8月29日 プフルークバイユ博士との意見交換会に行ってきました | 一日一回脱原発 & デモ情報in大阪

一日一回脱原発 & デモ情報in大阪

大きなことはできません。でも一日一回、小さなことでも脱原発に役立つことをしよう。そういう思いを込めてタイトルをつけました。脱原発デモ・イベント情報と、原発&放射能に関するお役立ち情報を掲載します。

ド イツ放射線防護協会会長のセバスチアン・プフルークバイル氏が来阪され、29日にオープン意見交換会を開かれました。


※プフルークバイユさんの情報はこちら

http://www25.atwiki.jp/monosepia/pages/4960.html


わたしは私用があり、2時間遅れでどたばたと駆けつけましたが、残り1時間でも参加してよかった。


急きょ決定した意見交換会だったので、参加者は少な目でした。20人ほどでしょうか。

ただ、参加していた方はみなさん精鋭といいましょうか。

脱原発運動で中心的な役割を果たしている人が多い感じで、知識も豊富な人ばかりでした。



最初の2時間のメインのお話は聞き逃してしまったのですが、残り1時間の質疑応答の時間で印象に残ったこと2つ。



チェルノブイリでは事故処理のために多くの労働者が召集された(80万ともいわれています)。

福島と違ってチェルノブイリでは軍人、警官、消防士といった人たちも多く集めらた。

たとえば夜中の2時に突然政府から人がやってきて、チェルノブイリに行きなさいという。

命令に従わないと射殺だと言われる。

ちゃんとした資料は残ってないが、実際に射殺された人もいた。


福島ではマフィアが労働者をかき集めているという。

日本では旧ソ連のようなやり方はできないから。


日本のようにマフィアが各地から作業員を集めるのと、旧ソ連のように半ば強制的に作業員を集めるのと、どっちがましかとは言えない。


原発がある限りこういう問題は起こる。




また以下のような質問が出されました。


チェルノブイリ周辺で救援活動を行ってきた野呂美加さんのお話しに、チェルノブイリ周辺の地域では、0.5マイクロシーベルト/時の地域では、子供が突然黒板の字も見えないほど目が悪くなったり、住民の多くが体調を崩して村としての存続が難しくなり、廃村になったという話を聴いているがそれは本当か。

(野呂さんのお話しの詳細はhttp://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3146194.html

福島事故後、線量が0.5μs/h(年間4.38ミリシーベルト)ある地域は日本ではたくさんあるが…。


博士の答え


0.5μs/hで廃村なった村は公式に資料に残っており、存在する。しかし同等の汚染レベルでそこまで問題のおこっていない地域もある。その違いが何に由来するのかよく分かっていない。放射能の動きに関しては専門家でもわからないことが多い。


どれだけの数値では避難するべきで、どれだけだと安全だということを簡単にいうことはできない。

日本で0.50.5μs/hの地域の住民をすべて避難させることは不可能だろう。

またどれだけの数値でだれにどんな被害が出るかも予想もできない。被害が起こった時点で対処するしかない。


また博士はこのようなこともおっしゃっておられました。

自分が日本の王様だったら、福島の被曝地域の住民の避難や移住をどうするか?

わたしにはわからない、と。


いったん原発事故がおこってしまったら、それをうまく納めることはぜったいにできない。

わたしにわかることは、すべての原発は廃炉にしなければならないということだけだ。




以下私見です。


小出先生も似たようなことをおっしゃってましたね。

いったん事故が起こってしまったら、避難するのも地獄、残るのも地獄。すっきりとした解決などありえない。

長年チェルノブイリに足を運び続け、研究を続けてきた博士だから、単純に数値だけで説明することはできないことをよく知っておられるのでしょう。

そしてこの専門家でもよくわからないという放射能被害の特徴が、被害者の救済を困難にする大きな要因になっています。


博士の話では

たとえば放射能の心臓への影響を正確に調べるためには、心臓病で死んだ子の体を解剖しないといけない。しかしそんなことは子供のお母さんはのぞまないだろう。また心臓病ではない別の原因で死んだ子の体も解剖して比較しないといけない。


ベラルーシのパンダジェフスキーのいう研究者がセシウムと心臓疾患の因果関係を調べる研究をしていたが、彼は収賄罪で逮捕された(博士によると、彼が賄賂をもらっていたのは冤罪ではなく事実で、そういうことはベラルーシでは多くの人がやっていることらしい。彼が逮捕されたのは、政府の意に反する研究をしたためだろう)。

彼の研究を引き継ぐ人材はいない。上記したような両方の子供の解剖をできる立場にいる人はそうそういないから。(パンダジェフスキー氏の奥さんは小児科医)



まだまだ有意義な話はたくさんありましたが、書ききれないのでここまでで。

時系列等不正確ですが、だいたいの雰囲気をつかんでもらえればと思います。