菅原伝授手習鑑 道明寺 昭和五十六年十一月国立劇場公演 記録映画 | 俺の命はウルトラ・アイ

菅原伝授手習鑑 道明寺 昭和五十六年十一月国立劇場公演 記録映画

 『菅原伝授手習鑑』「道明寺」 公演記録映画版

 昭和五十六年十一月 国立劇場公演  


 -1996年11月9日 国立文楽劇場にて鑑賞-


 作/竹田出雲 並木千柳  三好松洛 竹田小出雲


 


 十三代目片岡仁左衛門(菅原道真、菅丞相)




 五代目坂東玉三郎(苅屋姫)



 二代目片岡秀太郎(立田の前)

 五代目片岡我當(判官代輝国)



 二代目助高屋小伝次(土師兵衛) 

 五代目中村歌六(奴宅内)

 五代目片岡市蔵(彌藤次)


 

 五代目中村富十郎(宿禰太郎)




 三代目實川延若(覚寿) 



 『菅原伝授手習鑑』は、延喜三年(1746年)

八月二十一日、大坂竹本座で上演された

人形浄瑠璃である。この年の十月、京都で

歌舞伎としても上演された。


 菅原道真(菅丞相)と彼に関わる人々の

物語を描く。


 「大序」

 道真は書道の奥義を深く極め、人々から

菅丞相と呼ばれ、篤く尊敬されている。

 左大臣藤原時平は、丞相に横暴を諫止さ

れ、逆恨みを抱き、丞相への嫉視を強める。



 「加茂堤」

 丞相の養女苅屋姫と皇帝斎世親王は恋仲

で、舎人桜丸とその妻八重が取り持った密会

が、時平の家臣三善清貫に露見し、恋する二

人は逃げて行く。


 

 「筆法伝授」

 筆法伝授の勅命を受けた丞相は、勘当して

いた弟子武部源蔵を呼び寄せる。先輩の左

中弁希世の妨害にも屈せず、源蔵が見事に

詩歌を書き上げたことを、丞相は喜び、伝授

の一巻を授ける。

 だが、「伝授は伝授、勘当は勘当」の精神を

涙を飲んで厳しく貫く丞相は、勘当を解かず、

「これ以後の対面かなはじ」と申し渡す。



 時平は密会事件を利用して、丞相が娘を天

皇家に嫁がせて、日の本を我が物にしようと

していると讒言して、謀反の罪を捏造して、丞

相に着せる。


 源蔵は、御家の断絶を避ける為に丞相の舎

人で、桜丸の兄梅王丸に、丞相の御子息菅秀

才を預かりたいと申し出る。梅王丸も同意して、

若君を源蔵・戸浪夫婦に託す。



 「杖折檻」「東天紅」「丞相名残」(「道明寺」)

 時平の陰謀によって、太宰府に配流され

ることとなった丞相は、叔母覚寿の館に立ち

寄る。苅屋姫の実母覚寿は気丈な老婆であ

る。

 館に逃げてきた姫は、優しい姉立田の前

に慰められる。


 覚寿は、実子苅屋姫の恋が、結果的に丞

相を苦しめたとして、怒り、制止しようとした

立田の言葉も聞かず、姫を打擲する。

 そこへ菅丞相の優しくなだめる声が、伯母

覚寿に響く。

 伯母が見ると、丞相が作った木像があるの

みだ。

 夜。立田の夫宿禰太郎とその父土師兵衛

は邪悪な思いを抱き、時平に内応して、丞相

の暗殺を企む。奸計に気付いた立田は必死

で諫めるが、哀れ、夫とその父に斬殺され、

遺体を池に捨てられる。

 丞相は、兵衛の仲間で贋迎えの彌藤次に

護送されていく。

 木像の不思議な働きが、土師兵衛父子の

残忍な企みから、丞相を守る。

 


  

 丞相は、難役中の難役と言われている。

無実の罪を着せられても、じっと静かに耐え

抜く強さ。動きの少ない中で醸し出す気品。

学問の神と呼ばれる人の厳しさ。

 こうした難しい課題の表現を、丞相役者

は演じなければならない。





 丞相が掘った木像が、丞相の誠実な暖かさ

に感動して、丞相を危機から救う、という不思

議な物語で、木像も役者は演じなければなら

ない。


 「人であって神」と言われ、神品の表現が求

められてくる。人間的な暖かさや優しさも表さな

ければならない。

 


