『宮本武蔵 二刀流開眼』 五十歳 | 俺の命はウルトラ・アイ

『宮本武蔵 二刀流開眼』 五十歳

 『宮本武蔵 二刀流開眼』


 昭和三十八年(1963年)八月十四日公開


 製作 大川博

 企画 辻野公晴

     小川貴也

     翁長孝雄


 原作 吉川英治


 脚本 鈴木尚之

     内田吐夢


 撮影 吉田貞次

 照明 和多田弘

 録音 渡部芳丈

 美術 鈴木孝俊

 音楽 小杉太一郎

 編集 宮本信太郎


 助監督 山下耕作

 記録  梅津泰子

 装置  館清士

 装飾  宮川俊夫

 美粧  林正信

 衣装  三上剛

 擬斗  足立伶二郎

 進行主任 片岡照七



 出演

  

 中村錦之助(宮本武蔵)



 

 丘さとみ(朱実)

 入江若葉(お通)

 



 河原崎長一郎(林彦次郎)

 南廣(祇園藤次)

 竹内満(城太郎)

 谷啓(赤壁八十馬)

 平幹二朗(吉岡伝七郎)


 阿部九州男(渕川権六)

 片岡栄二郎(村田与三)

 香川良介(植田良平)

 外山高士(木村助九郎)

 国一太郎(横川勘助) 

 楠本健二(友人)

 堀正夫(庄田喜左衛門)

 神田隆(出渕孫兵衛)

 

 

 

 常田富士男(漁師)

 團徳麿(民八)

 遠山金次郎(小橋)

 藤木錦之助(牢人者)

 川路允(役人)

 鈴木金哉(御池)

 大崎史郎(宿の主人)

 片岡半蔵(居酒屋親爺)

 中村錦司(西山)



 島田兵庫(取次の門弟)

 波多野博(小侍)

 江木健二(若侍)

 高沢利夫(門番)

 大浦和子(宿の女中)

 有川正治(門弟)

 島田秀雄(友人)

 利根川弘(宿の者)

 水野宏子(小茶)



 木村功(本位田又八)

 薄田研ニ(柳生石舟斎)

 浪花千栄子(お杉)

 木暮実千代(お甲)



 高倉健(佐々木小次郎)

 江原真二郎(吉岡清十郎)

 

 

 監督 内田吐夢


 ☆☆

 中村錦之助=初代中村錦之助→初代萬屋錦之介

 鈴木金哉→鈴木康弘

 ☆☆



 般若坂の決斗の後日観師の教えに反発を抱く宮本

武蔵は、師が師事している柳生石舟斎宗厳を尋ねようと

決意します。


武蔵と城太郎は、柳生の里に着き、その静かで厳か

な光景に息を呑みます。


 石舟斎は執拗に試合・挨拶を申し出る吉岡伝七郎の

要請を断り、芍薬の枝を切り、お通に届けさせますが、そ

の切り口を見た伝七郎の態度に変化が無かったと聞いて

落胆します。


ウルトラアイは我が命-お通

 柳生の里の風呂場において、伝七郎とその二人の友人

は、石舟斎が「吉岡伝七郎」の名に臆したのであろうと豪語

し、哄笑します。


 武蔵は厳しい視線で、伝七郎の傲慢な言葉を聞き取りま

した。


 その後、武蔵は、石舟斎が切った芍薬の枝の切り口を見

て驚嘆します。


 その切り口は、まさに名人が切った切り方でした。


 若き武蔵にとって、石舟斎は、何としても挑戦したい巨星で

あったのです。


 城太郎が柳生の犬を殺してしまい、門弟に叱責されます。


 武蔵と石舟斎の門弟は対立し、抜刀します。


 厳しい緊張感が両者の間に湧きます。


 武蔵は二刀流に覚醒します。


 お通の笛の音が聞こえます。


 武蔵は、お通への愛を確かめつつ、剣の修行中の身であり、

恋は諦めねばならぬことと自身に言い聞かせます。

 

 石舟斎は、お通の笛の音を聞く武蔵を見て、手招きします。


 しかし、武蔵は去ります。


   

 花鳥風月を友とする石舟斎の心境に感動し、師と仰ぎますが、

近しく会って語ることは控えたのでした。



 一方伝七郎の兄清十郎は朱実に対して、想いを語り、拒否され

怒ります。朱実の母お甲に金を渡してあることを強調しますが、

朱実は抵抗します。清十郎は、無理矢理朱実の身体を奪います。


 悲しみと痛みから、朱実は、愛しい武蔵を思いつつ、海に身を

投げます。


 偶々、お杉婆と権六が現れ、権六は身投げした朱実を救います

が、自身が水死します。


 お杉婆は懸命に権叔父の救命に取組ますが、権叔父は亡くなり、

お婆は悲しみます。


 

