吉田健一著『シェイクスピア』を読む(一) 8002 | 俺の命はウルトラ・アイ

吉田健一著『シェイクスピア』を読む(一) 8002

 吉田健一著 新潮文庫 『シェイクスピア』

 昭和三十六年(1961)五月十日発行

 平成六年(1994年)一月十五日五刷


シェイクスピア (新潮文庫)/吉田 健一
¥545
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  著者吉田健一(よしだ・けんいち)は明治四十

五年(1912年)四月一日(三月二十七日説もあり)

に吉田茂・雪子夫妻の息子として誕生した。


 外祖父は牧野伸顕、曽祖父は大久保利通であ

る。


 妹に麻生和子、甥に麻生太郎がいる。


 十代でウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』

Twelfth Night を暗記していたと言われている。


 フランス文学にも学び、小説家・評論家としても

活躍し、後に中央大学教授を勤めた。


 『シェイクスピア』は昭和二十七年(1952年)に

発表された名著である。


 自分が得たのは新潮文庫版で、これに従って

感想を進めて行きたい。


 本書の構成は以下の通りである。


 エリザベス時代の演劇 


 「ロメオとジュリエット」


 「真夏の夜の夢」


 フォルスタッフ


 「十二夜」


 十四行詩


 「ハムレット」


 「オセロ」


 「リヤ王」


 「マクベス」


 「アントニイとクレオパトラ」


 「嵐」


 解説            福田恆存



 『シェイクスピア』を読むと吉田の鋭い洞察力に

感嘆する。読者が心に抱いて言い表せず、書き

得なかった事柄をピタリと言い当て書いてくれて

いる。


 鍛えられた活眼と深い慧眼によって原作を熟読

していたことが窺える。


 「フォルスタッフ」の章では、『ヘンリー四世 第一

部』『ヘンリー四世 第二部』『ウィンザーの陽気な

女房たち』『ヘンリー五世』の四作品がまとめて考察

されている。


 十三編の戯曲と一詩集について研究しているが、

それらの作品論に先立って、シェイクスピア在世

のイギリスの演劇状況を考察している。


 この時代イギリス人は彼らのルネサンスを開化

したと述べている。

 


   「ジョン王」から「ヘンリイ八世」に至る、歴代の

   国王を扱ったシェイクスピアの史劇は、英国の

   歴史に対して注意を喚起された観衆に当て込

   んで書かれ、熱狂的な人気を博した。英国の

   歴史に対する興味はそこに登場する人物に

   対する興味であり、それは更に外国の歴史や

   人物への関心ともなった。シェイクスピアの作

   品で言えば、「ジュリアス・シイザア」「コリオレ

   エナス」「アントニイとクレオパトラ」などがそれに

   当たる。(8頁)

   

 阿諛追従の家臣ばかり近づけて、世辞を聞くこと

にのみ縋りついて従兄弟ヘンリー・ボリングブルック

に王冠と生命を奪われるリチャード二世。


 彼は権力を失って落魄すると詩人としての才能が

光り輝く。


 ヘンリー・ボリングブルックは王ヘンリー四世となる

が従兄弟リチャードを殺害し王位を奪ったことに煩悶

する。


 そのヘンリー皇太子(ハル王子)は太った老騎士ジ

ョン・フォルスタッフとその仲間達と遊蕩の日々を過

ごすが、父の哀しみを知って、皇太子として真面目に

生きて、後には父を苦しめている王冠の恐ろしさを

自身が引き受けることを決意する。


 若き皇太子ハルと遊び人老人フォルスタッフの交流

に、シェイクスピア史劇における人間の生き生きした

描写が光っている。


 当時のイギリスの観客に熱く喝采を受けたことが

窺える。


書割が無くて女役は少年俳優が勤めた時代であり、

台詞の迫力でこころを伝えたことを吉田は確かめる。


 クリストファア・マアロウによって進められたブランク

・ヴァアス(blank verse)を自由無礙に書いた詩人・劇

作家がシェイクスピアであったとその功績を讃えてい

る。


 『アントニイとクレオパトラ』の大詰の台詞にブランク

・ヴァアズによって書かれた言葉の素晴らしさを確かめ

ている。


   私は死に掛かっているのだ、女王よ、死に掛かっているのだ、

   ただ私は死が暫くの猶予を私に与えてくれて、

   何千という接吻に続くこの最後の哀れな一つを、

   貴方にするまで待つように頼んでいるのだ。


   (第四幕 第十五場)


                            (16頁)


 オクタビアヌス・シーザーとの戦いに敗れ、自らを刺し

たアントニイが愛する女王クレオパトラに最後のキスを

願う。国を滅ぼしても、恋人との愛を選んで、命も権力

も捨てた男が、得たものの喜びがこの言葉にはある。

 瀕死の苦しみにあっても、アントニイは勝者シーザー

が得られていない愛の感動をしっかり獲得している。


 吉田健一の日本語訳も輝く美があり、死生を超えた

愛の尊さを絢爛と伝える。


 エリザベス時代の英国人が「現実の生活に生き甲斐

を感じるのと変わらない緊迫感を、舞台で劇作品が演じ

られる場合にも要求」(18頁)した人々であったと確かめ

る。


   彼等自身の生活が如何に残忍なことにも、血腥い

   ことにも辟易しない、そして、又、最も洗練された詩

   句の美しさを、極めて露骨に猥雑な言葉と同様に

   喜ぶと同様に喜ぶことが出来る、健康な精神に貫

   かれていた為に、彼等はそれと同じものが舞台に

   再現されることを望み、又それに魅せられた。

                            (19頁)


 美しい詩と卑猥・猥雑な言葉が鮮やかに絡み合って、

迫力豊かな人描写によって、人間と人間の関わりにお

ける感情や感覚が豊かに表現される。

 

 深い洞察と筋の豊かな構成を明かす戯曲をシェイク

スピアは自在に書いたが、吉田はその戯曲を喜んだ

英国人観客の多様な要求に応えたものであったことを

強調している。




 吉田健一 三十八回忌御命日

 2014年8月3日



                           合掌