具志アンデルソン飛雄馬公式ブログ

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1990年来日、壮絶ないじめに遭った経験から現在、全国で人権講演会をしている45歳の4人のパパ、孫も居ます 子どもを育てる傍ら、全国で講演活動を展開中 20年間で1200以上の講演を達成 多くの差別事件を摘発し、解決に取り組む 多文化共生NPO世界人理事長

野間宏と『青年の環』

 戦後文学の代表的作家の一人である野間宏(1915~1991)に関しては、今日では40代以上の読書家は別にして、一般的にはほとんど知られていないのが現状ではないだろうか。また、その代表作『青年の環』(1947年から70年まで23年をかけて制作された全6部5巻の大長編小説)についても、原稿用紙で約8000枚もある長さや独特の粘りと癖のある文体・描写から、読み通すに困難な「挫折本」のひとつとも言われている。

 しかし、第二次世界大戦に突入する前夜(1939年の梅雨時から約3ヵ月間)

の大阪を舞台にした『青年の環』は、文学的には「戦後文学の代表作であるのみならず、部落というアジア的生の環境と歴史に深く根を下ろした20世紀の世界文学の代表作の一つ」(1)と評価されている。野間自身はこの作品について「『青年の環』は日本の最も重要な問題の一である被差別部落の問題をうち深くに置いている作品であって、私が学生時代からその問題解決に向い眼を向け歩みつづけてきた問題を、小説の形でもって提出している作品なのである。」(2)と解説している。

 このような部落解放の問題を中心にすえて生みだされた『青年の環』について作家の土方鐵は、「日本そのものを、丸ごととらえて、小説の世界に閉じ込めたといっていいだろう。そのゆえに、被差別部落は、どうしても舞台としなければならならなかったのである。/そして、そこに生きる人間と、そこの人間とふれる、外部の人間との格闘と連帯が、おおきな主題とならざるを、えなかったのである。被差別部落を無視して、わが国を根底からとらえることは、不可能であろう。」(3)と指摘している。

 その一方で、〈戦後文学の代表作〉〈20世紀世界文学の代表作の一つ〉という評価とは、全く異なった評価が存在している。たとえば、『青年の環』が完結した年の翌年(1971年)に、野間より一年早く京都大学を卒業した歴史家の藤谷俊雄は、「わたくしは野間宏という作家は若いときから観念的傾向の強い作家であったと思っているが、戦後『暗い絵』を書いたころはつとめてリアリズムの立場に立とうとしていた。(略)ところが今度『青年の環』を読んでみて、かれが再び観念的な文学に戻ったのを発見した。それも以前のかれに戻ったのではなく、観念と現実とを勝手につなぎ合わせたようなものとなっていて、現実をかれの観念によってゆがめて描いている点で、むしろ読者の現実認識を誤らせる恐れが多分にあることを憂わしく感じる。これはかれの戦後の転向とかかわりあることだろう。」(4)と批判した。

 さらにまた、野間が『青年の環』で人民戦線(1930年代にファシズムの台頭を広範な民主主義勢力の統一によって阻止しようとした運動)の最後の闘いとして高く評価した皮革産業の統制強化に対抗した経済更生会という部落の生活擁護の闘いについても、「戦争とファシズムが激化してゆく反動期の孤立感の中で、反戦思想をいだくインテリ青年が、戦時統制に抵抗して生活をまもる努力を続けている部落大衆に『期待』をもとうとした心情は理解できるけれども、客観的に見れば、観念的な革命論者の幻想であって、歴史的な部落解放運動とは縁のない無責任な発想といわねばならない。」(5)と厳しく批判した。

 野間が自己の「転向」との「かかわり」(=自己合理化)から、事実と虚構の

境界をあいまいにし、また、部落民衆に対する「幻想」にもとづいて水平社運動の歴史について虚偽の叙述を行い、読者の現実認識や歴史認識を誤らせたというような評価はその後も出されている。しかし、それらの意見は、「仮構によって、そしてただ仮構によってのみ、普遍のものとすることのできる真実を語るのが小説家の任務」(6)という文学を批評する際の「常識」をふまえて野間が語ろうとした「真実」に迫ることよりも、野間と『青年の環』を批判し否定することを何よりも重視しているように思われてならない。

 今回から、こうした批判も視野に入れながら、『青年の環』の主題に関する先の土方鐵の的確な指摘をふまえ、野間が「日本そのものを、丸ごととらえて、小説の世界に閉じ込める」ために、なぜ被差別部落(以下、部落)を舞台としなければならならなかったのか、また、なぜ「そこ(部落―引用者)に生きる人間と、そこの人間とふれる、外部の人間との格闘と連帯が、おおきな主題とならざるを、えなかったの」か、それに加えて生涯の課題となった部落差別問題への強い関心はどのようにして形成され持続されたのかを、野間の軌跡をたどるなかで明らかにし、そのうえで、『青年の環』を読みとってみたい。

 なお、これ以降に引用する文中の差別的表現や、部落のみを〈未解放〉と認識する〈未解放部落〉等の不適切な表現は、それ自体、歴史の証言としてそのままとした。

 

(1)部落解放・人権研究所編『部落問題・人権事典』の「『青年の環』」(竹内泰 

   宏執筆)の項目(解放出版社、2001年、578頁)。

(2)野間宏「『青年の環』を書き終えて」(『部落解放』1971年2月号。『解

   放の文学 その根元―野間宏評論・講演・対話集』解放出版社、1988年収

   録、212頁)。

(3)土方鐵「[解説]野間宏と被差別部落」(前掲『解放の文学 その根元』33

   3頁)。

(4)藤谷俊雄「部落問題から見た『青年の環―戦時下の水平運動―』」(『部落』

   1971年10月号、28、29頁)。

(5) 同 前、31頁。

(6)大西巨人「公人にして仮構者の自覚」(『新日本文学』1958年9月号。

   『大西巨人文選 2途上、1957―1974』みすず書房、1996年収

   録)。