素浪人罷通る(三) 山内伊賀亮の覚醒 阪東妻三郎の至芸 | 俺の命はウルトラ・アイ

素浪人罷通る(三) 山内伊賀亮の覚醒 阪東妻三郎の至芸

『素浪人罷通る』


昭和二十二年(1947年)十月二十八日公開

制作  大映京都


企画  清水龍之介

脚本  八尋不二


阪東妻三郎(山内伊賀亮)


片山明彦(天一坊)

平井岐代子(お春)



監督  伊藤大輔


     加藤泰通

     天野信



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『素浪人罷通る 昭和二十二年十月二十八日公開

伊藤大輔監督作品(一)』 http://amba.to/1hmj0Br  


『素浪人罷通る/1947年10月28日公開/(二)対面 対話』

http://amba.to/1cIcNhj


 ☆山内伊賀亮の覚醒☆


 山内伊賀亮は、天一坊が自身の手習子三吉の危機を

救い、孤児三吉の養育を妻春に託したことに感動する。


 天一坊に危険が迫っていることを察知した伊賀亮は、

滞在先に赴いて、江戸城へ行くことを止めるべきだと諌

める。


 徳川八代征夷大将軍吉宗の御落胤であるということ

を理由にして、天一坊が江戸に行けば、幕府は政治的

混乱の惹起を恐れて、天一坊に罪を擦り付けて処刑す

ると伊賀亮は予想している。


 例え上様が、「御落胤」と認めてくれたとしても、公儀

に関する裁きの一切は、「寺社勘定江戸町の三奉行と

大目付御目付の五手掛」が決めていることを説き、「決

裁」を為す月番老中に睨まれれば、無実であっても、

謀反人にされてしまうという現況を説いて聞かせる。


 天一坊は、山内伊賀亮が、自身の危険を顧みず、真

心から諌めに来てくれたことを確かめている。


 夜。


 伊賀亮の家では、妻春が行燈を手にする。夫伊賀亮

は書を認めている。春は行燈を夫伊賀亮の元に置く。


 このシーンにおける阪東妻三郎の文字の書き方が深

い。一字一字の心を大切にしている人の姿があった。


 伊賀亮は物音を聞き、天一坊の来訪を察する。


 「来たらしいな。そうだろう。あの男にだけは、わしの気

持ちは十分に通じたんだから。」


 伊賀亮の優しさからの諌めの言葉は、天一坊の胸を

熱くした。ふたりは、互いに意見の違いを持ちつつも、相

手を敬愛し合う友情を確め合っている。


 天一坊は、暖かい諌めの言葉に礼を言いつつ、自身

の生き方を宣言する為に、伊賀亮のもとを訪問したのだ。


 このシーンの阪東妻三郎の芸は大きい。


 片山明彦の純粋で一徹な演技は直向さが輝いている。


 天一坊が平伏して、「山内様」と語ると、伊賀亮は厳し

く「うるさい!」と一喝する。「九代将軍の座を目指すこと

は危険で命を大事にせよ!」という愛の叱責である。


 天一坊はひるまずに、「私は諦められません!どうし

ても父親に」と自身の生命全体の願いを明言する。


 伊賀亮は、「高貴なお方の御落胤」なるものは、「先方」か

らお呼びがかかってから現れるべきものであり、それまで

は「一生捨て置かれるのが定法」と「御落胤」として生まれ

た者のあり方を説く。


 天一坊は、それは「取り立てて欲しい」という野心を持つ

者の在り方だと述べ、自身の道は野心家とは質を異にし

ていることを語る。


 伊賀亮「待たれい。」


 ここで、阪東妻三郎は、右手を出す。この右手の出し方

と示し方が渋くて、大きい。


 妻三郎の鋭く深い視線は、天一坊の真心の言葉をじっと

聞く暖かさが溢れていた。


 聴聞と返答。深い会話に時代劇の重さがある。


 伊賀亮は、「そりゃ御身は、そうした望みは持たないのか?」

と生き方を問う。


 伊賀亮の問いを、天一坊は全身を挙げて受け止めて、「毛

頭」と宣言する。


   「山内様。私はこの年まで祖母の手一つで育てられ、そ

   の祖母の臨終に我が身の素性、『父がある』と聞かされ

   まして、『この自分にも父がある。無いものと思うていた

   父親。父親と言うものを一目この目で見てみたい。

   八代将軍吉宗公に会いたいと申すのではありません。

   私は父親に会いたいのです。

   一目自分の父というものを、自分のこの目で見たい。

   見たらその場で死んでも本望です。」


 天一坊の命の歩みがこの言葉の背景にあることを思う。「将

軍家御落胤」として出生の事実を秘められ、祖母の臨終に初

めて事情を聞かされ、実の父が居ることを知らされ、その父に

一目会いたいという気持ちが燃えている。その願いが成就した

ら、処刑されても構わないという心根である。


 この言葉を聞いて、伊賀亮は強く心を打たれる。


   「そうか、それほどまでに」


 春は、天一坊の一途な心を聞いて、堪えきれず涙を流し、思

わず「あなた」と伊賀亮に声をかける。


 血の繋がりのない関わりであっても、伊賀亮は天一坊に父性

愛、春は天一坊に母性愛を確かめ、天一坊もまた、自身を深く

敬愛してくれている伊賀亮夫妻に、精神的な父母を見ている。


 


