母が自宅に戻った事も私は事後報告でした。

 

母も一応は元の生活に戻ったようでした。

 

母も犠牲者ですが、今回の一番の加害者が妹だとは絶対に信じませんでしたので、母と妹の仲はとても良いです。

 

しかし、私も当時は部外者でいくら母が私を責めても、母は私に毎月の生活費を頼っていましたので、愚痴は言い続けましたが、母の愚痴は私が幼い頃から聞き慣れておりましたので、こんなものだと思っていました。特にそれを神経質に受け止める事はありませんでした。自分で仕事を増やして、時間でがんじからめにしてくよくよしたり、悩む時間の余裕さえありませんでした。

 

身体は幼い頃から強くなかったので、気を抜くと倒れていました。

 

元夫が仮差押えの抹消登記で続きを司法書士に依頼して結構な日時が掛かったようでした。

 

その間も母は妹とふたりで私や元夫の悪口を言い続けていたようです。それらはほぼすべてを元夫が母から攻め続けられていたようでした。

 

私はこの間の経緯を知りませんでしたが、元夫からこの借用書の返済完了は知らされておりました。また、その後の仮差押えの抹消登記で続きを依頼している事も知らされました。

 

全ては元夫が行って私は報告を受けるのみでした。

 

 

加藤諦三先生の『依存的敵意』

大原敬子先生の『母親の嫉妬』の解説に衝撃を受けました。

テレフォン人生相談ー心のマスクを忘れるなー

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