松井田宿を歩き、横川まで行ってから随分経ってしまった。この先は一人では寂しすぎるのでと思っていた所、軽井沢に遊びに行くことになり、坂本宿に寄ってみることにする。車で行くとバイパスを通っていくのだが、横川を過ぎた辺りから旧道に入り坂を登って行く。登り口の所に中華のお店があり、外に人が並んでいる。美味しい店なのだろうか。碓氷梁の看板もある。1キロ余り行くと平らな所に出てそこが坂本宿らしい。



                               坂本宿

車ならものの5分もかからないような距離だが、歩いたら結構きつい坂だ。坂本宿は計画的に作られたらしく家並みが整然としているとあるが、本陣、脇本陣、旅籠、商家が160軒並び賑わっていたらしい。今は、道の両側に家が並んでいるがひっそりとしている。ここから碓氷峠を越えて行ったのかと思うと感慨深い。

かぎやという元旅籠の建物が残っている。370年前高崎藩の納戸役鍵番をしていた人が坂本に移住し、役職にちなんでかぎやとつけたとある。屋根は社寺風の切妻で、宿場は街道文化のたまり場で俳句、短歌、狂歌を始めとして、馬子、飯盛女に至るまで指を折って句をひねっていたという。何だかここでそんな文化が花開いていたなんて驚きだ。


少し先に中村碓嶺生誕の地という看板があり、旅籠を営みながら、40キロ離れた本庄に住む長庵に師事し遠路通ったという。村上鬼城を横綱とすれば、高崎で西馬、坂本で碓嶺が両大関と言われるほどになったと書いてある。本庄まで通ったというのも、ここにそんな風流な人達がいたというのも来てみなければわからない。



                              かぎや

近くに今は公民館になっている酒屋脇本陣跡がある。

それから、佐藤本陣跡がある。2つある本陣のうち上の本陣と呼ばれていて、東に碓氷関所、西に碓氷峠が控えているため坂本泊まりが必然となり本陣が2軒必要だったいう。大名はじめ宮様、日光例幣使など大変な賑わいであったということだ。今は静まり返っている。明治8年には坂本小学校の仮校舎にあてたと書いてあるが、その後佐藤家は移住し、現在の地、家屋は明治34年小竹屋の分家が建てたものだ。

 

                       酒屋脇本陣
   
                佐藤本陣跡                      
  
道の先には山が迫っている。少し先の旧道入口からはきつい登りが続くようだが、途中整備されたハイキングコースもあるらしい。行ってみないことにはわからないが、一気に1000メートル位まで登るのだから大変な事は間違いない。最近は熊出没のニュースも多く、一人では登れない。車でもカーブを40余り辿って軽井沢へと向かう。


                               坂本宿  
 
次の日軽井沢宿に向かう。旧軽が軽井沢宿だったなんて思いもよらなかった。見晴らし台までは行けそうなので向かう。夏でなければ旧軽の通りが通れるので、車で行けると書いてあったのだが、行ってみると人が多すぎてそこを通り抜けられない。調べたところでは、そこを通らないと道が狭くて行きづらいとあって、駐車場も5台しかないらしいし、運転手が難色を示して断念。軽井沢とはいえ暑い。歩くと40分微妙だ。
旧軽の近くに車を止めて散策。
 

                             軽井沢宿



旧軽ロータリーが京方桝形跡だということで、そこから北に向かう。脇本陣江戸屋は子孫がやっているアートカフェになっている。随分様変わりしている。その先には本陣跡の明治天皇行在所跡碑があるはずたが見つからない。そのあたりが旧軽銀座で宿場だった面影はないが、旅籠風の格子をはめた店がいくつがある。100年前の写真が飾られてある土屋写真店に入ってみると昔の街道や、外国人も写っていて見飽きない。軽井沢らしく上皇様と上皇后様の写真も多い。テニスコートもすぐそばだ。


                            脇本陣江戸屋

                    土屋写真店

進むに連れ人が減ってきて、車も難なく進める。ナビというのもここまでは脇道を通ってくればいいのだが、最短を示す事が多く、見晴らし台に行くのをやめた時も通れるのかというような細い路地をナビされ、とても進む事ができなかった。わかっていれば行けたのにと思うがもう遅い

茶屋だったというつるやが旅館をやっていて、今日は休みだと言うことだったが、玄関をのぞくと風情がある。ちょうど見晴らし台に向かう赤バスがきて、乗ろうかとも思ったが、やめておく。
進むと、浅間石の石垣の先が江戸方枡形跡だという。反対側に新しいおしゃれなレストランがあって、広い庭には苔が一面に生えている。ここは前は何だったのだろうかと思ってしまった。今の原宿のような店と昔の格子の建物、ここの様な高級そうな店とが混在し、宿場であった昔を想像することが難しい。宿場から、避暑地の別荘地へと変貌を遂げた軽井沢ならではだ。何度もここに来ているが、そんな歴史を思ったことはなかった。視点が違うと楽しみ方もまた厚味を増す。碓氷峠を歩いて越えてきたならどんなだったろう。思いを馳せる。いつか碓氷峠を越える事ができるだろうか。ここを行ったり来たり、散策して後にする。ただ暑い。

                      つるや
   
                            つるや旅館
        
                           江戸方枡形跡