山間の水面(みなも)に響く雲雀かな

 

棚田に張った水面に空が映り込んだ絵が美しい。

 

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さて、福岡でも始めた陶芸の最初の作品です。

 

こういう絵も描いてます。

福岡は、花見の季節だというのに雨模様で肌寒い。

 

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晴れ間を縫うように桜を探し母とドライブ。

思いもかけない場所で素晴らしい桜と出会うと、歓声を上げたくなります。

 

 

 

 

 

ルッコラは独特な香りがしますが、花もかわいい。

 

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4月は福岡。

東京はもう満開のところがあるというのに、福岡の桜はまだまだです。

 

気温の履歴で開花時期が変化するんですから、桜はどんな遺伝子を持っているのか、不思議です。

 

 

これはバラや他の植物にも共通なのでしょうか。

こちらは培養土の袋に植えたジャガイモ。

元気な芽が出てきました。

 

これから追肥しながら土を少しずつ足していきます。

 

タマネギもプランターに植えてみました。

元気が良く順調です。

 

さて森友問題。安倍晋三の名前を利用して金を集め、交渉を有利に運ぼうとしたのは明らかで、まんまと安倍案件と認知され、忖度が働いたのは間違いないでしょう。

 

まことに日本ならではの詐欺です。

それと少々食傷気味の豊洲問題。

これから驚愕の新事実が出てくるかどうか、わかりませんが、小池知事もどこまで引っ張りつもりでしょうか。

 

日本人の気質として、あまりしつこいと嫌われます。

真実の解明という言葉も徐々に色褪せてきた印象です。

 

色々あったんだろうが、できたものはしょうがない、どうしたら豊洲に移転できるのか、早く示してくれというのが多くの国民の共通認識になりつつあるような気がします。

 

4種類のキノコ(椎茸、マイタケ、シメジ、エノキタケ)と麺つゆで酒の

肴をつくりました。

今日のお昼は、それをうどんにトッピングしたキノコうどんでした。

 

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さて先日、友人らと飛鳥山周辺を散策しました。

飛鳥山公園は、桜には早かったが小さい子供を連れた家族連れで賑わっていた。

 

ここを訪れたのは3回目だったか、4回目だったか、いつもなんとなくどこかさびれた感じがするのは何故だろう。

 

渋沢栄一史料館、飛鳥山博物館、紙の博物館を訪ねてその理由に思い至った。

浮世絵に描かれている飛鳥山は、江戸時代では行楽地だった。

 

明治に入って、豊富な水源と隅田川の水運による原料(ぼろ布)の供給を利用し、渋沢栄一の活躍もあり、製紙産業が興った。

 

この地に製紙産業を興したことは慧眼だったのだろうが、結果として貴重な観光資源を失ってしまったのではないか。

 

製紙を続ける必要がなくなっても自然は元には戻らない。

もし独特な地形と水の流れを大事にしていれば、この地は素晴らしい憩いの場所であり続けたに違いない。

 

拡大し続ける東京のニーズのもとでは自然を壊していくしかなかったんだろうが、江戸時代の人が長い間、大事にしてきたものを受け継がなくてはいけなかったのではないか。

 

そんなことを思った一日だった。

 

飛鳥山から王子駅方面を望んだ風景

 

お気に入りのお雛様。(作品ではありません)

 
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2月末に福岡でジャガイモを植え付けてきました。場所の関係で、培養土の袋に直接植え付けてみたんですが、うまくできるかどうか、興味深いです。

 
3月に千葉に戻り、早速私の農園にも植え付けました。
毎年、ジャガイモの植え付けがその年の畑作業のスタートという感じがします。
 
さて、3月11日が近づくと震災関連のニュースが増えます。
改めて、この世の中には想像もしなかったことが起きるものだと思う。
 
自分や家族の健康も含めて、平穏無事な生活を送れていることが如何に幸運なことか、感謝しなくては、と思う。
 
とてつもないことは、天変地異だけではない。
北朝鮮の動きも不穏だ。
 
日本政府もいろいろな「もし」を考えているんだろう。
もし、ミサイルによって人的物的被害が生じた時、我が国領土に打ち込まれた時、どうするのか。考えればキリがないが、想定はしておかなくてはならない。
 
重い話題はさておいて、陶芸作品です。
花瓶
植木鉢
揃いの茶碗

焼酎のお湯割り用の大きめのカップ

春うらら庭の梅も満開です。
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この季節は、低気圧と高気圧が交互に日本列島を通過して、暖かくなったり寒くなったりします。
 
この時期のこういう気象を三寒四温と言うんでしょうか。
そう言えば天気予報でもあまり使われていない気がするが、もはや死語になりつつあるんでしょうか。
 
日本らしい言葉だし、是非残ってほしいと思う。
 
こういう日は、陽射しに誘われてどこかに行きたくなります。
 
若い時であれば、阿蘇に行こうかとか、柳川に行こうかとか萩まで足をのばしたこともありました。
 
今や道中の大変さが頭に浮かび、躊躇してしまう。
こうやってだんだんと億劫になって行動範囲が狭くなっていくことが老いるということなんだろう。
 
よく考えると新しいことにチャレンジしにくくなっていくことも同じことなんだろう。
そう考えると老いは精神というか、気持ちから老いてしまうんだろう。
 
そういう自覚を多少持って今月から水彩画を始めた。
これまでの作品。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天気が回復した日曜日、久し振りに太宰府
天満宮に行った。
 
