー・エンドに

成る劇)で、楽しい。


 二組四人の若き男女の恋。妖精夫婦の喧嘩。夫の

王の媚薬の魔術でおじさんの職人に惚れる女王。職

人たちの芝居稽古とその演技。人間達・妖精達の関

わりを見つめる妖精パック。


 爽やかで幻想的なムードは画家の想像を刺激し、

沢山の絵画を生みだした。

 数多くの映画やテレビドラマも上演されている。


 吉田健一の研究を尋ねよう。

 

    シェイクスピアの作品では最もよく知られている

    ものとなっている。その理由としては、この作品

    が素直な喜劇に終始していて、それも、その幾つ

    かの場面がシェイクスピアの喜劇の中でも第一

    級の部類に属しているということが挙げられる。

    それからもう一つは、この作品が持っている絵画

    的な、我々の視覚に訴えてくる要素である。

    (『シェイクスピア』41頁)


 登場人物が多くてその一人一人が生き生きと活躍す

る。人間模様・妖精模様のドラマは恋と愛が原点になっ

ており、観客の共感を呼ぶ。ハラハラドキドキさせて楽

しく盛り上がる。芝居稽古に取り組むおじさんたちの職人

衆は、愛嬌が溢れている。


 吉田が鋭く指摘しているように台詞の言葉が自然の

中で自在に歩む妖精達の姿を伝えて観客の心を刺激

し、内心に絵や映像のイメージを引き起こす。


    「真夏の夜の夢」は明かに「ロメオとジュリエット」

    と同時代の作品であり、筋が割合簡単なのに対し

    て、表現が絢爛なまでに美しいのが目立っている。

    (『シェイクスピア』42頁)


 「ロメオとジュリエット」と同じ若き日に書かれた戯曲で、

言葉・台詞は絢爛たる表現で観客の耳と心に訴えて陶酔

させてくれる。

 吉田は、「清新な意気込み」(42頁)を以て、若きシェイ

クスピアが華麗な語句を書いていることを尋ねる。


    妖精達がアテネの、併し実際は紛れもない英国の

    田舎の森で、台詞と歌の文句の美しさによって幻

    想的な世界を作り出す有様は、芝居を見ていると

    いうよりも音楽を聞いているつもりにさせる。

     (『シェイクスピア』42頁)


 オベロン・タイテニア・パック・他の妖精たち。彼らが活躍

する場はアテネとなっているが、実際は英国の田舎である。

この指摘は大事である。アテネであって、イギリス。

 神話の英雄テゼウス(テーセウス、シーシアス)の時代を

設定の時、アテネを場として、イギリスの森が登場する。

ギリシアであってイギリスなのだ。そして、森にはスドラッド

・フォード・エイボンの自然が投影されていると自分は思う。


 演劇において時空を飛び越えていることは大切な事柄

である。「文学だから」「演劇だから」「音楽だから」とジャンル

に束縛され固執する必要もない。


 一つの作品の中に神話時代の存在・人物が妖精と共に

活躍する。演劇であって、文学の味わいで感嘆させ、音楽

の調べでうっとりさせる。

 演劇であって、文学・音楽でもある。この重層的で多彩な

魅力を確かめたい。


 シェイクスピアの時代は、舞台に書割が無かった。舞台

世界の情景や背景を伝えるには、戯曲の言葉に依る以外

になかったと考えられる。言葉の力によって、無限に展開

する世界が語られた。

 これは、作者が観客の心を引きつける術を熟知していた

からこそ為し得た作劇術であるとも言える。


 音楽・歌が詞と曲によって、聞き手の心を刺激するように、

シェイクスピアの戯曲は台詞の言葉と歌によって、無限の

世界を伝えているのだ。


 「真夏の夜の夢」では、その言葉が華麗で楽の調べのよう

に観客・読者に甘美な観客を与えるのである。


 これは自分一人の意見だが、「真夏の夜の夢」で観客に

陶酔感を味合せなければ、演出者は失格だと思う。楽しく

幻惑するような感覚に遊んでもらえるような舞台観劇にし

なければ、折角の言葉の宝が台無しになってしまう。

 それ故に、観客を泣かしたり感動させたり問題提起する

ことよりも、うっとりさせたり笑わせたりすることのほうが、

難しいのではないかと自分個人は思っている。


 この宝の言葉によって、耳には音楽のような音を聞かせ、

心の目には絵のような華麗な世界を想起せしめる。


  吉田は粗筋を要約する。テゼウス公とアマゾンの女王

ヒッポリタの結婚式が近づき、家臣イージアスの娘ハアミア

がデメトリアスとの結婚を求められるが、好きな男性ライサ

ンダアが居るので、ライサンダアと森に恋の駆け落ちをす

る。デメトリアスと彼に恋する女性ヘレナが二人を追う。

  アテネの職人たちがテゼウス公結婚式に御高覧に供

する芝居の稽古をする。


 妖精パックは魔術でボトムの頭を驢馬の頭に変える。オ

ベロン喧嘩している妻タイテニアが寝ている間に媚薬を垂

らす。タイテニアは目覚めた時に見たボトムに一目惚れさ

せる。冒頭に引用した台詞は、タイテニアがおじさんのボト

ムを可愛い存在のように恋し優しく包み込む言葉である。

 オベロンやパックの悪戯から、不思議なカップルが生まれ

るのだけれども、それが恋の幻想性とも関わっているよう

にも思えるのである。


 パックの惚れ薬で、デメトリアスとライサンダアは、共に

ヘレナを好きになり、そのことで改めて二人の男は対立

する。

 オベロンの魔術で、タイテニアはボトムへの恋から覚め、

ライサンダアは改めてハアミアに恋し、デメトリアスはヘレナ

と結ばれる。ボトムとその仲間達は、テゼウス・ヒッポリタ

の結婚を祝う芝居を上演する。オベロン・タイテニア夫妻も

仲直りして、パックが観客に挨拶して劇は終わる。


 英雄と女王の結婚、二組の若き恋人達のドラマ、妖精王

夫妻の口論と仲直り、職人たちの楽しい芝居稽古、媚薬が

齎す取り違えの展開。全てがオベロンとパックの働きで調和

し、ハッピーエンドに向かうハーモニーが奏でられる。


    この作品を読んで、シェイクスピアの劇作品が詩人と

    しての彼の卓越した才能に支えられていることを認め

    ずにいられないということである。そして言葉をその最

    も生きた形で用いること、又、緊迫した感情を言葉で

    捉え、従って、人間が抱く感情の要点を的確に摑むこ

    とが詩である時、劇の本質であることを疑うことは出来

    ない。

    (『シェイクスピア』45頁)


 「真夏の夜の夢」は文字通り夢幻の劇である。この楽しくて

甘美な夢幻劇を支えているのは、詩であると吉田は確かめ

る。


 シェイクスピア戯曲は、言葉によって人間の感情・感覚を

語り歌う演劇であるが、その魅力は詩によって伝えられて

いることは忘れてはいけないと自分も痛感した。


 劇の素晴らしさは詩によって支えられている。


 その事は、タイタニアが驢馬頭のボトムに恋してしまった

言葉にも窺えると思う。


 その瞬間瞬間の恋や感情が抑えられ確かめられている

言葉は、やはり詩として歌われ語られている。

☆タイタニアの台詞の和訳は、福田恆存訳・小田島雄志
  訳・松岡和子訳・河合祥一郎訳を参照しました☆
                           文中敬称略

                                合掌