 大坂城において、労働する又八は、剣士佐々木小次郎の兄弟子

草薙が斬られる場に遭遇し、彼が所持していた書状を入手し、佐々

木小次郎の名を名乗り始めます。



 船上でしたたかに横川勘助が酔い、祇園藤次は道場再建の為に

稼いだ金を数えます。


 若き剣士佐々木小次郎は、横川の酔態を「むさい」と蔑視し、怒

った藤次の髻を切ります。


ウルトラアイは我が命-小次郎 二


 屈辱感に打ちひしがれた藤次は、情婦お甲を連れて、道場の

金を持って逐電します。


 小次郎は清十郎と出会い、二人は互いの腕を認め合い、清十

郎は吉岡家の食客として小次郎を迎えます。


 又八は赤壁八十馬と意気投合し、朱実と再会しますが、本物の

小次郎と出会い、名を騙ったことを詫びます。


 小次郎は朱実を自身の情婦にします。


 武蔵は吉岡清十郎に挑戦し、果たし状を送ります。


 名門の重圧に苦悩しながらも、清十郎は武蔵に戦いを挑む

ことを決意します。


 朱実と武蔵は再会します。


 武蔵は朱実を情婦にしている小次郎の気迫に、闘志を感じま

す。


 小次郎は、武蔵の剣の凄まじさをたちどころに予感し、大笑し、

清十郎に、「必ず貴殿は負ける」と予言し、高札を抜いて試合を

辞めるように進言しますが、清十郎は吉岡家の当主としての責任

感から戦い抜くことを宣言します。


 武蔵と小次郎は、視線と視線で対決し、互いに闘魂を確かめ

ます。


 夜。


 武蔵は二つの山を見て、師事している沢庵と石舟斎を思い、い

つの日か二人を超えたいと願います。


 お杉婆が現れ、武蔵を仇と見て襲い掛かりますが、武蔵は気絶

させます。


 朝。


 お通と城太郎は眠っているお杉を見つけます。


 吉岡家の門弟達は、若先生清十郎の身を案じてかけつけますが、

清十郎は従者民八を一人を連れて、戦いの時を待ちます。


 武蔵が現れました。


 清十郎に対して、「真剣か、木刀か?」の選択を問います。


 清十郎は民八から木刀を受け取ります。


 

 


