十三代目片岡仁左衛門主演『三千両黄金蔵入』「松平長七郎」 | 俺の命はウルトラ・アイ

十三代目片岡仁左衛門主演『三千両黄金蔵入』「松平長七郎」

十三代目片岡仁左衛門 名舞台


南座 顔見世東西合同大歌舞伎

昭和六十二年十二月二十三日


 夜の部


 片岡十二集の内 

『三千両黄金蔵入』 「松平長七郎」

一幕「大和橋馬切りの場」



松平長七郎  十三代目片岡仁左衛門 


阿波座太郎助    九代目市川團蔵

小池弾正左衛門  十七代目市村羽左衛門

桜井隼人      二代目中村扇雀

山田甚左衛門   五代目中村富十郎

長井甚左衛門   七代目尾上菊五郎

青木左近      十二代目市川團十郎

五十嵐主膳     八代目中村福助

服部兵部      六代目澤村田之助

今井忠六      六代目中村東蔵

駒林藤左衛門   八代目大谷友右衛門

和田久之進     五代目坂東八十助

林新六郎       初代片岡孝夫

大野五平      二代目片岡秀太郎

毛利逸平      五代目片岡我當


 ☆☆☆

 二代目中村扇雀→四代目坂田藤十郎

 八代目中村福助→四代目中村梅玉

 五代目坂東八十助→十代目坂東三津五郎

 初代片岡孝夫→十五代目片岡仁左衛門

 ☆☆☆

 


片岡仁左衛門師

(画像出典 『演劇界』昭和六十三年一月号)



 昭和六十二年(1987年)十二月二十三日の南座

顔見世において上演された『三千両黄金蔵入』「

松平長七郎」の感想である。芸名は原則的に当時

の名を書くことにする。


 十三代目片岡仁左衛門の南座顔見世三十五年

連続出演を記念して上演された演目である。


 松平長七郎は徳川忠長の子で征夷大将軍の血

縁の存在であり、舞台・小説・映像において、主人公

として活躍する。


 その長七郎の輝きを見せる一幕である。


 十三代目片岡仁左衛門は、明治三十六年(1903年)

十二月十五日、東京において、十一代目片岡仁左衛

門丈の息子として誕生された。


 本名を片岡千代之助と申し上げる。


 明治三十八年(一九〇五年)、南座において二歳で

初舞台を踏む。四代目片岡我當を襲名し上方歌舞伎

の名優として活躍する。昭和二十六年(1951年)三月

大阪歌舞伎座公演で十三代目片岡仁左衛門を襲名し

た。



 関西歌舞伎が不振で厳しい状況にあった時代に、私財

を擲って「仁左衛門歌舞伎」を旗揚げし、大ヒットを具現

した。


 昭和五十六年(1981年)十一月国立劇場公演『菅原伝授

手習鑑』において菅原道真(菅丞相)を勤められた。


 この舞台を当時中学生であった自分は、国立劇場で観れ

なかったのがが、後に国立文楽劇場において記録映画で

鑑賞した。


 十三代目仁左衛門の菅丞相を敬愛するこころが芸となり、

舞台において役と呼応し、役のいのちを生きていることを

学んだ。


 菅丞相は筆道に学びその奥義を極められる。無実の罪

で流罪に処せられたことを告げられ、受難と苦悩と悲しみ

を忍び堪えぬく姿は深く重かった。


 最愛の養女苅屋姫との別れを甘受する在り方に丞相の

自己に対する厳しさを仰いだ。


 忠義の一道に全てを捧げた菅丞相の生き方を十三代目

仁左衛門の至芸が明かした。


 昭和六十二年(1987年)十二月二十三日、「片岡仁左衛門

さんの芸を拝見する」ことを思ってチケットを持って、ドキドキ

しながら南座に向かった。


 当時自分は二十歳だった。ロビーを歩いていると、「今日の

南座は若い人も多いなあ」と語っているスタッフもいて、嬉し

く思った。


 舞台を見て、その壮大さに圧倒された。


 黒紋付を着た十三代目片岡仁左衛門の輝きは凄い。


 美男で素敵でカッコいい。


 時に十三代目仁左衛門は八十四歳であった。だが、舞台の

上の大松嶋屋は若々しくて瑞々しくて素晴らしかった。


 昭和五十七年(1982年)仁左衛門は映画『男はつらいよ 寅

次郎あじさいの恋』において加納作次郎を熱演した。それから

五年経った舞台において若殿様を鮮やかに勤めたのだ。


  物語は単純で簡潔である。


 松平長七郎は三千両を馬に乗せた宰領達を見つけて、「馬

を宿まで引いて参れ」と命じて、宰領達と口論になり、斬りかか

ってくる宰領達と争い、そのうちの一人を斬り、召し捕りに現れ

た同心達に対して、将軍家の親類であることを告げて貫録を

見せ、同心たちは恐れをなして平伏する。


 長七郎は三千両を馬に乗せて悠々と歩むという筋である。


 内容的には文学的な豊かさや悲しみは全く無く、主役の役者

の芸の大きさを見せる芝居になっている。


 長七郎役者が殺陣を見せて、大幹部役者達が勤める同心た

ちを震え上がらせ平伏させて、三千両を強奪して、悠然と微笑む。


 それだけの芝居である。


 だが、十三代目仁左衛門の大いなる芸が、単純な芝居を深み

のある舞台にしてくれた。


 立ち回りの太刀の捌き方は凄かった。八十四歳にして益々若

々しくなっておられることを実感した。



 同心たちが長七郎を捕縛しにくるのだが、その同心達は大幹部

の名優・スターたちが勤めている。



 尾上菊五郎・市川團十郎・中村福助(後の中村梅玉)・澤村田之

助・大谷友右衛門・坂東八十助(後の十代目坂東三津五郎)。そし

て三人の息子片岡孝夫・片岡秀太郎・片岡我當である。


 南座の大舞台にスター達が同心役で並ぶ。その豪華さに瞠目し

た。


 長七郎の風格は居並ぶ同心達を平伏させる。


 後に現れた市村羽左衛門・中村扇雀(後の坂田藤十郎)・中村富

十郎の三武士も長七郎の風格に圧倒されて、平伏する。


 羽左衛門の渋い貫録も印象的だった。


 長七郎役者が大幹部達の武士を気迫で圧倒して、武士は若様

にひれ伏す。


 その大いなる存在感を示すことが長七郎役者に問われるが、十

三代目はその課題を鮮やかに成し遂げた。


 十三代目の豪快豪放な芸によって、松平長七郎の気品と重みが

明示された。


 緑の書割も素敵だった。


 大自然の中で堂々と遊び、狼藉をなしても笑い飛ばす殿様。


 十三代目仁左衛門の大いなる芸に歌舞伎の美を学んだ。


 歌舞伎の美は生き生きと輝いているものなのだ。


 役者は舞台の上で役の生命を生きる。



 十三代目片岡仁左衛門の至芸は、私の胸に大いなる感激を与

え、歌舞伎の生命力を教えてくれた。


 観劇の日から二十六年三か月三日経つが、至芸を鑑賞した感動

は今も鮮烈である。


 この観劇の大感激が契機となって、自分は十三代目片岡仁左衛

門の大ファンになった。



 十三代目片岡仁左衛門はこの舞台から七年三か月後の平成六

年(1994年)三月二十六日に死去した。九十歳。



 本日は没後二十年・二十一回忌の御命日に当たる。


 十三代目片岡仁左衛門の至芸は、ファンの心の中に生き続けて

いる。




                                      合掌




                                南無阿弥陀仏




                                     セブン