日記5月6日から12日 | 八卦茶ティータイム

日記5月6日から12日

5月12日

朝、三反歩の池跡へ。
大船経由で洋光台。

笹下川左岸、紫陽花に少し色が付く。

 



縁石に竹酢液、若干の剪定。
床の水拭き、コンバットの入れ替え36個。
柚子の花がさらに開花。

 



ジーンズその他洗濯、朝湯、昼寝。

持参食材でランチ。
絵に手を入れる。

帰路、野球観戦帰りで京浜東北線の乗車率はいつもより高め。

天気はなんとかもつ。

5月11日

早めに公園清掃。
枯葉回収2袋。

30分で失礼して発電所跡。
消防設備点検。

検査待機中に春茶サンプルの再包装。

持参食材でランチ。

午後、江ノ島旧道経由で目白山アートカフェ。
苺おまけ付きのチーズケーキと珈琲。
ピアノとホルンx2を聴く。

 



くじら館に寄り春茶サンプルを差し上げる。

約束した片瀬のお宅へ。

持参のカップとレンゲで1天と2天の試飲。
和菓子とマーマレードをいただく。

17時ごろ失礼してフジで買物をして帰る。

庭木を若干剪定。

片瀬のお宅でお教えいただいた「個性きらめく」およびその続編を図書館に予約。

5月10日

高木ふれあい荘、OX、弁天橋経由で11時過ぎに目白山アートカフェ。
珈琲とフルーツタルト、大粒の苺をサービスでいただく。

 



昼過ぎに住宅会社から連絡。昨日の問い合わせに一部回答いただく。


5年目点検の実質は床下防虫薬剤交換、パンフレット床下点検とはその際目につくものがあればとの意味らしい。
一方、基礎上塗りモルタルのクラックは随時の無償点検(および必要ならば補修を含む)対象。
外部クラックがあれば床下基礎もチェック、その際、床下全体で気が付いた点があれば指摘とのこと。
早速お願いする。

片瀬ののお宅に春茶試飲にご興味あるかどうかメールをお送りする。

早速お電話くださる。
明日の約束をする。

5月9日

気温低下。

朝、アート展の方からの問い合わせにメール回答。

住宅会社に以下の問い合わせをする。


1.床下点検(パンフレットの定期点検内容)
床下の各種配管接続状態および床下断熱材の収まり具合など構造部分以外の点検も含まれるかどうか。

2.北側屋外基礎上塗りモルタルにクラックが生じた場合の対応。

3.室内・天井・小屋裏(有償点検)の具体的内容。


4.防虫防蟻工事(実質は薬剤交換)費用。

5.その他、エアコン撤去後の配管貫通穴内部処理、トイレ換気扇の取り付け木ネジの効き具合、サッシの防水、ひび割れなど構造部分以外での細かい点の相談先。


早速18時ごろ留守電にメッセージをいただく。

 

春茶試飲


5月8日

朝、海岸。
昨日の雨の低気圧の波が残っている。
状況をしばらく眺めて東浜。
134号に出るところでカメラの人と挨拶を交わす。

装備はジャージに厚めのアーム、左足にブーツ。
ブーツのおかげて爪に負担なし。

一気に崩れる波。
右手でレールグリップ、さらに右足を沈み込ませて耐える。
波はコンスタントに入る。

1時間少々で上がる。

羽鳥の人と会話。
この時期の装備の個人差について。

戻って発電所跡。
昨日到着の春茶サンプル小分け。

カフェ・ヌフにお茶の配達とパンセット。
江ノ電沿線新聞掲載原稿などを見せていただく。

百両山経由で帰る。

ワックスの塗り替え。
隣接地の方と会話。
市展、稲門会写真展に出品予定とのこと。

公民館図書室に本7冊返却。

 

鵠沼鉄橋そば


5月7日

朝、海岸。
昨日の風波の残り。
波は小さ目。

シーガル化したセミドライ、ジャージのアーム、ネック保温なし、ブーツ無し
でまず乗ってみる。

左足の親指爪に無理がかかる。

しばらく乗ってから左だけブーツを履く。
洗い場の清掃に来ていた車が動いた後上がる。

往復とも少し雨に当たるが大したことは無かった。


広田弘毅

「落日燃る」城山三郎、鵠沼を語る会 会報30号などより鵠沼別荘位置。
大曲から南東2本目右折、1本目と2本目の区画。今では家屋10数軒。
正門側かどうかは不明だがいつも前を通っている。

語る会会誌30号で富士山(フジ タカシ)医師の昭和60年10月15日の日記より
門柱に広田とのみ記された表札、1年前程前から屋根に青いビニールシートとある。
この時期のこの場所の記憶は定かではないが古家があったような気もする。

城山三郎が取材通り記述しているならば、新婚旅行は江ノ島、記念に貝細工の指輪。
鵠沼の地取得は昭和7年頃。


「ゆく河の流れ」高瀬笑子より

高瀬三郎の鵠沼藤ヶ谷邸

明治43年、鵠沼藤が谷に2万坪土地取得、江ノ電の停留所(藤ヶ谷)から砂利をしきつめた長い坂の上に豪華な冠木門、母屋の他数件の家屋、グランドホテル勤務経験のコック、文化人(阿部次郎、安倍能成、矢代幸雄、林達夫など)と親しむ。東は片瀬川まで土地所有、船で江ノ島口まで櫓を使って行き来可能。北側は桃畑。
開成医学校に通った関係でベルツ、コッホとも交流。


高瀬彌一の川袋邸

高瀬三郎死去(大正5年)後、鵠沼藤ヶ谷邸は銀座の徳力に売却。
川袋に2万坪土地取得、うち1万5千坪は住宅地としで分譲。居宅5千坪の敷地には池が複数。
藤沢駅から27丁鵠沼海岸まで(100mx27=2.7Km)自費で道路敷設。
大正12年の震災で家屋倒壊するも再建。震災時に家は電化。
大正15年に江之島水道株式会社設立、資本金12万5千円。
江の島水道まで上水道敷設、第1水源自宅敷地内、第2水源、石上の旧家のあたり。
高瀬彌一、江ノ島をこよなく愛す。妻、北京ダックを鶏にて作る。


その他 有難きお言葉
「友情はもちろん大切。しかし、人と交わり、それが続くためには互いに努力が不可欠」
津田梅子と塾を創設したミス・ハッホンの言葉


鵠沼を語る会 89号

高瀬彌一の敷設した道路は鵠沼新道線205号 大正14年5月全長2970m。
高瀬彌一の川袋邸は現在の鵠沼桜が岡1丁目
鵠沼からの転居届は大正9年9月10日。
邸内で栽培のお茶の製茶(自宅用)記述あり。


「完本食の日本史」高木和男

茶についての記述もある。



5月6日

発電所跡の避難訓練。
訓練前に紙類、不燃ごみ排出。

北側に安全確認の黄色いタオルを出しておく。

9時ベルが鳴る。
訓練終了は何時なのかよくわからなかった。

1時間ほど茶の小分けをしながら様子を見る。

適当なところでタオル回収。


往復とも徒歩。

 

鵠沼鉄橋そば


帰路はOXに寄る。

町内会総会の出席届を組当番のお宅のポストに投函。