昨日は斜里町のお寺で、津軽藩士の慰霊祭及び鬼子母神例大祭あり行って来ました。

斜里町と津軽藩とのかかわり

1800年代ロシアは日本と通商外交をしようとしてたけど、この当時日本は鎖国をしていた。
業を煮やしたロシアは武力行使で蝦夷地(北海道)を荒らしました

そこで江戸幕府は斜里に津軽藩を警備させるため約100名ほど配備させましたが、急場凌ぎのような番屋のため冬の寒さ、栄養不足などで1807年、72名の死者がでました。

津軽藩士の殉難をお寺で供養をしました。



この他に斜里町役場裏には慰霊碑があり、
7月下旬には慰霊祭、ねぷた祭りが行われます。

続きまして信者さんを守護してくれる鬼子母神のお参りです。

鬼子母神さんとは
1000人の子どもを持ち、人間をさらいその肉を糧として生きていた鬼であります。

困り果てた人間はお釈迦様にお願いしました。

するとお釈迦様は鬼の1000人のうちの末の子1人を隠した。
鬼は死にもの狂いで捜すが結局見つからず、こちらもお釈迦様にお願いした。

すると、お釈迦様は子ども返して諭した
1000人の子どものうち、たった1人でも居なくなると心配のに、人間ならなおさらと説かれました。

そこで鬼はお釈迦様の説かれた法華経を唱えるものを守護すると約束をされました。

それを祈念するお参りであります。




ご祈祷





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