日曜日になると母は同じマンションの住人に誘われて教会に行くようになっていました。
お二人ともご主人はこのマンション施工会社関連に勤めているそうです。小さなお子さんもいらっしゃるようで、お二人はこのマンションに引っ越ししてから親しくなったそうです。
お二人とも平日はパート勤務で忙しくされていたようですが、日曜日は欠かさずに、我が家でひと時、話をされていたようですが、私がたまたま居合わせた時は、「如何に、この宗教を信仰して救われたか。如何に、幸せな人生を送っているか」を母に話しているのをほ訊きました。
母はこのお二人とお友達付き合いはこの後も長くしていましたし、お二人以外にも教会で知り合った多くの方ともその後も、家に招いてご馳走を振舞ったり、何かにつけて親しい付き合いをしていましたが、結局のところ、入信はしませんでした。
私が見る処、母は自分で友達を作って、我が家に招いてお話をしたり、一緒にあちらこちらに出掛けたり、小さな裏庭でガーデニングをしたりしていました。
妹も私の目を盗んで、ほぼ、毎日来ていたようですが、母はその事に関しては何も私に言いませんでした。
妹にしても、以前の借金に追われていた生活から、新しいマンションに移り住んで、先ずは、母が近くのマンション購入であてにしていた資金から、相当額を支援して貰って、金銭的にすっきりした状況にあったようでした。
母もお金が足らなかったら、長女(私)が何とかする。出来ると思っていたと言いました。
何とかなったというよりも、私が無理をしてでも何とかしたが正解ですが、本当に結構体力的に無理をして何とかしました。
母は娘(私)が稼いで、娘(私)がマンションのローンを支払って、娘(私)から生活費を貰っているとは、母の親しいお友達とやらにも、一切口にしませんでした。
母の口癖は、聞かれたら「この歳をして、それくらい持っていなくてはね……」でいつも誤魔化していました。
加藤諦三先生の『依存的敵意』
大原敬子先生の『母親の嫉妬』の解説に衝撃を受けました。