私は時々ですが宝くじを買ったことがあります。そして当然のように当たったこともありません。割と当たりやすい宝くじといえばナンバーズ3。1等でも当選確率は1000分の1の確率ですが、その千人に一人には一度もなれませんでした。その購入の動機は、一刻も早くお金持ちになり、仕事もせず楽な暮らしをしたいという魂胆であります。家を買い、高級車に乗り、毎日うまいものを食べ、綺麗な服を着る。そして、旅行や散歩で1日が終わるという幸福。毎日が好き放題でパラダイスという人生が欲しいわけであります。
果たして、そういった低い可能性である宝くじに夢を見るのも如何なものかと考えてみた今日。社会人になって32年もの当選なし人生であります。宝くじは買えばいつか1等が当たる可能性はゼロではないですが、その運命の「宝くじで1等が当たる日」は、自分の死の前日かもしれないわけで、どちらかといえば当たらないことの方が普通。では、その「お金」は自分が持っていないとしたら誰が持っているのだろう?
答えは簡単で明白。その言葉どおり自分以外の人間です。金は人が作ったものであり、人が持っていて、その手から手に渡って移動している。そう考えると、お金は宝くじの低い可能性よりも身近な誰かさんから頂く方が早いのではないかという考え。「頂く」とはまるで泥棒や詐欺師のように聞こえるから、「お金さま」に私のところに来ていただくという言い方に訂正しましょう。
むこうから来ていただくにはお金に変換できることで入手という流れになります。アイデアであったり、労働力であったり、時間を使うことであったりと、お金になることを実行することで収入となります。しかし、それは一般のサラリーマン。会社の社長であれば、お金を投資してお金を得るという考えになります。お金を出して設備投資したり、優秀な社員を高額で雇用したりと、これこそが我々との大きな違い。
普通の人から敏腕社長への変貌が成し遂げられなければ、高収入など不可能。もっと簡単に言えば、今の状況に大きな進歩がなければ何も変わらないということでもあります。有能な社長の方々を見ていると「改革好き」であることがわかります。いつも何かを探しています。いつもです。絶えずバージョンアップをしないといけない不安を持って生きているように見えます。楽して成らず、ですね。このように、何もせずに「お金さま」は私の懐に移動などしてはこない。悲しい現実であります。
さて、話を戻すとしましょう。お金は人間の誰かが持っているのであり、何かの作業や作用という交換条件の満了をもって、違う人へ移動させています。つまり、お金を出す人と、うまくコミュニケーションができないと換金率が悪いということでありますね。期待や結果が予定以上に成せないと、大きな成果には繋がらないというシンプルな事実をすっかり忘れていました。
会社の中でも、正社員であぐらをかいてノンビリ過ごしている人間よりも、時間給の安い賃金で働くパートのオバちゃんの方が、そのへんをよく理解しているかもしれません。私、こういった「お金の好循環が好マネーを生む」という考えを全く知らなかった心の貧乏人でした。お金は、お金を大事にする人のところに仲良くなりたいために寄って来るものだったのです。
お金を育てる気持ちがある人、それは人を育てる考えの持ち主でもあります。きちんとお金や人を迎える準備ができる人、何にでも「育む」という考えある人でない限り、大事にしてもらえないとなったらお金さまは私のところになんか寄り付きもしないわけです。お金さまをよく理解もせず、お金のある人にしかお金は集まらないと、皮肉まじりで考えていた自分が恥ずかしいです。
今から考えを改めます。お金のある人を可能な限りしっかり真似てみようと思います。大きなお金自体はすぐに持てませんが、まずはそのお金以外のことをしっかり身に付けれることができれば、自然と何かの流れが変わっていき、今よりも100倍以上は生活環境が良くなることでしょう。