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今年、93歳になる母と太宰府天満宮に行った。
 
父の転勤で福岡に引っ越して来た頃から馴染みがあり、何度も訪れている場所に行くと色々思い出すことがあるが、時に初めて見る気がするものもあり、不思議である。
 
敷地内にこんなに梅の木が植えられていて、さまざまな色の梅があることに今更ながら驚く。
 
初めて詣ったのは、小学校6年か中学生の頃だったろうか。
あの頃は、視覚には入っていても何にも見ていなかった。
 
多少、心にゆとりができた今、色々なものをしっかり見ることができる。
さて、久し振りに行った天満宮の風景は、多少予想していたとはいえ、驚いた。
 
参拝中に聞こえてくる会話に日本語はなく、圧倒的に中国語だ。
ギョッとするほど真っ赤な口紅を塗っているのは間違いなく韓国女性だろう。
 
やれやれと思って入った「やす武」という蕎麦屋には日本人客しかいなくてほっとした。
 
先だってのアド街ックで紹介されていた「揚子江」の豚まんと梅ひじき、梅ヶ枝餅を買って帰路に着く。
 
ペン画を描いてみました。
 
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2月は福岡で暮らします。
時間だけはたっぷりあるので、こちらでも陶芸教室に入会しました。
 
もうひとつ
今日、福岡市博物館で開催中のフィンランドデザイン展に行ってトーべ・ヤンソンのイラストを見てたら急に描いてみたいなと思い、冒頭のペン画を描いてみました。
 
初めてにしてはまずまずかな。
少し練習してみます。
 
さて、トランプ大統領の言動を見ていると、犯罪者がよく言うセリフを思い出す。
「腹いせでやった。」
 
彼は、弱者の味方のふりをして、実は仕返しをしているだけなのではないか。
彼の頭の中は、幸福感ではなく、報復感で満ちているに違いない。
 
前回、所有できるものは良い思い出だけだと書いた。
実は、嫌な思い出も所有できる。
 
多くの人達の嫌な思いの半分が彼自身の所有物になっている。
こんな人が幸福感にひたれるわけがない。
 
多肉植物の寄せ植え作りました。
器は、陶芸作品。
 
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昨年から今年にかけて、同時代に活躍してきた多くの人たちが亡くなった。
そういう人達の死に接し、ことさら人の生き方に思いがゆく。
 
この歳になると、身の回りにいろいろなものが増えてくる。
人間、浅はかなもので、所有した瞬間、とても幸せな気分になる。
 
でもこれらのモノは、一見所有しているようでも違う。
自分がこの世に存在している間、利用しているに過ぎない。
 
いわば利用する権利を持っているだけで、保存する義務を負っているともいえる。
体力、気力が衰えて利用できなくなったらその人にとって無価値となる。
 
そんなことを考えると、本当に幸せにつながる価値のあるものは、目に見えないものだと気づく。
 
良い思い出だけは、その人のものだ。
 
世の中、うまくできている。
良い思い出は、自分ひとりじゃ作れない。
 
自分の周りの人にも良い思い出でないと、良い思い出にならない。
 
例えば、周りの人に何かしてあげてその人の良い思い出につながったら、その良い思い出の半分をもらえそうな気がする。
 
手っ取り早く良い思い出をたくさん作りたければ、周りの人に良い思い出をたくさん作ってあげることだ。
 
 
 
 
 

キルギスのエジェ(おかみさん)の手仕事で作られた羊毛フェルトの

スリッパ。

とても暖かくて履き心地がいいです。

町おこしのような活動で現地に行って指導している方から頂きました。

大事に履きます。

 
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さて先日、地下水モニタリング調査結果が発表されて、大騒ぎだ。
 
大騒ぎになったのは、技術者会議で敷地全体の地下水を環境基準値以下に浄化する方針が決められていて、それを大幅に超えたからだ。
 
一般の人は、環境基準値以下にしないと生鮮食料品を扱う市場として危ないと思ってしまう。そこでその環境基準値の79倍と言えば、「こりゃだめじゃん」となる。
 
しかし、よく考えるとそれは、飲料用には適しませんというだけのことだ。
なぜ、技術者会議でそういう方針が決められたのかおおいに疑問だ。
 
汚染源が特定できない地盤で、地下水がどういう形で分布しているかわからないのに、全体の地下水を浄化できるなんて、なんで考えたんだろう。
 
試しに測ってみたら数値は大したことがないので、飲料用の基準以下にすれば、だれも移転に反対しないだろうという安易な妥協の匂いがする。
 
私は、てっきり完璧に浄化するなんて不可能だから、地下水の利用は止めて、盛り土して地上に出てくるのを抑えましょう。
ということにしたんだと理解していた。
 
地下水の浄化が可能ならば、盛り土する意味は何だったのか。
念のために、ということか。
 
いずれにしても安易に考えたものだ。
大騒ぎになる種を自ら蒔いておいて、いまさら大騒ぎして、誰が得するんだろうと思う。
 
小池知事は、聡明な方のようだから、こういうことは百も承知で、「だから従来体制はだめなんだ」という証拠として政治利用しているんだろう。