決定的なベストはあり得るか?  | 俺の命はウルトラ・アイ

決定的なベストはあり得るか? 

 アカデミー賞授賞式の中継を見たり、授賞

結果のニュースを聞いたりしていると、「え、何

でこの作品が取れないの?」、とか、「この人が

授賞してないのはおかしい」とか、こっちも本気

になって、怒ったり、嘆いたりしてしまうこともしょ

っちゅうだ。

 

 逆に、長年応援している俳優さんが、約20年

間、ノミネートされるも授賞を逃し続けていた忍

苦を経て、ようやく受賞した時は、嬉しさがこみ

あげてきて、テレビの前で拍手喝采した。


 

 どれだけ権威のある賞といっても、絶対的

で完全無欠なものである筈がない、と観念で

理解していても、結果に対して、様々な賛否

の感覚が惹起してくる。


 

 勿論、全ての映画関係者・評論家・ファンが

皆、納得・同感する映画賞の選考なんて、あ

り得ない。

 

 

 アカデミー賞、日本アカデミー賞、カンヌ国際

映画祭・ベルリン国際映画賞・ヴェネツィア国際

映画祭・キネマ旬報ベストテン、等、世界の沢山

の催し物で、映画の顕彰が行われ、賞が授与さ

れている。


 

 審査員の得票・支持を多く集めた物が「ベ

スト作品」として選び出され、賞賛される。


 

 選ばれた物と選ばれなかった物との間に

ランキングが生まれて、両者の間に様々な

優劣比較の観念が付与される。


 

 だが、その選別やランキングにしても、決して

絶対的・決定的なものではない筈だ。


 

 勿論、有限な存在である人間が、絶対的な価

値観を作り出すことなど、あり得ない。


 

 選ばれた物からも、選ばれなかった物からも、

ベストとして選び出された物からも、ワーストと

して酷評された物からも、何かを学び取る営み

は、自己にとって成り立つ筈だ。

 

 

 

 自分にとって、大切な事柄を教えてくれた作品

は、「ベスト」として褒め讃えるよりも、「オンリー・

ワン」の唯一性を輝かしていることを確かめること

のほうが大事だ。


 

 かくいう私も、以前ブログのルームで、応援して

いる俳優さんや感動した作品を「ベスト」として選

んだことはある。

 

 今も、ルームの「好き、嫌い」のコーナーで、自己

の気持ち・心情に依って、それぞれの選出を行った。

 

 

 「ベスト」というランキングの頂点の価値観に位置

付けること自体、他と比較してしまうことになる。

 

 

 それも「顕彰」の方法と考えてしまうし、好きな人

や感動した作品を、ベストにすることで、応援の意

を伝えたい、というのも人情だからね。


 

 

 だが、自分に言い聞かせる。


 

 大切な人や作品が、それぞれ、オンリー・ワンで

あることを忘れるなよ、と。


 二十代の自分は「この映画は、自己の生涯の不

変のベストワンだ!」という風に熱く叫んでたなあ。



 

 今、思うと恥ずかしい限りだが。


 

 ベストとして選ぶ作品を見直すと、「ベストとか、ワ

ーストとかの観念に固執しないで」というメッセージ

を伝えてくれていることが多い。

 

 

 権威化することよりも、オンリー・ワンの唯一性・

各別性のかけがえのない尊さを教えてくれたこと

に感謝することが、自分にとって大切な課題であ

ることを思う。