 十三代目仁左衛門は、この丞相役を、

誠実に演じて、人々の心に大いなる感動

を与えられたのである。




 昭和四十一年(1966年)十一月・十二月の

二ヶ月に渡って、国立劇場では開場記念に

この狂言を上演している。


 同五十六年開場十五周年として、十一・十

二月の二ヶ月において、この狂言が上演され

ることとなった。



 菅丞相役を、十三代目片岡仁左衛門が演ず

ることとなった。緑内障が心配されたが、十三

代目は、

  「役者冥利に尽きる。死んでもやる」

と出演への熱い意志を語り、命の全てを挙げ

て、役に成りきられたのである。



 記録映画を見て、十三代目仁左衛門の芸道

に命を捧げ尽くす誠実さが、役と一体になって、

丞相役のいのちを生きておられることを明確に

感じた。


 仁左衛門氏は、丞相を演ずる時は、精進潔斎

される。楽屋では、北野天満宮に向かって合掌

礼拝される。


 こうした芸道一筋の生き方が、無になる心境

と共に、菅丞相に包まれて生きることを学んだ。


 その気品は、まさに「神品」という仙境を伝え

てくれる。


 覚寿が母の厳しさで、愛娘苅屋姫を打擲する

のを笑って諫める木像の声は、暖かい。

 即ち、「道明寺」の丞相役者は、丞相と木像

を演ずることになるのだ。


 木像役の澄み切った気品は、筆舌に尽くしが

たい尊さがある。

 丞相の為に命を捧げる木像の優しい心は、歌

舞伎に命を燃やし続ける十三代目の生き方と呼

応していることを実感した。


 丞相が、叔母覚寿に、立田の前が自身の滞在

の為に犠牲となったことを詫びる場面には、泣か

される。



  丞相「立田の前ははかなき最期是非もなし。

      伯母御の心底さこそさこそ。

      某(それがし)是へ来らずば、かかる

      歎きも有るまじと」


  覚寿「娘が命百人にも。かへがたき大事の

      お身。怪我過ちのなかったを悦びこ

      そすれ何のなみだ」



 仁左衛門の丞相は、悲しみと苦悩を深く、重く

静かに表現する。

 「神品」と言っても、人間的な感情を排する

のではなくて、感情を深く深く確かめ、その根底

からこみ上げてくる悲しみを噛みしめる境地で

ある、と思った。



 玉三郎の苅屋姫は、清純な美しさが輝いてい

る。意図せざるを得ないことであったとはいえ、

養父を苦しめてしまったことの罪の意識を、深く

伝えてくれる。

 愛する実姉立田との死に別れの悲しみも、

心に迫ってくる。


 秀太郎の立田の前は、優しさが観客の心を

暖めてくれる。兵衛の偽りの詫びを信じて涙

を拭く仕種が切ない。

 兵衛・太郎に背後から斬られて語る、悲しみ

と怒りの声に、涙腺が熱くなる。


 小伝次の兵衛は、冷酷な不気味さが印象的

だ。


 富十郎の太郎は、大きい。愚かな性格だが、

野望の為に妻を犠牲にすることへのためらいも

ある太郎の揺れ動くの心境を、富十郎は無言

の演技で、鮮やかに、そして巧みに表現する。


 我當の輝国は、情味が豊かだ。覚寿・苅屋姫

の別れの切なさを思いつつ、役目上、私情を断

って、丞相を護送せねばならことへの切なさが

光る。

 


 延若の覚寿は、婆の厳しさと暖かさと強さが

光っていた。


 「有為転変世のならい

  娘が最期も此の刀

  聟めが最期も此の刀

  母が罪業消滅の白髪も

  同じくこの刀と。

  初孫見るまで貯い過ごした恥白髪。

  孫は得見いで憂き目を見る。

  娘が菩提逆縁ながら弔う此の尼。

  南無阿弥陀仏」


 太郎が立田を刺した刀で、覚寿は太郎を

刺し、罪業消滅の為に、その刀で白髪を断

って、尼となって、念仏を称える。


 仏道は、悲しみを背負って生きる人に

働くことを感じた。



 ついに丞相が護送される時、最後の頼み

として、覚寿は別れにただ一目、娘に会って

欲しい、と懇願する。


 丞相は、内心では姫に会って、許してあげ

る言葉を優しく語ってあげたいのだが、罪の

身である以上、伯母の願いを断る。


 袖に隠れて、苅屋姫の泣き声が響く。


 「今、鳴いたはたしかに鶏

 あの声は子鳥の音

 子鳥が鳴けば親鳥も」


 丞相の言葉は、涙を語らず、心で泣いて

いることを示す。


 丞相と姫の最後の別れは、切なさを極める。


 玉三郎の姫が、十三代目仁左衛門の丞相

の袖を掴んで、詫びようとする。愛娘の顔を

丞相は、罪を問われているので、涙を飲んで

見ない。


 仁左衛門は扇を用いて顔を隠し、隠しながら

こみ上げてくる悲しみを顔に見せ、ここで、静

かに涙を拭う。これまで公性を重視していた丞

相が、父としての別れの涙を遂に見せる。

 その涙を拭って、扇を愛娘苅屋姫に授ける。


 これほど深く余韻を残してくれる愛の表現を、

他に見たことがない。

 愛すればこそ、語らずに、心を扇に残していく。


 十三代目片岡仁左衛門の菅丞相は、人生に

おいて打ち続く悲しみを忍び、堪えながら、悲しみ

を背負って生きることを、私に教えてくれた。



菅丞相 十三代目仁左衛門


 今月二日から、「歌舞伎座さよなら公演 御

名残三月大歌舞伎」において、十三代目仁左

衛門十七回忌追善・十四代目守田勘彌三十七

回忌追善狂言として、「道明寺」が上演される。


 菅丞相役を、十三代目の三男、十五代目仁左

衛門が演ずる。


 昭和五十六年十一月、苅屋姫を演じた玉三郎

が、姫の母覚寿を演ずる。


 彌藤次を演じた五代目市蔵の息子・現六代目

市蔵が、父の役を継承する。


 秀太郎は、昭和五十六年十一月に演じて以来、

立田が当たり役だ。三月も、この悲劇の女性の

役を演ずる。


 我當も、昭和五十六年十一月以来と思われる

が、今月、久々に輝国役を演ずる。


 十三代目仁左衛門・十四代目勘彌に縁由の

人々が、「道明寺」が伝える悲しみの心を、重く

深く演じてくれる、と確信している。



                   文中一部敬称略

            

     

                          合掌



 南無阿弥陀仏