吉田健一『シェイクスピア』を読む(二)ロメオとジュリエット | 俺の命はウルトラ・アイ

吉田健一『シェイクスピア』を読む(二)ロメオとジュリエット

 吉田健一著 新潮文庫 『シェイクスピア』

 昭和三十六年(1961)五月十日発行

 平成六年(1994年)一月十五日五刷


シェイクスピア (新潮文庫)/吉田 健一
¥545
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 「ロメオとジュリエット」


 Romeo and Juliet



 『ロメオとジュリエット』はウィアリム・シェイクス

ピアが1595年頃に書いたと言われている。


 恋に命の全てを燃やした男女の悲劇である。



 シェイクスピアの名を知らぬ人からも、恋人達

の代名詞として知られている。


 シェイクスピア戯曲・詩の中でも最も有名な作

品の一つであろう。


  吉田健一は「この作品はシェイクスピアの初期

の傑作として知られている」(21頁)と確かめる。


 1595年頃は既に史劇・喜劇において成熟した作

品を書いていたシェイクスピアの処女作ではない

この戯曲が、「処女作」の印象を与えてくれることを

確かめ、「選ばれた題材が効果的に生かされている

為である」(21頁)と抑える。

 


 イタリイの古潭を種本にしてロメオとジュリエット

の悲劇をシェイクスピアが描いたが、作者ウィリアム

の若さが「清新な印象」を与えていると吉田は分析す

る。


 『オセロ』の章において吉田は、『ロメオとジュリエ

ット』との関連を考察しているのだが、悲劇の速さに

ついて書かれた文が戯曲の作り方を鋭く言い当てて

いる。



   ロメオとジュリエットが出会って恋仲になり、思い

   を遂げて、その翌日ロメオは町を去らなければ

   ならず、ジュリエットは他人と結婚するように迫

   られて、その挙句に二人は情死するという筋が

   連続した一つの出来事として扱われ、そうするこ

   とによって、初めから死ぬべき運命の下にある

   二人の恋愛の悲劇的な性格が強く押し出されて

   いる。そうでもしなければ、話が単純すぎて、五幕

   物の形で上演するのには材料に迫力が不足す 

   る。例えば若し二人が別れて、何年か後に再会

   し、ジュリエットは既に再婚していて、事態の収拾

   が付かなくなって二人が情死を遂げるというよう

   な筋であれば、劇的な効果は半分以下のものに

   しかならざるを得ない。二人の世界に劇的な要素

   が含まれているのではなくて、この二人の若い恋人

   の情死ということが悲劇的に感じられるのであり、

   その意味では、二人の出会いから死に至るまでの

   期間が短ければ短い程、劇的な効果が強められる

   のである。(125頁)


 この吉田の一文は、『ロメオとジュリエット』が短い時間

に起こった男女の出会いと情死の悲劇であることを洞察

した言葉である。


 シェイクスピアは、ロメオとジュリエットが出会い、結ば

れ、恋の成就の為に二人が自殺するまでの物語を四、

五日の時間に起こったこととして描く。


 吉田は舞踏会で主催者老カピュレットが語る陽気な

台詞に、この悲劇に陽気な性格の持ち主が活躍して

いることを指摘する。


 舞踏会には、「我々もいることは、そこにロメオも、ジュ

リエッともいることであり、従ってロメオが始めてジュリエ

ットに目を留め」(23・24頁)た台詞を尋ねる。


  あの女は松明を一層明るく燃え上がらせる。


 (24頁)


 「ジュリエットの美しさは最早我々にとっても、疑うこと

が出来ないもの」(24頁)と吉田は確かめている。


 吉田の研究を読んでハッと思い、膝を打った。


 そうだ、シェイクスピアは戯曲の中に読者を誘うのだ。


 カピュレットが開いた舞踏会に、読者が招かれた者

の一人となって、カピュレットの楽しい言葉に微笑み、

松明をも燃えがらせる娘ジュリエットの美に感嘆する。


 心の中で自在に広がり、想像力を無限に刺激する。


 それがシェイクスピアの戯曲なのだ。


 吉田は、ロメオの人物像を「人並な欲望や修習を持

った一個の青年という印象を与え」(24頁)る男であり、

「それだけに彼のジュリエットに対する参り方が、我我

に烈しいものに感じられる仕組みになっている」(24頁)

と恋の描写の素晴らしさを分析する。


 ロメオはロザラインという女性に片想いして苦しんで

いたが、ジュリエットと出会って彼女への恋心に生涯の

全情熱を燃やす。


 ロザラインが台詞のみで語られ、一度も登場しない

ことも又、読者の想像力を刺激する。


 舞踏会でロメオとジュリエットは互いに一目惚れして

恋に落ちる。ジュリエットの実家カピュレットとロメオの

モンタギューの争いが、二人の恋にとって障壁となり、

壁の阻みが恋人達の想いを一層強く燃やす。


 名台詞を尋ねよう。


   What's in a name?

that which we call a rose

By any other name would sell as sweet


でも、名前が一体なんだろう?