 天一坊の「父に会いたい」という一途で純真な願いに、伊賀亮

は感激する。


 この純粋な若者は、徳川九代征夷大将軍の位に就く野望を

持っておらず、一目実父を見たいという親子愛に燃えている。捨

てられた子として父を一目見ることに生涯を包む願いを見出した。



 純情一途な若者天一坊が、「一目父を見る」という課題に命を

燃やし、その課題を理解されることもなく、謀反人の汚名を着せ

られ処刑されることも覚悟の上で、命を捨てて歩もうとしている。


 

 この純真で一徹な若者が、幕府の秩序・体制維持の為に、犠

牲を強いられるという暴挙が許されてよいのか?

 

 伊賀亮はこの問いを確かめたのである。


 「天一坊殿の願いを叶え、彼の身を御救い申したい」という願い

に伊賀亮は目覚めたのである。


 山内伊賀亮と天一坊の夜の語り合いは、中盤における感涙の

名場面である。


 天一坊は、徳川九代将軍の座への野心は微塵も無く、純粋に

生まれてから一度も見ていない父という人に会いたいという無垢

の愛に生きている。


 「大人の伊賀亮が、純粋な若者天一坊を救おうとしている」とい

うシチュエーションであることは否定しない。否定はしないが、更

に深い事柄がこのシーンにあると思うのだ。


 天一坊の純真無垢な願いに、伊賀亮は「愛」を教わり、「愛に生

きる」という命の在り方に目覚めたのだ。


 そして、この若者に自己の命を捧げたいという気持ちを確かめ

初めたのである。


 男が男に惚れて敬愛の心を抱く。


 阪東妻三郎と片山明彦の芸と芸の呼応が、男と男の命の絆を

教えてくれた。


 『時代劇映画の詩と真実』において、伊藤大輔と加藤泰は、この

映画における伊賀亮・天一坊の対話・会話について語り合っている。



    泰    あの仕事でですね、ぼくは先生の若さに驚きました。


    先生   まだ若かったよ。(笑い)


    泰    でも、ぼくらから見たら・・・・・・。


    先生   屋根の上に登ったりするからだろう。(笑い)


    泰    いいえいいえ、そうじゃないんですよ、天一坊に言わせて

         おられた心情、そしてあの伊賀亮の・・・・・・。伊賀亮は先

         生の分身で・・・・・・。

 

   (『時代劇映画の詩と真実』一三三頁)


 天一坊の「生涯にただ一目父に会いたい」という台詞に、伊藤大

輔が探求している愛の真がある。



 加藤泰の鋭い洞察に窺えるように、山内伊賀亮は、伊藤大輔の

分身なのである。


 純真一途な天一坊殿を幕府の冷酷な陰謀から守り、『父上を一目

ご覧になる』という生涯の願いを成就せしめたい。


 伊賀亮は、この道に、自己自身の生命を挙げての願いを見出した

のである。


 阪東妻三郎の大いなる芸が、愛に生きる人山内伊賀亮のいのち

の生き方を明らかにした。
『素浪人罷通る』大詰

 



                                 文中敬称略

 

 ☆平成三年(1990年)七月九日

  京都文化博物館映像ホール

  (後のフィルムシアター)にて鑑賞☆

 


 

  参考資料・参考文献
  


  『時代劇映画の詩と真実』

  伊藤大輔著

  加藤泰編集

  昭和五十一年 キネマ旬報社 

 


  『日本映画俳優全集 男優編

  ’79 キネマ旬報増刊 10・23号』

  昭和五十四年 キネマ旬報社


 

  『映畫読本 伊藤大輔』 

  佐伯知紀編

  平成八年 フィルムアート社

 

  『映画の青春』

  平成十年 キネマ旬報社

 



  『加藤泰、映画を語る』

  加藤泰著

  平成二十五年 ちくま文庫版


  『時代劇の巨匠 伊藤大輔特集』

  プログラム 京都文化博物館





  阪東妻三郎百十二歳誕生日 平成二十五年十二月十四日


 


                           合掌



                      南無阿弥陀仏


                           セブン