御誂次郎吉格子(七) 治郎吉とお喜乃とお仙 | 俺の命はウルトラ・アイ

御誂次郎吉格子(七) 治郎吉とお喜乃とお仙

 『御誂次郎吉格子』

 映画 無声 白黒

 昭和六年(1931年)十二月三十一日公開

 製作国 日本

 製作 日活太秦

 監督 伊藤大輔

 ☆

 平成二年(1990年)七月一日

 平成二十四年(2012年)十月二日

 京都文化博物館にて鑑賞

 ☆ 

御誂次郎吉格子 二

 治郎吉は、宿の炬燵に丸くなって入り込んでい

る。

 

 お仙は、話がまとまり、自身が解放されるかど

 

うかを尋ねる。

 

 治郎吉が話をしていないことを述べ、お仙を落胆

 

させる。

 

 

 治郎吉は、仁吉が妹お仙を喰物にしているのだか

 

 

ら、「勝手にすりゃいいんだ」と冷たく言い放つ。

 

 お仙の目頭が熱くなり、涙がこぼれる。

 

 

 宿の番頭に、溜まった料金を「明日払う」と約束した

 

治郎吉は、頬かむりをして、「お勤め」に向かう。

 

 治郎吉は、茶屋遊びに耽溺している与力重松を探索

 

する。

 

 重松は、介抱する仁吉に対して、「お喜乃を連れて

 

こい」と催促する。十手持ちになりたい仁吉に、「お喜

乃を妾にすること」が成り立たったならば叶えると、重

松は確約する。

 

 重松は、仁吉が要求うする活動資金の百両を与える。

 

 

 治郎吉は仏壇に隠された百両を奪う。

 

 

 治郎吉が宿へ帰って、お仙の言葉を聞く。

 

 

 お仙は本気で治郎吉に惚れていることを語る。

 

 

 治郎吉の態度は冷たく、別れ話を語り出す。

 

 

 お仙は、女の直感で、兄仁吉の店に行ってから、治郎

 

吉の心に変化が起こったことを指摘する。

 

 そのことを認めた治郎吉は、別れることを改めて強調す

 

る。

 

 治郎吉は、自身が追われている兇状持ちであることを

 

告げるが、お仙は彼の正体が鼠小僧であることも看破し

ていた。

 

 治郎吉は、自分自身に惚れたのではなくて、「鼠小僧の

 

看板に惚れただけだ」とお仙の真心に対して、冷酷な言葉

を語るが、手切れ金として百両渡して、「達者でいろ」と語る。

 

 お仙は「忘れ物ヨ」と匕首を渡す。

 

 

 治郎吉は「忘れりゃ、それまでだ」と冷たく語る。

 

 

 お仙は夜空に光る月を見つめて、月はわかってくれるの

 

ではないかと悲しみを確かめる。

 

 ☆治郎吉・お喜乃・お仙の関わり☆

 

 

 治郎吉は、若く清純無垢なお喜乃に一途に恋心を抱き、これ

 

まで付き合っていたお仙に冷酷に当たる。

 

 大河内傳次郎と伏見直江の二人が、大人の男女の心と心の

 

対話を視線で表現する。

 

 男の浮気心と女の一途な愛が深く心に残る。

 

 

 

 お仙が治郎吉の心に新たな女との出会いがあったことを見破る

 

 

場面も忘れられない。

 

 「女の感」は鋭く深い。

 

 

 

 

 妖艶な大人の娼婦と清純無垢な美少女。

 

 

 

 

 

 このふたりを、伏見直江・伏見信子の実の姉妹が演じている

 

 

こともあって、その印象は、観客の心に強烈に響く。

 

 

 大河内傳次郎は過去の記事でも述べたように、「男の色気」

 

 

が溢れている。

 

 伏見直江の瞳に母性の優しさが溢れている。

 

 

 冷酷で我がままな治郎吉を、広大な愛で包み込むお仙の真心

 

は暖かい。

 

 治郎吉は手切れ金として百両渡し、お仙は匕首を渡す。

 

 

 この二つの品が、後半において、物語の中で重い役割を果たす

 

こととなる。

 

 この「道具」の用い方・描写も絶妙である。

 

 

 夜の月を見て泣くお仙。

 

 

 観客の心の底にも切なさがこみあげてくる。

 

 

 

 

                     

 

 

 

 

                                    

 

 

 平成二十五年(2013年)

 十月十二日

 

 

                                    合掌

 

 

 

 

                               南無阿弥陀仏

 

 

 

 

                                    セブン