 武蔵と清十郎の対決の時がきました。

ウルトラアイは我が命-武蔵 清十郎

 『宮本武蔵』全五作は、武蔵が剣にいのちを見出して

生きる歩みを尋ねます。


 『第一作』は武蔵が、青春の夢を関ヶ原の合戦に託して挫折し、

お甲に狼藉を働いた野盗辻風典馬を殺害し、お甲・又八と別れ、

郷里に帰って暴力を働き、沢庵の導きにより、千年杉に吊るされ、

暴虐に生きることの罪を知り、人間修行を経て、「いのちを惜しみ

いたわらなければならない」という生命の尊さへの覚醒を語りま

す。


 「いのちをいたわる」という生命への愛がテーマにあると思いま

す。



 第二部『般若坂の決斗』では、「青春二十一、遅くはない」と「剣」

に生命の課題を選び取ります。


 「命をいたわる」という教えに目覚めた後、いのちのやり取り・戦い

である「剣」の道を歩んでいくのです。


 「命の尊さに目覚めたからこそ、剣に生きる道を選んだのだ」という

事柄は重く深いです。


 奈良において、日観師から、「もっと弱くおなりなされ」と教えられ、

武蔵は敗北感に打ちひしがれます。


 般若坂で難癖をつけてきた不逞浪人達と戦い、彼等を切りますが、

宝蔵院の僧侶達が浪人衆を斬り、日観師から、浪人衆をおびき寄せる

作戦であったことを告げられることを聴かされ、愕然とします。


 浪人衆を刺殺しながら、その遺体に追悼の石を置く日観師に対して

武蔵は怒りを燃やし、「違う、違う、違う。剣は念仏ではない!命だ」

と宣言します。


 これは原作とは大きく違っている展開です。


 原作においては、武蔵が日観の教えに感嘆し、自身の未熟を学び、

日観が師事している石舟斎を尋ねる決意を固めるという展開です。


 映画においては、武蔵は日観に教わった念仏に反発し、剣に命を

燃やさねばならぬという怒りを語ります。


 青年の怒りと若さの抵抗があります。


 内田吐夢は、中村錦之助の武蔵に、苦悩・苦難を与える道を課した

のです。


 原作の展開も大事で尊重せねばなりませんが、老師の教えに反発

する武蔵の怒りの炎が、かえって日観師との出遇いの大きさを語り

明かすものともなっているとも申せましょう。


 第二部のラストと本作『二刀流開眼』の開巻は、直結しています。


 日観師の教えに怒り悩みながらも、武蔵は滝に打たれて内省し、

師の先生である柳生石舟斎を尋ねます。


 石舟斎の名声に憧れ、試合を申し込んで断られた伝七郎は、自身

に臆したと、老師を侮蔑しています。その大言壮語を風呂場において

聞いた武蔵は、伝七郎が青年の傲慢さに溺れきっていることを直感

します。


 石舟斎は、芍薬の枝を鮮やかに斬って、「学べ」と伝七郎に問いかけ

たのでした。


 「名家の子とは自尊心が強く僻みやすい。叩いて帰しても始まるまい」


 石舟斎師の洞察は鋭いですね。

 

 芍薬の枝の切り口を見て、剣の達人の腕を見て感嘆した武蔵は、「何と

しても石舟斎先生と試合がしたい」と望みます。


 城太郎に殺される柳生の犬は可哀相ですね。


 門弟城太郎をかばい、彼の身体を投げて、柳生の侍を攪乱する武蔵。


 対立の中で二刀流に開眼します。


 本作は、苦悩や葛藤の只中で、人は学ぶのだという教えを語っているよ

うにも思われます。


 愛しいお通の笛をの音を聞いて、苦悩する武蔵。


 ここに吐夢演出の切なさが明かされます。


 武蔵にとって、お通への恋心と石舟斎師への敬意はますます熱い

ものとなりますが、花鳥風月を友として生きている師の邪魔は出来ぬ

と確かめます。


 お通への恋心、石舟斎への敬意は篤いが故に、近しく親しく語り合わず

只管堪えて、学びの道を一直線に歩みます。


 ここにも吐夢演出の厳しさがあるとも思えます。


 清十郎に身体を奪われた朱実の悲しみ、水死する権六の悲劇。


 受難と悲痛に苦悩する朱実が、苦悩と戦う様も、物語の重要な

柱の一つであります。


 佐々木小次郎は登場シーンから強烈な印象を与えてくれます。


 傲慢で剛腕の剣士佐々木小次郎。


 吉岡の門弟二人を叱り飛ばすシーンにも小次郎の自身の鋭さが窺え

ます。

 

 剣の道に悩み迷いながら歩む武蔵と己の腕と能力に全てを賭ける

小次郎。


 二人の剣士の生き方が鮮明に示されます。


 清十郎の心が、武蔵への恐怖感と名家の重圧に押しつぶされて、

苦しむシーンに、吐夢の人間祖洞察の鋭さがあります。


 東映五部作版では、剣士「林」の存在が多きいです。


 武蔵に道を問い、武蔵の剣は「暴力ではないか?」と問う存在であり

ます。



 大詰めでは、決戦の場に武蔵・清十郎にゆかりの人々が集い壮大な

群像ドラマが展開する。


 吐夢は、壮大な人間ドラマを描いています。


 朱実の悲しみ・お通の純・城太郎の明るさ・林の苦悩・伝七郎の怒り・

お杉の強さ。


 一人一人が輝いています。


 武蔵と清十郎の激闘シーンは、壮絶です。


 清十郎の痛みが観客の心に迫ります。


 小次郎が清十郎の片腕を切り捨てるシーンが重いです。


 戸板に乗らず、必死に歩こうとする清十郎の生き方に、極限状

況において闘魂を燃やす在り方が示されます。


 武蔵は勝利を確かめます。



 夕焼けの中、道を歩む武蔵。


 その剣の道は、血に染まり、血を流して行く道なのでしょうか?


 この問いがこめられているようにも思えます。


 己を厳しく鍛錬する者の生き方を明かすものでもあります。
 

 これほど深く重いラストの表現は他にないと思います。


 武蔵が道を求めて歩む生き方に、自身の生涯のテーマを見出した

ひとの逞しさがあります。


 「求道」の尊さは無限であり永遠性があります。


 限りない尊さに目覚め、尊さに気づき歩む者は、ただ一度の生命に、

永遠の尊さを自証した存在であります。


 武蔵にとっては、血に染まった道であったとしても、剣の道を歩み

通すことが生き甲斐であり、いのちの証であったのです。


  

                                     合掌