暗黙の知能観

人の能力は生まれつきのものか、それとも努力によるものか。


誰もが考える議題だ。結論から言うと私の意見はどちらでもあると言わざるを得ない。

例えば先生がaという事象を生徒に教えたとする。これを理解し記憶するかは、生徒次第。しかし、もし先生が必至になって生徒に解説をきちんと行い、授業もその気になれば毎日行い、何ページもの宿題をやらせて、その生徒が理解するまでこれらを行って、その結果生徒の能力が上がれば、それは努力によるものである。(ここでは先生が努力したように見えるが、授業を受け宿題をやる本人は生徒である。よって生徒も努力している。)

逆にその生徒が、集中力が続かなかったり、記憶できなかったり、先生に反抗し続けたり、あるいは別の事に夢中だったりしてaという事象を理解できない場合は生まれつきかもしれない。

結論はどちらとも言わざるを得ないと私は述べた。

しかしそんな事はどうでもいい。


その能力が向上するか否かが大切だ。      

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能力というものが向上するもので、「向上する能力」が生まれつきあるいは努力によるものなら、全ての能力はどんな時でも向上する。

その事を信じて、トーマスエジソンは1000回の失敗を経験したのだろう。