決して、母が子供を直接、殺したわけなどないのでしょう!!
何か事情があり、事故だったのでしょう。
母は父に何かを指摘されると、反論していました。夫婦の話は、その後に母の不満で、時として喧嘩口調になり、母の小声は大きいので聞こえたりします。
父も母も子供に聞かせないように奥の部屋で娘がいない時を見計らって話をしていたのでしょうが、私が帰宅した時に偶然、聞こえた話で、父は、亡娘、息子や以前の住居で(同居?)母の継母の行動に許せない事柄が多くあったようです。
お経の後にお坊様が母に昔の事をお話しをしていることがあります。説法であったり、四方山話であったり。僧侶は私がいるときは私が幼い頃のお話はしなかったです。母は僧侶がお参りに来ない日にお経を唱えていると、時々、「〇〇(私)も拝んであげて」と声を掛けて、私も一緒に手を合わせていた事が幾度かあります。母にお仏壇の事で質問をしたり、母がそれ以上話をすることはなかったです。
私は僧侶に声をかけられて幾度か座ったこともありました。
私が同席していない時の僧侶の話の中から、
私の上に子供がいたんだ。。
姉と兄?
母の話から、父との新婚時代の生活。
子供が嫌い。
私が生まれた後に妊娠したが、独断でおろした。
水子の話
妹が生まれた後は避妊リング装着
父が息子を強く望んでいる
父の話から、
男の子が欲しかった。
そして、私の想像ですが、
新婚時代の生活に、母の家族も同居していたのか?
父は、子供が亡くなった話の中で、母の継母を非難していました。
そんなお話の中で、少しづづ判ってきて、母の死後に戸籍を取った時に、姉と兄の存在を確認しました。それも同時に亡くなったのではなく、1年弱くらいの間を置いての出来事でした。
人生を振り返って、月二回の命日法要や高額なお布施が理解できました。
父の姉は、両親の新婚当時、若い母を思い遣って、少しの期間、世話をしていたからこそ、、その後に起きた事故に腹立たしさを感じていたのだと思います。
子煩悩な父。
三兄たちを亡くして、娘に続き息子が生まれた時の喜びは、ひとしおだったでしょうね。
どちらの子供の事かは、分かりませんが体調が悪く、寝かして、母は多分、映画を観に出掛けたのだと思います。その間、継母が看ていたようです。しかし、継母は家にじっとしているような人ではありませんでした。
このことがあって、父は母の映画通いを嫌いました。
母は継母の事をよく思っていませんでした。
私も母から、継母の折檻や酷い行いを幾つも聞きました。
母は、「幼い子供が二人いて、遊びに行けなかった」。「私にも外出する自由はある」と父をなじっていたことがありました。
継母からの虐め、虐待。
継母は家事を一切しませんでした。
私たちが、母の実家に連れて行ってもらった時も、弟夫婦が仕事を持っていた事もあって、祖父が買い物や料理をしてくれました。
人生を振り返っていて、その後に、起った父の入院時の事柄にその時は深く考えていなかった母の行動に関連するのかと疑問が湧いてきました。姉、兄の事柄は、直接に、私が関わった事ではないですが、母が極端に私と父と二人きりの接触や会話を嫌がっていたために、父の判断だと母から言われていた事が違った。
婚約時期に、父は彼を息子が出来たととても喜んでいました。
彼は、母親のお気に入りとなって、父に招かれて、相談相手となってよく家に来ていました。
そして、母の嘘が次々と分かりました。
『母親の嫉妬心』だと理解しました。
加藤諦三先生の『依存的敵意』
大原敬子先生の『母親の嫉妬』の解説に衝撃を受けました。