   私たちがバラと呼んでいるあの花の、

   名前がなんと変わろうとも、

   薫りに違いはないはずよ。

   

  中野好夫訳『ロミオとジュリエット』64頁

  (1951年11月5日発行 新潮文庫)


  バルコニーでジュリエットが語る台詞は真理である。

薔薇の名前が変わっても香りは不変である。家の争い

を越えて、ロミオとの恋を成就したいとい想いが溢れて

いる。


 ロメオとジュリエットはロレンス神父の暖かい配慮で

結婚するが、結婚直後に親友マアキュシオをジュリエ

ットの従兄弟タイバルトに殺害され、彼を斬り友の敵

を討つが、妻が愛する従兄弟を斬殺したことを悲しみ、

ヴェニス太守エスカラスから追放を宣告される。


 ロミオは秘かに妻ジュリエットのもとに現れ、二人は

愛し合い結ばれる。



 恋人達の最初で最後の睦みという意味では、『仮名

手本忠臣蔵 九段目』における大星力彌と加古川小

浪の出会いと別れを思い出すが、力彌が全てを覚悟

して高師直家に討ち入り、後に切腹することで、小浪

と別れたことも切ないが、誤解によって、自殺したロミオ

とジュリエットの悲劇の痛ましさはより、大きい。


 吉田健一はカピュレット家の屋敷の露台で演じられ

る二人の別れの場面を、「確にこの作品のみならず、シ

ェイクスピアの全作品でのさわりの一つに数えられる」

(31頁)と位置付けている。


 

   ジュリエット  まだ朝でもないのに、もうお帰りにな

            るのですか。

            貴方のお耳を驚かせたのは、雲雀で

            はなくて、鶯だったのです。

            あすこの石榴の木に毎晩鶯が来て泣

            くのです。

            あれは本当にその鳴き声だったのです。

                                (31頁)


  別れを悲しむジュリエットの言葉は美を明かすが、吉田

健一の訳も日本語の美を鮮やかに伝えている。


 読み引用しているとジュリエットのロミオを包む愛が深く

察せられる。


 吉田はエリザベス朝時代の英国人にとって羞恥心による

抑制から解き放たれた存在であったと見つめる(33頁)。「

人間が自分を生きものと認める実感の問題」(33頁)として

「恋を語る」(33頁)という営みを為したと述べている。


 生物に帰って、男は女を愛し恋し、そこに生命を燃やし

た。


 『ロミオとジュリエット』が新鮮で初々しく生々しく清純な

イメージを読者に与えることの根底に、生命の生の姿に

回帰しているからだろう。


 吉田は、マアキュシオと同じく強烈な個性を発揮する

人物としてジュリエットの乳母を挙げている。


 チョオサアの「キャンタベリイ物語」に出て来る、バスの

町の寡婦の伝統を継ぐ人物として分析し、その血統は十

八世紀の小説に受け継がれていると考察している(34-

36頁)。


    ジュリエットやオフェリヤやデズデモオナから遠く 

    ハアディイのテスに至るまで、英国の文学で我々

    に親しい美女達の伝統も途絶えることがないので

    ある。                  (36頁)


 吉田健一は、『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『ハ

ムレット』のオフェリヤ、『オセロ』のデズデモオナ、トマス・

ハアディイの『ダーバヴィル家のテス』のテスを「英国文学

の美女達の伝統」のヒロインとして挙げている訳だが、こ

の中でジュリエットは最も積極的なヒロインという印象を受

ける。


 彼女の恋と精神の強靭さは熱く凄まじい。


 吉田は戯曲の大詰・終幕の粗筋を紹介する。


 父カピュレットからパリスとの結婚を強いられたジュリエッ

トは悲しみ、ロレンス神父と相談し、仮死状態の薬を飲んで

両親や乳母に死んだと思わせて納骨堂に眠る。


 ロレンスからの手紙が遅れて、ロメオはジュリエットが本

当に死んだと思い込んで、毒薬を買い、納骨堂でパリスに

見つかり、彼と争って刺殺し、ジュリエットの眠る姿を遺体

と勘違いして、毒薬を飲んで自殺する。


 覚醒したジュリエットはロメオの死体を見て悲嘆し短剣

で自殺する。


 ロメオとジュリエットは愛する人とこの世で結ばれぬ

悲しみを死によって成就しようとした。


 吉田健一は「死」の問題を鋭く考察する。


    この作品で死の観念が、生命の実感と対立してい

    る具合を見逃すことは出来ない。それはこの作品

    に限らず、エリザベス朝時代の英国人が、又延い

    てはルネッサンスの人間が、死に対して、如何なる

    態度を取っていたかという問題にもなる。マアキュ

    シオが死ぬ時の台詞に窺える通り、彼等は生命に

    執着する余り、と言うよりも、彼等の肉体が活気に

    満ちていた為に、その生命を破壊するものとして

    死を忌避したのである。併しそれは勝ち誇った征

    服者が、自分の力を以てしても如何ともなし難い 

    敵に対する恐怖であり、又、矜持でもあった。彼

    等にとって生と死の対立ということはその具体的

    な意味を持っていたので、寧ろ、彼等の死の観念

    そのものが溌剌たる生気に満ちていた。 (38頁)


 いかなる生物にも必ず死はやってくる。避けられない事

である。


 生き生きと命を生きるルネッサンスの人々が、やがて襲

ってくる死の問題に怯えつつどのように受け止めたか?


 この問題を考察しているのが、この悲しい恋の戯曲なの

かもしれない。


 吉田は結婚したばかりのジュリエットが「もしロメオが死

んでしまったら、全てが夜になり、太陽を拝む者が無くなる

ように」(取意)と語る台詞に注目し、「恋愛と人生の青春に

陶酔しながら、常に死を思っている、この時代そのものの

若々しい性格」(40頁)が「生のままで捉えらている」(40頁)

ところに戯曲自体の確かめている。

 


 情熱の恋に生命を熱く燃やし、死によって恋の成就を

為そうとしたロメオとジュリエット。


 生と死を越えた恋を明かしたのである。


 これほど熱く美しい戯曲を他に知らない。


 生と死を超越した恋を明かし切ったという点において、

ロメオをジュリエットは永遠の存在となった。



                               合掌