三代目實川延若丈 -上方芸能・関西歌舞伎の巨星ー | 俺の命はウルトラ・アイ

三代目實川延若丈 -上方芸能・関西歌舞伎の巨星ー


ウルトラアイは我が命-河内屋

 (画像出典 『演劇界』昭和四十九年九月号)


 皆様、こんばんは。


 平成二十四年(二〇一二年)五月十四日

ですね。


 本日は、歌舞伎役者三代目實川延若さん

の二十二回忌の御命日に当たります。


 延若さんは、大正十年(一九二一年)一月

十三日、大阪において、二代目實川延若さ

んのご長男として誕生されました。


 ご本名を天星昌三さんと申し上げます。

屋号は河内屋さんです。


 昭和二年正月中座で初舞台、昭和九年

二代目實川延二郎を襲名されます。


 関西歌舞伎の若手スターとして活躍され

武智歌舞伎では、武智鉄二氏・八代目坂東

三津五郎丈の指導を受けられました。


 昭和三十八年三月歌舞伎座において『封

印切』の亀屋忠兵衛で、三代目實川延若を

襲名されます。


 昭和三十九年NHK大河ドラマ『赤穂浪士』

では千坂兵部を勤められました。


 昭和三十九年東京12チャンネル開局記念

ドラマ『樅ノ木は残った』で主人公原田甲斐

宗輔を勤められました。このドラマは生まれる

前で、私は写真しか見たことがないのですが、

先輩諸氏は素晴らしい傑作として語っておら

れます。


 「映像も残っている」という噂もあり、DVD・

ブルーレイ化して欲しいです。


 昭和五十二年十一月の中座の『仮名手本

忠臣蔵』にも出演されました。


 高師直・大星由良之助/

 二代目中村鴈治郎



 桃井若狭之助・早野勘平・寺岡平右衛門/

 三代目實川延若


 千崎弥五郎・斧定九郎・小林平八郎/

 五代目片岡我當



 顔世御前・加古川小浪・矢間重太郎/

 二代目片岡秀太郎


 足利直義・お軽・

 戸無瀬・十一段目の大星力弥/

 二代目中村扇雀→四代目坂田藤十郎



 塩谷判官・九段目の加古川本蔵/

 十三代目片岡仁左衛門


 昭和の上方歌舞伎の名優が結集された「大

忠臣蔵」の公演であったようです。


ウルトラアイは我が命-大序 一九七七


(画像出典 『演劇界』昭和五十二年十二月号)


 当時わたくしは小学校四年生で、道頓堀の

観劇はまだ無理な状態の幼い子供でした。


 今にして思うと、見たかったなあ。


 

 


 延若さんの古風な顔立ち、素敵でした。


 謙虚でお優しい人柄でも有名でした。



 昭和六十三年十二月の南座顔見世では

『伊賀越道中双六』「沼津」では雲助平作を

勤められました。重兵衛(十兵衛)は扇雀(

現在の坂田藤十郎)さんでした。


 花道を歩む時のお二人の息の合い方と

会話は絶妙でした。


 平作の父性愛に泣かされました。自身を

犠牲にする場で、苦痛を堪える芸が圧巻で

した。


 平成元年十二月、祇園甲部歌舞練場に

おける顔見世で『落人』が出て、勘平を延若

さん、お軽を七代目尾上梅幸さんが勤めら

れました。


 大顔合わせの名舞台でした。


 ウルトラアイは我が命-延若 梅幸 ご両人

 梅幸さんのお軽は母性的で暖かくて可愛く、

延若さんの勘平さんは繊細で端麗でした。


 この勘平役が、最後の舞台となりました。


 平成三年(一九九一年)五月十四日、三代目

實川延若丈は死去されました。七十歳。


 歌舞伎役者として、いよいよこれからという時

に亡くなられた河内屋さん。


 盟友であった坂田藤十郎さんは、翌平成四年

二月の国立文楽劇場公演の『仮名手本忠臣蔵』

上方演出版で、「河内屋の兄さんも亡くなられた

」という事実を受けて、延若さんの当たり役であっ

た高師直役を始め七役を勤められました。


 延若さん追悼のこころもこめられた『仮名手本

忠臣蔵』であったと思います。この時の公演を

観ましたが、鴈治郎時代の藤十郎さんの情熱に

圧倒されました。


 三代目實川延若さん。静かで優しい紳士で、

舞台では熱く渋く深い芸を明かして下さる方で

した。




                         合掌



                    南無阿弥陀仏




                         セブン